【17】塔の誤算
1. 病んでる
疲れ切ってベッドの上でうとうとしていると、僕の意識はあっという間に“白いの”に持って行かれる。
白い竜になった僕は、森の中で何日も何日もさまよい続けた。
何度も朝が来て、夜が来た。
グラントと過ごしていたねぐらには、戻ろうとは思わなかった。
戻ったとしても、群れの成竜達は僕を蔑むだろうし、幼竜達は僕を除け者にする。ただ心が苦しくなると分かっていて戻るのは嫌だった。
それに、森の際まで進んでいけば、人間が現れる確率が高くなる。人間は、竜の住処となっている森の奥深くまで足を踏み入れようとはしないけれど、森の際では木を切り出したり、狩りをしたりしているようだ。
上手くいけば、人間を狩れるかも知れない。
そう思うと、僕はなかなか、グラントのところには戻れなかった。
・・・・・
ツンツンと、背中を長い棒のような物でつつかれて目が覚めた。
目を擦って身体を起こすと、塩ビのような素材の長いパイプを片手に、フィルさんがドアのそばに立っていた。
隣にはリサさんもいる。
「お、起きた?」
もの凄い警戒っぷりに、僕は苦笑いした。
「今、起きました」
人間の臭いだ。
僕はゴクリと唾を飲み込んで、ベッドから立ち上がった。
「石柱を壊した後、暗黒魔法と共に、砕けた竜石が君の身体に吸い込まれたと聞いた。安静時の竜化値が前より上がってるようだし、ちょっと身体の変化とか、気持ちの変化とか、その辺確認したくて来たんだけど。……く、食わないでよ? 今、ちょっと美味そうだって思ってただろ」
フィルさんはラベンダー色に恐怖の赤を滲ませている。
「そんなことないですよ」
口では言ったけど、頭の片隅でそういうことを考えている自分がいる。
僕は“白いの”じゃない。邪念を払うように、頭を振った。
部屋の隅っこにあった折りたたみ椅子を引っ張り出し、フィルさんに「どうぞ」と言うと、彼はパイプを入り口付近に立てかけて、かなり怯えた足取りで近付いてきた。僕はベッドの縁に腰を掛け、フィルさんが座るのを待った。
リサさんはフィルさんの後ろにピッタリくっついて、やはり僕のことを警戒しながら摺り足で近付いてきた。杏色がくすんで見える。リサさんの気持ちが落ち込んでいる証拠だ。
「思ったよりは落ち着いてるように見えるけど」
フィルさんは言いながら、診察用のカバンをドサッと床に置くと、白衣の襟を摘まんでブルッと震えた。
「何となく、獣っぽくなってない? 俺には内面を察知するような特性はないんだけど、野性味が出たって言うの? 何か、これまでとは違う気がするな」
「野性味?」
「塔の五傑、シバの元で育ったんだろ? 魔物のいないリアレイトで平和な暮らしをしてたそうじゃないか。目が覚めた直後は、本当にそんな感じだったんだけど、石柱を壊して帰ってきたら、……なんて言うか、眼光が鋭くなってる感じが」
と、そこまで言ってフィルさんは、聴診器を持つ手をピタリと止めた。
「俺もビビと一緒に、モニタリングしてたんだけど、君、変なこと言ってたよね?」
「変なこと、ですか?」
「『白い竜だと思い込まされて』とか何とか」
「……あ、はい」
「引っかかってたんだ。君は自分が白い竜であることを認識していたはずなのに、どうして『思い込まされた』なんて表現を使ったんだろうって。白い竜に
「話してどうにかなる問題じゃないですよ」
「言うと思った。まぁ、俺は読心術も出来ないし、話されたところで何の解決策も持ち合わせないから、事態が好転するなんて一切思わなくていい。けど、誰かに聞いて貰うことで、心は少しだけ軽くなるかも知れない。誰かに話すメリットって、その程度だよ。で? ノエルを襲ったとき、君は本気でノエルを食うつもりだったのかな」
また同じ質問だ。
レンさんにも聞かれた。
「食うつもりでした」
「人間の肉が、急に美味そうに見えた」
「はい」
「今も食べたさそうな顔してるね。我慢してる?」
「ですね。我慢してます」
「昏睡時にもリサを襲おうとしてたけど、アレに似てるな。でも、無意識的にじゃなく、自分の意思で襲おうとしたってのが気になる。君の理性を、竜の部分がねじ曲げようとしているような感じなのかな。確かに、君は人間より竜に近い。けど、それだけじゃないよね。レンが言ったように、暗黒魔法は君の中で発動していたようにも見えた。とすれば、身体に何らかの変化があってもおかしくない。上脱いで」
フィルさんに言われ、僕はいそいそと服を脱ぎ、ベッドの上に置いた。
リサさんは、フィルさんの後ろに立ち、じっと僕のことを見ているようだ。さしずめ僕が竜化した場合の保険で連れてきたんだろうけど。昨日まで、大事な話をするときはリサさんにも席を外して貰ってたのに、そういうわけにもいかなくなったってことなんだろう。
聴診器を当てたり、あちこちに触れたりしながら、フィルさんは僕の身体をくまなく調べた。口を開けて見せたときに、「ん?」と顔を歪めた以外は、特に異常はなかったようだ。
「犬歯が伸びて、牙になりかけてる。それ以外は大丈夫かな。外から見た感じでは」
服を着直しながら、フィルさんの言葉にハイと答える。
そう。見た感じは何も変わってない。
だから、話さない限り、誰にも知られることはない。
「ただね、数値がおかしいんだ。安静時の竜化値が、随分上昇してる。人間を食いたくなったのも、ここに関係しているのかどうか。……あとは、砕けた竜石が君の中でどうなってるかってのも気になるけど」
「竜石ですか?」
「ああ。塔の魔女に埋め込まれたはずの竜石がどこにもなかったのと、何か関係があるのかも知れないなってさ。前例がないから分からないけど、竜石って元々、竜の死骸が化石化したものだって言われてるだろ。竜の力を押さえ込んだり、魔法を蓄えたり、色んな力がある不思議な石なんだけど、竜にとって別の意味があるのかどうか、調べたこともなければ、調べる方法すらない。砕けた石が君の中に吸い込まれて、それがどう作用しているのか。何本か石柱を壊していけば、何かしら分かってくるのかも……なんて。まぁこれは、半分俺の趣味みたいなものだから、気にしないで」
あの巨大な竜石柱が砕けて、それが全部僕の中にと考えると、なんだか空恐ろしい。やたらと“白いの”の記憶が僕の中で増幅するのも、竜石の効果なのかどうか。
「ところでさ」
フィルさんは所見をタブレットにメモりながら、眼鏡の奥で僕をチラチラ見ていた。
流石と言うべきか、話しているうちに、少しずつ警戒色が薄れたようだ。ラベンダー色がハッキリ見えてきた。
「あんまり俺には食指が動かなかったみたいだけど、気のせいかな。ノエルと俺に、何か明確な差が?」
フィルさんは、妙な事に興味を持つ。
どうせ地に堕ちた信頼を取り戻そうなんて、馬鹿げたことはしたくない。嫌われるなら、気持ち悪がられるなら、徹底的にされた方が、いっそ。
僕はそんなことを考えて、小さく笑った。
「ノエルさんは、魔法が使えますから」
「魔法?」
「魔力の高い人間の肉は美味いんです」
「美味い? へ、へぇ……。どういう風に?」
「多分、魔力が神経を痺れさせるんだと思います。麻薬とか、覚醒剤とか、多分、そういうのに似てる。嗜好性があるみたいなんですよね」
『ぐ、具体的過ぎないか? タイガはいつ人間を食ったんだ?』
フィルさんが青ざめている。
心の声が漏れて伝わってくる。
リサさんも、両手で顔を覆って目を見開いていた。
「魔法が使えない人間の肉は淡白で、それはそれで好きなんですけど、やっぱり、魔法が使える人間の方が旨味があるって言うんですか? 飽きない感じがします」
「まるで、食べたことがあるような言い方だね」
「好物なんです」
「え?」
「白い竜の好物は、魔力の高い人間の肉なんですよ」
何一つ、嘘は言ってない。
口角を上げてフィルさんを見る。
「そういう冗談、止めた方がいい。君はどうしてそう、自分を貶めるようなことを」
冗談か。
そう受け止められたら、何も言い返せない。
きっと、僕の苦しみは僕にしか分からないってこと。
「信じてませんよね。当然です。気にしないでください」
鼻で笑ってやった。
こんなこと、誰も本気にするわけがない。
「明日の協議、塔の五傑は相当な魔力の持ち主ばかりだから、よだれが垂れっぱなしかもな。最初から戦闘態勢で臨んだ方がいいって伝えとこうか」
「是非、そうしてください」
『ダメだ。付き合ってられない。タイガは相当病んでる』
フィルさんは呆れた様子で立ち上がり、診察カバン片手にズンズン大股歩きで部屋から出て行った。
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