4. 生きるために
ガラス張りの部屋から、村に引き戻された。
このところ、頻繁に記憶と現実が入れ替わる。だんだん、どっちがどっちなのか分からなくなってきたけど、どちら側でも、悲しいくらい残酷に時間は進む。
こちら側では人間の文明レベルが少しずつ上がってきていた。町が出来、国が出来る。王を名乗る者が現れ、小国同士て交易が始まり、諍いが起こる。
僕は相変わらず、住む場所を失った可哀想な病弱の少年として、とある人間の村に紛れ込んで暮らしていた。
もう何年も竜の姿には戻っていない。
白い竜の姿を晒すのは、僕の正体が見破られた時くらいにしようと決めていた。
人間の肉を食いたくなった時は、月のない夜にこっそりと人間を狩る。身体の一部を竜に変えて、ガブッと齧り付く。目撃した人間も全部食うから、目撃者も現れない。そうやって、何十年も人間社会に紛れてきた。
血の臭いに敏感な人間が偶に居るが、そいつもまとめて食ってしまえば、疑われることもない。月のない夜に出歩くと消えるらしい。そんな噂話があちこちで囁かれるくらいには、恐れられていた。
目深に被った帽子の中に白い髪を隠して、僕は農家の下働きのようなことをしていた。家畜と寝床は一緒だが、ヤツらは僕が何者なのか知っているから、僕に遠慮して大人しくしてくれる。それに、食うものがあるのはありがたかった。家畜の餌のようなものでも十分だった。
森から追い出された僕は、狩りの手段を失っていた。家畜を襲えば一時は満足出来るが、襲わなければ、人間は食べ頃になるまで上手い具合に育ててくれる。効率的に肉にありつけることを知ってからは、家畜さえ愛おしく感じた。
種まき、土いじり、掃除、屠殺。何でもやった。何もかも、飯と寝床の為だった。
『ユンは働き者だな』
村に最近やってきた風変わりな人間ニールは、やたらと僕にちょっかいを出す。
無感情に受け流し、庭の掃除を続けていると、ニールは無理やり僕から箒を取り上げた。
『本当は、こんなことをして満足しているようなヤツじゃないんだろ』
ニールは旅装束だった。
村から村へと渡り歩き、魔物を退治したり、人助けをしたりしているらしい。
要するに、僕の敵だ。
僕は帽子の下からギロリとニールを睨んだ。
『身なりは汚いし、弱そうに見えるけど、本当は違う。ユン、お前、魔法が使えるだろ』
『……何のこと?』
『魔法の気配がする。もしかして、もうひとつの世界に干渉出来る?』
『……は?』
何を喋ってる。
僕は首を傾げ、箒を寄越せと手で合図したが、ニールは応じなかった。
『ユン、お前から、やたらと強い魔法の力を感じるんだ。この村に来て直ぐに分かった。お前、相当特別な力を持ってるな』
特別な力。
竜であることを知られているなら、僕はニールを食わなければならない。
『異世界に、干渉出来る力だよ。お前、“干渉者”じゃないのか?』
『カン……ショーシャ?』
『もうひとつの世界《リアレイト》に干渉することが出来る人間だよ』
ニールは賢い。
下働きの僕に不利益が及ばないよう、雇用主の農夫一家が出掛けたタイミングで話しかけてきたのだ。
『もうひとつの世界って、つまり、僕が下働きではなくなってたり、こことは違う文明の人間共が住んでたりする世界ってこと?』
名前のない僕ではなく、タイガとかいう人間と勘違いされている世界。
僕のことを仲間だと信じている奇妙な人間共が住む世界。
『……やっぱり。もうひとつの世界を知ってる。自分の意思で行ったことがないなら、教えてやるよ。無意識的にではなくて、自分が行きたいときに異世界に行く方法を』
・・・・・
「無闇に思い出させようとしてはいけないと、ジークには注意しました。ごめんなさいね、タイガ。苦しませてしまいました」
白い布を頭から被った尼は、イザベラと名乗った。
「どうしてあんたが謝る。ジークも、別に悪意があった訳じゃなかった。気にしてない。それに、食い物をくれるヤツのことは、なるべく傷付けたくない。次の食い物にありつけなくなる」
イザベラは、他のヤツとはちょっと違った。色が薄い。桜鼠色。あまり他では見ない色だ。
「お腹が空いてるのですか?」
ベッドの前で跪き、縁に座った僕より目線を下にして、イザベラはそう尋ねた。
こくりと、僕は深く頷く。
「食べ物に困っていたのですね。普段はどんなものを?」
「森にいた時は、動物を狩って食べた。追い出されてからは……。豚や牛の餌だったり、罠にかかった鼠だったり」
「森を、追い出されたのですか?」
「白い竜だから、追い出された」
「森を出て、どうしていたのです」
「人間の、村に」
「人間の? 一緒に暮らしていたのですか?」
「暮らす……? 分からない。人間の姿になって、村にいた」
「村ではどんなことを?」
「人間のフリをして過ごした。人間共は適当な仕事を僕にやらせた。扱いはぞんざいだったけど、人間の下僕竜になるよりはマシだと思った」
「下僕竜……?」
「人間と契約すると、下僕竜になるらしい。契約した人間が死んだら卵に還って、また
「どうして?」
「気に入らなくなったら、食えばいいから。収穫祭まで待って食えば良い。人間が家畜を飼って、食べ頃になるのを待つように、僕も人間を食うために村にいた。人間は人間を警戒しない。病気で髪の色が抜けたのだと言うと、大抵の人間は可哀想にと僕を受け入れた。丁度良いと思った。僕は、住むところと食べ物をくれるなら何でもすると言った。人間が嫌がることを、僕は全部やった。ヤツらは僕を叩いたりバカにしたりしたけれど、どうせ僕が食うんだから、何をされても平気だった」
「竜の姿になって、狩りをした方が効率的だったのではありませんか」
イザベラは、まどろっこしい僕のやり方に、疑問を抱いたようだった。
僕は、いいやと大きく首を横に振った。
「白い鱗は目立つ。辛うじて、月のない夜には見えにくいけれど、それでも闇に白い鱗がうっすらと浮かび上がる。目立つんだ。特に隠れる場所のない草地では、僕の身体はよく目立つ。狩りをしようとする僕の動きを、動物達はじっと見ていて、直ぐに逃げられてしまう。……まともに食うものも食えなくなって、人間の作る、栄養価の高い食べ物があれば飢えは凌げるんじゃないかと思って、ずっと、身を潜めてた」
「人間の姿を続けるのは、苦しかったのではありませんか」
「竜の巨体のままでいたら、もっと飢えてた。人間の身体は小さいから、どうにか生きられた」
「では、あなたは生きていくために」
イザベラはそう言って、僕の頭に手を伸ばした。
ビクッとして、僕は咄嗟に避けようとした。
けれどイザベラの手は、僕の頭をそっと撫でるだけだった。
「辛かったでしょう。どのくらい長い間、そうやっていたのですか」
「……分からない」
分かるわけがない。
滅ぼした村の数も、食った人間の数も。
収穫祭が待ち遠しくて何年も耐えたことや、人間を襲いたくなる衝動を押さえ込んだ日々のことは何となく覚えているけれど。
「苦しかったこと、辛かったこと、少しずつ言葉にしていきましょう。あなたの中に押し込んでいた辛い記憶を、ひとつずつ、解放してあげてください。焦らず、ゆっくりで構いませんから」
イザベラは、静かに笑った。
その瞳の中に、大聖堂の中で静かに佇む、白い半竜のオスが見えていた。
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