5. 飢餓状態

 人間のオスは、怯えた目をしていた。

 助けてくれと言いながら、全力で僕に向かってきた。

 ぞわぞわした。



――『極度の飢餓状態に陥ると、本能が働いて栄養価の高い人肉を食べたくなってしまうんだと思うよ』



 誰かが言った。

 人間の肉は、栄養価が高い。

 僕は今、極度の飢餓状態だ。

 だから人間の肉が食いたくなる……!











 歯に、皮のような物が引っかかった。

 僕は爪でそれを掻きだし、プッと地面に吐いた。

 手に持っていた硬いものはそもそも食い物じゃなかったし、身体のあちこちにくっつけていた物は、喉に引っかかりそうだった。

 だけど、今まで食ったどの肉よりも美味かった。

 独特の味がする。

 甘いような、けれど刺激的な味だ。

 食べていると頭がぼうっとして、気分が高揚していく。中毒性があるんだ。


 グラントが言っていた。なんでも好き勝手食べていいものじゃない、食べたら頭がおかしくなったり、お腹が痛くなったりするものもある。よく注意して食べなさいと。

 美味しくて美味しくて、食べたらやめられなくなる、美味しすぎる食べ物もあると聞いた。それらには中毒性があるから、量を守って必要な分だけ食べるように。食べ過ぎたら、やっぱりお腹を壊すからねと。

 人間の肉には、中毒性がある。

 美味すぎる。

 もっと、もっと食いたい。











 竜は、狩りをする。

 生きるために狩りをして、捕食する。

 普段は小動物を。成長していくに従い、捕食対象の動物は大型化していく。

 その巨体を維持するために、竜は動物を狩る。



――『その中でも最も効率の良いのは人肉なんだって』



 人間の肉は、どの生き物よりも栄養価が高いらしい。

 その上、美味い。

 森の外に住むというそいつらは、なかなか森にやって来ない。グラントが言うように、住み分けているんだろう。余程、何かの用事がなければ森に近付いてこないようだ。

 雨が上がった後も、しばらく窪んだ木の根元で待ち構えていたけれど、人間は来なかった。

 人間はすこぶる頭がいいらしいと、グラントは言っていた。

 仲間が狩られた場所に、またやってくるような愚かな生き物じゃないってことなのだろうか。

 もう少し、狩りの範囲を広げよう。

 竜達が普段行かないような場所まで範囲を広げたら、人間の肉が食えるかも知れない。











 川縁を辿りながら、僕は何日かかけて辺りを散策した。

 途中、鹿の群れに遭遇し、何匹か食ったけど、やっぱり人肉の味には劣った。

 人肉には、他の動物の肉とは圧倒的に違う何かがある。

 それが知れたら、中毒性の正体も分かるような気がするのに。











 更に何日か過ぎた朝方、僕は妙な音で目を覚ました。

 寝床にしていた岩陰から耳を澄ましていると、一定のリズムで近付いてくる集団があることに気が付いた。一緒に話し声がする。言葉が聞こえる。人間だ。

 僕の胸は高鳴った。

 あまりにも嬉しすぎて、僕は何の警戒もなしにそいつらのいる方へ向かっていった。

 人間は、群れで現れた。

 前に食った人間とはまた違う、いろんな形の皮をくっつけていた。呑み込むには適しない、硬いもので身体をすっぽり覆っているヤツもいるが、薄手の皮の人間は、前に見たヤツよりもっと柔らかそうな、美味そうな見た目をしていた。


『竜……! しかも、白い!』


 人間の一人が言った。


『白い竜など、聞いたことが』

『か、神の化身かも知れません。刺激させないよう、注意して』


 そいつは人間のメスだった。小鳥がさえずるような、綺麗な声をしていた。

 そして、美味そうな臭いがした。


『白い竜よ。我らは、創造神レグルの忠実なる信仰者。神が降り立ったというこの地に、未来永劫我らが神を称えるための神殿を建設したい。どうかご理解を』


 創造神レグル?

 あれ?

 ちょっと待って。その名前、どこかで。


『決して、竜達の邪魔はいたしません。我らの静かなる信仰の』


 僕の身体は、本能に逆らえなかった。

 人間のメスが全てを話し終える前に、僕はそいつを鷲掴みにしていた。

 驚いた人間達は僕に尖った物を次々に突き立てた。

 そんなのはどうでも良かった。

 このメスからは、あのオスとは違うものを感じる。あれよりもっともっと、美味そうに見える。


『神よ……!』


 メスは僕の腕の中で光を発した。

 暴発した光が、僕の顔面を傷つける。

 小枝を僕に向け、メスは何かしらの力を使った。


『魔法が、効いていない?!』


 ああ、そうだ。魔法。魔法だ。

 人間は魔法を使う。

 このメスは、あの時のオスより魔法の力が強いんだ。だから美味そうに見える。

 よだれが滴った。

 上物だ。

 僕に尖った物を向けるオスどもとは全然違う。この一匹で僕は十分に満足できるに違いない。そう思わせてくれるくらい、上物の肉。

 僕はガバッと口を開け、両手で捕まえたそのメスに、頭から齧り付いた。











      ・・・・・











 ハァハァと、荒い息をしている自分に気が付いた。

 日の光が、僕の身体を照らしている。

 白い竜……じゃない。何だこれは。白いっぽいが、人間の……手だ。

 手には何かを鷲掴みにしていた感触があるし、もの凄く美味いものを食った実感があった。

 よだれが垂れている。僕は慌てて口元を拭った。

 今のは何だ。

 僕は……、誰だ?


『タイガ、大丈夫か?! 何が起きた?!』


 機械染みた変な声が後ろの方から聞こえる。

 だけど僕には、その声に応える余裕がない。

 混乱してる。

 僕は誰で、何をしていた?

 草地の真ん中で、目の前には変な穴があって、木々の向こうに建物が見えている。とても広い場所に、僕はぽつんと立っている。

 こんなところで何をしてたんだ?

 頭を掻きむしった。

 なんだろう。ぼうっとしてる。変な薬を打たれたみたいに頭がぼうっとして、熱くなってる。視界は歪んでいるし、身体も変な熱を帯びてる。

 僕は一体……。


「おいタイガ、大丈夫か」


 近くで人間の声がして、僕はハッと頭を上げた。

 金髪頭の、人相の悪い男が僕の方に近付いてきていた。


「服! 素っ裸だぞ。具現化忘れてる」


 服?

 ああそうか。あの皮みたいなヤツ。服っていうんだった。

 僕は慌てて、服を具現化させていく。そうだ、思い出してきた。フード付きのコートを羽織って、底の分厚い靴を履いてたはずだ。髪の毛は結っていた。ゴムを突きつけられたんだ。みっともない、結べって。


「大丈夫か? 様子がおかしいぞ。真っ黒な光がお前の中に吸い込まれていったように見えた。身体に何か変化はないのか?」


 真っ黒な光?

 僕は頭を抑えて、しばらく考え込んだ。

 光? あれ? 僕、何をして。


「意識が混濁してる? 大丈夫かよ」


 とても親しげに話しかけてくるこいつは、何だ?

 魔法を帯びてる。

 やたらと、美味そうな臭いがする。

 ピー、ピー、ピー……。変な音が後ろの方で鳴り出した。


『ノエル! りゅ、竜化値が再上昇してる。様子がおかしい。離れた方が』

「は? 何言ってんだ、レン。別に竜化が進んでるようには」


 ハハッとそいつは鼻で笑った。

 ヤバい。

 ほどよく筋肉の付いていて、本当に、美味そうだ。

 僕は滴り落ちてくるよだれを袖で拭い、ニタリと口角を上げた。


「肉……」

「――何ッ?!」


 身体が勝手に動いていた。

 僕はそいつに襲いかかり、馬乗りになった。

 竜化が進んだ。鱗が浮き出た。牙を生やし、大きく開けた口でそいつに齧り付こうとしていた。

 けど、簡単に囓らせてくれるはずもない。ヤツは抵抗した。僕の顎を腕で押し、腹を思い切り蹴飛ばしてきた。

 ウッと一瞬怯んだが、そんなことより人間の肉が食いたかった。

 巨大化すると、大量のエネルギーを消費する。直後は極度の飢餓状態。直ぐにでも栄養を補給したいと本能が訴えてくる。


「食わせろ……。食わせろよ……!!」


 僕は必死だった。

 飢餓状態を抜けたかった。

 目の前にある肉を、新鮮な肉を欲していた。


「ふっざけんな!! 誰が食わすか!!」


 ヤツは僕の拘束からするりと抜け、思い切り殴りかかってきた。

 その腕を、僕はサッと掴んだ。


「ヤバッ!」


 ガッと口を開け、僕はそいつの右腕に齧り付いた。


「グアアッ!!」


 血が噴き出す。

 そのまま肉まで抉ろうとしたのに、ヤツはもう片方の手で僕の頬をぶっ叩いた。衝撃で僕は腕から口を剥がしてしまった。


「あと、ちょっとだったのに……!」


 こうなったらもっと竜化を進めて齧り付くしかない。

 僕は更に身体を肥大化させた。


『ノエル!! ノエル無事か?!』


 白い丸っこい機械から聞こえてくる声は、金髪男を心配していた。


「無事じゃねぇ! ダメだ! ちっくしょお!!」


 ヤツは魔法陣を発動させた。

 濃い緑色に光った魔法陣から、光を帯びたオーガが二体せり出してくる。

 何をしたいのか分からないけど、こんなもので僕を止められるとでも……!


「ノエル! 加勢だ!!」


 背後から別の男の声がした。

 かと思うと、光の矢が四方八方から僕目掛けて飛んでくる。

 ババババッと防ぎようもないくらい大量の矢が、竜になりかけた僕に突き刺さった。


「ヴゥ……ッ!」


 腕にも肩にも、背中にも、羽にも、足にも、至る所に矢が突き刺さり、僕は動きを止めざるを得なかった。

 ドッと勢いよく二体のオーガに体当たりされる。

 僕はそのまま仰向けになり、背中から地面に倒された。

 左右それぞれの腕を、グイッと別方向に引っ張られ、そのまま地面に固定される。その上にドシンドシンとオーガが一体ずつ乗っかって、更に駆けつけた神教騎士達が、剣先をこぞって僕の頭に向けていた。

 身動きが、取れなくなった。

 視界に、沢山の人間の顔が並んでいる。

 捕食対象のクセに、勝ち誇ったような顔をして……!


「これが、“神の子”……? “白い竜の化け物”の間違いでは」


 神教騎士の一人が言った。


「だと思うだろ? 副団長のライナス、だっけ。残念だけど、これが現実だ。こいつは自分が何者なのか、まだ把握し切れていない。カッコつけて、石柱を壊してみますとか適当なこと言ったクセに、結局暗黒魔法に呑まれた。このクソガキに、オレ達人類は全てを委ねなくちゃならないなんて、ふざけてるとしか思えねぇだろ」


 金髪男の右腕からは、だらだらと血が流れていた。顔が青い。苦しそうに荒く息をしている。

 血の臭いに、甘さが混じっているように感じるのは何故だろう。

 食い損ねた腕が美味そうに頭の真上にぶら下がっているのに、身体が固定され、剣が邪魔で身動きが取れない。


「一度巨大化して体力を使ったから、この程度で済んでるんだ。そうでなかったら、人間の力で食い止めることは出来なかったはずだ。見ろ、魔法の矢でこんなにあちこち射貫かれても、たいしたダメージは入ってない。体力を消耗してなかったら、こいつにとって魔法攻撃は何の役にも立たないって証拠だ」


 男は、僕の頭のそばに屈み込み、まじまじと僕の顔を覗き込んだ。

 食ってやろうと思って、首を上げようとしたけど、少しでも動かすと、ヤツらは剣を僕の顔のすれすれまで近付けてくる。

 悔しいけどどうにもならず、僕は歯をギリギリさせながら、よだれを垂らすしかなかった。


『大丈夫か、ノエル。今そっちに向かう』

「レン、リサを寄越せ。タイガの力を吸い取らせる」


 男は、背後にあった丸い機械に向かって言い放った。


『……分かった。リサも向かわせる』


 右腕の傷を左手で押さえながら、金髪男は顔を歪め、僕を見ていた。

 息が、どんどん荒くなっているように見える。


「目を覚ませ、タイガ」


 その腕からは止めどなく血が流れていた。


「このまま破壊竜になるつもりか? それこそあいつの思惑通りだ。それでいいのか? レグルを止められるのは、同じ白い竜であるお前だけ。ここで破壊竜に成り果てて討伐されれば、全てが終わる。この世界も、向こうの世界も、お前の守りたかったものも、何もかも消えてなくなる。あのバカが十二本の杭を使って何をしようとしているのか、お前は知ってるのか? 知ってて、単なる竜になって、人間を食い尽くそうとしてるのか? だとしたら、お前も同類だ。人類の敵だ。これ以上、お前に協力は出来なくなる」


 男の背後から、金髪の女が現れた。息を切らし、遠くから走ってきたようだ。


「ノエルさん、お待たせしました。大河君は……」


 女はウッと顔を手で覆った。


「その血! 大河君、まさかノエルさんを」

「リサ、そんなのどうだっていいから。さっさとやってくれ」


 顔をしかめ、彼女は深く息をついた。

 僕に、激しい嫌悪感を抱いているのは、心の中を覗かなくったって直ぐに分かる。

 彼のそばに屈み込み、彼女は僕の腹に手を当てた。


「大河君。君は、なんてとんでもないことを」


 言いながら、竜の力を吸い取るための魔法を発動させている。

 僕の身体はみるみる縮んだ。急激な竜化で破れた服はそのままに、いつもの僕へと戻っていく。

 ぼうっとしていた頭が、少しずつクリアになっていった。

 ――何を、やっていたんだ、僕は。

 暗黒魔法に呑まれ、完全に自分を、孤独な白い竜だと。

 我に返ると、益々自分のしてきたことが一層恐ろしく感じられた。


「食おうと、してた。ノエルさんを」


 人間の姿に戻った僕は、ようやくオーガの拘束から解放された。

 僕は仰向けのまま、両手で顔を覆って、しばらく動けなかった。

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