8. 付箋と記憶

 ウォルターはペンを何種類かと、手のひらサイズの付箋を大量に持ってきて、何やら準備を始めた。

 僕はベッドの縁に腰掛け、彼の動きをじっと見る。

 ウォルターの指示に従い、リサはガラスに直接、文字を書き込んでいる。


「あれ? 日本語も併記した方がいい?」


 リサは振り向いて僕に聞いてきた。


「ニホンゴ?」

「大河君、レグル語読めないでしょ」

「バカにしてんの? 読めるよ」


 教養のないヤツだとでも言いたいのか、流石にムッとした。


「読めるんだ! 殆ど勉強できなかったのに、凄いね。いつの間に覚えたの?」

「人間に化けてた時間が長いから、自然に覚えた。もしかして、タイガは文字も読めないヤツだったのか?」

「あはは。違う違う。大河君はリアレイトで育ったから読めないだけで」

「リアレイト? タイガは白い竜だろ。どうなってんだ。あそこには魔法も竜も存在しないのに」

「君もリアレイトに行ったことがあるの?」

「ある。リサも行けるの?」

「行けるよ。干渉者だもん」


 干渉者。

 ニールと同じ。

 異世界に行き来できる不思議な力を持つ人間。


「タイガが良いというのなら、レグル語だけで大丈夫でしょう。リサ、こちらとこちらにも、同じように書いてください」


 ドアのある一面を除く三面に、それぞれ大きく“白い竜”“タイガ君”“その他”の文字。女の子らしく文字に可愛い装飾が施されている。

 リサが一通り書き終えると、ウォルターは持ち込んだ箱を示しながら、僕にこれから何をするのか、丁寧に説明した。


「大量の付箋を用意しました。ここに、思い出した記憶を細分化して一つずつ書き出し、該当する場所に貼っていきます。壁を埋め尽くして、外からここが見えなくなるかも知れませんが、可視化した方がより明確に記憶を整理しやすくなるはずだという理由で、監視室の方には無理矢理納得して貰いました。記憶に関して整理するとは言いましたが、例えば生活習慣について、クセ、身体的特徴、嗜好など、書き出す事柄に制限はありません。これは誰のものなのか、分けることに意義があるのです。タイガは整理された事柄について、時折読み返してみてください。何かしら追加で思い出すことがあれば、どんどん追記してください。……ここまで、分かりましたか?」


 こくんと、僕は無言で頷く。


「ひとつ、例文を出しましょう。最近のタイガの口癖ですけど、『人肉が食べたい』、これは誰の記憶が影響しているんでしょう」


 付箋にサラサラと“人肉を食べたことがある”と書き入れ、僕の方をニコニコしながら見てくるウォルターは、やっぱり頭がどこかおかしい。聖職者らしからぬ例文に、僕は思わず顔を引きつらせた。


「誰って、それは」

「それは?」

「白い……竜?」

「大正解。そうです。タイガはリアレイト育ちの半竜ですが、人肉を食べたことはない。人間は人肉を食べません。余程生命の危機を感じない限り、大抵の動物は同族を殺して食べたりはしないものです」


 ペリッと付箋を剥がし、リサに渡す。

 リサはウォルターから受け取った付箋を、“白い竜”と書かれた壁に貼る。


「では次。先ほど話題あがりましたけど、レグル語、レグル文字は誰の記憶によって読めるように?」

「白い、竜? タイガが読めなかったなら、そういうことになるよね」


 “レグル語が読める”と書かれた付箋が、“白い竜”の壁に一枚追加される。


「ではタイガ、次からは貴殿がお書きください」


 ウォルターはそう言って、箱の中からペンと付箋を一セット渡してきた。

 受け取って、書く準備をする。


「育った場所について、書いてみてください」


 “ニグ・ドラコの森で育つ”と書く。

 付箋をめくり、リサに渡す。


「どこに貼れば良い?」


 言われて、少し考える。


「白い、竜のところ」

「次は、なんと呼ばれていたか、書き出してください」


 “白いの”と書き、また付箋をめくってリサに渡す。“白い竜”と書かれた壁のところに、また一枚付箋が貼られる。


「森にいた竜の名前を覚えていれば、書き出しましょう」


 “グラント”“ガルボ”“グレイ”……それから、“ゴルドン”ってヤツもいた。あとは、よく覚えていない。

 それぞれ一枚ずつ付箋に書いてはリサに渡す。また“白い竜”の壁に付箋が増える。


「字、上手ですね。どこで覚えたのですか?」


 ウォルターは僕の手元をのぞき見て、変なことを言った。


「読めるんだから、書けるだろ」

「違いますね。読む能力と書く能力は別物です。書く習慣がないと、書けません。白い竜は、文字は読めても書けなかったのではありませんか?」

「ハァ? まさか」


「どこまでかの竜の記憶が再生されているのかは存じませんが、恐らく、字が書けるのはタイガにその習慣があったからです。以前お伺いしたところだと、森を出た辺り、とのことでしたが、それから更に時間が経過していたとしても、まだ一般人が字を書く習慣の出来た近世には辿り着いていないのではありませんか。古い時代、文字は限られた人間だけが使用していました。一般人は言葉でしか、相手に意思を伝えることが出来なかったのです。見たところ、ペンの持ち方も自然です。随分スラスラと書けている。これは明らかに、タイガの記憶と習慣によるものですよ」


「……そういうもん?」

「そういうものです。さ、“文字を書くことが出来る”と書いて、リサに渡してください。リサはそれを、“タイガ”のところに」


 何のことかよく分からないまま、指示されたとおりに書く。ペリッと付箋をめくり、リサに渡すと、“タイガ君”のところに、付箋が一枚貼られた。


「こういう作業を、地道に行っていきます。付箋やペンの色を変えてみたり、貼り方を工夫したりして、整理していきましょう。面倒ですが、良い時間潰しになると思いますよ。私の他にも、いろんな人が出入りしますから、その度に思い出したこと、気になったことを一つずつ付箋に書き出して貼ってみてください」


 ウォルターはニコニコしていた。


「まぁ、うん。いいよ。何の意味があるのか分からないけど、とりあえずやってみる」


 僕も口角を上げ、小さく頷いた。






 *






 付箋に文字を書く。リサが貼る。


「“聖属性の魔法は使えない”、これは誰?」

「白い竜だと思う。タイガは使えた?」

「ううん。聖と闇の魔法は、不得意そうだった。君は、闇の魔法は使えるんだっけ」

「使える。じゃあ、さっきの付箋をもう一枚増やして、追加で“闇の魔法は不得意”って書いて、タイガの方に貼るか」


 ウォルターがいなくなり、部屋に残ったリサと二人、ブツブツ言いながらメモを増やしていく。


「魔法、どこで覚えたの?」

「……ああ、独学。見よう見まねで覚えた。魔法の才能があった」


 “独学で魔法を習得”と書く。


「タイガは?」

「大河君は、魔法学校と……、あとは丘の上でみんなと特訓して、かな?」

「特訓?」

「覚えてないかな。オリエ修道院が見える丘の上で、ノエルさんとアリアナと、私と大河君で練習したこと。大河君、魔力は凄いのに、全然使い方が分からなくて大変そうだった。剣技や具現化の練習もしたでしょ」


 丘の上。

 風が頬を撫でて。

 修道院の屋根が遠くに。


「……分かるような、分からないような」

「そっか。やっぱり、白い竜の記憶の方が鮮烈なんだね。大河君的には、どれくらい長い間生きてる感覚なの?」


 “特訓で魔法を習得”と書いた付箋を受け取るリサの杏色に、悲哀の色が差している。


「同じこと、色んな人間に何回か聞かれたけど、分からないな……。森で十数年、その後、あちこち人間の村を転々とした。長くても五年程度滞在すると、そこにいた人間を皆殺しにして村を焼いた。滅ぼした村の数も曖昧で……、五十……よりは少ないと思う。自信がない。多いかも知れない。以前滅ぼしたのと同じ場所に別の村が出来ていることもあった。その頃には、当時のことは随分昔の話ってことになっていたから、それを考えると、随分長く生きていたことになる。数えるのを途中でやめたから、よく分からないよ」

「そう、なんだ……。その間、誰かと一緒にいたことは? ずっと独りだったってことはないんでしょ?」


 リサに悪気はない。僕のことを心底可哀想だと思っているらしい。

 森ではグラントと一緒にいた。

 人間の村では、飯をくれる人間のところで寝泊まりした。


「誰かがそばにいたとして、それが孤独でない証拠になるか?」


 僕が言うと、リサはハッとする。

 リサも、孤独らしい。集団の中にいれば孤独は解消されるのかどうか、彼女は知っているようだ。


「今まで出会った竜も、人間も、誰ひとり、僕のことを理解なんてしていない。白い竜の孤独は、白い竜にしか分からない」

「そうだよね……。ゴメン、変なこと聞いて。続き、しよっか」


 次の付箋に、“孤独”と書く。

 もう一枚にも、同じ文字を。


「リサ、これ、白い竜んとこと、タイガのとこに貼って」


 文字を見て、リサは申し訳なさそうに、紫色を濃くしていた。

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