8. 針のむしろ
「二十年前の話です。私の両親は、正にこの場所、干渉者協会の本部で働いていました。協会の建物はかの竜の襲撃により全て破壊されました。犠牲となった人間は骨まで消し飛び、跡形も残らなかった。私は一度に両親を失い、七歳で孤児となりました。運良く古代神教会に拾われ、今があります。要するに、私はかの竜にも、それを取り込んだあの方にも、その血を引く神の子にも、良い感情は全く持ち合わせていません。ですから、三年前に神の子を捕らえるためにリアレイトに飛んだときも、私情を優先して良いならば、手加減せず殺していたかも知れないくらいです」
ライナスさんは突然、自分の身の上を話し出した。
古代神教会には、親をかの竜に殺された人が沢山いるらしいことは知っていた。
ウォルターさんはレグルを“リョウゼン”と親しみを込めて呼び、受け入れていたけれど、教会の中にはレグルに恨みを持つ者も沢山いたようだ。
「当然、その感情を押し殺し、今まで生きていましたし、そうすることが正しいと信じています。それでも、嫌いなものは嫌いです。神の子は、私の人生を狂わせた恐ろしい竜の血を引いている。それだけで虫唾が走ります。かといって、任務を怠るのはもっと嫌いですから、私は与えられた任務を全うすべく、リアレイトに向かい、神の子を襲いました。私と神の子は、そういう関係であることを、まず念頭に置いて頂きたい」
塔の面々も、ライナスさんの話にじっと耳を傾けている。
シバも、空色をくすませて、更に不快感と苛立ちを混ぜたような色を周囲に漂わせている。
「昨日、石柱を破壊するために現れた神の子と再会したときには、うっかり吐き気を催しました。三年前とは違う。明らかに、人間ではない気配がしていました。かなり、竜の気配が濃くなっていた。今日その気配がしないのは、そこにいるリサが、普段以上に神の子の力を魔法で抑制しているからにほかなりません。
しかし、それ以外は普通の少年に見えました。神の子は年相応にフランクに挨拶を交わし、教会の人間とも上手くやっているようでした。竜石柱には、触っただけで魔物化してしまうほど、強力な暗黒魔法が込められています。唯一石柱を破壊できる神の子ならば、触れても大丈夫なのではないかと仮定し、試してみることになったようです。神の子一人だけが石柱の前に残り、私達神教騎士は安全な丘の上に退去し、そこから成り行きを見守ることになりました」
ライナスさんは、ふぅと息をついた。
そしてビビさんに、「映像、用意してますか」と尋ねる。
ビビさんはもちろんとばかりにタブレットに再び映像を映し始めた。
「そこの、丸い妙なロボットで、神の子の観測をしていたようです。映像にもあるように、神の子は石柱に触れても魔物化していません。ここで、神の子だけが石柱に触れられることが立証されました。竜化した後、石柱に触っても、やはり変化はなかったようです」
「ライナス、ここからは私が」
ビビさんが片手を軽く上げ、説明役が交代する。
「客観的に状態を把握するため、私達は継続的に、タイガの竜化値と魔力値を測定しています。竜化値というのは、便宜上、そう呼んでいるだけで、あくまで指標のようなものだと理解してください。タイガが、どのくらい竜に近付いているか、という値です。平常時をゼロとして、完全に竜の姿になった時を一〇〇とする。“竜の気配”と特性持ちが言うアレを、数値化したものです。タイガが素手で石柱に触っても、これらの値は全く変化しなかった。もし、他の生物と同じように、石柱に触れただけでも魔物化してしまうのであれば、この竜化値と魔力値にも何か変化があるはずだと思っていました。タイガにそれはなかった。つまり、タイガは石柱を破壊するために、触れることを許可されているのだと、断定できました」
ビビさんはウォルター司祭に、映像を見せる方のタブレットを渡して、塔側に見えるよう設置して欲しいと手で合図した。そして自分はもう一つの、僕の数値をモニタリングしている方のタブレットを操作して、石柱破壊直前の数値変化のグラフを提示していた。
グラフに興味を示したルークとヴィンセントは、席を立って、ビビさんのタブレット画面が見えるところまで近付いていた。
「竜化している間タイガは人語を話せませんが、声をタブレットのスピーカーを介し具現化させることで、意思疎通も可能でした。この時、タイガの魔力値は一〇万を超えています。平均的な能力者の魔力値を一〇〇として、タイガの平常時の魔力値は五〇〇前後。数字だけ見れば高いようにも思えますが、あの巨体ですから、数値は妥当でしょう。途中、市民部隊の竜騎兵が、白い竜が暴れているのだと勘違いして襲ってきた場面もありましたが、その中でもタイガは、行動を誤解されることはあれど、相手に能動的に危害を与えるような動きはしていない。問題は、その後です」
映像の中で、パリンと大きな音が響いていた。
竜石で作られた巨大な杭が壊れる音。
……僕の、記憶が混濁し始めたのは、ここだ。
「竜化したタイガが石柱を砕くと、飛び散った竜石の欠片が一斉に赤黒く光り出しました。その光が、全て竜の身体に吸い込まれていったように見えた。その時に観測された魔法エネルギーを、特殊なセンサーを通して映像化したのがこれです。……分かりますか。破壊の瞬間に、石柱から膨大な量の魔法エネルギーが噴出してそれが全部、タイガの竜の身体に向かっている」
手元のタブレットの画像を切り替えて、ビビさんが淡々と説明を続ける。
僕の方からは見えないが、タイガ二号で撮られていた映像が、わかりやすく処理されているんだろうか。塔の面々は食い入るように画面を見つめている。
「あの巨大な柱を形成していた石の欠片が全部、竜に吸い込まれていきます。しかし、タイガ自身に急激な魔力値の上昇はない。その後、急激に竜化が解け、一旦は人間の姿に戻っています。ところが、それから少ししてノエルが声を掛けた直後、タイガが豹変します」
ビビさんが一旦喋るのをやめると、映像の音声が、会場内によく響いた。
場面は、僕が白い竜の記憶から意識を戻した直後だ。
『意識が混濁してる? 大丈夫かよ』
『ノエル! りゅ、竜化値が再上昇してる。様子がおかしい。離れた方が』
『は? 何言ってんだ、レン。別に竜化が進んでるようには』
『肉……』
『――何ッ?!』
『食わせろ……。食わせろよ……!!』
血に飢えた獣のように、映像の中の僕は、とんでもないことを叫んでいた。
な、何だこれ……!!
僕はグシャグシャッと、両手で頭を掻きむしった。
ヤバい。ヤバいヤバいヤバい……!!
あの時は人肉を喰らうことしか頭になかったけど、冷静に考えて、これは……!!
「再び竜化しかけたタイガがノエルを襲いました。ノエルは右上腕を負傷し、病院で治療を受けています。場に居合わせたリサやレンの話では、本当に突然、おかしくなったのだと。この時何が起きていたかは、タイガ本人にしか分からない。……タイガ、説明できる?」
ビビさんは急に、僕に話を振った。
タブレットの映像が止まり、静かになる。
気が付くと、塔側の六人がみんな、僕を注視していた。
「せ、説明って、何をですか」
「聞いてないの? 君がノエルを襲ったとき、君の中で何が起きてたのか訊いてる」
ビビさんはちょっとイラッとしたのか、舌打ちまで聞こえてきた。
いや、それは分かってるんだけど。
「『食わせろ』の、意味は?」
ローラ様の声が、会場に響く。
「タイガ、あなたは何を食べたかったの」
またこの質問だ。あれ以来、何度も何度も。
少しでもあの感覚を忘れたいと思っているのに。
「の、ノエルさんを」
怖い。
凄まじい強さの警戒色。
嘘はつけない。
けど、言ったところで地獄しか見えないわけで。
いや、ここで弁明したところで、僕がそういう存在だってことに変わりはない。
言うしかない。
心臓が、バクバクしてくる。手に、額に、汗が滲む。
「ノエルさんの肉を、食おうと」
喉が渇く。
息が苦しくなる。
……ダメだ。リサさんに抑えて貰ってるはずなのに、身体の奥から力が溢れ出していくのが分かる。
ピピッと二号が僕の数値の変化を察知した。
リサさんも気付いて、僕の膝に手を当てる。
「ノエルを? どういうこと? 急に、ノエルが食べたくなった?」
いい加減にしてくれ……!
なんでまた、同じ質問を。
僕はギュッと拳を握った。
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