3. おかえり

 河川敷は青々と茂った草で覆われていた。青臭いのと、川の臭いが妙に懐かしくて、それがまた、僕の涙を誘う。

 幸い、昼間のこの時間は人通りが少ない。土手の上にも向こう岸にも、殆ど人影はなかった。遠目には、大人が数人、河川敷で寛いでいるようにしか見えないはずだ。

 体育座りをした膝の間に頭を埋めて呼吸を整える。と、僕の左側に座ったリサが、コツンと肩に頭を当ててきた。目を細めると、リサの杏色が見えた。安堵の色を混ぜ、少し濃くなっていた。


「大河君、おかえり。良かった。戻ってきてくれて。知らない誰かになってしまったまま、戻らなかったらどうしようって思ってた」


 リサは少し恥ずかしそうに言った。

 なるほど、傍目からはそう見えていた。

 それはそれで、胸が痛む。


「僕はずっと、僕のままだったんだけど。……まぁ、いいや。リサが期待しているように、以前の僕に戻ったわけじゃないけどね」


 話しながらゆっくり顔を上げると、鼻水がつうと垂れてきた。変に泣いたからだ。

 無意識にズボンのポケットに手を突っ込む。と、用意していなかったはずのポケットティッシュが、手の中にあった。

 あれ。

 引っ張り出すと、中学時代によく使っていたそれで、僕はギョッとした。

 力を使おうと思っていなくても、勝手に具現化できている。

 鼻をかみ、汚れ達ッシュを捨てたいと思ったときには、その手の中に三角に折りたたまれたレジ袋が握られていて、再度ギョッとした。動揺しながらもレジ袋を広げて汚れ達ッシュを突っ込んだ。

 喉が渇いた。

 思った次の瞬間には、手の中にスポーツドリンクのペットボトルが具現化されている。

 最悪だ。なんだこの力。

 僕はいつから、こんな風になったんだ。


「そのペットボトル、前のデザインだな」


 立ったまま腕組みをして、僕を見下ろしながら父さんが言う。


「今のはパッケージとボトルの形状が変わってる」

「そうなんだ。知らなかった」


 三年二ヶ月、時間が止まってる。

 現実はそれを、否応なしに伝えてくる。

 僕は、大きくため息をついて、ペットボトルを開けた。


「魔法陣も使わないし、極端に力も入れてなかったよね……?」


 リサがグッと身体を引っつけて聞いてきた。

 僕はグビグビとスポーツドリンクを喉に流し込み、ハァと大きく息をついた。


「知らない。ある程度力のある干渉者なら、大抵同じことが出来るんじゃないの? 前に陣が神社でレジャーシート広げてくれたとき、パッと出てたのが凄く印象的だった。父さんだって、武器を即座に具現化させてたし。僕もやっと、追いついたんだよ」

「追いついたぁ? 追い抜いた、が正解だろ?」


 僕より少し離れた草地に寝転がっていた陣が、よいしょと頭を持ち上げて僕を見ていた。


「大河の具現化レベル、随分上がってる。僕らの比じゃない。“神の子”の力がいよいよ本格的に発揮されてるって感じだ。もしかしたら、姿も変えられるんじゃないのか」

「陣みたいに、レグルノーラとは違う姿になれってこと?」

「ま、そゆこと」


 よっと反動を付けて立ち上がり、陣は僕とリサが座っているところまで歩いてきた。

 ポケットに両手を突っ込んで、桔梗色を漂わせている。


「日本人は見た目とか、気にするんだろ?」

「そりゃ、するけど」


 白い髪、赤い目。

 どう考えたって普通じゃない。

 目立つのは嫌だけど。


「……このままでいいなら、そうしたい」


 気持ちを吐露すると、何故か三人は警戒色を出した。


「い、いいの? 大河君」


 リサがまた、隣から僕の顔を覗く。


「いいよ。そろそろ僕も、受け入れなくちゃならない時期に来てると思うんだ。見た目も、力も、白い竜であることも、どうにもならないんだから、しっかり受け入れる。そりゃ、陣みたいに姿を変えた方が、この街には紛れやすいんだけど。周囲がどう捉えようと、僕は僕なんだってことを、僕自身が訴えていく必要があるんじゃないかって……、あの、名前のない白い竜の記憶を追体験する度に思い知らされるんだ」

「――まあ、君の理想と信念は分かったけど」


 陣はハンと鼻で笑った。


「人間は思ったより平等じゃないし、優しくもない。前に言っただろ? 『リアレイトの人間は、特に異質なものに対して、拒絶反応が凄まじい』って。この世界の人間を無闇に怯えさせないためにも、君は姿を変えた方が良いんじゃないかって提案」


 僕はムスッと顔を顰めて陣を見た。


「話聞いてた? 僕はそのままで」

「それとも何か? 変身術は、不安定な“神の子”には難し過ぎる? 白い竜には化けられるけど、いわゆる日本人的な外見に変化へんげするのはハードルが高かった?」

「何それ。煽ってんの?」

「煽ってる。あれ? まさか出来ない? 髪の毛と目の色くらい、ちょちょいと変えられるだろ?」


 上から目線でわざとらしく挑発してくる陣に、僕はイラッとした。

 ペットボトルの蓋を閉めて、汚れ物の入ったレジ袋と共に地面に置いて立ち上がり、背をピンと伸ばして陣を睨み付けてやった。


「髪の毛と目の色だろ? 日本人っぽく?」

「そうそう」


 陣がやけにニヤニヤしている。

 ムカつく。

 ついでに肌の色も、血色良い黄色人種に寄せてやるよ。

 目を閉じ、僕は自分の肌と髪、目の色を変えるようにイメージした。

 髪の毛は、元々の赤茶じゃなくて、黒。目の色も灰色じゃない、焦げ茶色だ。

 頭の天辺から足の先っぽまで、自分の身体の色を塗り替えていく感じで……。


「え? 大河君? 嘘……ッ?!」


 隣で座っていたリサが、凄い声を上げた。

 何だよと思って目を開け、リサの方を見ると、仰け反って口元を両手で隠している。

 困惑の色がやたらと強く出ていた。


「た、大河君だけど、大河君じゃないみたい。あれ? 何だかまるで……」

「驚いたな。凌とそっくりだ」


 陣も目を丸くしている。


「髪と目の色だけでこんなに違うのか」


 父さんも移動してきて、僕の顔をまじまじと覗き込んでいる。


「な、何だよ。外見を日本人に寄せただけで、パーツは変えてない。何、そんな似てんの」

「似てる」


 大きく頷き、困惑と驚きの色を水色に混ぜ込みながら父さんが言った。


「白い髪の時はレグルそのものだと思っていたが、髪の毛の色を変えた途端、来澄に見えた。背格好も見た目も、……話し方も、似てきてる」


 三人の目にはそれぞれ、来澄凌の姿が映っている。

 リサが見ているのは魔法学校襲撃時、リサの正体を告げた凌の姿。悪者ぶってる癖に、どこか悲しみを湛えていたときの顔。

 陣は、高校生として侵入していた学校で、一緒に部活をしていたときの凌の姿。

 そして父さんは、共に生きることが出来なくなった僕を預けたときの凌の苦しそうな、無念そうな顔。


「……あんまり似てる似てる言われるのも、嫌なんだけど」

「あ、ああ悪い。あまりにもそっくりで」


 父さんは即座に謝り、自分の視界をリセットするように、手を数回顔の前で左右に動かしていた。


「思春期に親に似てるって言われるのは、確かに微妙かもね。十六歳……、もうすぐ十七? 微妙なお年頃だもんな、大河は」


 陣はわははと悪気もなく笑っている。

 イラッとする。

 似てるのはまぁ、血縁者なんだから仕方ないとして。僕が嫌なのは、そいつを殺しに行く前提で動いてるって事実なんだけど。


「でも凄い。これなら全然目立たないと思う」


 草を払いながら立ち上がり、リサが興奮気味に僕を見ていた。

 複雑な僕の感情とは裏腹にそれぞれ好意的な印象を持ったことだけは分かった。


「ほら、鏡」


 スッと、陣が具現化させた手鏡を差し出してくる。

 ありがたく拝借し自分の姿を確認すると、確かに来澄凌に似ていた。長くなった髪を一括りにした髪型と、美桜譲りのくせっ毛は僕のままなのに。髪の色をだいぶ黒くしたからか。元々の赤茶だと、雰囲気が違って見えただろうに。失敗した。


「まぁ、似てるよね。親子だし」


 陣に返した途端、手鏡はパッと消える。


「で? 挑発して、僕にこんな格好させて、なんか企んでる?」


 ギロリと陣を睨む。


「人聞きが悪いな。僕は会わせたい人がいるくらいで。企んでるのはシバの方」

「父さんの方?」


 どういうことだ。

 首を傾げて父さんの方を見ると、ちょっと恥ずかしそうにして僕から目をそらした。


「い、いや。思ったより大河がすんなり干渉できて安心した。暴走するかと思ってハラハラしたが、それもなかった。何よりだ。どうなるか分からなかったから、有給を……、夏期休暇と合わせて多めに取ったんだ」

「有給? あ! 今日、平日?」


 そうだ。

 父さんは普通の公務員で、休みは殆ど取らなかった。小学校くらいまでは学校行事の度に休んで来てくれていたけど、中学に入るとその機会もグッと減った。家族旅行とか、そういうのも、四年生か五年生くらいまでは連れてって貰ってたはずなんだけど、それすらなくなってって……。


「し、仕事、大丈夫なの?」


 我に返って、僕は父さんに迫った。

 レグルノーラではずっと幽閉状態だったし、混乱してから先は、曜日感覚もクソもなかった。

 そうだよ。なんで父さんが昼間ここにいるかとか、そこまで考える余裕がなかった。ちょっと冷静になったら分かるはずだったのに。

 父さんはハハと小さく笑って、


「大丈夫だ。外国に行っていた息子が戻ってくると、そう伝えたら、ゆっくり休めと言われたよ」

「ががが、外国?!」

「大河が養子なのは、随分前から職場には公表してたんだ。お前が“穴”に飛び込んだあと、色々考えた結果、“海外にいる本当の親の元へ行った”ことにした。急だったから、手続きが間に合わなかったとどうにか誤魔化した」

「シバ、流石にそれは無理があると思うけどなぁ。よく通ったね、そんな嘘」


 陣がニヤニヤ顔を父さんに向けている。


「日頃の行いが素晴らし過ぎて、嘘をついているなんて微塵も思われなかったが、何か」


 父さんは眼鏡の端をクイと上げ、陣のからかいをはね除けていた。


「ま、陣のことはどうでもいい。うっかり十連休にしてしまった。次の石柱を倒す期限ギリギリまで、少しリアレイトでも過ごしてみないか。色々と、やりたいことがある」

「つまり、しばらくの間、二重生活をしろってこと?」

「そういうことだ。母さんも会いたがってる。出来れば来澄さんとこにも連れて行きたい。雷斗もお前のことを心配していたし、来澄さんも、可能なら是非会ってお礼を言いたいって」


 ああ、そうか。

 企みって、そういう。


「僕が暴れて化け物になるようなら、どうするつもりだったの」

「大河君は暴れないよ」


 リサが言った。


「だからなんで、リサまでそんなこと」

「大河君、自分で力を抑えようとしているみたいだし。人間を襲う気もないでしょ? 傷付けたくないって涙を流すくらい優しいくせに、無闇に自分を悪者にしようとするんだもん。暴れないよ、大河君は。自分を取り戻した大河君は、簡単に暴れたりしないの、知ってるんだから」

「……どういうことだよ」


 何を言ってるんだ。

 変に買い被って。

 首を傾げていると、陣が口を挟んだ。


「まぁ、そういうこと。仮に大河が暴れても、どうにかしたと思うよ」


 信用されているんだか、いないんだか。

 だけどまぁ、干渉して、もう二度と来ることはないかも知れないと思っていたリアレイトの風を感じて、ちょっとは気分が良い。


「ありがとう。これからは、せめて自分を見失わないよう、頑張るよ」

「ホントに、頼むぞ」


 グシャッと、陣の手が僕の頭を鷲掴みにして、ぐりぐりした。

 すると今度は父さんが、陣の手をはね除けて、グッと僕の首に腕を掛けてきた。


「大河、おかえり。ずっと待ってたんだぞ」


 僕にだけ聞こえるように、父さんは小さく言った。

 リサはそんな陣と父さんの動きを、「大人げなぁい!」と少し嬉しそうに眺めていた。

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