9. 演じている
「……そうです。人間の肉が食いたくなった」
会場内に漂っていた警戒色が、急激に恐怖の色へと置き換わっていく。
口の中が酸っぱくなる。
食べたことなんてない人肉の味が口の中に再現されて、周囲にいる人達が美味そうに見えてくる。
「魔力を帯びた人間の肉は、栄養価が高くて美味い。竜化して力を使い果たし、飢餓状態だった僕の身体が本能的に人肉を欲したから、近くにいたノエルさんを食おうとした。阻止された。あの時は本気で、人間の肉を食わないと死ぬくらいの気持ちだった。食えば落ち着く。なのに阻止された……!」
顔を上げると、真ん前に絶句したシバの顔があった。
最悪だ。
一番聞かれたくない話を、一番聞かれたくない人の前で話すとか。
「それは本心? 本気でそんなことを考えていたの?」
ローラ様は容赦ない。
僕はそうですと深く頷いてみせる。
「タイガ、ちょっと落ち着こう。数値が上がってきてる」
何を言ってる。
ビビさんがけしかけてきたくせに。
「今も思ってるって言ったら、ローラ様はどうしますか」
ローラ様の顔が曇る。
「魔力が高い程、肉は美味いんですよ。つまり、最上級品の人肉がここに揃ってる。食いたくて堪らなくなってきたって言ったら、どうしますか。僕を殺しますか。他に、あの杭を壊す手立てもないのに。そのままにしていたら、杭は世界を壊すって知ってるのに」
「タイガ、誤解を与えるような言い方はやめましょう」
イザベラさんがスッと手を出し、僕を制した。
「けど! 嘘はつくなって」
「タイガが正直なのは認めます。口元、だらしなくなってきていますよ。気を付けて」
口元?
言われて気付いた。
よだれだ。クソッ。
今は別に、そんな気持ちにはなってないはずなのに。
「暗黒魔法がタイガの中で発動して、直接作用した結果、白い竜としての本能が目を覚ました、と言えばおわかりになりますか。直ぐそばで見ていましたけれど、タイガは人間を襲いたくて襲っているわけではないようでしたよ。意識が混濁して、本能的に襲ってしまったような感じに見えました。ですから、自分の取った行動に対して、あとになって激しく落ち込んでいました」
イザベラさんは僕を庇うような言い方をした。
僕に気を遣っているのか、白い竜の記憶が見えている話はしっかりすっ飛ばしてくれている。
ありがたい。けど、結局そこを誤魔化している限り、本当のことは伝わらないわけで。かと言って、塔の連中が僕をどう扱おうとしているのか考えると、伝えるわけにもいかない。なかなか、難しい問題だ。
「白い竜にしか、柱は壊せない。しかし、石柱を壊せば暗黒魔法が発動し、神の子を、より破壊竜に近付ける。……そう、思わざるを得ない状況でした」
イザベラさんの言葉を受けて、ライナスさんがそう続けた。
塔の面々は、何も言わずにじっと耳を傾けている。
「石柱の暗黒魔法は、他の生物を魔物に変えるだけでなく、神の子を破壊竜に変える力も持っているようです。間近で変貌ぶりを見ましたが、これがあと十一回続くと考えると……、とても、耐えられそうにない。本人の意思とは関係なく、化け物になってしまう訳ですからね。とても恐ろしい事だと思います。その光景を目の当たりにした竜騎兵が、『神の子を助けられないか』と懇願するのも理解できます。私は今でも、神の子が嫌いです。それでも、他に世界を救う手立てがなく、自分が犠牲になっても厭わないという信念が垣間見えるからこそ、どうにか出来ないかと思ってしまうのです。このまま石柱を放置しておけば、いずれ世界は滅んでしまう。我々教会側だけで石柱を守り、神の子を支えていくのには限界があります。どうか、塔の皆様方にも、ご協力いただけないでしょうか」
「……それで?」
ライナスさんがひとしきり話し終えるとすぐに、シャノンがぽつりと言った。
「それで、その危険で不安定な神の子に、同情しなさいということですか?」
「別に、私はそんなつもりは」
「副団長ライナス、申し訳ないけれど、あなたの身の上話や、感動を誘うストーリーラインは必要としていないの。要するに、私達が考える“神の子”像と、現実は違うと、そういうことかしら。レグル様とは違って、神の子は自らをコントロール出来ておらず、いつ破壊竜になってもおかしくない、今すぐにでも人間を襲うかも知れない恐ろしい存在であると。それでも、あの忌々しい柱を壊せるのは神の子だけであるから、我々にも協力するようにと。……そういうこと、かしら?」
冷酷だと資料にあったように、シャノンは淡々と言った。
「どう、ローラ。神の子が危険だという話は納得できるとして、このまま教会に神の子を任せることに関しては……、私はあまりよろしいとは思わないけれど」
「そうですね。今の話が全て本当なのだとしたら、教会はドレグ・ルゴラと同等の力を持つ破壊竜が生まれることを許容している、とも捉えられる。以前と随分事情が変わっていますから、単純に返してくださいと言うわけにもいかなくなってしまいましたね。私達はあくまで、タイガが自分の力を操りきれない程度ではないかと思っていました。そこまで危険な状態であるとは認識していなかったわけですから」
「人間を見たら肉だと思うようなヤツを、放置しているのがまず問題だな」
横から口を出したのはヴィンセント。席に戻りながら、ギロリと僕を睨んだ。
「未だ力は不安定、ドレグ・ルゴラほど強いわけじゃない。だとしたら、今のうちにさっさと息の根を止めた方がいいんじゃないか。幾ら救世主の血を引いているとはいえ、破壊竜の血の方が勝ってる状態なんだろ。殺すしかないでしょ、こんなの」
「私もヴィンの意見に賛成しますね。救世主リョウとは違う。闇の力とまでは行かないが、とても邪悪な気配がしている。早めに葬り去るべきでしょう」
ルークも自分の席に戻って、フンと鼻を鳴らしている。
「私は、そうは思わないが」
腕を組み、難しい顔をしながらそう言ったのは、年長のヒュームだった。
目を閉じ、口をひん曲げて唸った後、身体をこちら側に向け、「シバ」と声を掛けた。
「長年成長を見守ってきたお前から見て、タイガの言動におかしなところはないか。あくまで、目の前の人間がタイガなのだと仮定して、だが」
ヒュームはシバに話を振った。
僕に遠慮してなるべく何も話さないようにしていたのか、じっと口を噤んでいたシバは、眉間にしわを寄せて、長く息を吐いた。
「……そう、ですね。目の前の人間が大河かどうか、と言う点に関しては、間違いなく大河だと思います。確かに見た目は変わったが、私を見る目つき、仕草、雰囲気なんかが急に変わったりすることはないだろうし。相手をわざと傷つけるような話し方なんか、来澄そっくりだ。あ……、来澄というのは、凌の名字で。つまり、レグルのことです。思わずレグルだと思ってしまうくらい似ていた。だから、目の前の彼は大河で間違いない」
シバの声のトーンは低かった。
僕の顔を直視できないのか、シバは少し視線を下に落としている。
「大河は昔から、相手の気持ちを察するのが上手く……、やたら“忖度”するような子でした。相手が思い描く方に、自分を寄せてしまう、と言うんですか。大河は幼少の頃から、一般的な日本人とは容姿が違っていたので……、向こうでは、黒髪、黒目が多かったのもあって、相手とは違う自分について、やたらと思い悩んでいたようですが、親である私と妻には一切そういったことは伝えず、“そんなことで悩んだりしない自分”を演じている節がありました。悩んでいる様子を見せれば、心配されますからね。我慢していたんでしょう。後になってから、何も話してこなかったことを酷く責められました」
フッと、シバは小さく笑った。
シバもシバで、僕の特性に関して上手く誤魔化している。やはり、簡単に誰かに教えちゃいけない力なんだと思う。そのくらい、相手の心が見えるのは、ヤバいってこと。
話は続く。
「大河は、演じているんでしょう。破壊竜の血を引いてしまった自分、もうすぐ破壊竜になるかも知れない自分が、相手からどう見えているのか察して、相手が自分を善とみなせばそのように、悪とみなせばそのように見えるよう、無意識に演じている。――両極端なんですよ。救世主か、破壊竜か。どちらかに自分を置いておかないと、心がバラバラになってしまうんじゃないかとか、そういうことをどこかで考えている。今は破壊竜の力が強まっている。周囲も警戒している。警戒した方がいいと思っている。だから、警戒させてやろうと本能が働く。つまり大河はわざと、大袈裟に、こういう態度に出ているのではないかと」
僕の方をチラチラ見て、時折髪を撫で、困ったような顔をしながらシバは言った。
「演じているわけじゃない。僕という存在が如何に危険なのか、分かっていないのはシバ、あんただ」
鼻で笑ってやる。
けれどシバは、眉尻を下げ、また小さく笑う。
「だからそういうところだよ、大河。わざと悪者ぶって、自分を傷つける。来澄も同じだった。だから知ってる。世界を救うため、犠牲となることが決まっている。躊躇なく自分を犠牲にして貰うためには、相手に反感を持って貰った方が都合がいい。要するに、お前如きがどんなに傷つこうと、相手の心が微塵も痛まないように、悪を演じている。本当は心が潰れそうなくせに、わざとだ。怖いなら怖いと言えば良い。本当は、破壊竜になんかなりたくないんだろう? それでも、世界を救うため杭を全て壊していけば、どんどん破壊竜に近付いていくことが分かってしまった。破壊竜になれば、今度は人間達がこぞって自分を倒そうと、刃を向けてくることも分かっている。だから、わざと自分は恐ろしい竜で、いつでも人間を殺せる、食うことも出来ると相手に見せつける。本心じゃなくても、本当は誰も傷つけたくなくても、そんなことはどうでもいいらしい。自分が傷付くことに関しては、何の問題もないと思っている。結果的に、相手にとって犠牲の少ない方を、心が痛まない方を選んでいる。お前ら親子はいつもそうやって――……」
「――待って!」
僕は思わず、シバの言葉を遮っていた。
ガタッと立ち上がる。
立ち上がって頭を抑え、僕は凌の言動を、レグルの言葉を、ゼンの悲しみを思い出す。
シバは驚いて、ビクッと身体を揺らしている。
「今、凄く大事なことを言ったよね」
「大事なこと?」
「大事なこと。もの凄く大事なことを言った。……気付かなかった。気付いてやれなかった。そうだよ、あいつはあくまで、世界を救いたかった。こんな風になるなんて、こんなにめちゃくちゃになるなんて思ってなかった。救わなくちゃならないんだ。だから、だから僕にこんなことをさせて、どうにかして欲しいと」
「大河、落ち着きなさい。何を言って」
「分からない? あいつは訴えてたんだ。ずっと。誰かがそれに気が付くまで……!」
身体の中から、ボコボコと何かが湧き上がってくるような感覚があった。
ずっと引っかかっていた違和感が、ハッキリと僕の中に姿を見せた瞬間だった。
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