4. 白いの

 赤と黒の光の波が僕を何度も襲った。

 二号の警報がうるさいくらいにガンガン響いていた。

 そのまま僕の身体は消し飛び、遠くに意識が飛ばされた。

 ……ように、感じた。











      ・・・・・











 ――目を覚ますと、辺りは深い森の中だった。

 大きな卵の殻と、食い散らかした小動物の骨が視界に入る。

 巨木に囲まれ、光も殆ど差さないその場所で、僕は力なく横たわっていた。

 動物の鳴き声、木々の揺れる音。そして、激しい空腹。頭を動かそうにも、その気力すらない。

 何か飲み物が欲しい。ひとしずくの水でもいい。

 そう思って伸ばした手には、白い鱗が見えていた。


『白い……。竜の子か』


 おとなの声がふいに頭の上から降ってきて、僕はゆっくり声の主を見上げた。


『誰の子どもだ……? 可哀想に。お腹を空かせているんだね。おじさんが食べ物を採ってきてあげよう』


 優しそうな深緑の年老いた竜が、覆い被さるようにして僕を覗き込んでいた。











『生まれてから何日も、誰もいなくて不安だったろうに』


 老竜はグラントと名乗り、僕に食べ物を差し出した。

 木の実、柔らかい葉っぱ、そして小動物の肉。

 お腹が空いて死にそうだった僕は、ガツガツと食べ物を胃に放り込んだ。

 こんな野生動物が食べそうなもの、美味しそうだなんて思わないはずなのに、僕は本能の赴くまま、グラントが持ってきたものを必死に食った。食って食って、食い散らかした。

 グラントはそんな僕を、じっと見ていた。


『見たことのない、白い鱗だ。別の森から……? いや、そうであれば気が付くはず。白いの、お前はどこから来た?』


 僕は手を止め、腕で口をギュッと拭った。


『……分からない。遠い、ところから』


 申し訳なくなってそう呟くと、グラントは目を丸くした。


『もう言葉が話せるのか。驚いた。生まれたばかりだと思っていたが、違うのか?』


 僕はブンブンと頭を振った。


『よく、分からない。気付いたらここに。……でも』

『でも?』

『僕は竜じゃなくて、違う何かだったような……』











『グラント、背中の白いのは……?』


 森の少し開けた場所に、グラントは僕を連れて行った。

 ゴツゴツした大岩が幾つもあり、せり上がった木の根っこのそばで、幼い竜達が遊んでいるのが見える。

 薄暗い森の中に差し込んだ柔らかい光が、僕の身体を浮かび上がらせていたのだろう。白い竜を目にした成竜達は、一斉にギョッとした表情を見せた。


『白い、竜の子だ』


 幼竜達は大人のざわめきに驚き、遊ぶのをやめて身を寄せ合った。

 グラントはゆっくりと僕を背中から下ろした。

 成竜達はこぞって僕の方に首を伸ばし、まじまじと僕の身体を観察し始めた。

 その視線の異様さに、僕は思わずすくみ上がった。


『あり得ない色だ』


 誰かが言った。


『誰と誰の子どもか』

『白い色は森では目立つ。生まれる場所を間違ったのでは』


 そうだそうだと、相づちを打つものまで現れる。


『森の外に広がる砂漠なら、白い鱗も隠せましょう。そこへ連れて行くという手は』


 グラントはふぅと息をつき、首を横に振った。


『既に弱っている。親もない。同じ竜として見捨てるわけにはいかない。儂がこの子を育てよう』

おきながそうおっしゃるのなら、仕方ありませんね』


 一匹のスラッとした青い鱗の竜が言うと、他の竜も仕方がないと言い始める。


『ただ……、きちんと監督はなさってくださいよ。全く不吉で、全うでない気配がします』

『すまんな、ガルボ。儂の、最後の我が儘じゃと思うてくれ』


 ほれ行くぞと、グラントは僕をひょいとつまみ上げた。

 ゴツゴツした鱗、幾重にも連なる背中のトゲトゲの間に挟まれるようにして、僕はグラントの背に乗った。

 のっそりと踵を返すグラントの足取りは、とてもゆっくりだった。


『あんな醜い白い竜を、何故育てようなどと』

『白い竜など聞いたこともない。悪いことの始まる前触れでは』


 成竜達はわざとらしく、グラントと僕の耳にも届くような言い方をした。











 森には、多くの竜が住んでいた。

 しかし、僕と同じ白い鱗の竜はいない。


『白い鱗の竜は存在しないのじゃ』


 とグラントは言った。

 僕はまじまじと自分の鱗を見つめる。

 日に照らされると、鱗はいろんな色に光った。輝くような、とても美しいものに見えた。


『遙か昔、不思議な色の竜がこの世界を創ったという話を、人間がしていたのを聞いたことがある』

『ニンゲン?』

『竜と同じように言葉を操り、魔法を使うことの出来る、特別な力を持った生き物じゃ。森の外に住んでおって、おいそれと森には近付かん。人間共は森を竜の住処と認識していて、互いに距離を取ることが大事だと知っているからだ。中には竜を手懐けて自分達の移動に使う者もいるそうじゃが、ごく少数。とても小さい、か弱い生き物だが、頭だけはすこぶるいいと聞く。彼らの間でそういう言い伝えがあるそうだと、昔、森に迷い込んできた人間に聞いたのじゃ』


 ……ニンゲン。

 聞いたことがあるような、ないような。


『竜でもない、人間でもない、その二つを掛け合わせたような不思議な生き物が、この世界を創ったらしい。彼らの言葉で、その生き物を“半竜”と呼ぶそうだ。半分竜で、半分人間の姿をしているのだと。半竜の鱗はとても不思議な色をしていたらしい。何色でもない、キラキラとした鱗。光り輝く、白い鱗だと。――白いの、お前のそれと同じように』


 グラントはそう言って、僕の頭を、大きくゴツゴツした手で撫でた。


『じゃあ僕は、その半竜と何か関係がある?』


 ブンブンと、グラントは首を横に振った。


『どうじゃろう。何か、手掛かりでもあれば良いのだが』


 グラントは明言を避けた。

 僕は何とも言えない気分になって、グラントの懐に頭を突っ込んだ。











 幼竜達は、僕と距離を取った。

 通常、竜は同じくらいの年の子らで群れるらしいが、僕は爪弾きにされていた。


『白いのはキモいから、遊んでやんないもんねぇ』


 彼らの鱗は色とりどりで、僕みたいに真っ白なヤツは一匹だっていやしなかった。


『白い竜は存在しないっておとなが言ってた』

『誰の子どもかも分からないんだって』

『変なの!』


 竜もどうやら、見た目で相手の価値を測るらしい。

 なんだ、崇高な生き物だと思っていたのに、僕らと何ら変わらない。

 ……僕ら? 僕らって何だ。僕は、生まれたときから竜だったんじゃないのか。

 あれ?











『白いの、お前はもっと他の竜と交わらねば』


 グラントはやたらと僕を気遣った。

 余計なお世話だと、僕は思っていた。


『翁、僕は輪に入れません。皆が、嫌な顔をする』

『しかしな、白いの。これから長い時間を生きていくためには、様々な相手と一緒に生きていくことを考えねばならぬ。いつまでも儂のような年寄りと一緒では、お前の先が思いやられる』

『先なんて』


 僕は項垂れ、深く息をついた。


『嫌われていると知って、その場に飛び込むことの辛さを、翁は知らない。彼らは僕を居ないものにしたい。それでも殺さないのが竜の気高さなのだとしたら、僕は竜である必要がないのではないかと思うのです』

『……不思議なことを言う』


『そうでしょうか。僕は白く生まれて良かったと思うことは何一つなかった。翁が拾ってくれなかったら、獣の餌になっていたでしょう。それでもよかったのではないかと思うことがあるんです。僕は、生まれるべきではなかった』

『そんな恐ろしいことは、言うべきではない』

『いえ。敢えて言います。僕は、生まれるべきではなかった。誰にも必要とされないということは、つまりそういうことなのです』











 ぽつぽつと、雨が降り出した。

 変なことを言った手前、僕はグラントの元に戻りづらくて、森の中をあてもなくさまよっていた。

 白い鱗は雨に濡れた森の中でもよく目立つ。時折、オオカミやクマに襲われそうになりながらも、僕はどうにかその場を切り抜けた。

 幼い竜だと気配で分かると、大型の動物は容赦なく狙ってくる。

 僕の牙や爪は、まだそんなに硬くない。うっかりすると、ヤツらの方がずっと強くて獰猛だ。


 白い竜は、森では目立つ。

 砂漠にでも行けばいいと言ったあの竜の言葉を思い出し、ため息をついた。

 雨宿りの出来そうな、大きな木の窪みがふと視界に入った。

 雨水を舐めたくらいで、何も食べてなかった僕は、空腹で動けなくなりそうだった。

 重い身体を引きずって、ようやく木の下に辿り着いたとき、僕は見たことのない生き物を見た。

 鱗のない、つるつるの肌。頭の部分にだけ毛が生えていて、身体に皮のような物をひっつけている。随分小さくて、随分弱そうな二足歩行の生き物だ。


『りゅ、竜……! 嘘だろ、こんなとこに!!』


 そう言いながらそいつは、僕に尖った物を向けた。

 ヤツらには鋭い爪も、尖った角もない。だから、その代替品を持っているらしい。

 ブンブンと尖った物を振り回すが、全然恐いとは思わなかった。

 滑稽だと思った。

 喋ってる。言葉を喋ってる、変な生き物。


『ニンゲン……?』


 そいつは、目をギラギラさせて僕に突っ込んできた。

 恐怖で混乱し、凄まじい叫び声を上げ、僕に襲いかかってくる。

 弱そうだ。

 森に住む獰猛な獣に比べたら、ずっとずっと弱そうだ。

 弱そうだけど、それ以上に。


『……美味そうだ』


 僕は、口から滴り落ちるよだれを長い舌でじゅるっと啜った。

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