2. 例外

 巨大な円柱の表面に、僕の姿がくっきりと映っていた。

 どこか諦めの表情をした、白い髪の少年。

 ずっと恐くて怯えていた白い竜の血を、僕はいつの間にか受け入れていた。

 多分、過去を見たからだ。

 人知れず苦しみながらも、大切な人達を守りたくて、あいつはずっと耐えていた。

 耐えて、耐えて耐えて耐えて。

 そうして守ってきた世界を、……あいつは、自ら壊そうとしている。


『あー、タイガ、聞こえる?』


 深呼吸をして集中力を高めようとしたところに、機械音混じりのレンさんの声が聞こえてくる。

 音源はタイガ二号。

 レンさん達は、山積みの牧草ロールの影から僕と杭の様子を確認しつつ、指示を出す算段になっていた。


「聞こえてますよ」

『良かった~! そっちの声も聞こえてるよ。こんなこともあろうかと、会話できるようにしといたんだよ。僕って天才だよね』

「ですね」


 こっちに飛んでくる前に、レンさんから軽くタイガ二号についての機能説明があった。

 僕の魔力がどれだけ高まっているか、竜化がどれだけ進んでいるかを数値で測るのがメイン機能。周辺で著しく魔力が増幅されれば、そちらにも反応するように出来ている。二号の目に相当する部分にはセンサーが付いていて、それで感知するらしい。

 極端な数値変化があったり、一定の数値に達したりすると警報が鳴る。

 レンさんのタブレットで数値は常にモニタリングしているそうだ。

 目の部分にはレンズも仕込まれていて、こちらの様子がタブレットに映し出される仕様。マイクとスピーカーも搭載してあるそうで、お陰で離れていてもこうやって話が出来るのはありがたい。


『数値もちゃんと測定できてる。今は安定してるようだけど、柱にもっと近付いたら変化あるかな』

「試してみますか」

『ああ頼む。ただし、触るのはちょっと待ってくれよ』

「了解です」


 僕は枯れた牧草を踏みしめ、慎重に杭に近付いた。

 普段は神教騎士達が周囲に誰も近付けないよう、交代で警備していたと言うだけあって、杭の周辺三メートル前後からは、牧草が踏まれた形跡もない。刈り取ることも許されなかった牧草が、杭の根元でピンと背を伸ばして色づいていた。

 膝丈まで伸びた牧草を踏みしめ、一歩一歩と近付くが、見た感じ、何の変化もない。


『こんなギリギリまで近付いても極端な数値変化はないようだな。タイガはどう? 身体に変化とか』

「いや、普通です。数値も変化してないんですよね?」

『ふ、触れてみる?』

「やってみます」


 スピーカーの向こう側で、ごそごそと人の動く音がする。

 もし仮に何かが起きた場合でも対処できるよう、ノエルさん達は事前に打ち合わせをしていた。

 魔法学校の時みたいに、ノエルさんが巨大な魔法生物で僕を止める。リサさんが吸収魔法で僕の竜の力を急速に吸い取る。アリアナさんは攻撃、またはレンさんとイザベラさんの警護。イザベラさんには、聖魔法を期待している。なんてったって、竜石柱の杭は、暗黒魔法で満たされているらしいからだ。

 あらゆる生物を触れるだけで魔物化させるという杭。

 本当に、白い竜の血を引く僕だけが例外なのか。

 手を伸ばす。

 そっと、そっと、そっと……。


「あれ」


 竜石の冷たい感触が指先に伝わり、次いで指の腹、手のひら。

 右手をピッタリとくっつけたが、特に何の変化もない。

 僕自身もそうだけど、杭自体にも変化がないように見える。


「触ったんですけど、なんともないですね」

『……なんとも、ない。数値にも変化がない。やっぱり、白い竜には無効なのか』


 レンさんの、驚いたような声。


「本当に、杭を触っただけで魔物化なんかしたんですか」

『疑り深いな君は。信じられないなら、その辺で蛙でも捕まえて石柱にくっつけてみろ』

『レン、自分で責任の取れない発言は慎んだ方がいいですよ』


 スピーカーの向こうで、イザベラさんがレンさんをいさめている。

 信じていないわけじゃないけど、こう、何もないと不安になってしまうわけで。


『と、とりあえずさ。どう? 触ってみた感触とか、石柱の様子とか……』

「感触は、普通です。普通の石。大理石の柱みたいな感じ」

『音がするとか、振動がするとか』

「ないですね。ちょっと、耳を当ててみます」


 ほっぺたと耳をひっつけ、目を閉じて音に集中してみるが、特にこれと言って何もなく。


「やっぱり、ただの石柱ですよね? 別にこれと言って……」

『仕方ない。じゃあ、竜になって触ったら変化があるかどうか。竜化の過程で柱を壊さないように、ちょっと離れてからやってくれよ』

「ですね。了解です」


 一旦杭から離れ、さっきライナスさんと話していた場所まで戻る。

 二号も僕にくっついてくる。

 戻りながらふとレンさん達の方を見ると、ノエルさんが少し離れた位置に動き、魔法陣の錬成準備に入っていた。


『こっちはいつでもいいよ。タイガのタイミングでどうぞ』

「分かりました」


 前は、人前で竜になるなんて、最悪でしかなかったんだけど。

 求められて竜化するようになるなんて、思ってもみなかった。

 それにしても、ヤツはどうして、白い竜にしか壊せない杭をわざわざ十二本も。――いや、そんなのはどうだっていい。

 竜だ。

 竜にならなくちゃ。

 目を閉じ、深く息をする。

 叫び声を上げ、身体の奥底に閉じ込めていた竜の部分を曝け出す。

 徐々に力が高まり、僕の周囲に風が渦巻き始めた。


『竜化値上昇確認。やっぱり無意識時より上昇効率が高い』


 身体の形が変わっていく。

 人間ならざるものへ変化していく。

 鱗が浮かび、角が生え、背中に羽の感覚。肥大化していく身体に耐えきれず、服が破ける。骨格が変わり、徐々に口が裂け、人語を話すことが出来なくなる。背中から伸びた太い尾。僕の身体は以前よりも角張り、背びれのトゲは増し、鋭くなっているようだ。

 ――叫び声が竜の雄叫びに変わる。

 ズドンと地面が揺れ、僕の尾が地面を叩いた。


『で、デカい……!!』


 息をつくと、口から熱い火のようなものが漏れた。

 目を開く。

 杭の天辺が胸の辺りにある。


『予想より随分巨大じゃないか……!』


 杭の高さは約十五メートル。目線がこの高さだとすると、二十五メートルから三十メートルくらい。十階建てのビルくらいか。

 デカすぎる。

 確か、市民部隊の翼竜は羽を広げてもそんなに大きくはなかった。

 もしかして成人前のこの状態でも、普通の竜よりかなり大きいんじゃないだろうか。

 周辺の住宅地が直ぐそこに見えているし、その向こう側に広がる都市部の高層ビルまで見渡せている。

 そして牧草ロールの付近で待機するレンさん達が、ミニチュアみたいに見える。


『竜化値は振り切れてるし、魔力値も一〇万超えてる。平常時で五〇〇前後だから、二〇〇倍? 普通の人間とは違うと思ってたけど、とんでもない力を押し込めてたんだな……』


 さっきまで僕の直ぐ後ろにいた二号も、どこにいるんだか姿が見えない。とりあえずレンさんの声が聞こえてるってことは、近くにいるんだろうけど、少し遠いところにいるのか、声が随分小さく聞こえる。


『ね、ねぇ、リサ。この状態でタイガと意思疎通出来るか、肝心なところ考えてなかったんだけど、どうするべきだと思う?』


 と、急にレンさんの声が弱々しくなる。


『どうって……、前は、こっちの話は通じてるような通じてないような感じで』

『確かタイガは竜になると喋れないんじゃなかった?』


 アリアナさんが言うと、レンさんは『やっぱり!』と悲痛な声を上げた。


『うっかりした。普通に喋れる仮定で動いてた。どうしよう。竜になって内面的に変化があるかとか、石柱は抜けそうかとか、色々聞きたかったのに』

『声帯が変化するから、竜になると上手く喋れないんですよ』

『だよねぇ。あ、こっち見てる? 暴れてないってことは、理性は保ててるっと……。数値も高止まりしてる。悪くはないな』

『ただ、ちょっと気分が高揚しているので、なるべく抑えようとは思いますが』


『へぇ。気分の高揚。軽い興奮状態かな』

『……って、レン! 今、誰と喋って』

『何言ってるんだよ、アリアナ。タイガに決まってるだろ』

『たった今、意思疎通出来ないって話してたじゃない!』

『え? でも、タイガの声が。……えええ?!』


 牧草ロールの陰で、レンさんがひっくり返りそうになっている。


『僕自身は喋れないので、そっちのスピーカーで僕の声を具現化させたらどうかと思い立って。上手く聞こえてますか? 大丈夫なら手を振ってください』

『ハァ?! 声の具現化?! き、聞こえてるけど、どういう原理だよ!』


 タブレット片手に、僕に大きく手を振るレンさんが見えた。

 どうにか意思を伝えることが出来ただけでも成功だ。

 ただ、知らないうちに変に万能になってて、気持ち悪くもあるんだけど。


『まぁいいや。今聞こえてるのがタイガの声だって証拠が欲しいな。こっちの声も聞こえてるなら、何か合図して!』


 合図?

 喋れないし、手を振っても暴れてるように見えそうだし。

 そうだ。

 僕は軽く息を吸い込み、思いっきり空を見上げて、大きく息を吐いた。

 ブオオッと口から炎が吹き出す。これなら遠くからでもよく見えるんじゃ……。


『う、うわあっ! そいういうんじゃなくて!』

『地上からでもこの方がよく見えるかなと思って』

『あのな! 死ぬかと思ったよ、こっちは!』

『あー、ですね。反省します』


 さて。

 眼下の杭に視線を戻す。

 破壊竜になったヤツがどのくらいの大きさなら、これを“杭”なんて表現できるんだろうか。推定三十メートルになっても、やっぱり杭はかなりデカい。

 抜いた方がいいのか。

 砕く?

 砕け散ったらどうなるのか、想像も付かない。

 住宅地までの距離を考えると、粉々に砕いたところで細かい欠片が飛びそうな感じもする。考えようによっては、ここでどのくらい飛散するか検証することで、住宅地での杭の処理に役立てられそうではある。だから最初にここを選んだんだろうけど。


『風も問題ない。周囲に人影もない。まず、石柱に触ってみようか』

『了解です』


 僕は手を伸ばし、杭の上部に触れた。

 上部は平らで、竜になった僕の手のひらにすっぽり収まる程度。

 触れたからと言って、相変わらず、何の変化もない。

 危険なようには、とても思えないんだけど……。


『レンさん、やっぱり何も起きません』

『となると、砕いてみるしかないわけか』


 ……――ピピピッ

 二号の警告音。耳元で聞こえるってことは、僕の頭の後ろにでもくっついてるのか?


『ん? 何だ急に。歪み……、転移魔法か!』

「タイガ!! 後ろ!!!!」


 地上から、ノエルさんの怒号が響いた。

 後ろ?

 半身を捻る。

 ――空中に、転移魔法の光。しかもデカい。


「竜騎兵だ!!」


 光の輪を潜り抜け、市民部隊の翼竜が次々に現れる。

 ビュンビュンと凄い速度で目の前を飛び、あっという間に五匹の翼竜が僕の周囲を取り囲んでいた。


『チッ、ここに来て市民部隊かよ……!』


 レンさんの悔しそうな声。

 敵対中の市民部隊に、僕のことがどう伝わっているのか。今日のことだって、連絡が行ってるとは考えにくい。

 翼竜の背中で、竜騎兵の一人が大きく右手を掲げ、僕の注意を引いた。


「邪悪な白い破壊竜の目撃情報が、エルーレ地区随所から多数寄せられた。白昼堂々、よりにもよって、竜石柱の真ん前に現れるとは。やはり、白い竜が全ての元凶のようだな」


 予想通りの反応ではあるけれど。

 杭についての情報は、三年経っても市民部隊にすら届いていないのか……!

 てことは、ヤツらは僕を、杭に近付くヤバいヤツくらいの認識で見ているってことだ。

 これはかなり面倒くさい……!

 ギリリと歯を鳴らし、ふぅと大きく息をつくと、ついでに口から炎が噴射する。それを攻撃だと勘違いし、竜騎兵達は一斉に警戒態勢に入っていた。


「三年前、塔の魔女と共に迎え撃った、あの時とは格が違う。より邪悪で、より凶暴な力が全身に溢れている。滅するほかない。おぞましい、破壊竜め……!」


 あの時。

 塔の魔女ローラ様に無理矢理竜にされた日、僕を襲ってきた市民部隊の連中か。


『タイガ! 攻撃するな! 竜騎兵はこっちに任せて、君は石柱を』

『――いや、そういうわけにはいきませんよ、レンさん。こいつらを先にどうにかしなくちゃ、じっくりデータも取れないでしょ? 今後にも関わるんだから、僕が動きます』


 本当に、最悪だ。

 最悪なタイミング。

 どうしてこう、何もかもが嫌な感じに重なってくんだ。


『仕方ない。こっちはこっちで応戦するけど、やり過ぎるなよ、タイガ』

『そうします。殺さない程度には』


 竜化すると、やたら気分が高揚する。

 なのに、力は抑え続けないとならない。

 前途多難な状態に、僕は苦笑いするしかなかった。

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