2. 魔法

 ――リサさんの魔法が切れた。

 頭の中でブチッと何かが途切れる音がして、急激に自分の身体の中から何かが噴き出していくのを感じた。


「大河く……」


 リサさんの叫び声と姿が途中で途切れた。

 グレッグさんの転移魔法が発動したようだ。

 これで大丈夫。リサさんに被害は及ばない。

 あとは僕が、どうにかこの衝撃に耐えて杭を破壊する。その後はシバや、塔の五傑がどうにかしてくれるはず……!


「グワアァァアッッ!!」


 必死に歯を食いしばる。

 何だ、これ。

 風と雷が僕の周囲に巻き起こっている。

 バキッとローラ様の見えない床が崩れる音。その直ぐ下に、シバが作った結界の足場が張ってある。

 目線が高くなる。身体が肥大化する。人間の身体から、白い竜へ変わっていく。いつもよりペースが速い。


「大河ァッ!!」


 シバの声。

 僕の眼球はどんどん小さくなっていくシバを捉えていた。

 ローラ様、ヴィンセント、シャノン、フューム、ルーク。それぞれの身体がどんどん遠くなっていく。

 一体どれだけ大きくなってくんだ? 巨大化しすぎたら、杭が壊せない。

 小さくなっていく杭の頭に手を伸ばした。すっかり竜になった腕。鱗の付き方がいつもと違う。トゲトゲしてる。白い竜ではあるけれど、僕の形は、全体像はどうなってる。

 もしかして、暗黒魔法は僕の竜の身体の方に影響を及ぼしてるのか?

 前よりもっと禍々しく、より破壊竜ドレグ・ルゴラに似た姿に変わってきてる?

 ドォンドォンと、身体のあちこちに何か小さいものが当たった感覚。


「ヴィン! 何をしている?! 大河を止めるのは石柱を壊した後だ!」


 シバの声。

 もしかして、今のはヴィンセントの魔法攻撃? 全然、効いてない。


「ば、化け物だろ! こんなのが神の子であるわけ……」


 ヴィンセントは半ばやけくそになって、半泣きで魔法を何発も撃ってくる。

 それが、全く意味のない行為だとも知らずに。


「似てる……。かの竜より若々しくはあるが、あのシルエットはまさしく」


 ルークの震えた声が耳に入る。

 クソッ!

 やっぱりそうか。僕は、確実にあの白い竜に……!!

 突風と雷鳴が結界の中を巡った。まだ、身体はどんどん膨れてる。

 意識が、意識があるウチに、どうにか杭を。

 巨体を前に倒し、腕を伸ばす。

 僕の影が被さってくると、塔の連中は散り散りになって逃げていく。

 シバの張った結界の床はかなり頑丈で、僕の巨体が乗っかってもひび割れたりはしないらしい。けど、ローラ様のそれは、人間程度が何人乗っかったところで壊れはしないが、竜の体重には耐えられない代物だった。


 結界の下、透けた緑色の向こう側に、街が見えた。

 突如現れた白い竜に逃げ惑う人々。ローラ様が機転を利かせなかったら、僕は街を破壊していた。大量に人が死んだ。空の上に連れて行くという決断は正しかった。けど、見えない床の魔法は弱すぎた。

 僕の前足が、後ろ足が、尻尾が、透明な床をどんどん壊していく。

 その間を縫うようにして、五傑達は駆け回った。

 身体の中心が、また炉のように燃え滾っているのが分かる。

 息をするだけで、鼻と口から炎が漏れた。

 杭を壊せば、暗黒魔法を更に浴びれば、僕はもっとおぞましい姿になるに違いない。

 怖い。

 怖くて怖くて、逃げ出したい。

 けれどそれしか方法がないんだから、僕は、どうにでも。

 右手の中に、杭の天辺が収まった。

 力を込めると、黒い竜石柱はビキビキと鈍い音を立て、勢いよく砕け散った――……。











 赤黒い光の波が、白い竜となった僕の肌を突き抜けていく。











      ・・・・・











『自分だけが苦しいなんて思うな』


 グラントの声。


『皆、等しく、苦しんでいる。……残念ながら、お前がその原因だ』


 何十回目かの、懲罰会議の最後に、彼は言った。


『人間を殺すな、食うなと言い続けて、ようやく大人しくなってきたと思ったのに、お前はどうしてこんなことを。同じ、竜ではないか』


 相変わらず、お腹は空いていた。

 説教の最中なのに、腹の減りが気になるくらいの空腹だ。

 広場の真ん中に立たされ、その周りを山のような成竜達が囲んでいる。怒られるときはいつもこうだ。逃げ場を断って、僕を追い詰め、反省の言葉を引き出そうとする。

 大抵僕が頭を垂れて、ごめんなさいと言って終わるんだ。


『ごめんなさい。もうしません。僕は、故意に竜を傷つけないことを誓います』


 心にも思っていないことを、適当に。

 気に入らなかったから殺して、死体を切り刻んだ。肉も食った。それだけなのに責められる。

 同族の竜の肉は硬い。鱗も邪魔だ。剥いで食べるが、どうにも食いづらい。

 いや、違うな。人間の肉が食べ易すぎるんだ。

 機会があれば、また。











 森には、境界線というものがある。

 線らしき線はないが、グラント達はそう呼んでいた。

 僕ら竜が自由に行き来しても良い境界線、狩りをしても良い境界線、幼竜が遊んでも良い境界線。最後の、幼竜の境界線の更に内側に、“白いの”が自由に動ける境界線がある。

 境界線の中は、とても狭い。

 自由とは、何かに守られ、或いは監視され、制限されて初めて得られるものだそうだ。

 何者にも縛られない自由などない。

 僕の自由は、とても狭い領域の内側にだけ存在していた。











 神殿建設の式典があるのだと、グラントは言った。人間の姿に化けて、人間と同じ目線になり、完成を祝うらしい。

 人間達は式典の後、お祝いのご馳走や酒を振る舞うのだそうだ。

 森の竜の代表として、グラントとガルボが呼ばれていた。

 ふたりとも人間の姿に化けるのが上手いのだと、成竜達が言っていたのを耳にしたことがある。巨大な竜が人間の小さな姿になるのは至難の業なのだとか。


『けれど、アレは人間じゃない』


 森の竜達は、人間のなんたるかを殆ど知らない。

 住処から離れることのない彼らは、そもそも人間を見たことがないのだ。


『僕がもし、魔法を使えたなら、もっとより人間らしい人間に化けてみせるのに』


 人間の姿はよく知ってる。

 何と言っても好物だ。

 小回りの利く身体、竜のように言葉を話し、器用な手先で道具を使う。


『それに、僕は元々……』


 そこまで言って、僕は頭を抱えた。

 僕は元々。

 ……何、だったんだろう。











 式典には、人間の姿に化けたグラントとガルボの他にも、多くの竜が駆けつけた。竜達は遠巻きに式典を見学し、ともに完成を祝った。

 多くの幼竜達も、どうやら見学に行ったらしい。

 僕は、行くのを禁じられた。人間が食べたくなるだろうからと、成竜達に厳重に見張られて、普段の境界線よりも行動範囲を狭められていたわけだけれど。

 式典の後、森はにわかなブームに包まれた。

 人間という生き物に、竜達が興味を抱いたらしい。


『確かにグラントとガルボは人間に化けるのは上手いけれど、本物は少し違った。もっとツルツルしていた』


 成竜の誰かが言って、こんな感じではなかったかと変化へんげを披露する。

 いやいや違うなと、別の竜がやってみせる。

 どいつもこいつも、人間はこんな形だったと大盛り上がり。


『みんな、魔法が使えるの?』


 成竜達の盛り上がりを遠くで見ていた僕が珍しく質問をするので、グラントは機嫌良く答えてくれる。


『みんながみんな、魔法が使えるわけではない。魔法エネルギーが豊富にある場所で育った竜や、長く生きた竜の中には、魔法を使うことが出来る竜がいる。この森は、特に魔法エネルギーが濃い。古代神レグルの降り立ったという伝説の地に近いからかも知れない。大抵の竜は、ある程度大きくなれば魔法を使えるようになる。白いの、お前も訓練すれば、魔法を使えるようになるだろう』

『僕も……、魔法を?』

『様々な属性魔法や、変化へんげの術、ものを作り出す魔法……。自分に合った魔法を見つけ出し、極めることが出来れば強くなれる。例えば古代神レグルの神話には、火、水、風、木の、四つの属性の竜が登場する。人間達は、この四体の竜を、古代神レグルと並んで崇拝していると聞いた』


 古代神と四体の竜。

 聞いたことがある。知っている。

 人間共は様々なものに四体の竜の名前を使っていた。土地の名前、方角、暦。

 ――あれ?

 初めて聞いたのじゃなかったのか。

 僕は一体、どこでこの話を。











 魔法の練習。

 七つの属性。

 同じくらいの幼竜達は、こぞって魔法の練習を始めた。

 僕は輪に入れないから、一人でこっそり練習する。

 人間の肉を求めてさまよっていた、あの日よりは充実していた。

 不思議と簡単に魔法が使える。まるで最初から使えていたみたいに、ちょっと考えるだけで簡単に使えたんだ。

 炎が出た。水や氷も簡単に。風も起こせる。目映い光も。森の恵み、回復魔法だって。

 ……ひじりの魔法は、よく分からなかった。抽象的すぎて、グラントに言っても首を傾げられた。

 一番得意だったのは、闇。一撃で、獲物を殺せる。

 この勢いで、変化へんげの魔法も身につけよう。

 誰よりも人間らしく、変化へんげしてやる。

 僕のことを嫌い、除け者にしてきた誰よりも、上手に魔法が使えるってことを見せつけてやるんだ。

 そして、僕を、僕の存在を、白い竜を、……認めさせてやる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る