4. 世界を救うために

「……タイガ、聞こえてますか? タイガ?」


 ウォルターさんの声にハッとして、僕は顔を上げた。

 会議室だ。

 そうだ、打ち合わせ。

 ウォルターさん、イザベラさん、ビビさん、それからリサさんと僕。五人で塔との協議

に向かうため、打ち合わせをしている最中だった。

 会議室のテーブルに資料を広げ、ウォルターさんが塔の五傑について僕に説明してくれていた……はずだ。

 残念だけど、何も聞いてなかった。

 何一つ、頭に入ってない。

 資料は顔写真付きで、誰がどんな経歴なのか細かく書いてある。レグル文字に不自由な僕のために、リサさんが日本語も併記してくれている。

 リストにはシバもいた。シバの写真を見ていたら、頭が痛くなって意識が朦朧としていったんだ。


「何……でしたっけ。すみません、よく、聞いてなくて」


 頭を掻いて誤魔化したけど、どう考えても不自然だ。僕のために時間を割いて作ってくれた資料なのに、聞いてなかったなんて。


「……隠してるね」


 ビビさんが斜め向かいから訝しげに僕を見ていた。


「か、隠してる?」

「データを見ても、暗黒魔法は君の身体に、それほど影響を及ぼしていなかった。強いて言えば竜化値の高止まりだ。おかしいよね。あの巨大な柱の欠片が君の中に全部吸い込まれたんだよ? それ以外何もないわけがない。見た目には何の影響も。じゃあ、――君の精神にはどんな影響を与えているのかな、と」


 ビビさんの柔らかな金髪がふわりと揺れる。

 不安と疑念の色が会議室に広がっていく。


「何のこと、ですか」


 強がって口角を上げる。

 ビビさんは僕の表情に眉尻を上げ、手元のタブレットを見ながらふぅとため息をついた。


「知っての通り、君の行動は全部記録されている。君のセリフを幾つか抜き取り、メモしていた。……『自分が白い竜だと思い込まされて』『白い竜の記憶が巡る』『僕自身があの白い竜になって苦しみ続けなきゃいけない』。君の言うこの“白い竜”ってのは、ドレグ・ルゴラのこと?」


 テーブルにタブレットを置き、上半身を乗り上げて、ビビさんは僕に迫った。

 薄い青色をした瞳が、疑念の色を強くしている。


「他に白い竜なんて存在しないんだから、そうに決まってるよね。黙ったところで無駄だよ。正直に言いなさい。君は今、誰」

「ビビ、その言い方は良くない」


 ウォルターさんは、隣からビビさんをいさめようとした。

 けれどその手を、ビビさんは払った。


「ウォルター、あんたも言ってたでしょ。『人肉が好物だったのは、ゼンだったはず』だって。単に白い竜の血を引く哀れな半竜でしかなかった彼が、暗黒魔法によって、かの竜そのものになっていくかも知れない可能性が出てきた。これがどういうことか分かる? 私達は知らず知らずのうちに、破壊竜を教会施設の地下で飼っていたってことになる。私は、世界を救うために協力していた。世界を壊すためじゃない。そこは履き違えないで」

「まだ、タイガがゼンになると決まったわけでは」


 横から口を挟んだイザベラさんを、ビビさんは睨んだ。


「実際に、ノエルが襲われた!」


 ビビさんは、バンと強くテーブルを叩いた。

 

「タイガはノエルを兄のように慕っていたと聞いていたけど? それすら分からなくなって、襲ったわけでしょ? 化け物よね、その時点で。ノエルが肉にしか見えてなかったんだから。今だって、私達をどう見ているのか、分かったもんじゃない。――で? 君は誰なの? なんて名前? 竜なのか、人間なのか、化け物なのか、何なのか。教えなさいよ!」


 あまりの迫力に、僕は萎縮した。

 歯を食いしばり、目を見開いて、椅子の背中に身体を寄せた。

 隣でリサさんが、僕とビビさんを交互に見ながら慌てている様子が視界に入ったけど、だからってどうすることも出来なくて。

 何を、望んでるんだ、ビビさんは。

 なんて言えば納得する。


「……芝山、大河です」


 情けないくらいに、声が震えている。


「君の個体の名前を聞いてるんじゃない。君の、中身の話」


 やっぱり。

 言ったところでビビさんが納得するわけない。


「僕はずっと、芝山大河のままです」

「そんなわけないでしょ。君がタイガのままなら、どうして人間を食べたくなったりするわけ? 人間は人間を食べない。誤魔化すのも大概にして」

「説明したところで、分かろうとしないじゃないですか」

「ハァ? 何言ってるの? 説明なんか、する気もないくせに」

「……説明したら、分かりますか。僕が僕でいるために、必死に立っていること」


 ビビさんは、淡泊な人だと思っていた。

 違う。

 単に、恐怖という感情を押し殺して、強がっていただけだ。

 当たり前だ。普通の人間に、僕という存在が理解出来るはずがないんだから。


「僕と関わると、ろくなことがない。ビビさんは教会の人間でもないし、塔の人間でもない。ましてや、凌の仲間でもない。わざわざ僕と関わらなくたっていいんですよ。無理せず、怖いならさっさと逃げた方がいい」

「ハアァ? 何言ってんの? 私は、世界を救うために!」


 ビビさんはとうとう、足までテーブルに乗り上げてしまった。

 イザベラさんが慌てて椅子から降り、ビビさんの後ろに回って止めてくださいと引っ張っている。けど、ビビさんの興奮は冷めなかった。青筋を立て、凄まじい形相で僕を睨み付けている。


「世界を救いたいなら、別の方法を探してください。僕は、どんなに頑張っても人間に恐怖を与えることしか出来ないらしいから。……怖い、ですよね。白い竜なんて」


 ビビさんの顔が、直視できない。

 自分が、どういう顔をしているのかも分からない。


「杭を破壊しない限り、世界は滅びる。僕はそれを止めたい。レグルノーラの人達を守りたい。それが、ヤツのリアレイト侵攻を阻止する唯一の手段らしいから、全力でやりますよ。だけどその過程で、僕は僕でなくなっていくかも知れない。杭を壊したことで、暗黒魔法が発動した。しかも、僕の中で。如何にしてあの狡猾な白い竜が破壊竜ドレグ・ルゴラになっていったか、かの竜の目線でずっと再生され続けてるなんて言って、ビビさんは信じてくれますか? 竜としての力が強まっていくだけなら、僕にも制御のしようがあった。けれど、今は違う。恐らく、杭を壊す度に暗黒魔法が発動して、僕の神経を狂わせていく。それでも、それしか道がないのだとしたら、僕はやります。いくらでもやります。やります、けど……!」


 言ってしまった。

 こんな余計なこと、言ったところで誰も理解しないのに。


「君は、ゼンの記憶を見ているのか?」


 ウォルターさんがポツリと言った。

 僕はチラリと顔を見て、こくんと頷いた。


「そうか。だから、人肉を求めて」


 合点がいったように、ウォルターさんはふむふむと唸っている。


「ゼンは、孤独な幼少期を過ごしたらしいと聞いています。竜達でさえ、鱗の白いゼンを受け入れなかったそうですからね。群れから離れ、度々人間を襲って生き延びていたのでしょう。可哀想だとは思いましたよ。これが人間の子どもならば、我々は直ぐにでも保護し、温かいご飯と寝る場所を提供するのにと」


 ウォルターさんが話し始めると、ビビさんは少し頭が冷えたらしい。テーブルの上に載せていた身体を戻し、椅子に座り直して、ウォルターさんの話に耳を傾け始めた。

 ビビさんが落ち着いたところを見てイザベラさんも元の席に戻り、ようやく会議室は静かな空間に戻ってきていた。


「孤独は闇を生みます。ゼンのそれは、この典型です」


 僕はまた、こくんと頷いた。


「その様子だと、タイガの頭で再生されるのは映像だけではありませんね。五感やゼンの感情さえ、ゼンが体験したまま再生されている。だから、人肉を欲した。彼の感覚が全部伝わっているから、食べたこともない人肉の味を知っていたんですね。……辛かったでしょう。自分の意思とは関係なく、相手の感覚が自分を支配していくのですから、こんなに辛いことはないと思いますよ」


「つまりタイガは、見えないものと戦っている?」


 と、ビビさん。

 ウォルターさんが「そのようです」と深く頷く。


「リョウゼンによると、ゼンは森を追われ、人間の姿に化けて人里へ向かったそうです。けれどそこでも迫害を受け、村を殲滅、更に干渉能力を発現させ、リアレイトへも侵攻、町を焼き払ったと言っていました。タイガ、今は、どの辺りの記憶が?」

「まだ、森の中に。神殿建設がどうの」

「神殿? リョウゼンを封じたあの神殿でしょうか」

「多分」

「一千年以上前の話です、あの神殿が建設されたのは。それより前の時代……。気の遠くなるような時間を、タイガの中で再現しようとしているのだとしたら」

「タイガの精神が持ちませんね」


 イザベラさんが、頭を抱えてため息をついた。


「ただでさえ、人間か白い竜かで頭が混乱しているのに、これ以上ゼンの記憶を流し込まれたら、きっとまともではいられなくなる。私や司祭が必死にタイガのカウンセリングをしたとしても、周囲がこの状況をしっかり理解し、協力していかない限り、事態は暗転していくだけです」

「外からは、分からないから?」


 やっと状況を把握したのか、ビビさんは冷や汗を掻いているようだ。

 そうですとイザベラさんが頷くと、ビビさんも頭を抱えて押し黙った。


「説明の、しようがありませんね。塔の五傑には、どう伝えるべきか」

「塔は、大河君の引き渡しを要求しているんですよね? でも、この状態じゃ」


 リサさんが心配するのも、もっともだ。


「約束している以上、タイガを塔との協議に連れて行かないわけにはいきません。しかし、引き渡しだけはどうにか回避したい。グレッグとライナスにも協議に同行させましょう」


 ウォルターさんの提案に、イザベラさんは驚いた。


「これ以上、教会側の人間を増やすより、外部の、例えばジーク社長を連れて行くなどした方が」

「いいえ。これ以上、ジークを巻き込むわけにはいきません。彼は、ノエルのことで手一杯のはずです。それに、グレッグとライナスの方が都合がいい。彼らはタイガが戦うのを間近で見ていたのですから。それに、見てください、今のメンバーを。うら若き女性達と非力な司祭では、タイガが暴走した際に止める手立てがない」

「暴走する、前提ですか」


 失礼な話だとは思ったけど、確かに目覚めてから先、僕の情緒はかなり不安定だ。

 それを見越して、あの二人を同行させる気か。


「場合によっては、暴走もありかも知れませんよ」


 と、急にウォルターさんはそんなことを言い出した。

 流石のビビさんも、リサさんも、ギョッとしてウォルターさんの方を見た。

 イザベラさんだけが、呆れたような顔をしている。


「君がどれほどの苦しみに耐え、どれほどの力を押し込めているのか、相手に見せつけてやることも、必要になってくるかも知れません。何せ相手は塔の五傑。話し合いを重ねても首を縦に振ることを知らない、面倒な人達です。言葉で伝わらないことを伝えるのに必要なのだとしたら、暴走自体、否定はしません」

「でもそれは、かなりリスクが高いんじゃ」


「君の力や苦しみを誤解されたまま、シバとリアレイトに向かうようなことになったとしたら、どうですか。リアレイトにとって、君は脅威になり得ませんか。真実を曝け出すために、否応なく暴走するのは許容範囲です。鎮静剤も用意しています。グレッグとライナスがいれば、君をしっかり止めてくれるはず。リスクを恐れ、真実を隠す方がもっと、リスクが高くなる。教会に対する誤解も、タイガに対する誤解も、この際です、全部解消するくらいのつもりで行きましょう」

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