3. 狩りと殺し

「明日の午前中、協議に向かうメンバーで打ち合わせをします。それまで、体調を整えておいてください。よろしくお願いしますよ」


 ウォルターさんはそう言って、部屋を後にしようとした。

 僕は「待って」と彼を呼び止める。

 なんでしょうと立ち止まって微笑み返す彼に、僕は恐る恐る話しかける。


「も、もし、このままずっと、ここにいてもいいってことになったら、……ぼ、僕に、レグルノーラのことを教えてください」


 変なことを言っただろうか。

 ウォルターさんはきょとんとしている。


「前に、ジークさんの家で暮らしてたときにも少し教わったけど、もっと詳しく。僕の知らないこの世界のこと、全部。“神の子”なんて仰々しい呼ばれ方をされてるクセに、僕はこの世界のことを殆ど知らなくて。だ、だから、レグルに教えていたみたいに、僕にも……!」


 言った後で、急に恥ずかしくなった。

 この期に及んで知らないなんて、変なやつだと思われたかも。

 ウォルターさんはくすりと笑った。


「ええ、喜んで。タイガから、前向きな言葉が聞けて良かった」

「ありがとうございます……!」


 素直に、嬉しいと思った。

 もし、ここにいても良いのなら。

 それが、許されるなら。

 僕は――……。











      ・・・・・











 遠くで話し声がする。

 目を覚ますと、いつもの岩陰だった。

 人間の声だ。

 僕は神経を研ぎ澄ませ、気配を探る。

 数人の足音、衣服の擦れる音。

 人間ではない、別の臭いも混じっている。竜……、なのだろうか。臭いは竜だけど、どうも違うような。


『この辺りですか、襲われたのは』

『ええ、この近くの沢で』

『竜……だったと?』

『命からがら逃げてきた仲間は、そうだと言ってたんですがね。存在するんですか、白い……竜なんて』

『え、ええ。まぁ、いるにはいる、と言いますか』


 聞き覚えのある声と、知らない声が会話している。

 岩陰からこっそり覗くと、茂みの向こう側に、人影が五つ。白い布を被った男が三人、妙なシルエットの男が二人。白い布の人間達は、ここ数日で食った人間の仲間だろう。問題は、人間の大きさをした、人間とは言い切れぬ二人の方だ。

 人間にあるはずのない角や羽が見える。身体の殆どが鱗で覆われ、露出した肌の部分は、鱗を薄くしたような色をしている。竜にしては小さい。しかし、人間にしては大きい。人間に姿を寄せた竜、と表現していいのだろうか。片方は深緑、もう片方は濃紺の鱗。気配はしっかりと竜のままだ。一体何者だろうか。

 僕はじっと身を潜め、彼らを目で追い続けた。


『神殿建設のため、何度も訪れているのですが、このところ、行方不明になる者が多く、困り果てています。名だたる魔法使いや戦士達に護衛をお願いしていたのですがね。どうも、丸ごといなくなる。それで、二手に別れ、一方に何かあったら、もう一方が何が起きているか確認しようという話になりまして。戻ってきた者達が言うには、白い竜のような化け物が、仲間を襲っていたと』

『……おきな。やはり、“白いの”がやったのでは』

『ガルボ、決めつけるでない』


 ガルボは、群れにいる成竜の名前だ。

 翁? まさかグラント? 確かにそいつは、グラントと同じ深緑の鱗をしている。

 まさかグラント達は、人間のような姿に化けられるのか?


『確かに“白いの”はここのところ、姿を見せぬ。……が、あんな目立つ身体でこんな森の際まで来ているとは、とても』

『翁は信用し過ぎです。何者かも分からないのですよ?』

『お二方とも、その竜をご存知で?』


 人間の一人が言うと、半竜姿のグラントは、うぅんと唸った。


『恐らく、群れからはぐれた竜の子ではないかとは思うが。……探し出し、人間を襲わぬよう、教え込む他あるまい。我々竜も、世界を創りし半竜神の神殿建設には是非協力したいと思っておるのだが、このようなことが起きてしまったとは。全て儂の不徳の致すところ。竜と人間の共存に、亀裂を走らせてしまったこと、どうお詫びすべきか』


 グラントは人間如きに向かって、申し訳なさそうに頭を垂れた。

 癪に障った。

 捕食対象だ。詫びを入れる必要なんてどこにも。


『翁、あなたのせいでは』


 頭を下げられた人間の方は、恐縮してブンブンと頭を横に振っている。


『我々人間も、本来踏み入れるべきではない竜の住処に、こうして立たせて頂いている。創造神への信仰などという、竜にとっては不可解極まりないことに対し、翁始め、多くの竜が理解を示してくれたお陰で、神殿建設の道が開けたのです。森に住まう竜のご機嫌を損ねたとしても、我々に文句を言う権利などないのですよ』

『……いいや、それは違う。竜も人間も互いに言葉を持ち、意志を通じ合えるのですから、対等だと考えましょう。神殿が、二つの種族を繋ぐ場所となるよう、互いに尽力しようではありませんか』


 正義ぶったグラントの言葉が、僕の胸をチクチクと刺した。











 僕のねぐらをグラントが見付けたのは、それから程なくしてからだった。

 グラントは酷く残念そうな顔で僕を見下ろしていた。

 深緑の鱗は、いつもより濃く見えた。


『白いの、ここから離れなさい』


 低い声。

 いつもより多くの魔法力と、僕への嫌悪を感じ、ゴクリと唾を飲み込んだ。


『……儂が知らぬ間に、お前は一体、どれほどの人間を食ったのだ』


 足元に食い散らかした人間の骨があるのを、グラントの目は捕らえていたのだろう。

 何種類もの布きれ、食い切れなかった靴や武器、防具。それらが何人分も、そこかしこに散らばっているのを見れば、自ずと答えは知れるだろうに。


『狩りをしてたんです』


 僕はキィと甲高い声で鳴き、グラントを睨み付けた。


『こんなことはやめなさい、白いの』


 グラントは何故か、虫の居所が悪いらしい。

 僕に覆い被さるようにして、やたらと威嚇してくる。


『お前のそれは狩りではない。野蛮な殺しだ』


 深い森の中、僅かに差し込んだ光の中で、グラントは僕を諭すように言う。

 諭す?

 いいや、凄むように言った。


『狩りと殺し、何が違うの』


 辺りには血の匂いが立ちこめていた。

 魔力を帯びた人間の血は、その臭いですら僕を狂わせる。

 白い鱗が真っ赤に染まっていても、僕は何とも思わなくなっていた。

 人間の血肉の味に、酔っていた。


『わからんか、白いの。お前は食うために殺しているのではない。殺したいから殺している。それを、狩りとは言わない』


 随分と、偉そうに。

 僕はキッとグラントを睨んだ。


『人間の肉は、栄養価が高い。僕は、生きるために人間を食っているだけです』

『白いの……! 人間は、他の動物とは一線を画す、神が創りし種族。我ら竜と人間、それぞれが森と平野に棲み分け、平穏を保ってきた。それをお前は乱そうとしているのだぞ?』

『翁は、人間の肉を食ったことが?』

『あるわけなかろう』

『食べたことがないから言うんです。森の小動物を食うよりずっと効率的だと思いますよ』

『白いの。いいか、これ以上お前は、ここにいてはいけない』


 グラントは、僕の話に乗ってこなかった。


『人間達はこの先の岩場に、創造神を祀る神殿を建てるそうだ。我々竜も協力することになっている。しばらくの間、おとなの竜達でお前を監視する。自由にはさせんぞ。勿論、お前を差別せぬよう、儂から他の竜達には忠告しておく。お前は気高き竜であって、人間を襲うだけの化け物ではない。それが理解できるようになるまで、自由に出歩くことを禁止する』


 普段は穏やかなグラントの強い言葉に、ブルッと背筋が凍った。











      ・・・・・











 頭が、くらくらする。

 意識が途切れると、僕の頭は再び“白いの”の記憶に侵略される。

 まだ口の中に血の味が残っていて、現実か虚構か、区別がつかなくなってきている。

 今は……、大河の方。

 目を覚まして直ぐに、人間の手足が見えた。“白いの”のときは、竜の手足が見える。そのくらいしか、僕が何者なのか判断する材料がない。

 つまり、竜化後に意識を失えば、僕は杭を壊したときみたいに混乱して、人間を平然と襲うかもしれないってこと。

 “白いの”は常に飢えていて、攻撃的だ。

 僕の思想も感覚も、全部持ってってしまう。

 怖い。

 なんであいつは、僕にこんなものを見せるんだよ……!

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