2. わざと

 部屋には、僕とリサさんだけが残った。

 リサさんは終始無言で、僕とフィルさんのやりとりを見ていたようだけど、流石に二人っきりになって気まずいと思ったのか、彼の座っていた椅子に手をかけ、深くため息をついた。


「わざと、嫌われようとしてる?」


 ドキッとして、僕は思わずリサさんを見た。


「やっぱり。大河君らしくないと思った」


 リサさんはフィルさんの代わりに椅子に座り、僕をまじまじと覗き込んだ。

 それこそ久しぶりに。

 まるで、出会ったばかりの頃のように、下から表情を確認してくる。


「フィルさんを傷つけたくないから、わざと距離を取ろうとしてるでしょ。うっかり近付いて、ノエルさんを傷つけたみたいにフィルさんを襲ったりしたら大変だから、わざとあんな風にして、自分から遠ざけてる。……そういうところは変わらない。やっぱり、大河君は優しいままだ」


 変なことを言う。

 僕はサッと視線をずらした。


「優しくなんかない。ただの化け物だよ」

「……君のせいじゃない。君が白い竜の血を引いて生まれたのは、君のせいじゃない」

「だけど結果として、僕は人間を襲うし、人肉を食いたいと思ってしまう。巨大化して建物をなぎ払うし、炎も吐く。これが化け物じゃなくて、何だって言うんだよ」

「でもそれは」


「レンさんの言う通りかも知れない。あいつは僕をもう一匹の破壊竜に仕立て上げて、世界を僕に壊させるつもりなのかも。そうでなければ、どうして……、どうして白い竜の記憶が巡るのか、僕自身があの白い竜になって苦しみ続けなきゃいけないのか、分からない。……どうせこの会話だって、ビビさん達が監視室から聞いてるんだろ? 僕が何を考えて、どんな風に動くのか、一挙手一投足注視してる。さっきから色々疑われてるけど、僕は嘘なんてついてない。人肉の味は知ってるし、ノエルさんを本気で食おうとした。そんなやつのどこが優しいの。僕の力を抑えるために精製された魔法生物に、僕の何が分かるの」


 リサさんは、不安と焦りの色をマーブル模様にして漂わせている。

 気を悪くしているのは分かってる。

 それでも僕は、あえてキツい言葉を選んだ。


「リサさん、僕をずっと避けてたよね。三年前に比べて、見た目も、力の種類も何もかも変わった僕を信じられなかったからでしょ? ……それでいいよ。このまま杭を壊していけば、僕はもっと破壊竜に近付く。君ごときじゃ、僕の力を止められなくなるかも知れない。レグルに何を指示されて僕のところにやって来たのか知らないけど、変な同情するくらいなら、何もしないでくれないかな。嫌なんだよ、中途半端に期待されて、結局どうにも出来なくて、傷付くのが……!」

「大河君。私はそんな」

「僕は! “神の子”なんかじゃない。ただの白い竜で、化け物で、こんなところで庇護されてちゃダメなやつなんだよ! 信じて欲しいなんて、もう思わない。思ったところで、待っているのが絶望だけなんて嫌なんだよ!」


 声を荒らげた。

 拳を握り、全身全霊で訴えてやった。

 憐れみの目で見られるのが嫌だった。

 優しいなんて中途半端な言葉で誤魔化されて、それまでの不信感を払拭しようとしてるリサさんの、泣きそうな顔は見たくなかった。

 僕にしか出来ないからと決めた覚悟が、妙な同情で揺らぎそうだった。


「……大河君の気持ちは、分からないし、同情なんかしないから。レグル様のことは、相変わらず思い出せてない。大河君の気配がどんどん竜に近付いてるのは当然分かってたことだし、私の力じゃ、いずれ気休め程度にしか役に立てなくなるかも知れないって覚悟もしてる。役目を終えた竜石は砕けるんだってね。いつか私も砕けてしまうんじゃないかっていう不安に押しつぶされそうで、変な態度を取ってしまったこと、……ごめんなさい。謝る。でもきっと、私が感じてる不安より、君の抱えてる問題の方が大きいから、全然気にしなくていいし、私だって同情されたくない。みんな、自分のことでいっぱいいっぱいなんだよ……!」


 リサさんは語気を強め、椅子から立ち上がった。バンと椅子が倒れ、床に転げた。

 濁りのなくなった杏色が、僕の眼前に迫っていた。


「君のことを心から心配して、どうにかしようとしてる人間より、自分が助かりたくてどうにかしたい人間の方がずっと多い。神様じゃないんだから、人間は打算で動く。みんな、助かりたいから、この世界で生きていたいから協力してる。君は、世界の命運を握ってることを、もっと自覚して。君が“神の子”なんて曖昧な存在になりたくないと思ってても、破壊竜の力に苦しんでても、関係ない。逃げないでよ。逃げて、破壊竜になってしまったら、世界は終わるんだから……!」


 リサさんは、泣きそうな顔なんてしていなかった。

 怒りと苦しみを爆発させたような顔で、僕を睨んでいた。






 *






 ウォルターさんが僕の部屋にやって来たのは夕方、日が落ちてきた頃だった。


「協議は塔から二ブロック離れたところにある、会議施設で行われています。塔は五傑のうち三名以上が参加、教会側は私とイザベラ含めた五名までが参加することになっています。今回は、神の子が目覚めたこと、シバが神の子との面会と引き渡しを望んでいることから、塔側も五傑全員が出席することになったようです。塔の魔女も出席するかも知れないという話を聞いています。塔の重鎮が揃って現れることなんて滅多にない。それだけ、貴殿の存在が重要だということでしょう」


 塔の東側に大きな公園と、数棟の会議施設があるのだと、ウォルターさんは言った。

 教会からも近いその場所で、定期的に和平に向けた協議が行われているそうだ。


「僕は、引き渡されるんですか」

「さぁ、どうでしょう。貴殿の現状を見ても、シバがまだ父親として貴殿を引き取りたいのかどうか。あとは、塔が神の子をどう扱おうとしているのか。簡単に、寄越してください、いいですよ、ということにはならないでしょう。貴殿含め、全員が参加して話し合いが行われる予定ですが、波乱ありきでしょうね」


 ウォルターさんの柔らかな言い回しは、三年経っても変わらない。


「僕のことは、どこまで伝わってるんですか?」

「昏睡状態が長く続いたことと、最近目覚めたことは伝えました。他は、何も。耳を貸そうとしない彼らに、何を言っても無駄でしょう? 彼らは彼らで、独自に石柱の位置を把握しているようですから、出来る限り協力し合いたいのですが。貴殿を見た途端、彼らが何をしでかすか分かりませんし、貴殿も何をしでかすか分からない。戦々恐々としますね」


 ハハハッと、ウォルターさんから乾いた笑いが漏れた。


「……ところで、ウォルターさんは僕のこと、怖くないんですか」

「怖い、とは?」

「食われるかも、とか。みんな僕のことを怖がってますよ」

「だから揚げパンを持ってきたんです。美味しいでしょう。近くにある、老舗のパン屋さんのものなのですが、疲れたとき、妙に食べたくなるんです。今日は随分疲れたようですし、美味しいものを食べて元気になって欲しいと思いましてね」


 ウォルターさんがくれたパンが、紙袋に三つ残っている。最初は五個あった。貰った瞬間、我慢できなくて一つ、話しながら二つめを食べた。今、三つめのパンに手を伸ばしたところだ。


「機嫌が悪いときは、大抵お腹が空いているのだそうですよ」


 極端だけれどあながち間違ってもいない言葉に、何故か妙な説得力があった。


「そういうときは、美味しい物を差し出すといい。あいにく私は死にたくはないので、生け贄として揚げパンを用意したのです。結果、貴殿は私よりも揚げパンに食らいついた。教会の暮らしは質素ですから、油分も欲していたでしょう。とても満足気な顔をなさっていますよ」


 レグルと長年付き合って来ただけあって、多少のことには動じないのだろうか。それとも、僕がウォルターさんを食べないという自信でもあるのか。ウォルターさんは一人でやって来て、僕に揚げパンを差し入れ、優しく話し掛けてくれる。

 あんなことがあったのに態度を変えないなんて、なかなか出来るものじゃない。


「私には、貴殿がまだ、あの頃のままに見えるのですがね」


 ウォルターさんはそう言って、頬を緩めた。


「人間は、そんなに簡単には、自分の運命を受け入れられない生き物です。貴殿はもっと、自分を大事になさった方がいい。見ているこちらが辛くなる。こういうところは、どうしても似てしまうのでしょうか」


 凌のことか、と僕は思った。

 あいつも、大事なことは喋ろうとしなかった。喋ってしまったら、もっと大変になると知っていたからだ。


「タイガ、貴殿はリョウではないし、リョウゼンでもない。ましてや、ゼンでもないはずです。貴殿自身が何を望み、どうなりたいのか、考えてみてください。孤独は闇を産みます。貴殿はまだ、闇に呑まれてはいない。間に合います。大丈夫」


 大丈夫。

 虚勢を張った僕の口からではなくて、レグルと共に歩んでいたウォルターさんの言葉。

 なんだろう。とても、温かい気持ちになる。


「明日の昼食後、協議に向かいます。それまで、シバに会ったら言いたいことでも考えておいたらどうです。少しは、気が紛れるといいのですが」



――『封印が解けたとき、タイガは苦しむだろう。白い竜の血や、自らの置かれた立場に、正気ではいられなくなるかも知れない。その時お前が、ウォルターがタイガのそばにいてくれたら、とても嬉しい』



 ウォルターさんは、リョウゼンとの約束を守っているだけかも知れなかった。

 だけれど。


「ウォルターさんが、そばにいてくれて良かった」


 心からそう思う。


「僕は、もう少しで道を誤るところだった」


 言うと、ウォルターさんは小さく笑った。


「私は、お腹を空かせた子どもにおやつをあげただけですよ」


 その小さな気遣いが、嬉しかった。

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