7. 混濁

 左の手首の先から、鮮血が噴き出した。

 何が起きているのか、直ぐには理解出来なかった。


「シバ……!」

「何てことを!!」


 騎士達が声を上げた。

 空色のヤツだ。

 空色を纏った金髪のオスが、血のついた剣先を震わせて泣きそうな顔で僕を見ていた。

 上空にいたはずだ。

 結界魔法で囲われた空の上で、ヤツは僕を追いかけ回した。口の中に剣を突き刺し、何かを叫んだ。そのあと、落下する僕を追って地上に降りていたのか。

 僕が放った雷を浴びたんだろう、空色のヤツの身体はあちこち焼け焦げていた。端正な顔も、綺麗な服も、返り血で真っ赤だ。


「……何でだよ」


 手首から離れた左手が、まだピクピク動いている。

 闇の魔法は霧散した。


「あとちょっとで、大量に肉が食えると思ったのに……。何で、何で邪魔するんだ!! 何なんだよ、空色の!!」


 腹は常に空いている。

 森の外で生きるには、効率的にエネルギーを補給するには、どうしても人肉が必要なのに。

 どうして、どうしてどうしてどうしてどうして……!!


「そうか、私は空色をしているのか」


 空色のヤツは僕を見てニコッと笑った。

 ブルッと背筋が凍る。

 僕は咄嗟に空色のヤツに、右手の鎌を向けた。


「き、気持ち悪い。誰だ、お前」


 変な笑い方だった。

 バカにするでもない、蔑むでもない。

 泣きそうな顔で、そいつは笑った。

 あんまり気持ちが悪くて、僕はブンブンと鎌を振り回し、後退りしてヤツから距離を取ろうとした。

 ヤツは地面に落ちた僕の左手を拾い、苦しそうに息を吐いた。


「大河……、許して欲しい」


 思いもよらぬ言葉に、僕は固まった。

 鎌を振り回す手が止まっていた。

 足がガクガク震えて、呼吸が変に早くなった。

 空色のヤツは、そんな僕の方にゆっくりと歩いてきた。手には、血の気のなくなりかけた僕の左手を持って。


「何なんだ。何なんだお前。何言ってんだ。誰が誰だって? 知らない。知らない知らない知らない……!!」


 大量出血と手首切断、魔法の矢が刺さったままの身体で、血が足りなくなっているからかも知れない。

 震えが止まらない。

 頭が混乱する。

 僕はブンブン頭を横に振って、必死に否定した。


「知らないはずだ……。僕は森の中で十年も二十年も孤独に過ごしたんだ。出会った人間はみんな食った。骨になった。こんな人間は知らない……!!」


 僕に優しく声をかけるヤツなんかいなかったはずだ。

 許すって何だ。

 何を許せばいいんだ。


「怖がらなくていい。お前のことは誰も責めない」


 僕の真ん前まで、空色のヤツは迫っていた。

 恐る恐る、僕はそいつの目を見た。

 赤茶のくせっ毛、ほんの少し青色の混じった目をした少年が見える。泣きそうな目をしている。

 言いたいことがあるだろうに、何かに耐えているような少年を、そいつは記憶の中で静かに見ていた。


「良く頑張った。もう、休め」


 僕の右手から鎌が地面に落っこちて、カランカランと、小気味よい音がした。

 空色を纏ったそいつは、僕のことをギュッと抱き締めた。






 ――ああ。

 僕はずっと、こうして貰いたかったのかも知れない。






 ただ、抱き締めて欲しかった。

 そして、この悲しみの存在を、誰かに認めて貰いたかったんだ。






 *






 そこから先の記憶は、殆ど曖昧だ。






 *






 僕が大人しくなったことで、周囲に少しずつ人間や車が集まり始めていた。

 空を飛ぶ車の中で何かを喋りながらカメラのようなものを向けるヤツ、白衣の聖職者達、銀色の上着の兵士達、他にも大勢の人間達が僕と空色ののそばに近付いてきた。

 あんまり大勢やってくるので、離れるようにと、さっき僕が鎌を振るった二人の騎士達が注意する程だった。

 転移魔法で白い尼と、蜂蜜色の髪をしたメスが、聖職者のオスと共にやってきた。

 僕は抜け殻みたいになって、空色のに抱きしめられたまま、どうにかその場に立っているだけの状態だった。


「報道で見ていました。タイガの手首は?」


 白い尼は切断された僕の手と断面を見比べ、険しい顔をする。


「リサと一緒に、回復を試してみます。教会地下へ運びます。良いですね、シバ」

「すまない。大河を止めるために、やむなくやってしまった。私も一緒に行きたい」


 空色のが言う。


「勿論です。参りましょう」


 尼がこくんと頷いていた。


「大河君、大丈夫なの? 大河君大河君大河君……」


 蜂蜜色の髪のメスは、杏色を漂わせていた。苦しそうな紫色と青色が混じっているのが見える。


「リサ、心配してばかりでは何も変わりません。行きますよ。――司祭は残って、どうにかこの場を収めてくださいね。塔の皆さんも、今回ばかりは誤魔化すことが難しいでしょうし」

「神の子が脅威だと、世間に知れ渡ってしまった。タイガがこのあと順調に石柱を破壊していくためにも、この現状を世間に理解して貰うことが重要になってくる。我々教会にとっても重要な場面。無理矢理にでも連携を取るよう、塔の魔女達には念を押します。イザベラ、後は頼みますよ」


 そのまま僕は、尼の転移魔法で、教会の地下室とやらに連れ去られた。






 *






 ガラス張りの部屋だった。

 ベッドに寝させられ、服を脱がされ、怪我の状態を確認、直ぐに治療が始まった。

 細い針を刺された。

 意識がなくなる。

 また、夢を見る。











      ・・・・・











 森の木々は倒れ、焼け焦げていた。

 何日もの間雨が降り続いた。

 静かに過ごしていた竜達は、僕を追い払うために猛攻撃をしかけてきた。

 一匹一匹は非力でも、大勢で攻められると反撃が後手になる。

 僕は森を追われた。

 目立たぬよう、人間の姿に化けて、僕は人間達が住む村に向かった。











 人間は、群れで生活する生き物らしかった。

 建物を作り、そこをねぐらにして、血縁者や近親者同士で住むらしい。

 ふらふらな状態で村に辿り着き、行き倒れていた僕を、人間のメスが介抱してくれた。

 水を貰い、食べ物を貰う。

 人間は、食べ物を基本的に調理加工して食うそうだ。

 少しの間だけ休ませて貰った。

 ほんの少しだけ。

 直ぐに、僕が何者か、村で話題になってしまう。

 白い髪と赤い目が、とにかく気に入らないそうだ。

 名前を名乗らないのも、何故かと問われた。

 結局同じだった。

 竜も人間も、異質なものは排除したがった。

 村を焼き、人間を食った。

 そしてまた、別の村に向かった。











 数え切れないくらい、同じことを繰り返した。

 僕はいつまでも脅威で、いつまでも異端だった。











『白い竜の化け物がいるらしい』


 いつしか人間達は、そんな噂をするようになっていた。

 身寄りのない病弱な少年を装ってとある村に身を潜めていた僕は、大人達が話しているのを聞いてビクビクしていた。

 記憶にないくらい長い間同じことを繰り返しているウチに、僕にもある程度知恵が付いた。名前を聞かれたら、自分から答えるのではなく、分からないと答えるようにした。

 名前は分からない、どこの誰かも分からない。

 そうすれば、何か事故か病気で記憶を失ってしまったんだろうと勝手に名前を付けてくれる。その時、その村でだけ通じる名前。単に僕の個体を判別するために付けられた便宜上の名前。

 言葉に不自由な振りをして、自分のことはなるべく喋らないようにした。

 どうにか村に溶け込み、朝晩の食い物や寝る場所に困らなくなってきた頃に、そんな話を聞く。


『竜が化け物なんて、変な話じゃないか』

『いやいや、それがな。その白い竜は、人間を食うらしい』

『人間を食う? 竜は知性がある人間は食わないって話じゃ』

『白い竜は特別獰猛で、人間を皆殺しにしては食い散らかすんだとか。ちょっと前に行商で行った村がなくなっててな。隣村の連中に聞いたのさ。そしたら、真夜中に真っ白い竜が火を吐いて人間を頭から食っているのが遠目にも見えたとか何とか。翌朝その村に行ったら、無残に食い散らかした跡が残っていて、それはそれは恐ろしかったって話だ』


 人間達は白い竜を恐れていた。

 恐れてはいたが、気付きもしなかった。

 森を追われた白い竜が、人間の姿に化けて村に潜んでいることも。

 いつか秘密がバレたときには、全部食ってしまえば良いと、人知れずよだれを垂らしていることも。











      ・・・・・











 また、ガラス張りの部屋にいる。

 白い病衣を着させられ、ベッドの上に寝転んでいる。

 管が沢山繋がれている。自分の中に、何かの液体が注がれている。


「気付いたか、大河」


 空色を纏った金髪のヤツが、ベッド脇の椅子に座っている。

 ホッとしたような顔。空色にも暖色が混じる。


「四日間、目を覚まさなかった。だいぶ心配したんだぞ」

「心配? 何で」


 そこまで言って、違和感に気付いた。

 左眼が見えない。

 ――手は。左手はどうなった。

 グッと左腕を持ち上げる。


「……ある。左手」


 手首の辺りは包帯でグルグル巻きにされていたが、左手はちゃんとそこにあった。指も動く。確かに切断されたはずだったのに。


「白い竜の回復力に助けられた。暴走を止めるためとはいえ、とんでもないことをしてしまったと何度も後悔したが、処置が早かったのもあって、すっかり元通りだ。左眼も、恐らく回復してる。フィルに確認して貰うまではそのままにしておくように言われてるから、包帯は取るなよ」


 静かに注意された。

 僕は左手をベッドの上に下ろし、天井を仰ぎ見た。

 四日経った。

 その間に、また何十年分かの夢を見た。

 何かの液体のお陰で、腹は空いていないらしい。

 魔力のある人間がそばにいても、食いたいとは思わない。


「怖くないの」


 恐る恐る尋ねてみるが、どうしてと鼻で笑われた。


「怖いと思ったことは一度もない。私が非力だから助けてあげられないんだと絶望することは何度もあったがな」


 変に貴族ぶった格好をしている割に、言っていることはまともだ。


「……誰」

「ん?」

「あんた、誰」


 空色のが凍り付いた。

 一気に色が霞んでいくのが見える。


「ど、どうした大河。私はお前の」

「……“タイガ”ってのが、ここでの僕の名前?」

「何を言ってる。お前はずっと」

「“タイガ”は赤茶の髪をしてる。あんたが息子をそう呼んでいるのが見える。……長い間探してるんだな、息子のこと」


 ガタリと、そいつは真っ青な顔をして立ち上がった。


「大河じゃない? 誰だ。私の記憶を見ているのか?!」


 ああ、まただ。

 何度も言われる。

 繰り返し繰り返し、辛くなる程同じ言葉を。


「僕も、自分が誰なのか、分からないんだ」


 目を閉じた。

 どうしようもないくらい、胸が苦しかった。

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