【18】白い竜と孤独の日々

1. 上空へ

 二号の警報がガンガン鳴り響く。

 溢れ出た力が風を起こし、テーブルや壁際に置かれた花瓶が飛び散ってガシャンと音を立てていた。

 窓にもヒビが入った音。

 協議会場はもう、めちゃくちゃだった。


「ビビさん、レンさん。どうせ聞いてるんでしょ。目標はニグ・ドラコ地区東側の住宅地にある杭。周辺警備中の神教騎士達に伝えて。住民の避難優先。もうじき、僕が杭を壊しに行くからって」


 少しだけ振り向いて、タイガ二号の方に声を掛ける。


『……聞いてる。君ってヤツは、無理しやがって』


 レンさんの声。監視室の方からモニタリングしてる。

 やっぱり、ビビさんが持ってるタブレットだけじゃなくて、二方向から僕を見てるんだ。


「グレッグ、ここは頼む。私は先回りして石柱に」


 ライナスさんはそう言って、転移魔法の準備を始めた。


「分かった。ライナス、任せたぞ」

「了解」


 あまりにも淡々と僕らが事を進めるので、塔の面々は訝しげにこちらを見ていた。

 シバは、頭を上げない。苦しそうに頭を抱え、椅子の上でうずくまっている。

 ライナスさんの転移魔法が発動、姿が消える。


「今から、石柱を壊す気……?」


 ローラ様の顔色が悪い。

 さっきから赤くなったり青くなったり、随分忙しい人だ。


「壊します。昨日の一本以外は、住宅地やオフィス街にぶっ刺さってるそうですね。今、神教騎士団に住民の避難誘導をお願いしましたけど、彼らの信用は地の底だって聞きました。果たして、住民は大人しく避難してくれますかね」


 五傑らの表情が変わる。


「昨日は、リサさんの魔法で制御して貰った上で竜化しました。今日は、リミッターを外します。どうやら、塔の皆さんは僕を簡単に手懐けられる獣か何かだと勘違いしているみたいなので、そうじゃないことを教えてあげなくちゃと思ったんです。分からないと思うけど、僕は常に枷を嵌められている状態なんですよ。その枷が外れたら、意識を保てる自信はありません。巨大化した僕の体長は、杭の倍近くありました。この場で竜化して、杭まで移動し、ぶっ壊そうかと考えてるんですけど、いいですよね まぁ、この建物周辺の人達は、今ウォルターさん達が逃がしてくれているだろうし、敷地も広かった。三つ四つ周辺施設も壊すかも知れませんけど、見逃してください。まだ、竜の身体に慣れてなくて、自分の大きさを把握しきれないんです」

「ふ、ふざけるな!」


 僕の直ぐそばにいたヴィンセントが、怒りにまかせて襲いかかってくる。

 けれど。

 僕が振り向いて彼の方を見た途端、ヴィンセントはすくみ上がって動かなくなった。


「ばば、化け……」


 身体中に鱗が発現していた。

 角も生えてきてる。

 それだけで、随分気持ち悪く見えるんだろう。


「さっきの威勢はどこに行きました? 僕のこと、飼い慣らすとか何とか、言ってたじゃないですか」


 僕の身体が完全にヴィンセントの方を向くと、彼は腰を抜かして、よろよろと床にへたり込んだ。


「た、タイガ! ここで竜化するのは、止めましょう。もっと広い場所に」


 ローラ様は慌てた様子で、僕を制するように声を発した。


「広い場所?」

「……え、ええ。広い場所」

「砂漠の真ん中にでも落とす気ですか」

「そんなことをしたら、怒り狂ったあなたが私達を食べてしまうでしょう? 石柱の、上空に」


 上空。

 ああ、そうだった。

 この人は僕を、空の上で竜化させた。塔を破壊させないため。そして、僕の逃げ場を断つため。


「いいですけど、杭の天辺よりは高度下げてくださいよ。触れないと壊せない」


 僕の返事を待ってから、ローラ様はパチンと指を弾いた。






 ――僕らを囲っていた、全ての壁が取り払われた。






「きゃっ?!」


 リサさんの小さな悲鳴。

 協議会場にいた僕ら全員が、そのままの配置で空の上、見えない床の上に放り出された。

 椅子に座っていたリサさんが尻餅をついて、同じく座りっぱなしだった父さんは前のめりになって見えない床にうずくまっている。

 他の人達はこうなることを知っていたのか、極端に驚いた様子はない。

 そんなことより、僕が何をしでかすか、そっちの方が気がかりらしい。

 雲一つない空。

 気持ちいいくらい強い風。

 眼下には住宅街が広がっている。杭がギリギリ触れる程度には高い位置。

 高層ビルの連なるオフィス街からは少し遠い。高層マンションが数棟、街並みから突き出しているのが見えた。

 杭まで数メートル。

 なかなか際どい位置に飛ばしてくれたようだ。


「ローラ、下を見て。マスコミが」


 シャノンが冷や汗を垂らし、震えた声で言った。

 既に、杭の周囲をマスコミのロゴ入りエアカーが囲っていた。

 幸いなことに、彼らはまだ僕らの存在には気付いていない。杭の根元で避難を訴える騎士団の様子、実際に避難する人々、避難誘導に抗議する人達の様子を上空から撮影しているようだ。


「会場周辺にいたマスコミが、司祭の避難誘導を受けてこちらに向かった可能性がある」


 と、ルーク。

 フュームは「いや」と首を横に振った。


「司祭が避難誘導したとして、エアカーを使ってもここまで移動してくるのに相当時間はかかるはずだ。マスコミ各社が連絡を受けて、別の取材チームを派遣したんだろう。ニグ・ドラコ地区のオフィス街にはマスコミ関係も多い。神の子を取り戻せる前提でマスコミを呼んだのがあだとなったな」

「……わざと、司祭を逃がしたのね」


 シャノンがこちらを睨んできた。長めのコートが風を孕み、バタバタと音を立てている。


「神の子は、わざと司祭を逃がした。神の子が白い竜になること、石柱を壊しに行くことを触れて回るように言ってあったんでしょう。それを受けて、各社が石柱に集結した。マスコミに自分の姿を晒すことになるわよ! こんな化け物が実在することを知ったら、白い竜が暴れ回る姿を見たら、世界中大混乱よ! なんてことをしてくれるの?!」


 足元の、見えない床の感触を確かめながら、僕はシャノンの言葉を無視して、杭の方に歩き出した。

 一緒に飛ばされてきた二号は、未だピーピー警報を鳴らし続けている。まだ魔法は効いてるのに、怒りで数値が跳ね上がってるんだ。

 この状態でも数値が高いらしいってのに、もし仮に魔法が切れたらどうなるか。

 怖い。

 怖いけど、本当の僕を見せずに事態が好転するとも思えない。


「二号、壊れないように、竜化したらまた僕の耳の裏にでも移動させてくださいね」


 聞いているのかどうか分からないけど、とりあえずビビさんとレンさんに向けて話してみる。


『了解。タイガ、もし意思疎通可能なら、またタブレットの方に声飛ばして』


 答えてくれたのは、ビビさんだった。

 近くにはウォルターさんとイザベラさんもいるはずだ。

 二人が聞いていることを信じて、続ける。


「タブレットが近くにないから、今回は難しいかな。ウォルターさん、避難誘導ありがとうございました。今から、やります」

『タイガ、私です、ウォルターです。……大丈夫ですか』


 何も、言えなかった。

 言ったら、そのまま五傑の前で、無様な僕の心を晒すことになりそうだった。

 杭のすぐ前に来た。

 ローラ様が作った透明な床から、杭の天辺までは数メートル。

 相変わらずそれは不気味な黒色で、天辺まで綺麗に磨かれていた。

 杭の表面に、醜い僕の姿が映っている。

 レグルみたいに、バランス良く半竜の姿が保てればいいのに、僕はまだそこに達しない。


「さ、触らないで! 化け物に!」


 シャノンが叫んだ。

 僕は無視して、杭に手を触れる。


「あ……ッ!!」


 触ったところで何も起こらないと伝えたはずだし、映像も見せた。

 なのに塔の連中はビビって声を上げた。

 本当に、目に見えるものしか信じてないんだ、この人達は。

 

「白い竜だけが、杭に触れるのを許されている。杭の中に閉じ込められた暗黒魔法は僕の中で発動する」


 怯え、恐怖の色に包まれた塔の連中に、僕はグルッと目配せする。

 ヴィンセントは腰を抜かしたまま。失意のシバ。威勢の良かったシャノンも、ローラ様も、顔を青くしている。ヒュームとルークは怯えながらもどうにか僕に立ち向かおうと剣を構えてはいる。

 今に、マスコミが上空での出来事に気付くはずだ。

 リサさんの魔法を止めたら、多分、僕は冷静でいられなくなる。その上で暗黒魔法も浴びなきゃならない。


「隠してなんか、おけなくなる。世界は、白い竜を目の当たりにする。塔の魔女と五傑がどう動くのか、全世界が注目する。絶対に、止めてくださいね、僕のこと」


 視界の端っこで、リサさんが立ち上がったのが見えた。

 高いところに少しは慣れたのか、杏色も落ち着いているようだ。


「リサさん。魔法、止めて貰えるかな。僕にかけ続けている魔法を止めて、そしたら直ぐにグレッグさんと一緒に転移魔法で逃げて。グレッグさんは転移魔法、お願いします。リサさんが魔法を止めたら、多分僕は直ぐにおかしくなると思うから、巻き込まれる前に転移してください。リサさんに何かあったら、僕は人間に戻れなくなるかも知れない。守ってあげてください。お願いします」


 グレッグさんが分かったと頷きながら、リサさんの方に近付いていく。


「……いいの、本当に」


 リサさんは心配そうに僕の方を見ているようだけれど、なるべく、目は合わせない。


「――ちょっと! 上!! 何かいる!!」


 杭の周辺を旋回していたエアカーの一つが、僕らの存在に気付いた。

 次々に、エアカーが向きを変えていく。

 こちらに、近付いてくる。


「ローラ、この床、神の子の攻撃を防いだりは……」


 シャノンが震えた声で尋ねている。


「単に、擬似的な床を張っただけ。魔法なんて、弾かない。攻撃も、防げない。それどころか、術中にいる者以外には、無効――……」


 気が付くと、僕らの周囲をグルッと、マスコミのエアカーが十数台取り囲んでいた。

 窓から顔を出してカメラを回す人、実況中継してる人の姿が見える。

 ヘリコプターより音が小さくて、小回りが利いてて、その分手軽に、こうやって僕らの直ぐそばまで迫って来れるらしい。

 腰を抜かしていたヴィンセントが慌てて立ち上がり、両手をブンブン振り回してエアカーを遠ざけようとしていた。


「逃げろ!! 何撮ってんだ!!」


 けどその様子さえ、マスコミにとっては面白い絵なわけで。

 逃げるどころか益々距離を詰め、ヴィンセントにカメラを向けている。


「……ヴィン、退け」


 言ったのはシバだった。

 のっそりと立ち上がり、醜態をさらすヴィンセントの肩をグイッと除けた。

 空中に高速で描く魔法陣。――発動。

 シバを中心に広がる、巨大な結界。

 マスコミのエアカーは、膨れていく淡い緑色の結界に押されるようにして、どんどん遠のいていった。


「ローラの魔法を足場に、半径一キロ程度の半球状結界を築いた。こっちはリアレイトで結界は張りまくってるんだ。威勢が良いだけの、声がデカいだけの能力者とは格が違う」


 シバは僕に背を向けたまま。

 僕も、シバを見ないようにする。


「足元の住宅街にも、これでどうにか被害が及ばずに済むはずだ。――大河、大丈夫だ。私が、全力でお前を止める」


 その言葉を聞いて、少しだけ、頬が緩んだ。


「リサさん、お願い」


 リサさんがこくりと頷くのが見えた。

 グレッグさんが転移魔法の準備をする。


「じゃあ、魔法、止めるよ。三……、二……、一……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る