3. 誰の記憶

 空き時間に、入れ替わり立ち替わりいろんなヤツがやって来て、僕にいろんな質問を浴びせてくる。

 やることもなければ、自由に外に出ることも出来ない僕は、暇つぶしに人間共の相手をする。


「君が過ごした森について知りたいんだけど、神殿の辺りってことは、ニグ・ドラコの森?」


 菜の花色のヤツは、ビビという名前らしい。

 興味津々に、地図を広げながら聞いてくる。

 塔を中心にして、東西南北、四つに区切られた都市部の周りを森が囲う。それぞれ地区に守護竜の名前。地図はわかりやすいよう、地名の文字色を四つの色で塗り分けてあった。

 ビビは、北に位置する森を指さしていた。


「まぁ、そうです。多分」

「川が流れてるとこ? もう少し北かな?」

「あちこち動いてたんで。でも……、うん、そう。多分この一帯」


 ベッドテーブルの上に広げた地図には、森を示す緑色と、その中に走る水色の線がある。水色は河川のようだ。

 僕の知る地図とは違い、人間の住む都市部以外はざっくりと色が塗りたくってあるだけだ。緑色の中にポツポツと、神殿、遺跡などと記されている程度。人間が深い森の中に殆ど立ち入っていない証拠なのだろうか。


「森で生まれたの?」

「多分。僕が入ってただろう卵の殻が見えたし、そこからしか記憶がない」

「へぇ。まぁ……、そうか。竜だもんね。やっぱり親も白い竜なの?」

「親?」

「卵を産んだ竜がいたでしょ?」

「いや。親のことは何も」

「知らないのか。生まれた時から独り? 誰かと過ごしたことは?」

「……グラント」

「グラント?」

「老竜のグラントが、僕を拾った」

「グラントが育ててくれたのね。じゃあ、親代わりだったのかな」

「……どうだろう。グラントは怒ってばかりで、拾ってきたクセに、僕を好いてなかった」

「何でそう思うの?」


 ビビは不可解そうに口を曲げた。


「名前を付けなかった」

「……?」


「人間は、何かと名前を付けたがる。他人と区別するためなのか、どうなのか。竜は違うのかと言われたら、同じような気もするけれど。僕が最初から他の竜とは違う白い鱗だったからかも知れない。グラントは僕に名前を付けなかった」

「……で、“白いの”?」


 僕はこくりと頷いた。






 *






 次にやってきたラベンダー色のヤツは、フィルと名乗った。

 シバと一緒に来たヤツだ。


「大人しいね。少しは状況に慣れてきた?」


 フィルは少しだけ遠慮するような言い方をして、僕の出方を伺っている。警戒の赤は出ているが、恐怖からではなく、一般的な警戒。僕が何を考えているのか探りたいらしい。


「慣れた訳じゃない。寝るところと食べるものがあるから。それに、誰も僕を追い出そうとしない」

「そうか。君、ずっと独りだったんだっけ?」

「森では狩りをして、岩陰をねぐらにした」

「狩りをするの? 何を狩ってたんだい?」

「森の動物は大抵。小さいのから、大きいのまで」

「……へぇ。凄いな。肉食だったんだ? 一番美味しかったのは? あ、人肉ナシで」

「鹿かな。メスの鹿。尻の肉が特に柔らかくて食いやすい。木の実や葉っぱも食うけどね。肉がないと持たない」

「そうか。じゃ、やっぱり肉多めのメニューがいいね」


『予算大丈夫かな。食費で消えてくぞ』と、フィルが頭の中で言う。


「そういや、さっきは生肉ご所望だったみたいだけど、基本的に肉には火を通すからね」

「人間は生肉を食わない?」

「まぁ、そういうこと。衛生上も良くないしね」

「狩ってから食べるまで時間がかかるからでしょ。直ぐに食えばいい」

「あはは。変なこと言うね。面白い。タイガだけど、タイガとは別人格なのかな。変な気分だ。思ったより、君、いっぱい喋るね」

「会話が続くから」

「楽しいだろ。喋るの。その分だと、仲間の竜や、一緒に過ごしていた人間達とも、それなりに会話はしてたんじゃないの?」


 僕は、首を横に振る。


「……会話は、途切れる」

「途切れる?」

「白い竜だと知れた途端に、会話は途切れる。僕が誰かと会話出来るのは、姿を人間に変えている間だけ。それも、正体がバレれば終わる。何であんたらは、僕が白い竜だと知っても会話を続けるの? 頭がおかしいの?」


 フィルは手で目元を覆い、悲しみの色を出した。

 しばらく無言が続いたあと、ブンブンと頭を振り、顔から手を退かした。


「俺達は、君が白い竜だから会話を続けてる」


 フィルの目元は赤かった。


「孤独な白い竜を、俺達はどうにか救いたいんだ」


 嘘なんてついてないと、色が教えてくれる。

 だからこそ、訳が分からない。

 こいつら、何なんだ。

 救いたい?

 タイガは一体、何者なんだ。






 *






 桔梗色のオスがほらよと渡してきたのは、肉を挟んだパンだった。

 丁度お腹が空いていた僕は、奪い取るように手に取って、ガツガツ食った。赤茶のソースが垂れて病衣を汚したが、腹が減りすぎてそれどころじゃなかった。

 

「僕のことくらい、覚えてくれてても良かったのに。つれないなぁ」


 もしゃくしゃな髪の毛をしたそいつは、無精髭を生やし、ベッドテーブルに積まれたパンの山にがっつく僕にヘラヘラしながら話しかけてきた。


「ジークだよ。僕の名前。美味しいご飯食べさせてあげたじゃないか」


 僕は無視して食い物を口に詰め込む。

 また、ぼとりぼとりとソースが垂れる。


「ビビが食べ方綺麗だったよって言ってたけど、全然綺麗じゃないな。腹もかなり減ってそうだし、ハンバーガー、汁が垂れないように食べるのも難しいから、仕方ないか。大量に作ってきたから、どんどん食べていいぞ」


 青い目。

 ジークの瞳の中に、赤茶の髪をしたタイガと、黒髪の目つきの鋭い人間のオスが見える。一緒に、シバの姿もある。

 目つきの鋭いオスには見覚えがあった。けれど……、やっぱり分からない。頭の隅っこで何かがチクチクと刺してくるような感覚はあるんだけど。


「何か気になる?」


 ジークが聞く。

 僕は何個目かのハンバーガーをゴクリと飲み込んだ。


「黒髪のオス、誰」

「ん?」

「鋭い目つきのオス。黒髪、茶色の目。強そうな顔してる」


 僕の言葉に反応して、ジークは目を細めた。

 少しの沈黙。


「凌のことも忘れてるのか」


 ジークは懐から布を取り出し、僕の前に屈んで僕の口元のソースを拭った。

 悲愴の色が、桔梗色に滲んでいる。


「凌と同じ顔してるクセに」


 ――グサッと、太い矢のようなものが、頭に刺さった。


「同じ……顔……?」

「ちょっと語弊があるな。悪い。相当似てきたってことだよ。救世主だった頃の凌にそっくりになってきてる。髪の毛と目の色は違うけど、背格好も、仕草も。血は争えないな」

「救……世主……? リョウ……」


 あと数口で食べ終わるのに、僕の手から食べかけのハンバーガーが滑り落ち、床に転げた。


「リョウ……? 誰……?」


 頭を抱える。

 手についたソースが、ベチャッと僕の白い髪の毛につく。

 知ってるぞ。そいつも、白い竜だ。

 元々はただの人間だった。だけど、白い竜と同化して、半分竜の姿になった。

 泣いてたんだ。

 もう人間じゃなくなった、戻れなくなった、何もかも失った。

 僕は、そいつを知ってる。

 泣いてた。

 そして、悲しそうに笑ってた。



――『愛して貰え』



 薄いピンク色の花びらがひらひらと宙を舞っていた。



――『自分が何者で、何が起きてて、どうしなきゃならないか、お前は悩むだろう』



 あの日、僕はまだ小さかった。

 抱き締めて貰った。

 黒髪のオスと、赤茶の髪をした……メス。

 人間の家。満開のピンク色の花をたくさん咲かせた大きな木。

 誰の記憶だ。何だ、何だこの記憶。



――『悩んで悩んで、きっと俺のことが嫌いになる。それでいい。お前がどんどん大きくなって、俺を倒せるくらい強くなるまで、俺もどうにか踏ん張るから。それまで、パパとママに沢山愛して貰うんだ』



 パパ……?

 ママ……?


「違う! 僕は白い竜で、森の中で孤独に過ごして」


 変な記憶が混じる。

 人間の記憶だ。人間の、子ども。

 僕とは違う。いつも誰かに見守られて、抱き締められている。

 濁流のように、僕が僕だった記憶を押し退けるように、変な記憶が湧き上がってくる。


「何か、思い出したのか?」


 ジークが屈んだまま前のめりで聞いてくるのを、僕は腕で払った。


「思い……出す? 違う。誰かの記憶が混じる」


 違う、違う違う違う。

 僕の記憶な訳がない。

 僕は名前のない白い竜だった。森の中で孤独に過ごした。誰も僕を理解しなかった。

 ずっと人間の姿でいられるよう、血の滲むような訓練をした。夜に寝ても、僕は竜の姿に戻らない。正体がバレれば、何もかも失うからだ。

 何年も、何十年も、何回も、何十回も、何百回も繰り返し繰り返し、絶望を味わった。

 竜も人間も、僕を受け入れない。

 だから滅ぼした。殺しまくった。食ってやった。

 この記憶は嘘じゃない。

 だから僕も、僕が白い竜であることも、この感情も、嘘じゃないはずなのに……!!


「じゃあ、その涙は何だ。大河、君、何か思い出しかけてるんじゃないのか」


 どうして憐れんだ目で僕を見る。


「うるさい! 黙れ。あんたが僕を惑わそうとしてるんだろ。変な記憶見せやがって」


「やっぱり記憶が見えてるんだな。それ、誰の特性だか分かってる? 森にいた白い竜には見えてなかったんじゃないか? もし、相手の心が見えていたなら、他の竜や人間とムダな衝突はしなかったはずだ。相手が何を考え、自分にどんな感情を抱いているのか、大河には見えていた。だからこそ、苦しんだ」


 ジークが何か言ってる。

 何だ。

 怖い。

 僕は咄嗟に横を向いてジークから目をそらそうとした。


「逃げるな」


 ジークの大きな手が、僕の顔を両側から挟んだ。グイッと無理やり正面を向かされる。ジークの顔が、真ん前に迫る。


「苦しいだろうし、逃げたいだろうと思う。白い竜はそんなとき、何もかも壊してたな? それが破壊竜の正体か。可哀想に」

「かかか可哀想? 冗談言うな」

「冗談なんか言ってない。本心だ。見えてるんだろ。他からは逃げてもいい。けど、自分からは、自分の力からは、どうしたって逃げられない。自分が何者なのか、しっかり思い出せ。かの竜の記憶に呑まれて自分を見失ったところで、運命は変えられないんだぞ」


 ジークの記憶の中に、半分だけ白い竜に変化へんげした、弱そうな少年が見えた。白い角、白い竜の羽としっぽ。白い鱗まで浮き上がっている。

 タイガだ。

 半分白い髪で、もう半分は赤茶だ。

 途中で髪の毛と目の色が変わったと聞いた。そのときの。

 

「君はかの竜とは違う。君は、愛されてる。君は絶対に、破壊竜にはならない」


 ジークは必死に僕に訴えかけた。

 かの竜? 破壊竜?

 何言ってんだ?


「破壊竜って何だ。ジーク、あんたも僕をバカにするのか。破壊しか脳がない、何でもかんでも壊せばいいと思ってる愚かな竜だって」

「何もそこまで言ってないだろ。大河、君の思考回路はどうなって」

『――ジーク、そこまでにして』


 会話を遮るように、ビビの声が上から降ってくる。

 ジークは「クソッ」と呟いて立ち上がり、僕の口元を拭いた布を、床に放り投げた。

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