第4部 《リアレイトの干渉者》編

【20】目覚めよ

1. 許可

 教会の連中はやたらと焦っているようだった。

 僕の様子を確認しては、このままだと間に合わないだとか、どうにかする方法はあるのかだとか、口々に話している。

 どうやら僕は、重大な何かを忘れている。……らしい。

 ウォルターの付箋のやり方で、どうやら僕と白い竜は別物なのだということは分かってきたが、彼らが言うように僕が“タイガ”という半竜なのかどうかという点について突っ込まれると、頭を抱えてしまう。

 思い出せない。

 白い竜の血を引いているのは、何度も変化へんげしかかったから理解しているけど、その“タイガ”については、何も。

 リアレイト人だったとか、シバが育ての親だったとか、僕と似た白い半竜がリョウとかいう名前らしいとか、そういうことは何度も話を聞いて分かっているつもりだが、自分の記憶とは一切結びつかないのだ。

 シスター長のイザベラ曰く、


「一種の記憶障害ですね。過度なストレスがかかって、重要な情報が思い出せなくなってしまったんです。けれど、名前のない白い竜と、自分自身を分けて考えられるようになっただけでも進歩です。大丈夫、一歩ずつ前に進んでいますよ」


 ……ということらしい。

 自分のことを忘れてしまうくらい衝撃的なことがあったのは間違いない。

 この世界の中で、僕だけが異質で、僕だけに何らかの使命が課されていることも、間違いない。

 悔しいけれど、思い出そうとすると頭が割れそうになるし、目を閉じれば相変わらずあの白い竜の記憶も巡る。

 僕は一体誰なのか。

 その答えを知るために『リアレイトに行こう』などとのたまったシバは相当イカれてる。

 僕に分かるのは、それくらいだった。






 *






「制御装置の竜石を、フラウ産からニグ・ドラコ産に変更する作業が終わったら、性能検査。そこで予測通りの結果が出たら、タイガの干渉行動を許可して欲しい。――ってことね。なかなか危ないことを考えるんだね、塔の五傑のシバ殿は」


 付箋の作業を続ける僕の元に、ビビがやって来た。

 すこぶるご機嫌斜めらしい。両手を腰に当て、顎を突き上げて眉間にしわまで寄せている。


「塔とは縁を切ってきたんだ。その呼び方はやめてくれ。シバでいい。散々迷惑を掛けた側が提案するようなことじゃないことは承知してる。が、そうでもしないと手遅れになる。少しでも可能性があるならば、やってみる価値があるんではないかと」


 付箋の殆ど貼られていない“その他”側のガラス壁に寄りかかり、シバは腕を組んで美々に言った。


「失敗したらリアレイトで白い竜が暴れることになる。その可能性がゼロじゃないと知ってて、それでもやろうとしているわけね」


 ビビはピリピリとした黄色と赤を菜の花色に混ぜて漂わせていた。


「シバ、あなたはタイガが絶対に暴れないと自信を持って言えるの?」

「大河は暴れない。私が、暴れさせない」


 またシバが適当なことを言っている。

 シバの方を振り向くと、相変わらず澄ましたような空色だった。


「根拠もないのにやるなんて、バカげてる。幾ら住んでる世界が違うからって、リアレイトにも同じように文明があって、沢山の人間が生きてるってことくらい、私にだって理解出来る。それを、勝手に“こっち”側の都合で危険に陥れるのはどうかって言ってるの」


 うるさいったらありゃしない。

 思考が途切れる。

 僕はペンを箱の中に入れて、作業をやめた。

 リサも、最後に渡した付箋を貼り終えて手持ち無沙汰になり、僕の隣に座った。

 二人してベッドの縁に座り、大人達の不毛なやりとりを見ていた。


「大河君、リアレイトに干渉……するの?」


 リサが僕の顔を覗き込む。


「どうかな。記憶の中で何度も干渉したから、感覚は掴めてる。それでも、今の状態で飛ぶことが得策だとは思わない。反動で竜化したら……、どうなるか」

「反動で、竜化?」

「何度か、リアレイトで竜化した。ニールは僕がなりたい姿に変化へんげしたのだと勘違いしてたけど、違う。感覚に慣れず、本性が出たんだ」

「ニールって……。あ! 記憶の。でも、大河君はベースが人間の方だから」


「リサの魔法やここの装置がなければ、竜になるんだから、化け物だよ。ニグ・ドラコ産の竜石は、確かにフラウ産竜石に比べて性能が勝ってた。だからって、完全に僕を抑えられるわけじゃないと思う。リサは……どう思う?」

「どうって?」

「僕は、“タイガ”を取り戻せると思う? 取り戻したら、この不安定な力も、どうにか出来るようになると思う?」


 僕を見る、リサの目は泳いでいる。

 赤茶の髪の少年と、僕のような人、いろんな記憶が次から次へと溢れ出ているのが見える。


「分からないよ」


 リサは小さく言った。


「だけど、リアレイトに行けば、今まで大河君が暮らしていた場所や景色がたくさんある。思い出すきっかけにはなると思う。シバ様は、その小さな可能性を……、信じたいんじゃないかな」


 小さな、可能性。

 僕がタイガに戻れる可能性なんか、あるんだろうか。

 戻ったとして、僕がすっかり忘れている“とてつもなく大事なこと”を思い出したとして、その先にあるものが、名前のない白い竜の記憶よりも悲惨な未来だったなら、思い出さない方がマシなんじゃないか。……そんなことをふと、考えてしまう。


「“タイガ”には、役目があるんだったよな。何か、とても大事な使命があって、それを果たさなくちゃならない。それを僕が忘れてるから、周囲は困ってる。期限が、どうの。やらなくちゃならないことがあるのに、何かが起きて、僕は“タイガ”じゃなくなった。違うな。“タイガ”であることを忘れた」

「うん。そう。君にしか出来ないことがある」

「リサは……、どう思う? “タイガ”には、“それ”が出来ると思う?」


 僕の聞き方が変だったんだろうか。

 リサはきょとんとした顔をしている。

 だけど目は逸らさない。少し顔を歪ませて、ギュッと唇を噛み、一旦目を閉じてから、潤んだ目で僕を見る。


「出来るよ。大河君なら、大丈夫。君は、前よりずっと、強くなってる」


 一点の曇りもない綺麗な杏色に、僕の心は決まった。


「ありがとう」


 僕はすっくと立ち上がり、今だ言い争っているシバとビビの間に立った。


「ちょっと、話、止めてくれる?」


 二人にそれぞれ手のひらを向けて牽制すると、シバもビビもウッと声を詰まらせて喋るのをやめた。

 僕は二人を交互に見て、ゆっくり腕を下ろした。

 どうしたんだとシバもビビも怪訝そうな顔で僕を見ている。


「行くよ、リアレイト」


 僕が言うと、ビビが即座に声を上げた。


「タイガ! 君、何を言ってるのか分かってる?!」


 菜の花色と明るい金髪が僕の真ん前までやって来て、怒りの色をぶつけてくる。


「リアレイトは君にとっても大切な場所でしょ? それを壊すかも知れない状態で、何のんきなことを言ってるの! 君の数値はずっと異常なんだよ。こうして人間の姿をしていられるのが不思議なくらいに!」

「だけど、“期限”が迫ってるんだよね? それが何なのか……よく、分からない。思い出せない。けど、僕がやらなきゃならない、何かの“期限”。悠長なことを言ってられる場合じゃないのは、出入りしている人達の動きを見てればよく分かる。僕も、いい加減うんざりしてきたところなんだ。何一つ“タイガ”のことを思い出せない自分自身に。リアレイトに行けば思い出せるかも知れないなら、そうする。それだけのことだよ」


 ビビはギリリと奥歯を噛んでいた。

 納得できない。そう、全身で訴えている。


「……竜にならない自信は?」

「分からない。なるべく、ならないようにはしたい」

「人間を襲わない自信は?」

「魔法の存在するレグルノーラでも、どうにか我慢できてる。多分、大丈夫だと思う」


「私達に嘘をついていないと断言できる? 中身は実は破壊竜で、素知らぬふりをしているだけだってことはない?」

「あいつの記憶はまだ見えてるし、僕は自分が誰なのか、よく分かってない。それが何。僕が誰だか断定できないのが、そんなに不服なの?」

「不服じゃない、不安。君を化け物だとは思いたくないけど、そう見えてしまう自分と、必死に戦ってる。で、タイガ。どうなの? 嘘はついてない?」

「嘘なんか、一度も喋ってない。僕は常に本当のことだけ話してる。信じないのはあんた達の方だから。僕にはそれ以上のことは言えないよ」


『……こんな状態で』


 ビビの心の声が漏れ聞こえる。


『こんな状態でリアレイトに行きたいなんて。司祭は本当に許可したの?! リアレイトはどうなる。レグルノーラだって、どうにかなるかも知れないじゃない。二つの世界は影響し合う。繋がってる。不確定な要素を持ったまま許可したら、その責任は……、誰が』


「ウォルター、許可したんだ。良かった」


 ビビの目が見開いた。


「シバが大体の許可は取ったってこと?」


 シバの方に大きく身体を捻る。こくりと大きく頷いている。


「ちょ、ちょっと! 心、読んだでしょ?!」


 震えた声でビビが言う。僕は向き直って、「だから何?」と首を傾げる。


「タイガは心が読める。本人は言ってないけどみんな知ってる。そう聞いた。僕がタイガなら、心が読めてもおかしくない。それとも何? タイガはもっと慎重だったとか?」

「……し、慎重なんかじゃない。大胆で、強引で、……頑固だった」

「僕に似てる」

「似てるんじゃなくて、本人だからでしょ。何言ってんの」


 ビビは困ったように頭をぐしゃっと掻いて、視線を落とした。

 困惑の色。

 ここしばらく僕が変なことになっていて、心労が溜まっているようだ。


「制御装置の石を変えれば、理論上、性能が上がるんだよね。この間の実験では、ニグ・ドラコ産の竜石の方が、フラウ産の竜石より六十五倍も竜の力を吸い取れていた。じゃあ、大丈夫なんじゃないの。それでも心配? ビビは自分達の仕事がそんな不安なの?」

「……いやらしい言い方」


 はぁと、ビビの大きなため息。

 ビビは表情がコロコロ変わる。


「仕事に不安はないけど。君の力が大き過ぎるのが一番不安」

「当然、僕も努力する。不必要に竜化したくないし、無駄な血は流したくない。ビビ達の仕事を信用してるから、頼んでるんだ。どうにか許可して欲しい。僕がリアレイトに行くことを」


『あ~! ホント、面倒くさい。親子? 育ての親と、子ども。似る?! 血も繋がってないクセに、同じような詰め方してきて。最悪』


「――許可、するわよ」


 半ば呆れたように、ビビは言った。


「許可すれば良いんでしょ。司祭も許可してるんだし、ジーク社長も協力するって言ってたし。二人で詰め寄られたら、許可するしかないじゃない。――但し!」


 と、ビビは右手の人差し指を立て、僕とシバを交互に見る。


「ニグ・ドラコ産の竜石は、加工待ち。この間の実験のあと、塔に頼み込んで採掘をお願いした。結構な量を必要とするから時間が欲しいって言われて、それが数日前ウチの工場に運び込まれてる。硬すぎるから、加工に時間が掛かる。最優先で作業して貰ってるけど、あとは職人さん次第だから。予定では数日。それまで、準備でもしておくのね」


 なんだかんだ準備もしてくれていた。

 流石だ。


「あ! 誤解しないで。君がリアレイトに干渉できるようにするため、工事を予定してたんじゃないから。そこ、絶対に勘違いしないで」

「ありがとう。ビビ」


 お礼を言うと、ビビは更に困ったような顔をした。


「私からも礼を言わせてくれ。ありがとう」


 シバも深々と頭を下げていた。

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