6. 警戒

「ノエルのことはともかくとして、柱は一本消えた。結果が残せただけでも良しとしなくちゃな」


 レンさんの言葉はズシンと僕の胸に響いた。

 僕が落ち着くまでの間に、いろんなことがあった。

 まず、ノエルさんが意識を失った。暴走した僕が囓った右腕は、肉がゴッソリと抉れていたらしい。かなりの出血で、輸血が必要だと言っていた。イザベラさんの治癒魔法でも回復できなかった。

 転移魔法で病院に運び、適切な治療を受けさせるしかない。イザベラさんは、神教騎士の一人に手を借りながら、ノエルさんと一緒に病院に向かっていった。


 仰向けになって顔を両手で押さえていた僕は、ノエルさんの血の臭いに興奮し、何度も襲いかかりたい衝動に駆られた。その度にリサさんが、僕の胸を容赦なくガンガン叩き、正気に戻してくれた。

 アリアナさんは完全にビビって、牧草ロールの影から出てこようとしなかった。

 神教騎士達は僕を監視し、変な動きをすれば直ぐに剣を突き刺せるよう、身構えていた。

 丘の上から様子を見ていた市民部隊の竜騎兵達も、落ち着いたのを見計らい、ゆっくりと近付いてきた。神教騎士達やレンさんから経緯を聞き、ため息をついているのが遠くで聞こえた。


「これでハッキリした。白い竜でなければ柱は壊せない。神の子に頼るほかないということも」


 ようやく興奮が収まって、ゆっくりと身体を起こした僕の後ろで、副団長のライナスさんが言った。

 草地に座り込み、項垂れるしか出来ない僕を見ても、神教騎士達は剣を収めようとはしなかった。

 僕は何本もの剣を突きつけられたまま、ボロボロになった服と靴を復元させ、頭を掻きむしった。

 白い前髪が、視界の左右で揺れていた。


「すみません。こんなことになるなんて」


 どの口が言ってるんだ。

 謝ったところで、ノエルさんを襲った事実は変わらないのに。

 自分で自分に腹が立つ。

 狡猾なあの男が、何の考えも無しにこんなゲームを始めたわけがない。分かってたのに、予測が出来なかったなんて。


「つまり、暗黒魔法は君を標的にしてたってことだろ?」


 レンさんが僕の真ん前によいしょと屈み込んだ。

 上目遣いに僕を睨み、淡々と話しかけてくる。


「二号で解析したデータによると、破壊された石柱からまき散らされた魔法エネルギーは、もれなく君の身体に吸い込まれていた。暗黒魔法は、君の身体の中で発動したんだ。……何があった?」


 何が。

 思い出して、僕はブルッと肩を震わせた。


「言い辛い?」

「いや。大丈夫。僕は、自分が白い竜だと思い込まされて」

「『食わせろ』って言ってたよね。君、人間を食うつもりだった?」


 レンさんの言葉に、周囲はしんと静まりかえった。

 みんなの目線が僕に集まる。

 僕の、次の言葉を待っている。


「……はい。そのつもりでした」


 突きつけられていた神教騎士達の剣が、一斉に僕の直ぐそばまで伸びた。

 剣先は、僕が少しでも頭を動かせば、傷つく位置まで迫っていた。


「じゃあ、僕らのことも肉に見えてる? 美味そうだって思ってるってことかな」

「いや、そんなことは!」

「どうかな。よだれ、垂れてる」


 ハッとして僕は、手を口元に当てた。

 だ、大丈夫、だけど。


「嘘だよ。冗談冗談。食いたいなら、もうとっくに襲ってるはずだろ」


 レンさんの悪い冗談に、皆ピリピリした。

 けど、レンさんは全然動じず、話を続ける。


「暗黒魔法は、君の本能を揺さぶったみたいだね。君は人間より竜に近いから、魔法は覿面てきめんだった。これがあと十一回続く。レグル様は君を破壊竜にしたいってこと? 君はそれを知ってたな?」


 ズンと、レンさんが僕の眼前に迫った。

 僕は咄嗟に目を逸らした。


「し、知りません。あいつの考えてることなんか」

「どうだろう。君を破壊竜に仕立て上げれば、自分で手を下さなくても勝手に世界は滅びるからね。レグル様の中で破壊竜が優位に立ってるなら、そういうことを考えててもおかしくない。それとも何? 別の目的があると思ってる?」

「別の目的?」


「暗黒魔法を目一杯吸わせて、君が世界を滅ぼす竜になることを望んでるなら話は分かる。違うって言うなら、何か別の目的があるってことだろ? 君はそれを知ってるってことじゃないかなって」

「……知りません。知っていたなら、杭は壊さなかった」

「なるほど。それもそうか」


 ふぅんと、納得したようなしないような顔をして、レンさんはやっと僕から距離を取った。

 地に落ちていた僕の信頼度は、奈落の底まで落ちてしまった。

 魔法に呑まれたとはいえ、やってはいけないことをした。その、報いがこれだ。


「壊し始めたら、一年以内に全部壊さなくちゃならないんだっけ?」

「はい」

「次は鎮静剤か麻酔が必要だな。巨大な竜にも効く、強力なヤツが」


 レンさんは皮肉たっぷりにそう言って、よいしょと立ち上がった。

 面倒臭そうにしながら、レンさんは少し離れたところにいる、市民部隊の方に歩いていく。とりあえず、僕の様子を見に来ただけ。レンさんからは、そんな気持ちが垣間見えた。


「レンが言うのはもっともだが」


 真後ろで僕に剣を突きつけたまま、ライナスさんが口を開いた。


「君の精神が持たないのじゃないか。少なくとも、自分で制御出来ない力と身体に、普通の人間なら、耐えられない」


 竜の臭いに敏感なライナスさんには、僕の気配がどう変わっているのか、分かるのかも知れない。

 杭を砕く前とは、きっと別物。

 怖いんだろう、声が微妙に震えてる。


「普通の人間じゃない。白い竜ですよ」


 そう言うと、僕の手前に座っていたリサさんが、ビクッと身体を揺らした。

 リサさんは、さっきからずっと、僕の顔を見ないようにして、俯いたままだ。

 どこもかしこも不安の色でいっぱいで、リサさん自身の色はよく見えないけれど、とても苦しそうに見える。

 ……僕の、嫌な面をまた、見せつけてしまったからだろうか。


「何をしでかすか分からない化け物に、気遣いは不要です。早々に僕を拘束して、監禁した方がいい。今は大丈夫ですけど、発作的に人間を襲うかも知れないんですから」


 言い放つと、ライナスさんはハハッと小さく笑った。


「悪者ぶらなくてもいい。君に敵意がないのは分かってるんだから。君は随分、無理をしているように見える」

「別に無理なんて」

「三年前、リアレイトで君を追いかけた時、君は必死に生きようとしているように見えた。最近まで、君は眠っていたんだろう。てことは、さほど君の中の時間は進んでいない。短い間に、随分追い詰められたのか、今の君は死に急いでいるようにすら見える」

「……そんな簡単に死なないのに、死に急ぐわけ、ないじゃないですか。変なこと言いますね、ライナスさんは」

「そうかな。結構、当たっていると思うんだが」


 会話は軽快。

 だけど、僕の周囲はグルっと神教騎士が取り囲んでいて、頭に向けて剣を突きつけている。

 警戒色が辺りを支配する。

 ピリピリしすぎて、息が詰まりそうな程に。


「心配してくれている割に、剣は下ろさないんですね」

「ああ。私はまだ、死にたくないんだ」


 ライナスさんは、ぽつりと本音を漏らした。






 *






「ほら、肉だ。食え」


 牧草地から戻り、祈りの館の地下室にあるガラス張りの部屋に閉じ込められた僕に、ビビさんが美味そうなステーキを差し入れてきた。肉汁たっぷりの美味そうな肉に、僕のお腹はぐぅと鳴った。


「タイガが頑張ったご褒美にと思って、私が自腹で用意したんだ。生憎、人肉は提供できないから、牛肉だけど我慢してね」


 冗談にしては最悪な言い方だ。

 ガラスの扉を開けて食事を載せたカートを押し込み、ビビさんはそのまま外から鍵をかけた。

 分厚いガラスの壁越しに、ビビさんは眉を上げてハハッと小さく笑った。


「すみません。お気遣いいただいて、ありがとうございます」


 正直、食欲なんてあるんだかないんだか、よく分からないくらい疲れていた。

 直前まで、照明を消してベッドに潜り込んでいたくらいだ。

 ビビさんは手元端末を弄って、部屋の外からスピーカー越しに話しかけてきた。


『二号からの映像と音声、全部残してあるし、リアルタイムで確認してた。あんな巨大な竜が本体なら、このステーキじゃ全然足りないね。牛何頭くらい食えば満足できると思う? 豚、羊、馬、鳥。リアレイトと似たような生き物の肉なら、どうにか用意できるけど、なにせ飼育数に限りがあるから、君の胃袋を全部満たすのは難しいかな』

「すみません、ホント、すみません……」


 僕は頭を抱え、床にしゃがみ込んだ。


『君が謝ったところで、どうにかなる問題でもない。ノエルの手術は成功したって、さっきイザベラから連絡があった。しばらく休養とリハビリが必要だそうだよ。彼の雇い主のジーク社長にも連絡はしてある。明日の塔との協議には、ノエルの代わりに私が付いていく』


 ビビさんは淡々としていた。

 僕は屈んだまま、こくりと頷いた。


『飯は食え。空腹で頭がおかしくなった君に襲われるなんて嫌なんだよ。まだ人間として生きる意思があって、自分自身と戦う覚悟があるなら、ちゃんと食って、ちゃんと寝て、ちゃんと考えろ。……いいね?』

「はい」


 ビビさんは僕の返事を聞くと、そのまま監視室へと戻っていった。

 僕は一人、ガラス張りの部屋に取り残された。

 差し入れられた肉はとても美味くて、一緒に添えられたスープとパンも、サラダも、何もかも美味かったんだけど。

 僕の頭の片隅には、白い竜の記憶で知った人肉の味が引っかかっていた。特に魔力を帯びた人間の肉。あの嗜好性のある肉に勝る物なんてこの世にあるんだろうかと、そんなことを考えてしまう。

 あの白い竜は、ドレグ・ルゴラなんだろうか。

 とても可哀想だった。共感した。僕は“白いの”だったし、“白いの”は僕だった。あのまま目が覚めなければ、僕は完全に“白いの”に支配されるところだった。

 嫌だ。

 破壊竜にはなりたくない。

 けど、杭を破壊すれば、否応にも。


「僕は、どうすればいいんだ……!」


 結論なんか出るわけがなかった。

 頭がおかしくなりそうだった。

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