【16】暗黒魔法と破壊竜
1. 一本目の杭
レグルノーラは特殊な平面世界で、明確な季節というものがないのだと聞いた。
太陽が何故そこにあり、夜になると星がちらつき、月が昇るのか。湖に浮かんでるなんて言うけれど、その湖が一体どういう状態でそこにあるのかを知る術はない。
だけれど、一定の光を浴びれば作物は育つし、葉は色づき、散るらしい。
レグルノーラの暦はリアレイトに準じているそうだ。季節はないから、十二ヶ月を四つに分け、方角同様、季節名代わりに四体の守護竜の名を冠した名前で呼んでいる。リアレイトで言う九月は、“ルベールの一月”らしい。
エルーレ地区にある広大な牧草地は収穫期の終盤を迎えていて、あちこちに巨大な牧草ロールが転がっていた。僕がノエルさん達と特訓した場所から程ない場所にも牧草ロールが大量にあった。その景色の隅っこに、巨大な石柱が立っている。
「こうして近くに来ると、異様さが分かるな」
牧草地の緩やかな丘の上で、ノエルさんが言った。
イザベラさんの転移魔法で飛び、目を開いた瞬間に飛び込んできた柱のシルエットに、誰もが圧倒された。
細くて長い、巨大な石柱。レグルはそれを、“杭”と呼んだ。
美しい景色を分断するように、杭は深く刺さっていた。
「思いのほか大きいでしょう。あの柱に、いかなる生物も寄せ付けないというのは、ほぼほぼ不可能なのですよ」
言いながら、イザベラさんはスッと都市部に指を向けた。
「ここからも、少しだけ見えますね。ニグ・ドラコ地区に一つ、フラウ地区に一つ。あの周辺は、それぞれ住宅地や工業地域になっているんです。人の営みの中にも、柱は立っている。私達、教会の人間だけでは世界は守れません。本当は、塔も教会も関係なく、みんなが協力して立ち向かうべきですのに」
街並みの中に、景色にそぐわない長細いシルエットがはみ出していた。
そうやって、世界中に杭は打たれたわけだ。
「近くまで行きましょう。騎士団の面々が、柱を守っています」
神教騎士団。
かつてのいざこざが思い出され、懐かしくなる。
優しい風の吹く丘を、僕らはゆっくりと下りていった。
*
自走式の二号は牧草を絡めぬよう、腰の辺りをフワフワとくっついてくる。普通に歩いているときは、僕の一メートルくらい後ろをキープするよう設計されているらしい。白い竜の姿を模したというだけあって、真っ白と言うより灰白色に近い鱗の色をよく再現していると思う。かなり拘ったんだろうか。
そして二号の直ぐ横にはアリアナさん。ピッタリくっついて、時々二号を撫でながらニコニコ顔でくっついてくる。絶対、新しいペットか何かと勘違いしてる。気に入りすぎだと思う。
リサさんはというと、その更に後ろから、ノエルさんと横並びになって、難しい顔をしながらくっついてくる。思考を読まれたくないのか、あんまり目も合わせてくれない。
眠っている間にどれだけの頻度でリサさんを襲っていたのか分からないが、警戒の赤がガンガン出ているところを見ると、やっぱり僕のことを、今までとは違う目で見ているに違いなかった。
「あ! いたいた!」
丘を下っていくと、石柱の周辺に人影が見えた。
白いローブが数人、服装の違う人も混じっている。
レンさんが大きな声を出して手を振ると、向こうでもこっちに気が付いて手を振り返してくれた。
タブレットやら修理道具やらが入った大きめのリュックを背負ったレンさんは、荷物の大きさを感じさせないような軽快な足取りで走っていった。
僕達も後に続く。
杭の数百メートル後ろには住宅地や農地が迫っている。あと少し場所がズレていたら何かしらの犠牲があったのではないかとヒヤッとしてしまうような、本当にギリギリのところに、杭は立っていた。
眼前に迫ってくると、その不気味な杭の全貌が見えてくる。
表面は磨かれたようにツルツルしていて、辺りの景色をくっきりと映し出していた。全体的に黒っぽくはあるが、映り込んだ景色が美しく、圧迫感までは感じない。幅の割に異様に高いのは気になるけれど。
「副団長! お久しぶりです!」
レンさんが騎士団の一人に声を掛けていた。
副団長と呼ばれたその人は、軽く手を上げてレンさんに歩み寄り、にこやかに応対している。
その顔には見覚えがあった。
「副団長、ライナス?」
ポツリと言うと、その人はレンさんの方から、僕に視線を移した。
「神の子……?」
目を見開き、驚きの色を滲ませるその人は、僕が近くまで寄ると、ウッと身構えた。
「み、見違えたな。しかし、間違いなくおぞましい程、竜の気配がする」
間違いない。
あの日、住宅街で僕を追いかけ回した神教騎士の男だ。
「ライナスさん、その節は、……すみませんでした。僕は何も知らなかったので、ついうっかり、色々と」
軽く頭を下げると、ライナスさんは両手を挙げ、ウワッと首をブンブン横に振って大袈裟に反応した。
「そ、そういうのは、やめていただきたい。あの頃はまだ、教会は神の子を敵視していた。捕らえたあと、殺すかも知れなかった。今とは事情が違う。追いかけ回された方が謝るのでは、筋が通らない」
脂汗が額を覆っている。
どうやらライナスさんは、竜の気配を異常にハッキリ感じ取れる“特性”を持っているらしい。
大丈夫ですかとレンさんが心配するくらい、過敏に反応している。
「それにしても。べべ、別人だ。見た目もそうだが、あ、あの日の気配とは、比べものにならないくらい……」
ライナスさんはそこで台詞を呑み込んだ。
警戒の赤がより一層濃くなっている。
やっぱり僕の気配は、人間のものとは全然違うってことなんだろう。
ライナスさんの顔は真っ青だった。
申し訳ないくらい、具合が悪そうだ。
「なんだ。タイガ、知り合いなのか」
レンさんは脳天気だ。知り合いにしては異常な反応をしていることに気付いていないのだろうか。
「リアレイトで襲われたんですよ」
「ハァ?!」
「ほら、僕、命を狙われてたんで」
そこまで言って、ようやく理解したらしく、レンさんはアアッと変な声を上げた。
「そ、そうだった。すっかり忘れてた。君、そういう立ち位置だったね。馴染みすぎだよ」
頭を抱えるレンさん。
大人なのに、反応がいちいち面白い。なんて言ったら、本人は怒るんだろうけど。
「馴染んでるつもりはないですって。単に、そこにしか居場所がないだけで」
僕は鼻で笑ってから、ふと杭を見上げた。
杭の周辺には、簡単に近付けないよう、ロープが張られている。
暗黒魔法で満たされた杭は、触れるだけであらゆる生物を魔物化させてしまうらしい。
白い竜にしか壊せない。
どう考えても、これを人間の姿で砕くのは無理だ。
「デカいな」
隣で、ノエルさんが言った。
「ヤバいですね」
他に、言いようがない。
「僕が触っても、魔物化しますかね」
「どうだろう。白い竜にしか壊せないのに、触れないのはちょっと困るな」
「僕が魔物化したら、ノエルさんが止めてくださいよ」
「冗談言うなよ。何人がかりで止めりゃいいんだ」
だけど実際問題、どうすればいいのか見当も付かない。
結局、竜の力を吸い取りすぎれば竜石は砕けてしまうという性質を利用するしかないんだろうけど。
「どの程度の力で壊れるのか、実験も兼ねた方がいいんじゃないかな」
と、レンさん。
「今の、人間の姿で、力を出し切るだけ出し切ってみて、反応を見る。次に少しだけ竜化してみる。竜化にも段階があるよね。ちょっとだけ竜の特徴が出る程度、人間とは言い切れないけど竜の特徴が多く出ている程度、どちらかというと竜に近いけどまだ人間の言葉を話せる程度。それから、ほぼほぼ竜になって、巨大化。段階を幾つか区切って、どのくらい竜化が進んでいないと出来ないのか、どの程度まで力を注げばいいのか、タイガ自身が実験していくような感じでやってみた方がいいと思う。なにせ、このほかにあと十一本もあるんだから」
「……そんなこと、出来ると思います?」
レンさんの好奇心が分からない訳ではないけど、いくらなんでも都合が良すぎる。
「だいたい、その中途半端が一番醜くて嫌なんですけど」
「何? 自分の姿、見たことあるの?」
「……リサさんの記憶で。心が抉れました。勘弁してください」
感情論云々もあるけれど、その中途半端な状態をキープできるかも分からないわけで。
レンさんはつくづく、自分の興味に正直な人らしい。
「柱を壊すために、竜になるつもりか?」
青い顔をしたままのライナスさんが、口元を押さえて気持ち悪そうにしながら僕をチラ見した。
「人間の姿のままでは、破壊は無理ですから。ただ、自分の意思で竜になったことはないし、どのくらい巨大化するのかも、やってみなきゃ分からない。出来るだけ周囲に被害が及ばない程度にとどめるつもりですけど、暗黒魔法がどんなものか、想像も付かないので。やってみて、それから今後の方針を決めた方がいいんじゃないかなと」
「……いちいち癪に障る言い方だな」
「まぁまぁ、ノエルも落ち着いて」
と、レンさんが割って入る。
「他に方法がないんだから、多少ムカついても怒らない怒らない。絶賛反抗期中なんだよ、タイガは。ただ、竜化するとなると、騎士団の皆さんにも避難して貰わないと。タイガの成長に合わせて、三年前に魔法学校を襲ったときよりも巨大化するだろうし……。副団長、丘の上まで避難するよう、お願いしてもいいですか」
「いいだろう」
ライナスさんは具合悪そうにしながらも、淡々と話を受けてくれた。他の神教騎士達と共に、丘の上からことの成り行きを見守るそうだ。
杭の高さは約十五メートル、直径約一.五メートル。
倒れたり崩れたりすることも考えて、レンさん達にも周囲二百メートル程度離れて頂く。
僕の近くにいるのは、AIロボの二号だけ。
万が一のことがないよう、祈りたいところだけど。――恐らく、それは無理な話。
きっと何かが起こる。
僕は呼吸を整え、空に伸びる杭をじっと見つめていた。
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