3. 恐怖の対象

 空は悔しいくらいに晴れ渡っている。

 白い巨大な竜になった僕の姿は、広大な自然の中でくっきりと浮かび上がっているに違いない。

 化け物扱いされるのには慣れてきたけど、だからと言ってこの不気味なまでの存在感がかき消されるはずもなく。レグルノーラには存在しないはずの白い竜の鱗は、相当不気味に見えるんだろう。市民部隊の竜騎兵達は、僕に刃を向けながらも一様に不安と恐怖の色を纏っている。

 歯を食いしばり、鼻息を荒くすれば、熱い蒸気が鼻穴から噴き出す始末。

 どこまでも僕の身体は、相手を震え上がらせるらしい。


『レンさん! ヤツらの攻撃が始まる前に、二号を僕の耳の後ろにでも隠してください。魔法でもぶっ放たれたら故障しますよ』

『あ、ああ。ありがとう』


 言うやいなや、竜騎兵達は一斉に竜の背中で魔法の錬成を始めた。

 あの黄色い光は雷系か? 能力者にしてはランクの高い方なのかも知れないけど、身体が肥大化していることもあってか、どうしても弱そうにしか見えない。


 ――バチバチバチバチッ!


 連続して雷の魔法が顔面に直撃した。ウッと顔を歪めはするが、やはりダメージは入らなかった。

 続けて竜の上に乗ったまま、竜騎兵達が次々に剣や銃器を構えて突っ込んでくる。

 竜石製の杭は、僕の巨体の丁度陰になっていた。普段ならば杭の周辺でこんな動きなどしないだろうに、竜騎兵はやたらとギリギリにまで迫ってくる。こっちはこっちで、意図せず壊れないように杭を守りながら、竜騎兵達の攻撃を防がなければならなかった。


 翼竜は羽を広げておおよそ全長十メートル程度。三十メートル級の竜から見ると、小型動物程度の大きさになる。そしてその背中に乗った人間は――、僕の目からは十センチ程度に見えている。ちょっと小さめサイズのフィギュアと同じくらいだ。

 大きめの武器を持っていたとしても、ボールペン大程度。硬い鱗で覆われた竜を倒すには、あまりにも非力だった。


 攻撃は鱗が次々に弾いた。

 彼らは僕の頭部を集中的に攻撃しようとしていたが、それはそれで無駄な話。頭頂部から後ろは硬い角が生えていたし、前面に回れば、熱気を帯びた息を浴びることになる。

 それならばと多少火力の高い魔法を放ったところで、まともに傷つけることも、足止めすることもできっこないのは明白。竜騎兵達には悪いけど、こんな攻撃、無意味だってことを分からせないと。


『ノエル、鳥出して!』


 スピーカーの向こう側から、アリアナさんの声が聞こえる。


「言われなくったって錬成中……!」


 叫び返すノエルさんの声。

 見ると、魔法陣を描いた地面から、魔法を帯びた巨大な鳥がせり出してきているところだった。

 何をしようとしてる?


『錬成は待って! これくらいなら僕が!』


 僕は攻撃を払いのけるため、腕を振り上げようとした。

 ところが、


『ちょっとタイガ! 攻撃しないでってば!』


 アリアナさんの声。


『え?』


 手を止めた。

 けど、遅かった。

 僕の動きに驚き、四時方向にいた翼竜が一匹、バランスを崩してしまう……!


「うわっ!」


 背中の竜騎兵が落っこちるのが見えた。


『危ない!!』


 咄嗟に手を出す。

 間一髪、救出に成功。

 やった、と思った次の瞬間、今度は屈めた身体の背後で、更なる悲鳴。

 屈んだせいで畳んでいた羽が広がり、別の翼竜の進路を塞いでいた。僕の羽を避けようとして、杭に急接近してしまったらしい。

 そっちはそっちで悲鳴が上がる。背中の竜騎兵はどうにか無事だったようだけど。


「うわぁああああああ!!!!」


 今度は何だ。

 右手の中。


「助けてくれ! 死にたくない! 死にたくない……!」


 ちょ、ちょっと待て。

 違う。


「食われる! 食われる!」


 右手の中で竜騎兵の男が暴れ出した。


『危ないって! 食べたりなんかしないってば!』


 腰を屈めて右手の中の彼に訴えようとすればする程、悲鳴も暴れ方も酷くなっていく。

 せっかく助けたのに、この高さから落ちたら。そう思ってしっかり握ると、締め付けられていると勘違いされ、男は更に激しく動いた。


『違う。食べないから。食べないから……!』


 クソッ!

 どうしたらいい。

 暴れて落っこちそうになる男を、僕は左手も添えて守ろうとした。

 すると彼は更に暴れた。


「アアアアアアアアアッ!!!!」

『違うんだって! 違う! 僕は!!』


 何だこれは。

 どうなってるんだ。

 なんでそんなに怯えているんだ?

 感情の昂りを必死に抑えようと、僕はまた歯を食いしばる。

 口の隙間から炎と共に蒸気が漏れる。

 手の中の男だけじゃない。竜騎兵達も、翼竜も、一様に怯えている。そして、丘の上で待機している神教騎士達も、僕のことを恐ろしい、危険な竜だと……!


『タイガ! まず、手の中の人を解放しよう』


 レンさんの声も震えている。


『君がそういうつもりじゃないことは、僕らには理解出来ているけど』


 両手の中でもがき、泣き叫ぶ男の心が垣間見える。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 真っ白い巨大な竜が、凄まじい形相で彼を睨み付けている。

 彼は白い竜の手の中で神に祈り、家族への最期の言葉を巡らしている。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




『残念ながら君は、残虐な破壊竜にしか見えないんだよ……!』


 ――胸が締め付けられるのと同時に、太い竜の尾が波打った。

 スドォンと激しく地面に叩きつけられた尾で、地鳴りが起こった。

 地鳴りと同時に風が巻き起こり、土埃が高く舞った。

 悲鳴、叫び声、怒鳴り声。

 僕はゆっくりと屈み込み、ふるふると震える両手を地面にまで持っていって、手の中から竜騎兵の男を解放した。

 男は一人では歩けない様子だった。二匹の翼竜が地面まで下り、背中から仲間の竜騎兵達が飛び降りて男のそばに駆け寄った。


 彼らは僕を見上げて顔を青白くしながら、男に回復魔法をかけていた。

 男はかなり重傷らしい。必死に呼びかけているようだが、反応が薄い。

 異変を感じたイザベラさんが、牧草ロールの陰から飛び出して怪我をした竜騎兵の男に駆け寄っている。強烈な回復魔法をかけ、どうにか応急処置は間に合ったようだけど、白い竜に掴まれた恐怖で、男は結局動けずにいるようだった。


 頭の上の方には、なおも僕に攻撃し続けようとする竜騎兵達がいて、魔法で生成された巨大な鳥の上に乗ったアリアナさんが、攻撃を止めるよう必死に訴え続けていた。

 アリアナさんは彼らの攻撃に果敢に立ち向かっている。

 僕は頭の上で展開されている戦いを感じるのが精一杯で、動くことすら出来ないでいた。



 そうか。

 そうだった。

 僕は恐怖の対象なんだ。



 理解した。

 今までずっと、理解していたつもりでいたけど、今やっと、本当の意味が分かった。

 あいつが放った台詞の意味。

 あいつの苦しみ。

 あいつがやろうとしていること。

 分かった途端、笑いがこみ上げてくる。

 けれど竜の身体じゃ、それは笑いにはならなくて。

 興奮気味のおぞましい竜が鼻息を荒くしながら熱い息を吹き出し、ニタリと口角を上げたようにしか見えないだろうけど。


『大丈夫か、タイガ。……酷い、ことを、言ってしまった』


 申し訳なさそうなレンさんの声が、僕の耳元でハッキリ聞こえた。

 レンさんに言われたのか、リサさんが僕の足元まで駆け寄ってくるのが見えた。


『いえ。問題ありません。本当のことなので』


 厳しい顔で僕のことを怪訝そうに睨みながら、リサさんは僕の横を通り、イザベラさん達の方へ向かっていった。

 そして男の無事を確認すると、ホッとした様子で踵を返し、僕の足元までそろそろと近付いてきた。


『一旦、止めようか。君の心的負担が大きすぎる』


 レンさんは、僕に作戦中止を促した。

 僕は小さく首を振る。


『いいえ。大丈夫です。それに、中止したら、この後もう一度同じことをするわけですよね。白い竜の姿を二度も見ることになるのは、やはり一般市民の負担になると思います』

『しかし』

『いいんです。ビビさんが言ったように、僕の気持ちや都合なんて無視して構いません。市民部隊の皆さんが落ち着いたら、教えてください。しばらく、動かないようにしますから』


 極端な前傾姿勢のまま、僕は固まった。

 少しでも動けば、また何か別のものに被害が及びそうだった。

 吸収魔法を発動させようとするリサさんを、レンさんは大声で止めていた。リサさんは僕にあまり顔を見せないようにして、レンさんの元へ戻って行った。

 アリアナさんの説得で、上空にいた竜騎兵は攻撃をやめ、神教騎士がいるのとは別の丘へと向かって行った。怪我をした男ともう二人の竜騎兵も、どうにか連れ立って翼竜に跨り、仲間の待つ丘へと飛んで行った。

 上空が静かになった。

 ノエルさんの錬成した怪鳥が光の粒になり、アリアナさんもやっと地上に降り立ったようだ。そのまま、レンさん達の待つ牧草ロールの陰に戻ってゆくのが見えた。


『……タイガ、こっちはもう大丈夫。イザベラが翼竜から落ちた彼を助けたことで、竜騎兵達はどうにか話を聞いてくれた。君が静止したのも良かった。もう、動いても大丈夫。その姿勢、大変だったろ?』


 レンさんの言葉がやけに響いた。

 僕は、男を解放するために地面に付けたままだった両手を、ギュッと握りしめた。肩から背中にかけて緊張しきっていた筋肉を解し、中途半端に広がった羽をギュンと広げる。ブワッと風が巻き起こり、枯れた牧草が舞った。

 大きく息を吐きながら、姿勢を起こしていく。体内の熱を炎と共に口と鼻から噴き出して、呼吸を整えた。この巨体を維持するために、僕の身体の中心は炉のように燃え滾っているのだろうか。


『二号のこと、匿ってくれてありがとう。定位置に戻して数値の観測を続けるよ。あとは、君のタイミングで柱に向かって。上手くいくことを願ってる』


 終始変わりない調子で話しかけてくれるレンさんの、抑揚のない台詞。

 杭を壊す。

 僕はそれだけを考えていればいい。

 何者だとか、周囲からはどう見えているかとか、心が壊れそうだとか、あいつも同じ景色を見ていたのか、何の覚悟を持ってこんな未来を選んだのか、自己犠牲とは、救世主とは、神とは……! そんなことは一切考える必要がない。

 様々な感情がぐるぐると渦巻いて、本当は逃げ出したいけど、あいにくこんな巨体じゃ目立って仕方がないわけで。


 よく考えてみろ。元々、逃げるなんて選択肢はどこにもなかった。

 あいつはそういうのも多分計算して、ゲームを仕込んだんだ。

 杭を壊さなければ、世界は滅びる。

 杭を壊すには竜化が必須。

 竜になれば、僕は破壊竜だと認識される。

 杭を壊せるのは白い竜だけで、その白い竜というのが、レグルノーラの中で、僕とあいつだけだなんて。

 覆すことの出来ない、どうしようもないことに対してああだこうだ考えたところで、結局僕のやることは変わらない。

 杭を壊す。

 それだけ。


『やります』


 僕は両手でそっと、杭を掴んだ。

 竜の力を、杭に込める。

 身体の隅々から、竜石で作られた杭に全ての力を流し込むようにイメージする。

 杭は赤黒い光を帯び始めていた。

 満たされた暗黒魔法が反応しているのだろうか。

 杭に、少しずつ亀裂が入っていく。


『ひびが入った! いけるか?!』


 レンさんの、少し興奮したような声が聞こえる。


『あと、もう少し……!』


 僕は更に力を込めた。



――『君はまだ、自分の中の本当の闇を見ていないのだな』



 唐突に、あの声が頭を巡った。

 パキパキッと音を立て、杭が崩れていく。

 砕けた……!

 粉々になった竜石の一つ一つが赤黒い光を放った。方々ほうぼうに光が拡散する。

 暗黒魔法が発動した。

 ヤバい。

 ヤバい、ヤバいぞ。

 巨大な竜の身体が、闇に、呑まれていく……!!

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