2. 名前のない竜

 狩りに行かなくても、ここでは三度三度飯は出るらしい。

 頭の上から変な声が降ってきて食いたい物を聞かれたが、「人肉」と言ったら断られた。別の動物の肉ならどうにか出来るかもと言われたので、牛か鹿が食いたいと言った。

 昼に、調理済みの牛の肉を出された。


「牛のままでも良かったのに」


 生きの良い肉に齧り付くのが堪らないんだと訴えたが、却下される。


「あのね、タイガ。そんなことしたら、この部屋全部血だらけになっちゃうでしょうが。後処理が大変なんだよ、後処理が」


 長いフワフワした金髪を揺らしたメスは、眩しいくらいの菜の花色を漂わせながら、僕のことを呆れたような目で見た。

 運ばれてきた食事は分厚い肉と揚げ物中心で、どれも食い応えがありそうな量だった。曰く、とにかく飢えさせたら大変だから、どんどん食わせようということになったらしい。

 ベッドの縁に腰掛け、ベッドテーブルに置かれた食事をフォークとナイフで淡々と食べていると、菜の花色のメスがジロジロと覗き込んできた。


「喋ってることは野蛮なのに、お行儀よく食べれるんじゃない。やっぱ、タイガのままなんじゃないの?」


 僕は口をもぐもぐさせながら、首を傾げた。

 このメスの記憶にあるタイガは、僕と同じ姿をしているようだ。白い髪、赤い目。

 タイガって、何者なんだ。


「調理済みの食事は、道具を使って食べることくらい、僕だって知ってる。バカにしてるの? 竜は人間並に知性が高いんだよ? それに、タイガは赤茶の髪をした青っぽい目の少年でしょ」

「ああ、うん。そうだったらしいね」

「そうだった? 変だな。シバとか言うヤツの記憶にいたのと、あんたの記憶にいるのと、全然違う。タイガは二人いた?」

「タイガは白い竜の血を引いてるから、途中で姿が変わったんだよ」

「白い竜の血? タイガも白い竜なのか」

「うん。そう。君も、白い竜なんだっけ。名前は?」


 また名前を聞かれる。

 人間はすぐに名前を知りたがる。

 僕は肉を頬張ってから、首を横に振った。


「言いたくないの?」


 また、首を横に振る。


「ない」

「え?」

「名前はない」


 菜の花色が濁った。


「普段はなんて呼ばれてたの」

「白いの」

「白いの?」

「白い竜だから、白いの。名前じゃない。僕の鱗の色を指してそう呼んでた」

「他には? 人間の村にいたときは、人間の姿をしてたんでしょ? そのときは?」


「適当に。ジョンとか、アルとか、ビルとか。人間達が適当な名前を付けて呼んだ」

「じゃあ、ジョンとか、アルとか、ビルとか呼べば良い?」

「好きにしたら良いじゃん。どれも、僕を他の個体と区別するために人間達が便宜上付けていたものなんだろうから。あんたが呼びたいように呼べば良い」


 濃い味付けの肉はうまみがじゅわっとにじみ出て、かなり美味い。時折、野菜を挟みながら食べ進める。


「じゃあ、タイガ。ちょっと聞きたいんだけど、いい?」


 スープに口を付け、食べ物を流し込んだ。

 それから、いいよと小さく頷く。


「君が竜から人間の姿に戻ったときに身につけてた、白い服と靴のことなんだけど。あの服、今じゃ考えられない原始的な織り方をした布で出来てた。靴は豚の皮で作ってあった。君、一体どの時代から来たの」


 菜の花色のヤツは、変な聞き方をした。


「ごめん。言い方が悪かったかな。でも、どう聞けば良いのか。タイガの頭の中にいる君は、やっぱり例の、かの竜なわけ?」


 何だそれ。


「知らない」


 僕は首を傾げて、もぐもぐと肉を食った。

 菜の花色のヤツは、頭を掻きむしって、困ったような顔をしていた。






 *






「神殿建設後から、白い竜が村を襲うようになったというのは、史実とも合致してますね。当時はあちこちに小さい集落が点在していて、それぞれ独立したコミュニティを築いていたようです。恐らく、タイガの言う“収穫祭”は、古代レグル神教のそれを指すと思われます。この大地が古代レグル神といつまでも共にありますようにと祭りをするのです。今でも一部農村地域で受け継がれています。白い半竜神である古代レグル神を祀ったのに、白い竜に襲われるようになったとして、神殿建設の意義が問われたと記録にありました。身につけていた服や靴も、恐らく、その時代のもの。タイガは完全に自分をかの竜だと思い込んで、衣類を具現化させたのでしょう」


 紫がかった銀髪の聖職者は、象牙色を漂わせている。

 ガラス張りの狭い部屋の中に、シバと、さっきのラベンダー色のヤツ、菜の花色のヤツ、それからヒアシンス色のオス、桔梗色のオス、桜鼠色の尼と、杏色のメスがこぞってやって来た。僕に対する警戒心はまるでないようだが、それぞれ、僕が何者なのか興味を持っているらしかった。

 人間達は、ベッドの縁に腰掛ける僕をジロジロ見ている。


「やっぱりその、暗黒魔法の関係ですか」


 桔梗色のオスが、無精ひげを擦りながら象牙色の聖職者に尋ねた。


「恐らく。石柱を壊した直後、一番強烈に影響が出るようです。一本目のときも二本目のときも、暗黒魔法を浴びた途端、記憶が混乱し人間に襲いかかった。今後残り十本の杭を壊す度に同じことが起こるのだとしたら、タイガ自身もそうですが、支える私達も持たない。ジーク、ノエルの容態は?」

「どうにか大丈夫。ただ、腕は使い物にならないかも知れないそうだ」


 嗚呼とため息があちこちから漏れる。

 何の話だか分からない僕は、黙って話を聞く。


「タイガの心理ケアは、私も頑張ってみますけど、なかなか厄介だと思います。かなり、重篤な状態です」


 桜鼠色の尼が深刻そうな顔をした。


「自分を別人だと思い込んでしまう程強烈な記憶なのでしょう? しかも、再生され続けているのだとしたら、今後も悲惨な展開になることが容易に想像できます。まず、かの竜の苦しみを認めて、理解するところから始めなければなりません。そしてタイガ自身が、自分とかの竜は違う存在なのだと認識する必要があります。普通に考えて、数ヶ月、数年を要するような深刻なダメージを受けています。そのケアを、どうにか半月程度で終えなければならないとなると、困難を極めますね……」

「この状況で、イザベラ一人に任せるわけにはいきません。勿論私も協力します。可能なら、シバにも是非手伝っていただきたい」


 象牙色の聖職者が言うと、シバはこくりと頷いた。


「そのつもりです。――その前に、改めて今までの無礼をお許し頂きたい」


 そう言って、シバは深く、司祭に頭を下げた。


「来澄の……、凌のことも、司祭が深く接してくださっていなければ、もっと大変なことになっていたはずです。私は単に、大河を守っているという優越感に浸っていただけでした。私は、自分が守り切れなかったことを棚に上げ、大河が自分で選んだことなのにそれすら否定しました。どうにかしてこの争いから大河を引き離そうと、そればかり。もう後戻りできないところまで来ていたのに、信じたくないばっかりに、余計なことをして、あなた方教会の足を引っ張り続けました。そのせいで教会の社会的信頼が失墜し、今回の避難誘導にも支障をきたしてしまったこと、全て私の責任です」

「や、やめてください、シバ。顔を上げましょう」


 象牙色の聖職者は慌てた様子で、シバの肩に手を伸ばしている。


「終わったことに関して、とやかく言っている場合ではないのです。教会だって、神の子を危険因子だとして賞金まで懸けていたのですよ。もし、過去の過ちを一切許さないのだとしたら、誰がタイガを助けられるでしょう。人間は弱い。自分を守るために、必死なんです。嘘だってつくでしょうし、凝り固まった考えに左右され、道を誤ることもあるでしょう。神は、罪を悔い改め、前を向く者をお許しくださいます。シバ、あなたはこうして、タイガのために動こうとなさっているではありませんか。私達は同志です。タイガという一人の少年が、世界を救うために助け合う同志。大丈夫、誰も責めません、責めさせません」


 聖職者に諭され、シバは肩を震わせながら、ゆっくりと頭を上げた。

 どうも、タイガというヤツは特別な存在らしい。同じ白い竜なのに、扱いが全然違う。

 釈然としないでいると、杏色のメスが蜂蜜色の長い髪を揺らして近づいてきた。僕の前に屈みこみ、


「大河君、大丈夫?」


 と尋ねてくる。

 何が大丈夫なのかさっぱり分からない。僕は目線をそらし、知らないふりをする。


「リサ、ムダだと思うよ。僕らのことも、育ててくれたシバのことさえ忘れてるんだ。魔法はかけ続けて貰わなくちゃならないけど、落ち着くまでは、まともに会話出来るなんて思わない方がいいと思う」


 ヒアシンス色のオスが宥めるように言った。

 杏色のメスは、こくりと静かに頷いて僕に悲しそうな顔を向ける。

 今にも泣き出しそうな、頼りない赤茶の髪の少年が、彼女の中に見えた。少年は苦しそうに戦っている。身体の一部が竜化しているところを見ると、さっき菜の花色のが言っていたように、タイガは白い竜なんだろう。

 タイガは、戦うのが嫌いなのか。人間共に嫌われて、辛い目に遭っていたようなのに、自分の意思で相手を傷つけるのを、極端に避けている。


「見える? 私の記憶にいるのが、大河君だよ」


 記憶が見えることは、知られているらしい。

 タイガにも、同じ力があるからか。


「あんたら、タイガの何なの」


 やたらと親身で、やたらと優しい。

 凄く、気持ち悪い。


「タイガは一体何者? 何で僕と同じ白い竜なのに、嫌われてないの?」


 杏色のメスは、涙と悲しみの色を滲ませていた。

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