【19】彷徨う
1. 神様からの暗示
ラベンダー色を纏った眼鏡のオスがやって来て、僕の左眼の包帯を取った。光に慣れるまで少し時間はかかったが、視力に問題はないとのこと。無理矢理くっつけただろう左手にも、継ぎ目はない。身体中に矢が刺さり穴だらけだったはずだが、そういった傷も含めて綺麗さっぱり直っていた。
「いやぁ、凄いな。普通の人間じゃこうはいかないから。人知を超えた存在なんだって言われても信じるよ」
検査と称して身体のあちこちをくまなく調べられた。その間僕はずっと無言で、人間達の会話に耳をそばだてた。
どうも僕はタイガという人間だと思われていて、彼らは僕に興味がある。化け物だろうが何だろうが、関係なく接することが出来るよう鍛えられているのか、心の揺らぎは殆ど見えなかった。
「記憶喪失なのかって言われたら、ちょっと違う気もするけどね」
ガラス張りの部屋の中にはもう一人、空色のヤツがいた。長い金髪を後ろで一括りにしたそいつは、ラベンダーのヤツが言うのを聞いて、苦しそうにため息をついている。
「中身はタイガなんだと思う。ただ、記憶の混乱が顕著だ。司祭の話だと、かの竜の記憶がタイガの中で再生され続けてるらしいから、問題はそこだろうな」
「かの竜の記憶?」
「シバなら知ってる? タイガの特性。相手の記憶や心の中を読み取るんだ。ジーク社長に聞いた。タイガは隠してるみたいだけど、みんな知ってる。読み取られて不都合な記憶なんかない、見られても仕方ないって覚悟で臨んでる。……隠し事なんか出来ないんだよ。特殊な魔法で弾かない限り」
ベッドの縁に座り、病衣を直しながら話に耳を傾ける。
特性。記憶や心の中を読み取る。
タイガの話。
僕にも相手の心が見えている。タイガは、僕なのか。
「多分、その特性が強く働いてるんじゃないかというのが俺の推測ね。タイガは『かの竜の目線で』って言ってたらしいから、恐らくそのせいで、自分の存在があやふやになってしまったんだと思う。中身が完全に入れ替わってるなら、こうやって素直に検査に応じたり、ここでの生活に直ぐ馴染んだりはしないと思うんだ。で、君は誰なんだっけ?」
ラベンダー色のヤツは、デリカシーなく唐突に僕に質問を浴びせる。
僕は目を合わせないようにして首を横に振った。
「目線を合わせようとしないところなんか、タイガそのものなんだよ」
ほらねと、ベッドの前に置いた椅子に座りながら、ラベンダー色のヤツは半笑いした。
「大河の特性は弾いてる」
空色のヤツが言った。
「大河に、私の記憶が見えるはずがない。もし、本当に大河なら」
「それはさ、シバ。リアレイトにいた頃の話だよね。あれから随分変わったんだよ。それに、暗黒魔法を浴びてから、魔力値の伸びが著しい。以前は効いてた魔法も効かなくなってる可能性がある。リサだって、タイガの力を吸い取りきれなくなってきてるんだ。魔法は万能じゃない。綻びが出る。もう、タイガに特性を弾く魔法なんて通用しないってことじゃないのかな」
ラベンダーのに言われ、空色のは頭を抱えた。
「隠し事なんかやめた方が良いっていう、神様からの暗示なんじゃないの」
「神様って……、レグルか」
「さあね」
診察カバンを持ち上げ、ラベンダーのは席を立った。
「久々に親子で二人っきりなんだし、ゆっくり喋りなよ。ま、話が通じれば、だけど」
じゃあねと後ろで手を振って、ラベンダー色のヤツはガラスの部屋から出て行った。
部屋の中には、僕と空色のヤツだけが残った。
病衣を直し終えた僕は、しばらくの間、ガラスの壁に寄りかかった空色のヤツを観察した。確か、シバと呼ばれていた。どこかで聞いたような気がするけれど、思い出せない。どうもこいつは、他の人間達とは違う目で僕を見ているらしい。何故なのか。頭の隅っこに何かが引っかかっている。
「私のことが気になるのか」
唐突に、空色のが話しかけてきた。
僕は「いや」と小さく言って目をそらした。
「せっかくフィルが時間をくれたんだし、少し話そうか」
ヤツはニコッと笑って、僕の方に近付いてきた。
さっきまでラベンダーのが座っていた椅子を少しだけ引っ張って、僕の斜め前の辺りに座ると、空色のはふぅと長いため息をついた。
「見ないうちに随分大きくなったな。見違えた」
変な声のかけ方をされ、僕はギョッとした。
あからさまに嫌な顔をされたのがショックだったのか、空色に暗い色が混ざった。
「あ……、すまない。大河だけど、大河じゃなかったんだったな。なんて呼べば良い?」
はいでもいいえでも答えられない質問をされ、僕は渋々返事する。
「好きに呼べば」
「じゃあ、大河。私のことはシバと呼んで貰って良いか」
眼鏡のヤツがそう呼んでたから知ってる。僕はとりあえず、首を縦に振った。
「すまなかったな。痛みを伴う方法でしか、お前を止められないと思って、必死だった。きちんと警告してくれていたはずなのに、塔の連中はお前のことを甘く見過ぎて散々だったし、私もお前の変貌ぶりに相当ショックを受けてしまった。フィルが言うとおり、あの頃とは全然違う。分かっているはずなのに、どうしても受け入れたくない自分がいる」
何を言っているのか、さっぱり分からない。
シバは勝手に一人語りを始めた。
僕は目を伏せ、とりあえず耳だけ貸すことにした。
「……私の記憶も、見えてるんだな。ディアナに最高難度の魔法をかけて貰ったのに、白い竜の前では形無しだ。絶対に阻止しなければと思っていた方向にしか物事が進んでいかないのはどうしてなんだろう。最悪だ。お前を守ると決めたのに、傷つけてしまった。私にもっと力があれば、私がしっかりと塔の連中を説得できていれば、こんな風にはならなかったかも知れないのに」
僕の手首を切り落としておいて、シバは後悔しているようだった。
空色の方にチラリと目を向ける。
僕を息子と勘違いしているんだろうか。本当に、哀れなヤツだ。
「あんたの息子のタイガは、愛されてたんだな」
「え?」
「何だかよく分からないけど、そんな気がする。……羨ましい」
羨ましいだなんて。
口に出したことなんてないのに、思わずほろりと出てしまった。
「羨ましい?」
「僕は、いつだって独りだ」
「独り? どれくらいの間、独りで過ごしてた?」
「……どれくらいだろう。数えてない。四十年、五十年……、いや、もっと長かった。収穫祭が来るたびに、一年経ったんだと思って途中まで指折り数えてたのに、途中で分からなくなった」
「収穫祭?」
「人間の村では、年に一度、収穫祭をやるんだ。盛大な祭りだ。村を挙げて、古代神に感謝の祈りと供物を捧げる。人間共は飲んで食って大騒ぎして、無防備になる。村の人間を根こそぎ食うには丁度良いから、楽しみにしてた。あんまり頻繁にやると警戒されるから、何年かに一度だけどね。そのために二、三年くらい前から潜伏して、村に溶け込んでおく。準備が肝心なんだ」
シバはあからさまに嫌そうな顔をした。
そりゃそうか。人間の前で、人間を食う話をしてるんだ。当たり前だ。
「相当、食ったのか」
「食ったよ。人間の肉は美味いから。魔力を帯びてる人間の肉は、特に」
話しているうちに、うっかりよだれが垂れた。慌てて口元を腕で拭う。
さっきまで何ともなかったのに、こんな話をしてるから、急にシバが美味そうに見えてきた。
「私のことも、食べたくなったか」
「……食べていい人間と、そうでない人間がいることは、何となく分かる。空の上にいたヤツらは食べても良さそうだった。だけどあんたは食べちゃダメな気がする。ここの人間も」
「何か、明確な理由が?」
「分からないけど、僕の……、話を聞いてくれる人間は、食べちゃダメだと思う。――ねぇ、なんであんた達は、人間のクセに白い竜を怖がらないの。森の竜達でさえ、僕のことを気味悪がった。除け者にした。他のどの人間達も、僕を恐れて、泣きながら命乞いをした。なのにあんた達は、僕を怖がらない。助けようとする。僕に攻撃してきたのも、僕を倒すためじゃなかった。止めようとしてた。何で? あんた達にとって、僕は何なの?」
矢継ぎ早に質問を浴びせてしまった。
シバは面食らったような顔をしていたが、僕が話しているうちにどんどん表情を緩め、ついに破顔した。
「いつ、食われるかも分からないような状態なのに、なんで笑うんだよ」
「いや、すまない。かの竜の記憶が混在して、化け物になったかと警戒してたんだが、思いのほか大河のままで少し安心したところだ。みんな、お前のことを理解したくて必死なんだ。だから怖いなんて思わない。お前が一番辛くて苦しんでいることも知ってる。お前の力がなければ世界が滅びるから、どうにかして助けてやりたいと思ってる。お前の力が必要なんだ。白い竜である、お前の力が」
「変なこと、言うんだな」
この、シバって人間、なんか変だ。
ここの連中も、なんか変だ。
「変でも構わないさ。さて、次の杭を倒す期限は二十六日後だったな。それまで、その混乱した頭の中をどうにかしなければ。司祭と相談するだけじゃどうにもならないかも知れないな。少し、私が動くしかあるまい」
シバの表情は明るかった。
それに、悪い気はしない。
白い竜の力が必要だなんて、世の中には可笑しな人間がいるもんだ。
僕は何だかフワフワとした、変な気持ちになっていた。
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