10. 最終期限

 気付くチャンスはあったはずだ。

 僕が力を使えるようになった頃、あいつはやたらと優しく声を掛けてきた。

 あいつだったのかどうか、実際のところは分からないけど、多分あいつだ。

 僕の夢に介入し、後ろ向きになりがちな僕の背中を何度も叩いた。

 どうにかして、あいつは僕に力を使わせなくちゃならなかった。強くなって貰わなくちゃならなかった。

 ――なのに僕はてんで弱くて、グズで、のろまだった。

 雷斗の方が強いとどやされた。お前が弱いせいで世界は滅びると脅された。


 ……時間が、なかったんだ。


 あいつは、あいつでいる時間を必死に繋いで、僕にどうにか強くなるよう促していた。

 直接的な言葉は伝えられない。

 あいつの身体は一人だけのものじゃないからだ。

 誰にも相談できない、誰にも頼れない、誰にも理解されない。

 だからヤツはこんなに遠回しに、妙なゲームまで押っ始めた。

 結局僕もあいつも、そういう生き方しか出来ないんだ。

 どんだけ、どんだけ不器用なんだよ、凌――……!!


「“あいつ”って、凌のことか」


 テーブルの向こう側で、シバがゴクリと唾を飲み込んだのが見えた。

 僕の言葉の意味に気付いたのかどうか、驚きの色が強く出る。

 立ち上がったままテーブルに手を付いて、僕はこくりと頷き返す。


「あいつが何を考えているのか、なんでこんなことを始めたのか、やっと、分かった」


 シバは僕の特性を弾いていて、心の中を窺い知ることは出来ない。

 けれど何となく、僕が何を言いたいのか、分かったような顔をしている。……気がする。


「石柱は、ゼンの仕業じゃないのか?」


 とシバ。

 僕は首を横に振る。


「違う。あれは凌がやったんだ。ゼンじゃない。ゲームの主催者は凌だ」

「何を言ってる。あいつはこの世界を救ったんだぞ? なのにどうして、自分で壊すような真似を」

「杭は必ず期間内に破壊される。分かっていてあいつは僕にこんなゲームを課したんだ。限られた時間の中であいつは、僕を強くしなくちゃならなかった。破壊竜を倒せるのは、ヤツと同じ白い竜だけだから。……そうだ。あいつはそう言った。言ってたのに、頭に血が上ってて、まともに言葉が入ってこなかった」


 魔法学校で遭遇した時点で、あいつはしっかりと言ったんだ。

 ――倒しに来いと。

 あの時点で僕は全部察しなくちゃならなかった。なのに、僕はあいつを、ただ頭の狂ったヤバいヤツだとばかり。



「あいつにはもう、力が残されていない。あの時提示された“五年”は、あいつが破壊竜ドレグ・ルゴラに完全に支配される、最終期限だ」



 僕が発した言葉は、協議会場に漂っていた色を一気に変えた。

 不安定な神の子の存在を訝っていた疑念の色から、再び繰り返されるだろう悪夢を目前にした恐怖の色へ。

 塔の面々だけじゃなく、教会側の人間も、息を呑んでいた。

 急に何を言い出したのかと、みんな思っているに違いない。

 それでも、言わない訳にはいかなかった。


「最終、期限……?」


 最初に口を開いたのは、緑髪のシャノンだった。

 青系のリップを震わせて、声を出すのもやっとのようだ。


「つまり……、残り、一年と十ヶ月で、破壊竜ドレグ・ルゴラが復活する……、と」


 スキンヘッドのフュームが目をガン開きにして、僕を見た。

 そうですと、僕は頷き返す。


「『五年だけ、全力でゼンを止める。待ってやるから、その間に強くなって自分を倒しに来い』。あいつは恐らく、そういう理屈でゲームを始めた。……なのに僕は、三年二ヶ月も眠っていた。気付くのが遅すぎた。もっと早く気付いていれば。そもそも、僕がもっと早く目覚めていれば」

「だとしたら、納得出来ます……! リョウゼンのあの行動、ゲームの意味も」


 同調したのはウォルターさんだ。


「私も、それなら理解できる」


 リサさんもうんうん頷いている。

 あの夜、一緒にレグルと会った二人が、互いに頷き合っている。


「とても怖かったけど、声のかけ方が……、ずっと引っかかってた。レグル様があんな顔をしたのは、あんな風に言ったのは、やっぱり……!」

「自分は犠牲になるつもりだった。タイガに全てを託した。――あの方ならば、やりかねません。短期間でタイガを強くする、そのために石柱を破壊させる。……しかし、だからと言って暗黒魔法なんて、あんまりにも」

「凌は、焦ってる」


 僕はギュッと拳を握った。


「魔法学校に現れた時、言ってたんだ。『この姿を保つのはしんどい』って。リアレイトに干渉できなくなったあとも、幽閉されてからも、あいつの身体の中で、凌は生きてた。僕が眠らされる直前まで、あいつは僕の夢に介入することも、遠くから救いの手を差し伸べることも出来ていた。大聖堂で会ってから先、あいつは僕に何も伝えてこない。今、あいつは必死になって止めてるに違いない。残された力を使って、ゼンを止めてる。あいつが完全に、破壊竜ドレグ・ルゴラになってしまう前に、僕はあいつより強くならなくちゃならない」

「……そのために、リョウが用意したのが暗黒魔法で満たされた石柱だったとして」


 ローラ様が厳しい顔を僕に向ける。


「壊す度にあなたは破壊竜に近付いていく。それを、塔も許容するようにと言いたいのかしら?」

「僕だって好きでやってるわけじゃない。有効な手段もないなら、つべこべ言わずに協力してくれって言ってるんです」

「協力?」

「石柱を壊す度に、僕は暗黒魔法に冒されるはずです。勿論、僕も全力で抵抗しますが、限界がある。破壊行動に及ぶことも考えられる。そうなる前に、僕を全力で止めて欲しい」


「……めちゃくちゃですわね。暗黒魔法を浴びせるなんて、リョウはタイガを破壊竜にする気満々ではありませんか。私達の考えが浅かったのか、それともリョウの考えた打開策が酷すぎたのか。まともじゃありませんわ」

「まともじゃない? 塔だって元々僕を、破壊竜を倒す道具にしたかったくせに」

「『白い竜にしか破壊竜は倒せない』とレグル様は仰った。この世界に存在する唯一の白い竜に縋るのは、何もおかしなことではないでしょう。だけどリョウは、世界を救うために、あなたを破壊竜にしようとしている。まともじゃない。理解できませんわ」


「理解なんて、最初から期待してない」

「随分生意気な口を叩きますのね。前に会ったときは萎縮して、まともに目を見ることも出来なかったのに。リョウはもっと賢かった。シバだって、そんな口の利き方をするような教育はしなかったでしょう。……かの竜に、毒されているのかしら」


 嫌な言い方をする。

 僕はローラ様を睨み付け、ギリリと奥歯を噛んだ。


「毒されもするよ。だから何。塔は理解の出来ないことには協力できない、勝手にしろって言い続けるつもり?」

「大河君、落ち着こう」


 テーブルに身を乗り出して、力の入る僕を、リサさんは止めようとする。

 だけど、だけどそんな言い方。


「――理解が出来ないと言えば」


 話に水を差したのは、端の席に座ったヴィンセントだった。

 椅子の背に身を預けて、顎をさすりながら、僕らの顔を一人ずつじっと眺めては首を傾げている。


「教会は、レグル様の幽閉について、何かしら隠してるよな」


 教会側の人間が、ピクリと反応しているのが目に入る。

 ヴィンセントは顎をクイッとこっちに向け、話を続けた。


「教会はレグル様を幽閉したと聞いている。なのに、その幽閉していたはずのレグル様が柱をぶっ刺したり、神の子を焚き付けたりしてきたって話。……どうなってんの? 矛盾してるよね。警備体制は? レグル様は今どこで何をなさっている? 一つでも信じられない話があると、全部信じられなくなる。で、どう? あんた達は答えられんの?」

「……幽閉、していたのですが」


 と、苦々しい顔をするウォルターさん。


「幽閉というよりも、……封印、です。信じて頂けないとは思いますが、あの方は自ら、それを望んだのです。望んで、森の奥深く、竜石で四方を囲まれた遺跡に封印された」

「封印、ですって……?!」

「封印……ッ?!」


 塔の面々がざわめき立った。


「説明なさい! 司祭! 教会は一体何を隠しているの?!」


 シャノンがか細い拳でテーブルを強く叩いた。

 ウォルターさんは、すみませんと額を手で抑え、小さく頭を横に振った。


「ええ、封印です。リョウゼンの身体は、徐々にゼンに、……かの竜に支配されつつあった。リアレイトでの生活を失い、レグルノーラでも自由に身動きが取れなかったあの方は、どんどん追い詰められていきました。あの方の中で、リョウと、ゼンと、リョウゼンのバランスが崩れていたことに、私は気が付きませんでした。事件が起きました。ゼンがミオを殺したのです。取り返しの付かないことをした、早く幽閉して欲しいと懇願され、私達はその意思を尊重しました。その後、私達は遺跡に近寄ることもしなかった。それが、いつの間にかご自分で封印を解き……、今は、どこにいらっしゃるのか、皆目、見当も」


「……その話も、初めてですわね、司祭。ミオの行方不明には教会は関わっていなかったと? ゼンがやった? だとしたら、レグルはずっと前から、その意識をゼンに、破壊竜に乗っ取られていたことになりますわよね。どうしてそんな大事な話を、してくださらなかったのです。全て話してくださっていれば、教会はあらぬ疑いをかけられずに済んでいたはずですのに」


 中央の席から、ローラ様が端正な顔を歪ませてウォルターさんを睨んでいる。

 怒りの色が、真珠色に重なって広がっていくのが見える。


「私は、あの方の名誉を守らねばならないと思っていましたから」

「話す気になったのは、タイガが目を覚ましたからですか」

「ええ、そうです。タイガは事情を知っています。その上で、長い間リョウゼンとの交流があった我々を、信じてくれている。タイガは、このあとも引き続き、我々古代神教会が預かります。当然、タイガの意思も確認しています。このような状態ですから、恐らくタイガは、もう二度とリアレイトでは暮らしていけないでしょう。その点はシバにもご理解いただけたのではと」


 ウォルターさんに話を振られたシバは、腕組みし、ふぅと長くため息をついた。


「司祭。……リサの魔法がなくなると、大河はどうなりますか」

「試していません。が、恐らく、今の姿は保てなくなる」

「私が魔法で力を押さえ込めば」

「難しいでしょうね。彼女の魔法は特殊です。リアレイトでどれほどの力が使えるのか存じませんが、リスクが大き過ぎます。暴走した場合、貴殿一人でどうなさるおつもりですか」


 シバは手で顔を覆った。

 肩を震わし、「分かりました」と小さく呟く。


「親としては、出来る限りこの妙な争いごとから、大河を引き離したかったところですが。……諦めます。私の一存でどうにか出来る問題じゃない。塔側も、早々に手を引いた方がいい。どうしても関わりたいのであれば、教会に協力する形で手を打つべきだ」

「シバ!!」


 項垂れるシバの隣で、シャノンが大きな声を出した。


「実の子同然に育て、匿ってきたあなたが何を言い出すのです。教会にタイガを生け贄として差し出すのですか?」

「たかが一干渉者が口を出せる事態じゃないからです。世界の命運がかかっている。大河も覚悟している」

「協議の度に頭を下げ、懇願してきたというのにあなたという人は!」

「シャノン、私は一時的に大河を預かっていただけだ。今度は教会が、私の代わりを務める。それだけの話。……司祭、可能であれば、あとで大河と二人だけで話をしても?」


 チラリと上げたシバの顔は、さっきよりくたびれていたが、青ざめてはいなかった。


「勿論です。タイガも、いいですね」


 ウォルターさんは僕の方を見てこくりと頷き、手で座るよう合図した。

 僕は何度か頷いて、いそいそと椅子に座り直した。

 頷いているのを見て、シバはちょっとホッとしたように、頬を緩めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る