4. ある少女

 斜面を上がり、土手道に出る。

 川沿いに続く土手道は、中学時代、僕のささやかな憩いの場だった。

 あの頃の僕は、次第に強くなっていく特性をなかなか受け入れられずにいた。周囲の人間達が漂わせる色の波を抜け、頭と目を休めるのに丁度良かったのが、この土手道だった。


「ここの景色、変わってないね。良かった」


 土手からの風景に、僕は胸を撫で下ろした。


「三年程度では街は変わらない。近所の医者が代替わりしたとか、閉店したコンビニの跡地に美容院が出来ただとか、その程度。余裕が出たら、散策してみれば良い」


 僕の少し前を歩く父さんが、チラチラとこちらを見ながら話してくれる。

 大災害でもない限り、極端に街の形が変わることはない。

 だけど。

 出来れば何事もなく、リアレイトに何の影響もなく、全てが終わればと願わざるを得ない状況になっている。しかも、その原因の一端は、僕だ。それが、苦しくて堪らない。


「母さんが、お前のことを心待ちにしてる。休みを貰って、朝から大河に食べさせたいものを作ってた。学校が終わったら、雷斗も来たいと言っていた。それまで、お前の精神力が持てば良いが」


 僕の気持ちとは裏腹に、父さん達は気がはやりすぎだ。

 干渉が成功するかどうかも分からないうちから、そんなこと。

 それだけ……、楽しみだったってこと。こんなに不安定で恐ろしい存在になってしまった僕のことを、まるで久々に帰省する学生みたいに。

 胸がギュッとする。


「大河君どうしたの? 変な顔して」


 リサがまた隣から顔を覗く。


「別に。何でもない。少し、こそばゆいだけで」

「ビックリしてるんじゃないか」


 チラッと振り向くと、陣がニヤニヤしながら僕を見ていた。


「レグルノーラに戻れば、地下に幽閉される身だろ? たとえ単独行動は許されなくても、ここでは遙かに自由だからね」

「……まぁ、概ね合ってる」


 閉じ込められていたヤツが急に自由を手に入れたら。……とか、そういう理由で微妙な気持ちになっているわけではないんだけど。


「そうだ。陣、会わせたい人がどうの言ってなかった?」


 気持ちを悟られぬよう、僕は歩きながら大きく振り向いて、話題を変えた。

 陣は少し驚いたような顔をして、「ああ」と小さく頷いた。


「実は、その子も干渉者なんだけど、ちょっと訳ありで。雷斗もそうだけど、どうも君の関係者は拗らせてるのが多いんだよね」

「僕の関係者?」

「説明するのも面倒だから、勝手に記憶見てくれないかな」

「僕のこと何だと思ってるの。普通に説明してよ」

「何って“神の子”だろ? 特性持ちなんだから、有効に使えば時短になるかなって」

「便利グッズみたいな言い方するのやめてよ。別に見たくて見てるわけじゃないんだから」

「――何歳くらいの子だ?」


 前の方から父さんが聞いてきた。

 陣は僕らを通り越して、父さんにも聞こえるように少し大きな声で答える。


「今年中三。気難しい年頃なんだよ」

「男の子? 女の子?」


 と、リサ。


「女の子」

「へぇ。じゃあ、あのくらいの……」


 リサが指さした先に、一人の女の子が立っていた。

 ブラウスに紺のひだスカート。あれは確か、隣の学区の。


薫子かおるこ


 陣が名前を呼ぶ。

 今時珍しい、古風な名前だ。

 薫子と呼ばれた少女は、土手道の先から、僕らのことをじっと見ていた。

 好奇心を示す濃い黄色が強く出ている。彼女の鮮やかな茜色が覆い尽くされる程に。


「おかしいな。まだ午前中……。早退したのかな。さては、あとで紹介するって言ったのに、我慢できなかったな」


 そう言って、陣は薫子の方に駆け足で向かっていった。

 薫子はこちらを見てニッと口角を上げる。

 どこにでもいそうな、大人しめの中学生に見える。肩までのストレートの髪を揺らして、飾り気なく清楚な感じ。

 僕の時は中学生の格好をしていたクセに、薫子には大人の姿で接してるのかと、そんなどうでもいいことを考えていて、気付くのが遅れた。


「あれが、“神の子”」


 彼女は確かにそう言った。

 駆け足の陣が父さんを追い抜いて彼女のそばまで迫っていて、父さんが異変に気付いて魔法陣の発動準備を始め、リサさんがあまりの衝撃に足を止めていた。

 薫子が手を高く掲げた、その頭上に、巨大なエネルギー体を発生させている。

 敵意や悪意の色じゃない。

 だから気付くのが大幅に遅れてしまったんだ。


「楽しみ。どんだけ強いの?」


 ニタリと笑う彼女に、僕は震えた。


「ここ、リアレイトだぞ……!!」


 人通りの多い時間帯じゃない。

 だけど土手の下には住宅地が広がっている。

 巨大なエネルギー体の威力がどんなか想像したくはないけれど、もしうっかりなんてことがあれば、きっとどこかで犠牲が出る。


「クソッ!!」


 余計な戦闘をせずに、相手に圧倒的な敗北感を味わわせ、戦うのは無駄だと思って貰う最善の方法を――!


「悪い! 竜化する!!」

「え?!」


 リサ、陣、父さんの三人が同時に声を上げた。

 けれど、止める間もなく僕の身体は急激に肥大化する。

 服が破れ、身体は鱗で覆われて、羽や尾が生え、どんどん竜に近付いていく。

 大丈夫。一般人の目には触れない。父さんの強力な結界魔法がしっかりと張られているのが見えている。


「う、嘘でしょ?!」


 薫子が顔を真っ青にして巨大な白い竜に変わっていく僕を見上げ、声を漏らした。

 リサ達はうろたえて動きを止めている。


「な、何やってんだ大河!!」


 陣が叫んでいるが、知ったことではなかった。

 僕の目標は薫子の魔法で出来たエネルギー体。見たところ、直径は二メートル程。

 限界まで巨大化する必要はない。

 土手を挟むようにして両足で踏ん張った。住宅や電信柱をやたら傷つけないよう注意したけど、ちょっとは壊れたかも知れない。縁石を踏んだ。土手を固めたブロックも崩れてる。そこはあとでどうにかするとして。

 ある程度まで大きくなったところで屈むと、丁度眼前に薫子の生成したエネルギー体が浮かんでいた。

 目線を下に動かす。

 薫子が震えているのが見える。


「や、やだ。何? どういうこと?!」


 混乱している。

 急にリアレイトに竜が現れた。それだけでも意味不明なのに、それが真ん前に迫ってるんだ。当然っちゃ、当然。

 僕はガバッと口を開いた。巨大な竜の口。


「大河!! 早まるな!!」


 父さんが叫ぶ。

 薫子を食うとでも思ってる?

 違う。

 僕の目標は、その頭上に浮いた高エネルギー体。

 大きく開けた口でそいつを……、呑み込む!!


「きゃああっ!!」


 薫子が頭を抱えて地面に屈み込んだのが見えた。

 ガブッと閉じた口の中で、エネルギー体がバフッと弾けた。

 鼻と口の隙間から熱風が吹き出して、僕は慌てて上を向く。やばいやばい。薫子や父さん達に火傷を負わせるところだった。

 口の中から熱が消えたところで、僕は竜化を解き、元の芝山大河に姿を戻した。


「どうにか、間に合った……」


 汗を拭い、ため息をついていると、頭を抱えながら陣がズンズン迫ってきて、僕の胸ぐらをぐいと掴んだ。


「大河!! 何故竜化した」


 陣は怖い顔をしている。

 同時に、恐ろしさで死にそうだったと、心の中で叫んでいる。


「まともに応戦したら、もっと大変なことになってたと思うけど」

「リアレイトに竜は存在しない。シバが結界を張らなかったら、全部見られて大変なことになっていた。分かってるのか」

「分かってるよ。見てたから。父さんの結界が発動したのを見てから竜化した」

「たまたまここが土手の上で、建物まで距離があったから良いものの、これが街中だったら巨大化するだけで家が潰されるんだぞ。君はこの世界を自ら破壊するってことだ。見た目だけ変えても、中身がそれじゃダメなんだってこと、分からないのか?! ヒヤヒヤした。世界が終わるかと思った」


「あのエネルギー体が暴発していたら、同じことが起きてたと思うよ。だから敢えて食ったんだ。あいにく、魔法を発動させるより竜化する方が早いしね。常に身体の中は燃え滾ってるんだから、あの程度のエネルギー体なら、口の中で余裕で潰せる」

「君の言いたいことは分かった。けれど、だからと言って容認するわけにはいかない。そう簡単に竜化するんだったら、もう干渉はするな。意味が分かるか? リアレイトには二度と来るなと言ってるんだ」


「それ、陣が僕に言う権利ある? 僕は最善の方法を尽くした。もし躊躇してたら、今頃まだ戦闘状態で、うっかり薫子を傷つけていたかも知れない。怖がらせはしたけど、彼女には指一本触れてない。竜にはなったけど、人間を食おうとしなかったこと、褒めて欲しいくらいなのに」

「ハァ?! 褒める? 褒める要素がどこにある。ふざけるのも大概にしろ。力に振り回されて、性格が破綻してきてるぞ。傷つけたくないとか壊したくないとか言ってたくせに、どうして簡単に竜になるんだって聞いてるんだよ!!」


 頭が硬い。

 幾ら言ったところで、これじゃ平行線だ。

 陣から視線を逸らすと、その肩の向こう側に、薫子とリサが見えた。リサが駆け寄り、薫子を落ち着かせているらしい。父さんもそのそばに屈んで、薫子に事情を聞いている。

 陣に視線を戻す。

 イライラしながら、『話を聞いているのか』『頭がおかしい』と、陣は頭の中で僕を罵倒していた。案の定だから、別に何とも思わないけど。

 僕はじっと陣の目を見て、更に心の中を探った。


「芳野……、薫子?」

「?!」


 陣は驚いて、僕の胸ぐらから手を離した。


『こいつ……、故意に記憶が見れるようになってる』


 慌てて目をそらされる。


「芳野ってことは、美桜の親戚か何か?」

「ああ、そういうことだ」

「僕より、薫子の方がよっぽどヤバいと思うけど。会話する前に攻撃しかけてくるんだから、頭のネジが何本かぶっ飛んでる。しかも、僕に敵意はなかった。好奇心だけで襲ってきてた。そんなヤツの攻撃は簡単に予測できないよ」

「敵意が……ない?」


 陣はやたらと驚いている。


「敵意なんかなかったな。僕がどんな強さをしてるのか、それが知りたくて攻撃したみたいだ。だから攻撃の準備をしていたことに気付かなかった。……で? 薫子は僕とどういう関係? いとこ……じゃないよね。美桜は一人っ子だった」

「いとこ違い」

「え?」

「君の大伯父、ヨシノデンキ社長芳野泰蔵たいぞうの一人娘。君の、いとこ違いにあたる」


 聞いたことのない続柄に、僕は軽くショックを受けた。

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