5. 一番欲しかったもの

 グレイが直ぐに話しに行ったんだろう、程なくして数匹の成竜達が僕のねぐらへとやって来た。

 食い散らかした骨が何年分も山積みになった岩陰に、成竜達は皆息を呑んでいた。

 僕は人間の姿のまま引っ張られた。

 懲罰会議が始まった。

 僕が正体を隠し、幼竜達と何年も行動を共にしていたことを咎められた。


『誰もお前の正体に気付けなかった。まだ経験の浅い幼竜達ならば見破られないとでも思ったのか』

『食べ頃になるまで待っていたのか』

『名も名乗らず、自分のことを語らないようにすることで、正体の発覚を遅らせようとしたのか』


 僕は、首を縦にも横にも振らなかった。

 他のヤツらが全員大きな成竜で、僕だけちっぽけな人間の姿で非難を浴びせられていて、それでも反論はしなかった。

 否定から入る。

 僕を悪者だと決めつけている。

 ダメなのか。こんなに我慢しても、こんなに隠しても、僕は結局、正体不明で気味の悪い白い竜でしかないのか。

 一緒にいた間、一瞬たりとも彼らを食べたいとか傷つけたいとか、そんな風に思ったことはないと訴えても、誰が信じてくれるだろう。

 グレイが僕に声を掛けた。それが本当は嬉しくて、でもどうやって表現すべきか分からなかったことを、どうやって伝えたら良かったんだろう。


 僕には魔法の才能がある。変化へんげだって、どの竜よりも上手に出来る。成竜達が使えない高等な魔法さえ身につけたことで自信が付いてきたなんて言っても、結局こうやって追い詰められてしまう。

 何がいけなかったのか。

 どうしてこうなってしまうのか。

 誰も僕を認めない。

 白い竜の存在を、僕の苦しみを。

 沸々と怒りが湧いた。

 僕を苦しめる彼らこそ、生きる価値がないのではないか――?











      ・・・・・











「――うあああああぁぁぁああッ!!」


 赤毛の叫び声が辺り一面に響き渡った。

 上手く魔法にかかった。拘束魔法でグルグル巻きにしてやった。

 闇の魔法を黒い紐状にして出現させ、標的となる獲物の周囲をグルッと囲み、一気に縛り上げる。どこかで見たこのやり方で、上手いこと赤毛を拘束した。

 僕はそのままガシッと両手で赤毛のオスを掴んだ。


「助けて!! 嫌だ!! 死にたくないッ!!」


 赤毛はギャンギャン手の中で泣き叫んだ。


「大河やめろ!!」


 空色のヤツが叫ぶ。

 知らないなと、僕は赤毛のヤツを顔の高さまで持っていく。

 美味そうな臭いがする。魔力を帯びた人間の臭い。

 興奮して、口と鼻から炎が漏れ出た。

 すると赤毛はまた激しく泣き叫んだ。


「大河! 正気に戻りなさい!!」


 金髪の魔女が銀色に輝く魔法を放った。

 凄まじい勢いで魔法の波が、白い竜の身体に当たる。――それまでの攻撃魔法とは比べものにならないくらい強い衝撃に、僕はせっかく掴んだ赤毛のオスを落としそうになった。

 怒りにまかせ、魔女の方に火を吐いた。魔法で弾かれたが、銀色の魔法は少し弱まった。

 これでゆっくり人間が食える。

 思ったところで、大きな魔法が発動したのを感じる。


「シバ! ルーク! 退避して!!」


 どこからか年配のメスの声がする。

 メスは魔女一人だったはず。……あれ、違う。二人いた。金髪の魔女の隣にもう一人、やたらと上から目線で僕のことを追い詰めようとする、長い緑色の髪をした魔女。

 ――どこにいた?

 今まで一体、どこに?

 気付いたときにはもう遅かった。

 白い竜の巨体を囲むように、闇の魔法の輪が出来ている。僕はいつの間にか、巨大な魔法陣の真ん中にいた。


「強制拘束魔法、発動!!」


 もう一度、緑髪の魔女の声。

 どこだ? 一体どこ?

 ふと、頭を上げる。

 真上だ。緑髪の魔女がしたり顔で僕を見下ろしている。

 キイィンと金切り音がしたかと思うと、魔法陣は一気に収縮し、僕の動きを完全に封じてしまった。

 羽ごと無理矢理太い紐で縛り上げたたような、赤毛を握りしめたままの手も、腕の自由が利かず、まともに動かせない。太い尻尾すら、やはり一緒に縛られて、身動きが全く取れない。浮遊することが出来なくなった僕は、一気に、魔法結界で作り上げられた床の上に叩きつけられた。


「今のうちにヴィンを!!」


 苦しむ僕の身体の上に、人間がどんどん下りてきた。

 空色のと、黒髪と、黒服の。

 やっと手にした餌を奪おうとしているのか。それだけは嫌だ。僕は一層、両手をしっかりと握りしめた。


「ギャアアァアアアアア!!」


 赤毛がギャンギャン叫んだ。

 骨が折れたか。知らない。どうせ食うんだから、多少傷ついたって。

 こうなったら、人間共に邪魔をされる前に、無理矢理にでも。

 首を曲げ、手をどうにか口元に運ぼうと、僕はそれだけに全神経を注いでいた。

 デカい口を開く。

 牙がぎっしり生えた口の中を見て、また赤毛が泣き叫ぶ。

 知らない。

 僕は腹が減ってる。魔力を帯びた人間の肉が欲しい。おかしくなる。早く食べないとおかしくなって、僕が僕でなくなってしまう。


「やめろ大河ァッ!!」


 グサッと、口の中に何かが刺さった。

 剣だ。

 いつの間にか僕の真ん前までやって来ていた空色のヤツが、ガバッと開けた僕の口の中に剣を突き刺した。

 激しい痛みに悶えそうになるが、そんなのは気にすべきじゃない。

 こうなったら空色のヤツごと、赤毛も食えば良いだけ。

 僕はもう一度、大きく口を開けた。



 ……ヌッと、僕の左目に、人間が映り込んだ。



 黒髪の――。

 一瞬、気が抜けた。

 黒髪のヤツが何をしようとしているのか、理解するのに時間がかかった。

 ヤツは剣を高く掲げていた。両手で握りしめた剣先が見えた。


「今、助ける――!!」



 僕の目玉に、黒髪の剣がぶっ刺さった。



 目玉に。

 嘘だろ。

 視界の左半分が、一気に暗くなって。











      ・・・・・











 また、拘束されるのか。

 自由を制限され、存在を否定されるのか。

 悲壮感で潰されそうな僕に、ガルボは言った。


おきなの元に戻れ』


 言うのは簡単だ。

 だけどもう、随分長い間戻っていない。それを今更。


『翁は、もう、長くない。お前のことをずっと心配している。最後くらい、世話をしてやりなさい』


 何を言っているのか分からなかった。

 世話を?

 どうして僕が。











 竜の寿命は長い。

 普通の生き物の何十倍も平気で生きる。

 けれど、生き物なのだから必ず死は訪れる。

 僕が奪った沢山の命のように、第三者によって突然断たれるのじゃなくて、生き物として寿命を全うしての死。

 僕はそれが一体どういうものなのか、よく分からないでいた。

 グラントはかつての威厳をなくしたかのように、木陰で横たわり、やっと息をしている状態だった。


『白いの。よく戻った』


 人間の姿で現れた僕を見ても、グラントは驚かなかった。


『近くにいたと聞いて安心した』


 グラントは言葉少なだった。

 喋ることさえ、難しくなっていた。











 水を飲ませたり、柔らかい木の実をあげたりした。

 グラントは次第に、それすら出来なくなった。

 体温が低くなった。

 反応が薄くなった。

 死期が近付くと、その準備のために、生命活動を徐々に停止するのだと、どこかで聞いた。

 グラントは何も言わない。

 僕は少しの間だけ、人間の姿をやめることにした。

 最後くらい、竜の姿でいた方が良いと思った。

 飢えて死にそうだった僕が、あなたのお陰でこんなに大きくなりましたと、伝えたかった。

 僕も喋るのは苦手だから、何を話したら良いか分からない。


 いなくなる。

 別れる。

 今まで何度も僕はグラントのところを飛び出して、その度に連れ戻されたり、戻ってきたりした。

 今度はグラントがいなくなる。

 それが、よく分からなかった。











 成竜達は代わる代わる、僕とグラントのねぐらを訪れた。

 いよいよ死期が近いらしい。

 誰彼ともなくやってきては、グラントに声を掛ける。

 グラントは瞬きや小さな相づちだけで反応した。











『白いの』


 グラントの弱々しい声。

 最後の力を振り絞って、グラントは僕に声をかけた。

 深い森の中、横たわったグラントを何体もの成竜が取り囲んでいた。


 僕は成竜達のずっと後ろの方で、その様子を見ていた。

 グラントの声に応えるようにして、成竜達は道を空けた。

 普段は決して存在を認めようとしなかった僕に、『前に出なさい』『急いだ方が良い』と声を掛けた。

 冷たい目線の中、僕は肩を強張らせながら、成竜達の間を進んだ。


『白いの』


 グラントは消え入りそうな声で僕を呼んだ。

 長い首をゆっくりと彼の顔に寄せると、グラントはシワだらけの顔でニッコリと微笑んで見せた。


『お前が白いのにはきっと理由がある。心を汚してはならない』


 弱々しいながらも、グラントはひとつひとつの言葉を噛みしめるように囁いた。


『だけど、おきな

『お前には力がある。何のために誰が与えた力か知れない。けれど、使い方を誤ったらいけない。お前はその力で、歪みを正さねばならない』


 説教か。

 最後の最後まで、翁は僕に説教を。

 目を閉じ、首を振る。こんな別れを望んでいたわけじゃない。もっともっと募る話があったはずだ。言いたいこともあったはずだ。

 なのにグラントは。

 ギリリと奥歯を噛み、拳を握る。その手を、グラントのシワだらけの手がそっと包む。


『白いの。お別れじゃ』

『ダ、ダメだ! 僕は未だ――』


 大粒の涙が、つうと頬を滑り落ちた。

 グラントの手が、もう冷たい。命の火が消えていくのが見える。

 その前に。

 その前に、僕は貰いたかった。大事なものだ。僕が何者かを決定づける、この世界の中で唯一のもの。

 どうしてグラントはくれなかったのか、どうしてみんな僕にくれないのか、問い詰めたかった。

 貰ってない。

 欲しいもの。

 僕が一番欲しかったものを。





















 ……僕の、名前を。

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