6. 解き放て

 僕は再び、ユンとして過ごす村に戻っていた。

 ニールは僕を仲間か同類だと勘違いしているようだった。魔法を使えることは見抜けるクセに、僕が人間でないことは見抜けないらしい。変なヤツだ。

 僕と違って、ニールはいつもニコニコとしていて、人当たりが良い。この村にも直ぐに馴染んだ。

 きっと才能なのだろう。

 あちこち渡り歩いているだけあって、ニールは人の懐に飛び込むのが上手いのだ。

 そして僕の心にも、ズンと勢いよく飛び込んでくる。


『雇い主に見つからない時間に飛ぼう。なに、難しくはない』


 やたらと親しげで気持ち悪かったが、異世界に興味があった。

 深夜、人間共が寝静まってからにしようと約束し、ニールと別れる。


『こんなところに居続けることが、ユンの為になるとは思わない。君はもっと広い世界を知るべきだ』











 ニールに導かれ、何度か異世界に飛んだ。

 あまりの衝撃に僕はうっかり鱗や角を見せてしまったが、ニールはハハと笑って、盛大な勘違いをしてみせた。


『異世界に干渉する時に、なりたいものに姿を変える干渉者がいるって聞いたことがあったけど、ユン、お前、竜になりたかったんだな』

『ち、違う。これは』

『残念ながら、リアレイトに竜はいないから、自重しろよ。下働きのお前が、最強の生物である竜に憧れる気持ちはよく分かる。同情するよ』


 ニールは、恐らく“良いヤツ”だった。

 だから、僕に偏見なく近づき、異世界に誘った。

 絶望しかなかった僕の生涯に、ほんの少しだけ光が差したような気がしていた。











 けれど光は、一瞬しか差さなかった。











 夕暮れ、放牧していた牛を連れ帰った時にそれは起こった。

 雇い主の農夫が、牛小屋の前で喚き散らしているのが聞こえたのだ。

 農夫の名前は知らない。“あんた”だの“お前さん”だの、“ご主人”だの、そういう風に呼ばれることはあったけれど、名前は数回聞いたきりで、覚えていない。興味もない。頭が悪く、人をこき使うことに長けているだけのクズ野郎だが、そいつがやたらと吠えていた。

 ただ吠えているのなら、日常茶飯事だ、気にすることはない。が、違った。そこに、ニールの姿があった。

 農作業用の大きなフォークを構え、農夫はニールに凄んでいた。


『二度と来るなと何度言ったら分かるんだ! さっさと失せろ! 化け物め!!』


 ニールは腹を押さえて前屈みになり、どうにか立っているような状態だった。

 腹の辺りに血が滲んでいる。

 農夫のフォークの先から血が垂れている。


『ユンを……、解放してください……。ユンは、こんなところにいていい人間じゃない』


 ニールの息は荒い。

 何があったのか、僕は牛の群れの誘導を忘れ、呆然と立ち尽くしてしまった。


『ユンは、優秀な干渉者です。まだ若い。これからどんどん、強くなるはずです。それを、こんなところで潰してはいけない』

『……知ったような口を利きやがって。魔法使いだか何だか知らないが、妙な力を使う化け物に、ユンは渡さん!!』

『まともに飯も与えず……、牛や馬と、同じような扱いをしておいて、あなたは一体、何を言ってるんだ』


 フラフラな状態なのに、ニールは必死に言葉を繋いでいる。

 日が傾き、逆光になって、僕の方からニールの表情はよく見えない。農夫の顔も、ハッキリ見えない。だが、二人が対照的な顔をして向き合っていることが、何となく見て取れた。


『村の人達に、聞いた。ユンはずっと……、成長が、止まってる。まともに飯を食わされてない。年頃の少年が、鼠や蛇を食っただの、虫を食っただの、家畜の餌を口にしただの、時には雑草を摘まみ、残飯を貪っていただの聞いて、黙っていられるわけがない。ユンは、優秀だ。ただ、生きる術を知らない。誰かが正しい道に導かなければ。俺が……、助けてあげなければと』


 ニールの足元には、血だまりが出来ている。

 死の、臭いがする。


『干渉者や能力者が……、特別な力を持つ人間が、気味悪がられていることは知っている。俺がそうだったから。ユンも、自分がそういう存在なのだと知っている。あの見た目だ。酷い扱いをされてきたに違いない。生きていくために、寝る場所と、食べるものを確保するためだけに、ユンはそこに居る。ユンは賢いが、酷く、臆病だ。感情も乏しいし、自分の心も見せようとしない。これは、虐げられてきた人間が、よく見せる反応だ。俺もそうだった。でも、それじゃダメだ。お願いです……。ユンを……、ユンを、解放してください……』


 死にかけのニールが放つ言葉の一つ一つに怯えるように、農夫はフォークの先をガタガタと揺らしている。


『じゃあ……、誰がユンの代わりに働くんだ。こんな優秀な奴隷はいねぇ。普通の人間が食わないようなものでもガツガツ食って、口答えもせずに黙々働く。病気もしねぇ、怪我もしねぇ、邪魔にもならねぇ。そんなヤツがいたらユンの代わりに連れてくるんだな。そしたらユンを解放してやる。――まぁ、そんなヤツ、どこにもいねぇだろうがな!』


 農夫は頭が悪かった。

 言葉を選ぶことも、この先何が起きるのかも、考えることが出来なかった。

 気付いたときには、僕は農夫の前に立っていて、彼の握っていたフォークを左手で奪い、地面にたたき落としていた。

 農夫は僕の目を見て、顔を真っ青にした。


『ユ、ユン。牛はどうした』


 牛達は、僕の怒りを感じて丘へ戻っていた。

 そう、牛の方が農夫よりずっとずっと優秀だった。


『ニールから血が出てる。何で』


 刺したのは農夫だ。分かった上で、聞く。


『こいつが、こいつがユンを誑かしたんだろ。だから刺してやった。もう二度と近付くなってなぁ!』


 ――ドサッと、倒れる音。

 僕はハッとして振り返った。

 地面に伏したニールが、最後の力を振り絞り、僕に声を掛けてくる。


『力を……、解き放て、ユン……。我慢しなくていい。本当の、お前に――……』






 本当の、……僕?






 そうだ。

 僕は今まで何をしてた。

 生き延びることだけ考え、迫害を恐れ、白い竜であることを忘れようと人間の姿を続け、あんなに嫌がっていた人間の下僕に成り下がっていた。

 どうせいずれ僕が食べるのだから、多少の苦しみや痛みなどどうでもいいなんて、自暴自棄になっていた。


 ――解き放つ。


 許されるなら。

 感謝祭の夜に、人間が酔い潰れるのを待つ前に。

 新月の夜を待つ前に。

 僕の正体に気付いたヤツを一掃するなんて、面倒くさいことなんかやめて。

 白い竜である僕の存在を、包み隠さず知らしめてやれば。


『ユン……、なんだ、その目』


 農夫は怯え、ひっくり返った。


『何モンだ。ユン、お前、何モンだ……!』


 何のために生きているのか、分からなくなってきたところだった。

 いずれ食うために、人肉をたらふく食えるように、人間の村に身を潜めていた。

 人間と契約すればいいとガルボは言った。下僕竜になれば、飯には困らない。それは嫌だった。人間と契約して、縛られるのは絶対に嫌だった。

 何をしていた。

 この数十年、気が遠くなるくらい長い間、僕は何をしていた。

 自分の存在を隠し続け、否定し続け、何が変わった。

 何一つ好転していない。

 僕は徐々に姿を白い竜に戻した。巨大化していく僕を見て、農夫は叫んだ。


『し、白い竜は、お前だったのか――?!』


 怯えろ。

 絶望しろ。

 僕が、そうだったように。


『たたた助けてくれっ!! お願いだぁっ!!』


 ニールはもう、ピクリとも動かない。

 唯一、僕とまともに会話した、稀有な人間。

 解き放つ。

 僕はもう、我慢しない。

 身体の中から溢れ出す炎と怒りを、誤魔化したりなんてしない。

 眼下に見える村。

 ユンと呼ばれ、虐げられた日常を過ごした村。

 僕をこき使い、虐め抜いた農夫も、それを見て見ぬふりをした村人も、全部全部、喰らい尽くしてやる。

 そして二度と、僕を蔑む者を、許さない。

 炎を蓄える。

 心臓が高鳴り、血が湧く。



 ――破壊だ。



 解き放っていいのなら。

 全てを解き放っていいのなら。






 僕は、全てを破壊する。

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