6. 破壊しか、ないんじゃないか

 抜け殻になったグラントの死骸と、僕はしばらく一緒に過ごした。

 肉食獣達が肉を漁った。死臭が濃くなった。虫が湧いた。腐った内臓と骨だけになっていく。

 僕はその様をずっと見ていた。

 死とはこんなにも残酷で、惨たらしいものなのか。

 グラントの生前、あんなに頻繁に来ていた成竜達は、ピタリと誰も来なくなった。

 食欲なんてどうでも良くなった。

 ただ悲しみ、塞ぎ込んでいた。











『お前の居場所はここにはない』


 グラントの亡骸がすっかり白い骨だけになった頃、ガルボが僕に言った。

 何も食べず、狩りもせず、森に漂う魔法エネルギーだけでどうにか生きていた僕は、ガリガリになっていた。


『お前を守ってくれたおきなはもう、この世には存在しない。この森を出るんだ、いいな』


 悲しみのどん底で、ただ息をしているだけの骸になったような僕を、ガルボは冷たい目で見下ろしていた。


『翁はずっとお前を案じていた。皆が反対するのも聞かずに。もう、翁はいない。誰もお前を守れない。出て行くがいい』


『……森を出て、竜が生きてけるの』

『さぁ、どうだろう』


 ガルボは首を傾げた。


『森の外は魔法エネルギーが薄いんだって聞いたことがある。竜の巨体を支えるには、それなりに多くの魔法エネルギーと、栄養が必要だ。これまでだって、苦労して狩りをしながらどうにか生きながらえてきた。でも、森の外に出たら、狩りは難しい。ただでさえ僕の鱗は白くて目立つのに、どうやって生きていけばいいの』

『人間と契約を結べば、しもべ竜として大事に扱って貰える。そういう生き方もある』

『――人間は! 捕食対象だ! 餌だ! なんで僕が餌の言うことを聞かなきゃならない』


『他の竜は人間を食ったりしない。人間は捕食対象ではない。対等な関係だ。対等に契約を結び、互いの命が尽きるまで支え合う。それが契約。あるじとなった人間が死ねば卵に還ってしまうが、再び主が見つかれば、卵から孵って新しい主と共に生きることが出来る。……第一、捕食対象と言いながらも、お前は人間によく化けていた。お前の言い分では、餌と同じ姿になっていたということになる。滑稽じゃないか』


 ガルボは鼻で笑った。

 怒りがわき上がった。

 それまでずっと押し込めていた気持ちが、どんどん溢れていった。


『……それしか方法がなかった』

『何だって?』

『白い竜だってことを隠さなければ、森の中では生きていけなかった。どうして白い鱗で生まれてきたのかなんて、僕にだって分からないのに、責められ、疎まれ、爪弾きにされてきた。どうすれば良かったんだ。どうすれば僕は苦しまずに済んだんだ。誰にも僕の気持ちなんか、分かりっこない。僕の存在を認めず、勝手に悪だと決めつけ、自分達だけが気高い竜で、賢く、偉大だなんて思い込んでるようなヤツには、僕の気持ちなんか分からない』


 壊してしまえ。

 消し去ってしまえ。

 何もかも吹っ飛べばいい。

 腹の底から黒いものが溢れ出していくのを感じていた。

 気持ちいいくらいの真っ黒だ。全てを闇に染めるような黒。


『白いの、お前……』


 ほら、また。

 僕は白い竜であって、それ以外の何者でもないらしい。

 名前もない、何者にもなれない僕が、存在を認知されるためには結局……。











 破壊しか、ないんじゃないか。











      ・・・・・











 激しい痛みに気が狂いそうだった。

 左眼に剣がぶっ刺った。竜の目に剣を刺すとか、有り得ないだろ……!!

 剣が抜かれたとの同時に、血飛沫が舞ったのが右の視界に見えた。

 口の中も血だらけだった。


「大河、すまない……!!」


 空色のヤツが苦しそうな声を出していた。

 クソッ!!

 何でこんな……!!

 痛みに耐えかね、僕は天に向かって咆哮していた。暴走した力が風となり、炎となり、雷となって、辺りに放出されていく。左手を咄嗟に離して、見えなくなった左眼を押さえようとしたが、強制拘束魔法で自由が利かない。


「フューム! ヴィンを頼む……!!」


 空色のヤツが僕から離れながら黒服のに指示している。

 しくじった。

 目の痛みに気を取られて、せっかくの肉から手を離した。両手の中から滑り落ちたそれは、結界魔法で出来た床の上に転がっていた。

 慌てて右手を伸ばそうとするも、身体は拘束されているし、片目では距離感が掴めない。その合間に、黒服のが赤毛を抱えて持ち去ろうとしていた。

 邪魔しやがって。

 怒りがふつふつと湧いてくる。

 黒い感情がどんどん大きくなっていく。

 何でだよ。

 人間如きが何で僕の邪魔を……!!


 メキメキメキ……ッ!!


 頑丈に思えた緑色の結界に、大きくヒビが入った。

 結界全体に亀裂が走り、天井からどんどん崩れてくるのが見える。


「床が落ちるぞ……!!」


 黒髪のが叫んだ。

 僕の目から剣を抜いたあと、さっさと遠くに退避していた。

 人間共が散り散りになっていくのが視界の端っこに見えた。

 崩れそうな結界の床に這いつくばりながら、僕はどうにかして立ち上がり、飛び立とうとした。赤毛のヤツでなくてもいい。誰でも。人間の肉さえ食えれば。

 思った途端に、ズキンと全身に激痛が走った。

 縮む……!!

 痛みと共に、僕の身体は急激に縮んでいった。

 力が入らない。

 竜ではなくなっていく。

 どんどんどんどん身体が縮んで――。

 僕は強制拘束魔法からスルリと抜け落ちるまでに小さくなっていた。


「逃げられるわ!!」


 緑髪のメスが叫ぶ。

 更に拘束魔法を上書きするのが早いか、それとも僕がすっかりと小さくなるのが早いか。

 ガクッと身体が沈んだ。

 結界魔法の床が崩れていく。

 飛ばなきゃ。思っているにも関わらず、思うように身体が動かない。

 どんどん縮む。縮んで縮んで、僕は壊れた結界魔法の床の隙間から、そのまま真っ逆さまに……!!


「大河アァッ!!」


 空色のが遠くで叫んだ。






 落ちる、落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる――……!!






 落ちながら、僕の身体は竜から人間にどんどん変わっていった。

 人間の姿では、地面との衝突に耐えられない。

 眼下に人間の住む街が見えた。

 住宅地の屋根の連なりが見えた。

 空を飛ぶ車が見えた。

 地面に深い穴が空いているのが見えた。

 深い穴の周辺には、アパートメントが建ち並んでいた。

 建物の中から、外から、空を見上げる人間達が見えた。

 つんざくような悲鳴があちこちで上がっていた。

 滑空してくる翼竜には人間の兵士が乗っている。

 白衣の聖職者や騎士達が、地面からこちらを見上げて魔法を放った。補助魔法の緑色が僕の身体を包み込む。落下速度が落ちる。

 アパートメントの屋根に落ち、背中を強打した。屋根瓦が粉々に砕けて周囲に飛び散った。転がり、屋根から滑り落ちる。地面がすぐそこに迫った。

 建物付近にいた人間達が、蜘蛛の子を散らすように逃げていくのが見える。

 白い騎士二人と目が合う。


「ちっくしょおめぇぇえぇええええ!!!!」


 地面にぶつかるスレスレで、僕は叫びながら身体を丸めて受け身を取った。タンッと片足で地面を蹴飛ばし、そのまま騎士達目掛けて突進する。


「ゔぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙あぁぁあ!!!!」


 明らかに、騎士達は動揺していた。


「タイガの様子がおかしい」

「あの白い服は何だ」


 二人は口々に焦りの言葉を漏らした。

 しかし、慌てながらも手は休めないらしい。


「ライナス、行くぞ!!」


 騎士の一人がそう言って、僕に剣を向ける。

 もう一は、魔法陣を展開している。


「人間共めがァッ!!」


 剣で突かれた左眼が痛んだ。

 目から、口から、ダラダラと血が流れていた。

 気に入りの白い服が、僕の血で赤く染まってしまう。それがまた癪に触った。

 黒い感情が形になる。いつぞやに見た黒いもやを、僕自身が作り出している。

 走りながら、僕は黒いもやを操っていた。もやは集まって凝縮し、鎌の形になった。

 これで、人間共の首を――、狩る。

 狩ってやる。どうにかして狩って、貪り食ってやる。

 我慢した。何年も何年も。

 存在を否定されて、行動を制限されて、生きていくために人間の姿に変化へんげし続けて、僕が僕であることを知られないように、白い竜であることを知られないように、知られて誰かが、僕自身が傷つかないように。

 それもこれも、全部ダメになった。

 我慢の限界だ。

 そろそろ報われたって良いんじゃないのか。

 好きなものを食ったって良いんじゃないのか。

 

「死ねぇええええ!!!!」


 鎌を振るう。

 騎士の一人が剣で応戦する。

 右から左から、手練の騎士は激しく斬りつけてくる。


「聖なる光よ、タイガの闇を祓え!」


 左眼を閉じ、視界が狭くなった僕に、別方向からもう一人が聖なる光の魔法を放った。


「グアア……ッ!!」


 聖魔法の矢が、人間になった僕の身体のあちこちにブスブスと刺さっていた。

 痛みなんてどうでもよかった。

 魔法の矢が全身に刺さったまま、僕は魔法を放った騎士をギッと睨み付けた。


「殺してやる……」


 鎌で剣の騎士を薙ぎ払って、魔法を放った騎士に左手を向けた。

 聖職者である騎士には、闇の魔法が効果的だろう。


「ズタズタに斬り裂いて、肉塊にしてやる……!!」


 魔力が凝縮していく。

 闇の魔法で出来た鋭い三日月状の刃を大量に放ち、周囲の人間共も全部、切り刻んでやる……!!

 悲愴の色を浮かべる騎士に、闇の魔法を放とうとした。――瞬間。



 僕の左手が、ボトンと落ちた。

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