10. シバの提案

「随分書き散らしたな」


 久しぶりにシバが来た。

 リサと付箋の作業をしていた僕は、手を止めて彼を見た。

 空色に少しくたびれたような薄い茶色を滲ませ、シバは付箋の貼り付けられたガラスの壁をグルッと見渡している。


「レグル語で書いてる。いつ習得したんだ?」

「知らない。気付いたら書けるようになってた」

「へぇ。そうか」


 本当は興味がないのに、とりあえず聞いてみたときの答え方だ。

 僕はシバを無視して作業を再開する。


「だいぶ落ち着いてきたと、司祭とシスター長が言っていた。普通なら気が狂う。こんなところに閉じ込められて、行動を制限されて。よく、耐えていると思う」

「……外に出たら、自分の意思に反して化け物になる。そしたらまた居場所を失う。ここにいれば、食うものと寝る場所は確保される。幽閉は受け入れるよ」


 チクッと、何かが胸を刺す。

 頭の片隅に追いやられたものが、少しずつ疼き出している。


「化け物、か。白い竜をそんな風に呼ぶなんて」

「化け物だろ。見境なく人間を襲う。街を破壊する。制御できなくなる。あんなもんに化けてしまうくらいなら、幽閉されてる方がマシって話」


 なるほどねと、無関心そうに返事をしながら、シバは付箋の字を一つずつ読んでいる。

 リサは、僕から受け取った付箋をまた一枚、また一枚と貼っていく作業を続ける。

 僕も貼り終える前にと、付箋に文字を書き込んでいく。

 “幽閉”

 どこかで聞いた。

 確か、幽閉されてるのは、僕じゃなくて、別の。


「あいつも、同じ気持ちだったんだろうか」


 シバがぽつりと言った。


「あいつ?」

「凌だよ。……それも忘れてるのか。破壊竜ドレグ・ルゴラをその身に封印したかつての救世主。お前の本当の父親だ」


 シバは背中を向けたままだ。

 悲愴の色が濃く出ている。


「ウォルターに聞いたんだ。追い詰められたあいつは、自ら幽閉を願い出たらしい。自分で自分を抑えられなくなっていたそうだ。……今のお前に、似てる」


 頭に、何かが針を刺す。

 どこかで見た。誰の……記憶だ?


「守りたかったものを自分で傷付けてしまったら、気が狂う。本当に狂ってしまったのか、狂ったフリをしているのかも、私達には分からない。同じことが繰り返されないようにするためには、お前を必要以上に追い詰めないってことなんだろう。そういう点で、教会はよく配慮している。塔の連中ではこうはいかなかったはずだ」

「あんたもその仲間だって聞いてるけど」


 話によれば、シバは塔と呼ばれる組織の中枢にいる。

 しばらく顔を見せなかったのは、そっちで仕事をしていたからだろう。


「辞めた」

「は?」

「五傑から降りて、そのまま塔の仕事も全部辞めた。元々、お前を匿うことで得た地位だ。その必要もなくなったから、用済みになったわけだ。塔の連中はリアレイト人を信頼していない。肩身狭い思いをして、無理に居続ける義理もない。あそこで得たものはそれなりに大きかったが、これ以上得るものもないと思っていたところだ。せいせいした。面倒くさいしがらみとは、おさらばだ」

「シバ様、そんな……」


 ずっと黙っていたリサが、口元を手で押さえて涙を浮かべていた。

 シバが僕の方を見ようとしない理由はコレか。僕に悲しみを覗き見られることを怖がっている。まぁ、僕だって見たくはないんだけど。


「良いんだ。リサ。お陰で自由に動けるようになる。私も教会に気兼ねなく出入りできるというもの。この三年、大河がいると分かっていても、教会に近付くことも許されなかったんだ。こうして同じ空間にいられるだけでも、晴れやかな気分だよ」


 晴れやかな割に、シバの周囲はどんよりとした灰色に包まれている。

 嘘が下手くそ過ぎる。

 シバはまた黙りこくって、付箋の字を読んでいる。立ったりしゃがんだりして、全部の付箋を一気に読み込もうとでもしているんだろうか。何も言わずに黙々と。

 “リョウ”

 “破壊竜を封印したかつての救世主”

 “本当の父親”

 シバの会話で出てきた言葉を付箋に書き留める。

 ……どうして、思い出せない。僕がタイガなら、思い出せても良いはずなのに。

 思い出そうとすると、頭がガンガンする。

 僕は逃げたいんだろうか。どうにかして逃げたくて、本当のことを全部忘れたふりでもしてるんだろうか。

 カツンと、床にペンが落ちた。

 リサが気付いてペンを拾い、僕に差し出してくる。


「大河君、大丈夫?」


 頭を抱える僕を、リサはよく心配してくれる。


「何でもない」


 言いながらも、僕は割れそうな頭を両手で抱えて丸まって、明らかに大丈夫ではなさそうな態度を取る。

 ペンは受け取らない。

 リサは付箋の箱にペンを入れる。


「放っといてくれ。作業、続けるくらいしか、今の僕にやれることはない。これ、“その他”の壁に」


 思い出せないものは“その他”に貼ることにしていた。

 だけどリサは、その中でも明らかにタイガに関するものと、そうでないものとに分けて貼っていた。

 リサは受け取った付箋を見て、ため息をつく。


「まだ、記憶の再生は続いてるのか」


 と、シバ。


「続いてる。延々と、同じことを繰り返してる。あいつは、どうにかして生きながらえようと、旅人に扮して町や村を転々としてる」


 頭を抱えたまま、僕は言う。

 眠ってしまうと直ぐにそっちに意識が持って行かれて、僕はまた、名前のない白い竜として長い孤独を過ごすことになる。

 うたた寝程度でも、連れて行かれることがある。目を覚ましたときに混乱しないよう、あれは過去の出来事だと何度も自分に言い聞かせて、どうにか自我を保っている。――それが、どうしようもなく辛い。


「近頃は躊躇なく人間を襲うようになってる。お菓子でも摘まむように、腹が空くと人目の付かない場所にいる人間を探して、ガブッとやるんだ。食うときだけ竜に戻る。あとは素知らぬふりをして、人間の姿になって町に紛れ込む。……感覚が、麻痺する。あいつが襲ってるのか、僕が襲ってるのか、分からなくなる。食った人間の顔もハッキリ見えるし、悲鳴も、砕かれる骨の音も感触も、血や肉の味も全部分かるのに、どうやらこれは、僕の記憶じゃないらしい。意味が……、分からない」


 ――と、誰かの手が、僕の頭に触れる。

 さっきまで壁の付箋を読みふけっていたシバが、僕の直ぐそばにいる。

 髪を撫で付けられ、僕の身体はぞわぞわ震えた。


「辛かっただろう」


 シバは僕の隣に屈んで、僕の頭を数回撫で付けた。


「想像を遙かに超える苦しみを、味わっていたんだな」


 身体の奥底から、何かがこみ上げてくる。

 目頭が、熱くなる。


「人間を襲うのは、お前の意思じゃないんだな」


 こくりと、頷く。


「どうにかしたいか」


 また、頷く。


「お前は、どうしたい? どうなりたい? どういう未来を望んでる?」


 ゆっくり、顔を上げる。

 シバの、疲れた顔がそこにあった。

 僕の目線まで屈んで、眉をハの字にして、僕のことをじっと見ている。


「静かな、未来を」


 僕の頬を、何かが伝った。


「誰かが苦しんだり、泣いたりするのを、見たくない。傷つけたくない。こんな理不尽な世界は、もうたくさんだ。苦しむのは……、どうか僕で、最後にして欲しい」


 視界が潤んだ。

 涙がボロボロと頬を伝って落ちていた。


「大河。やっぱりお前は、大河じゃないか」


 シバの瞳の中には、未だ年端のいかない、赤茶の髪をした頼りない少年が映っていた。いつも寂しそうにしていた彼と、今ここにいる僕の姿を重ねていた。

 気が付くと、僕はシバにハグされていた。

 ギュッと抱きつかれ、背中の辺りを何度も擦られているうちに、僕の中から苦しみが少しずつ薄れていくような不思議な感覚に陥った。解決しているわけじゃない、何かが前に進んだわけでもない。なのに、シバが僕をギュッとして、それだけで満足した。

 白い竜から戻ったあの日も、シバは僕の左腕を切り落としたクセに、ハグしてきた。

 シバが誰だか分からなくて、それは今もあまり変わらないんだけど、決して嫌ではなかった。

 距離が近い。

 こんなのは求めていないはずだったのに、何だろう……、胸が、ぽかぽかする。


「リアレイトに……、行かないか」


 耳元でシバが言う。

 僕は驚きのあまり、グイッとシバを引き剥がして立ち上がった。


「リア……レイト?」

「メモに書いてあったのを見た。干渉、出来るんだろ」


 シバはしたり顔で僕を見上げている。


「で、出来るけど」

「じゃあ、決まり。まぁ、直ぐに行くわけじゃない。司祭やビビワークスの連中、ジーク達にも話を通してからになるが、なるべく早く行こうと思う」


 よいしょと立ち上がって、シバは膝の埃を払い、僕を見た。

 冗談を言っているわけでも、バカにしているわけでもなさそうだ。


「こ、この状態の僕が行ったら、リアレイトは壊滅する。シバ、あんたとうとう頭がイカれたのか?!」

「そ、そうですよシバ様。大河君の言うとおり、無茶だと思います」


 ついさっき、地下から出たら化け物になるかもって話をしたばかりなのに。

 僕はリサと顔を見合わせて、首を傾げた。


「大河の本体はここから出ない。いつも通り、制御装置フル稼働で、センサーで数値チェックも欠かさない。リサの魔法も当然、しっかりとかけ続けて貰う。その上で、この部屋から、大河とリサがリアレイトに干渉するんだ。もし何かが起こったら、本体にも変化が起きるはず。そうしたら、レグルノーラ側から干渉を強制的に中断させる。転移じゃなくて、あくまで干渉のみ。リアレイトにいるときは、私が同行する。可能ならば、ジークにも協力してもらう」

「ハアァ?! な、何だそれ。そんなので大丈夫だと思って。正気か?! リアレイトには魔法も竜も存在しないんだろ?」


「この前、レンが実験してただろ。フラウ産の工業用竜石から、ニグ・ドラコ産の竜石に変えれば、制御装置の性能が上がるかも知れないと聞いた。そうしたら、少し自由度が増す」

「ここの天井に埋め込まれてる装置の話だよな。持ち運びも出来ない、リアレイトに転送するわけにもいかない。それでよくも」

「二つの世界で身体は繋がってる。それが、干渉者だ。本体がここにいれば、リアレイトでも同じ効果が得られるはずだ。こんな狭いところにいつまでも閉じこもっているわけにはいかない。外の風に当たるべきだ。リアレイトに行こう。そして、大河の思い出に沢山触れれば、何かが変わるかも知れない」


 とんでもないことを、やろうとしている。

 僕はゴクリと唾を飲み込んだ。

 シバの空色の中に、強い意志を示す濃い青が見えていたが、僕とリサは、困惑してしまい、それどころではなかった。

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