3. 何者

 三年二ヶ月振りの食事は、あの夜のメニューと殆ど一緒だった。

 教会の食事は相変わらず質素で、健康的ではあるがカロリーが少ない。

 野菜スープ、塩パン、カボチャと卵のサラダ、青菜と小魚の和え物。

 世界が妙なゲームに支配されても、教会の人達は代わり映えのしない生活を続けている。

 普通の生活にと言いつつも、教会は直ぐに僕を解放したりしなかった。相変わらずガラス張りの部屋の中で暮らさなければならないようだし、監視も続くようだ。

 フィルさんの他にも何人かが、部屋の中に入ってきたり、或いは部屋の外にやって来たりしたけれど、みんなやたらとピリピリしていた。誰もが警戒の赤を漂わせていて、頭の中に響いてくる言葉は僕に対する恐怖で満たされていた。


「……リサさんはずっとそうやって、睨んでるつもり?」


 ベッド横の簡易テーブルで食事を摂る僕を、リサさんが部屋でじっと睨んでいる。椅子に座ってはいるけれど、その緊張感たるや、真っ赤な色で部屋が満たされる程。


「大河君が知らないだけで、私はずっとこうしてきた。――あ。ごめんなさい。大河君じゃないかも知れないんだっけ」


 リサさんはもう、僕の知ってるリサさんじゃなかった。

 僕のことを警戒し、監視するために、ここにいる。

 白い竜である僕の力を抑えることが出来るのは、竜の力を吸収する竜石で生成された魔法生物のリサさんだけ。

 リサさんは人間じゃない。なのに、喰おうとしてた。どれだけ飢えてたんだ、僕は……!


「君、誰?」


 またこの質問。

 重々しい空気が辛くて、空腹なのに、全然食事が進まない。まだ、スープを何口か啜っただけ。


「僕は、僕だよ」

「僕って?」

「僕は……」


 長い沈黙。

 僕とリサさんの様子を覗くようにしながら、何人かがガラスの向こう側を横切った。

 こうして話している声も、恐らくは外部に丸聞こえなんだろう。僕がいつ急に暴れ出すか分からないから、みんな警戒してる。


「僕は、白い竜なんだと思う」


 リサさんは目を大きくした。


「僕はもう、芝山大河じゃなくなった。世界を破滅に導こうとしている、あの忌まわしい破壊竜を倒す運命を課された、白い竜になったんだ」


 監視されながら食べるご飯は、全然美味しくなかった。

 三年、二ヶ月。

 とても長くて重い空白が、僕とリサさん、そして世界を、隔てていた。






 *






 病衣から私服に着替えても良いと許可をもらう。

 ジークさんが見立ててくれたらしき服が届き、早速袖を通した。

 僕が以前着ていた服とあまり印象が変わらない物を選んでくれたようで、そこは素直に嬉しかった。

 一緒に、これを付けてくれと渡されたのは、腕に巻くタイプの黒い端末だった。

 僕の魔力値と竜化値を測るためのものらしい。

 左腕にはめると、カチッと音がして、ディスプレイに文字とグラフが浮かび上がった。


「不自由で申し訳ないとは思うけど、そこは理解してくれよな」


 レンさんは二十代後半、茶色に近い金髪の青年で、ビビさん、フィルさんの仲間。僕を監視している人間の一人らしい。

 若いけどしっかりしてそうな人。爽やかなヒアシンス色を纏っている。


「こんなもの付けたところで、竜化したら破壊されるわけだから、あんまり意味ないと思うんだけどね。数値が分かった方が安心できるからって、教会上層部がうるさくて。それ、結構するんだよ。お願いだからあんまり軽々しく竜化しないでよ」

「……分かりました」


 ある程度の数値になると、監視本部で警報が鳴るのだと、レンさんは付け加えた。


「昔、干渉者協会があった頃は、数値で魔力を測ったり、一定の技量があるか審査して、干渉者をランク付けしてたらしい。けど、本部がドレグ・ルゴラの襲撃で破壊されて、その後平和な時代を迎えたから、こういう、力を数字で示すような技術は一旦途絶えたんだ。それを、うちのボス、ビビが蘇らせた。数値が測れれば、効果が可視化できるってわけ」


 要するに、僕の魔力や感情が急激に高まるのを察知すれば、止めることも出来るだろうと。


「防水加工してあるから、シャワーの時も外さなくて大丈夫。――っていうか、外せない仕様なんだ。ゴメン」


 言われなくても、そういうことだと思っていた。

 こういうものを身につける代わりに、ある程度の行動は許可するということなんだろう。


「あくまでも、数値を計測するため、ですか。端末自体が制御装置みたいになってるわけじゃなくて」


 念のため尋ねると、レンさんは渋い顔をした。


「制御装置とか、魔力吸収装置とか、そういうのは流石にまだ小型化が進んでない。というか、やっと開発が始まったくらいなもんだよ。君みたいな存在が他にいればだけど、君一人のために一から設計開発しているわけだから、限界がある。だからリサに頼らざるを得ない。彼女が吸収できる魔力量は、採掘された竜石とは比べものにならないからね。しかも、吸収した竜の力を体内で変換させて、別の魔法を発動出来る。一体どうすれば、そういうものが作れるのか。無から有を作り出してる訳だろ? そういう、神のみが持ちうるような力を持っているってことは、やっぱりあの方は神なんじゃないかと疑ってしまうけどね」

「仮に、ヤツが神なら、僕は神殺しをすることになる」


 呟くと、レンさんはウッと声を詰まらせた。


「神じゃなかったとしても、親殺し。どちらにしても、僕は大罪を犯す前提で動かなくちゃならない。そういうことですよね」


 だんだん慣れては来たけれど、低くなった声で言うと、益々仰々しく聞こえるわけで。


「……今のままだと、そうなるな」


 レンさんは僕に負けじと、淡々と返してくる。


「レグルノーラは、白い竜同士の戦いでめちゃくちゃになるかも知れない。僕らはそれに加担しているかも知れない。だけど、このまま手をこまねいていても、結局あと二年弱で、大地はあの杭によって砕かれるわけだろう? だったら……、少しでも生き残れる方に賭けたいと思うのが、普通じゃないかな」






 *






 自由に動き回れるのは祈りの館の地下までで、そこから先はIDがないと通れない仕組みらしい。

 トイレ、洗面、シャワールームとガラスの部屋。監視部屋にも行けるけど、自分を監視している場所は胸糞悪くて行きたくなかった。

 食事は居所の食堂から運ばれてきて、食べ終わったら食器が回収されるシステム。

 時間を持て余しても、それを解消する術もない。

 リサさんは相変わらず部屋の隅から僕をじっと睨んでいる。何を、話してくれることもなく。






 *






 神教騎士が三人がかりで迎えに来て、僕は本部棟へ案内された。

 三人とも、僕に用事を伝えるだけで震え上がっていた。

 リサさんも、僕の後に付いてくる。

 移動時間も、ずっと無言だった。

 会議室に通されると、ずらりと関係者が並んでいる。アーロン枢機卿始めとした教会上層部、ウォルター司祭、イザベラシスター長、ジークさんとノエルさん、アリアナさん、それに、ビビさんとレンさん、フィルさんも。コの字に組まれた会議テーブルを囲って、みんな険しい顔をしている。

 僕は神教騎士に左右と後ろを挟まれた状態で、コの字の開いたところに通された。

 リサさんは入り口付近で立ち止まり、席に着く様子はない。

 一斉に視線が僕に向く。

 黄色や赤、紫、青、灰色、黒。漂う色は全部、僕に向けられた複雑な気持ちを滑稽なくらい強烈に表していた。


『あれが神の子か』

『おぞましい』

『何だあの白い髪は』

『化け物の気配がする』


 彼らの感じた僕への印象が、次々に胸に刺さってくる。

 だけどそれもまぁ、ある程度想定していたことなわけで。これくらいで心が乱れることはないんだけど。


「すっかり大人になったな、神の子よ」


 アーロン枢機卿は僕の正面で、静かに言った。

 枢機卿の真後ろの壁には、大量に情報が書き込まれた市街全図。所々汚れていたし、破れかかっているところもある。


「覚えているかどうか。その節は失礼した。私はアーロン。竜石柱破壊計画の最高責任者だ」


 竜石柱。

 竜石で出来た杭だとヤツは言ったけど、大きすぎて柱と呼称していたのを、リサさんの記憶で見た。


「三年と二ヶ月。貴殿の目が覚めるのを、今か今かと待っていた。事態は一刻を争うのに、肝心要の神の子の意識を奪うという卑劣な行為により、この間、この問題は解決するどころか、最悪な方向に転がっていった。都合のいい話だというのは重々承知している。しかし、これは貴殿以外には解決できないこと。民衆の犠牲をこれ以上増やさないためにも、どうか、力を貸して貰えないだろうか」


 アーロン枢機卿は、何だか以前よりも丸くなっていた。

 他の聖職者に比べても、僕に対する敵意は少ないように見える。

 ジークさんとノエルさんは、流石歴戦の英雄、と言ったところか。平常心のままで僕を見ていて、アリアナさんは好奇の色半分、恐怖半分で、顔色は真っ青だ。

 ビビさん達三人は、僕の監視で慣れきっていて、心に揺らぎはない。

 一番厄介なのが、教会幹部。さっきから頭にガンガン響く罵詈雑言は、殆ど彼らのもの。神に仕えると言いながら、一番動揺しているし、敵意を振りまいている。

 僕はグルッと会議室を見渡して、僕に向けられている目線と色を、一通り確認した。

 眠っていた間も、僕は教会に多大な迷惑をかけ続けていた。それでも教会は、僕を守った。たとえ、一人一人が僕に敵意を向けていたとしても、それは個人的な感情に過ぎない。彼らは大人だ。自分の中に感情を押し込めて、アーロン枢機卿に同調しようと努力しているようだ。


「僕の方こそ、長い間ご迷惑をおかけしました。全力を尽くします」

「よろしく頼む」


 アーロン枢機卿は、はげ上がった頭を汗でぐっしょりにして、ふぅと大きく息を吐いた。


「……闇の力は感じられぬようだが」


 聖職者の一人が声を上げ、すっくと立ち上がった。

 眼鏡をかけた、気難しそうな男だ。


「かの者同様、闇の力を表に出さぬだけで、破壊思想に塗れている可能性が無きにしも非ずでは」

「ダニエル司教。言葉をお選びください」


 横からウォルターさんが声を掛ける。


「いいや、ウォルター。ここでハッキリすべきだ。我が神の名を冒涜した偽神の血を引く、忌々しき少年よ。そなたは何者だ。眠っている間、何を見た。ウォルターの話では、力と記憶を解放されたと。であるならば、その力とは、すなわち破壊竜の力ではないのか」

「ダニエル司教……!」

「枢機卿はご納得なさったようだが、私は納得しません。こんな、化け物のような気配を漂わせた者に、世界の命運を賭けるなど、無謀にも程がある。目を覚ましたのですから、塔の要求どおり、くれてやれば良いのです。あとは塔の魔女が煮るなり焼くなり好きにしてくれるでしょう。我らが騎士団を犠牲にしてまであの柱を守り続ける理由など無いはずだ」


 ギッと、ダニエル司教は、僕とアーロン枢機卿を交互に睨んだ。


「このような正体不明な者を匿い続けた結果、教会はどうなりました。世界の敵ですよ。人々を慈しみ、平和を祈り続ける教会が何故! 悪の集団だと批難されなければならないのか。よぉくお考えください、枢機卿! このままでは善良なる信者も、攻撃の的になる。そんなことは絶対に避けねばならんのです。――さぁ、もう一度問う。少年よ、そなたは何者だ!」


 ダニエル司教はビシッと、僕を指さした。

 興奮で、赤い色が身体中からはみ出して見える。

 教会の大多数が、ダニエル司教と同じ考えなのだろう。頭に響いてきた言葉の断片から判断しても、それは否定できない。

 人間は、未知のものに対して恐怖を抱く。

 自己防衛本能が働く。

 僕は彼らの常識から逸脱した存在だから、そう思われても仕方ない。

 ダニエル司教の目を見る。

 恐怖に怯えた目。

 知らないものに対する恐怖が、彼を怒らせている。


「白い竜です」


 腕の端末が、ピピピと鳴った。

 ビビさんとレンさん、フィルさんが音に反応して、慌てて立ち上がる。


「僕は、白い竜です。それ以上でも、それ以下でもない」


 端末の音が更に激しくなった。

 空気が動き出す。

 会議室の入り口で様子を見ていたリサさんが、ズンズンと後方から迫ってくる。

 ジークさん、ノエルさんも、立ち上がって身構えている。


「それとも、僕が化け物の方が、破壊竜であった方が、都合が良いですか……?」


 左腕にはめていた端末がパンと弾け飛んだ。カラカラと床に転げたそれを見て、レンさんがああっと声を上げている。

 メキメキと身体が軋み始めた。

 僕の内側で、何かが大きく膨れていく。

 風が吹き出し、ゴオッと会議室を巡った。

 僕は、自分が少しずつ竜の姿になろうとしているのを感じていた。

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