7. 覚醒

 僕は記憶を辿りながら、過去を追体験した。

 途切れ途切れのVTRを見ているかのように、場面はどんどん切り替わった。











 美桜が行方不明になった。

 リアレイトからも、レグルノーラからも姿を消した。

 父さんと母さんが不安の色を漂わせ、神経をピリピリさせている。

 居心地が悪くなって、小さい僕は部屋の隅っこに縮こまっていた。

 急に嵐が来たみたいに思ったんだ。

 早く、嵐が去れば良い。

 だけどその嵐は、なかなか止むことはなかった。











『最後のお別れをしてきた』


 美桜の失踪から程なくしたある日、帰宅した父さんがポツリと言った。

 母さんが肩を震わせて、小さい僕を抱きしめた。

 僕と母さんの背中を、父さんが大きい手で交互に撫でた。

 全て忘れていたはずなのに、小さい僕の中にぽっかりと大きな穴が開いた。











 心の中には常に何かが引っかかっていた。

 それを払拭しようと藻掻く度に、感情が溢れた。

 泣きわめいたり、当たり散らしたり。

 その度に、父さんと母さんは僕を抱きしめる。

 凌が抱きしめられなくなった分。

 美桜が抱きしめられなくなった分。

 それに父さんと母さんの愛情を加えて、ぎゅうっと抱きしめる。

 僕に欠けていたのは、凌と美桜。

『愛して貰え』と凌は言った。

 無責任だ。

 親友に押しつけて、小さい僕を置き去りにした。

 置き去りにして――……、ヤツはたった一人、全ての罪を背負って、真っ暗な洞穴の中に幽閉されたんだ。





















 記憶は巡る。





















 父さんと母さんを初めてパパ、ママ、と呼んだ日。

 幼稚園の卒園式で大泣きだった父さん。

 真新しいランドセルを背負って、桜の木の下で家族写真を撮った日。

 小学校に行きたくないと布団から出られなかった日。

 九九を覚えて誇らしげに母さんに披露した日。

 僕の名前の由来を聞いた日。

 友達が出来なくて、悩んだ日。

 一人で自転車の練習をした夕暮れ。

 僕を心配した父さんが長い休暇を取り、キャンプに連れてってくれた夏。

 虐められてることを誰にも言わないと誓った日。

 僕は世界の中でただ一人、誰にも見えないもう一つの色が見えているとても厄介な人間で、これが何を意味するのかと悶々と考え、一睡も出来なかった夜。

 愛されているはずなのに、僕は孤独だった。

 僕は誰にも理解されない、受け入れられない存在じゃないかと疑っていた。



 ――リサさんに会った。



 世界が、開けていく。

 僕がどうして他の人と違うのか、少しずつ理解し始める。

 他人の目線が、だんだん恐くなくなっていく。

 何かになれるかも知れないと思い始めていた。

 それは決して、その時の僕が望むものではなかったかも知れないけれど、それでも、何だか嬉しくて、こそばゆくて。



 僕は、凌みたいになりたかった。



 強くて、優しくて。

 愛する人達のために、必死に生きていこうとしていた凌に、僕は憧れを抱き始めていた。

 そうだ、憧れたんだ。

 記憶を封じられ、顔も声も覚えちゃいなかった本当の父親に、僕は心底憧れた。

 何が凌を突き動かしていたのか、僕にはまだよく分からない。

 分からないけど、心が苦しくなるくらい、僕は凌に憧れてしまっていた。





















 涙がつうと、目尻を伝う感覚。

 零れ落ちた涙は、真っ黒な湖にぽとりと落ちた。

 ぽとり、ぽとり、ぽとり。

 そうやって沢山の涙を集めた湖は、レグルノーラの遙か下で、僕らのことを静かに見守っている。











 長い長い、記憶を辿る旅が、もうすぐ終わろうとしている。





















『魔力値上昇。八九〇、九〇〇、一,〇〇〇……、まだ上がります』

『リサ、準備を』

「吸収続けてます。だけど、抑えきれない……!」

『制御装置は正常に稼働してる? 数値下がらないんだけど』

『失礼だな。正常だよ。神の子の魔力が尋常じゃないんだって』


『騎士団の応援はまだ?』

『二、三分で到着するとでも思ってます?』

『チッ! 使えない。もっと使える人間はいないの?』

『塔との和解協議で留守だって言ったらどうします』

『両方とも和解なんてするつもりないクセに』

「限界量、超えそう。いつもと感じが……!」


 けたたましい警報に混じって、いろんな声が降ってくる。

 うっすらと目を開けると、天井に目一杯描かれた大きな魔法陣が白い光を放ち続けているのが見えた。レグル文字はまだ読めない。でも確か、あの単語は“魔法”で、あれは“竜”、“封じる”。

 ベッドの上。

 ここはどこだ……?


「大河君! 大河君起きてる?!」


 ガバッと勢いよく僕の視界に飛び込んできたのは、長い金髪を振り乱した――、リサさん。だと思う。

 赤く身体を光らせてるし、これは白い竜の力を吸収したときの反応だから、多分間違いないと思うんだけど。

 ……こんな、顔だったかな。急に大人びて。


「ビビさん! 大河君、覚醒してます!」

『覚醒? どおりで……!』

『一,五〇〇、一,七〇〇、二,〇〇〇、二,五〇〇……。上昇率急上昇、制御装置限界。振り切れそうです』

『リサ! 大河と会話できる? 気持ちを落ち着かせれば、数値が下がるかも』

「やってみます。――大河君、目、覚めてる? 大丈夫?」


 誰と会話してるんだろう。

 一体、何が起きて。


「大丈夫、だけど。リサさん……、だよね?」


 恐る恐る出した声が、なんか変だった。


「うん……!」


 リサさんは相変わらずの杏色をいっぱいに広げて、僕に満面の笑みをくれる。

 ただ、その杏色は不安色の青と紫に侵食されていたけれど。


『会話、出来てるみたいです。以前のような混乱は見られない模様』

『数値的には変化無いけど、目視で竜化は確認できる?』

「えっと……、大丈夫です。鱗、角、牙の出現なし。正常です」


 何の話?

 慌てて飛び起きようとした僕は、自分に無数の線が繋がれていることを知る。

 無理矢理引っ張ったせいで点滴が抜け、皮膚のあちこちに張り付けられていた装置が外れた。


「あっ! 大河君、勝手に動いちゃ!」


 リサさんがバッと僕に抱きつき、ベッドの上に押し戻してくる。


『数値上昇、止まりません』

『リサ、もう少し会話を』

「急に動いたら危ないよ、大河君。一旦落ち着こう」


 落ち着けったって。

 リサさんの豊満な胸がむぎゅっと当たって、全然それどころじゃない。

 白い病衣を着せられているようだし、点滴されてたし。変な装置が何個もベッド周りに置かれてる。

 病院?

 違うな。

 どこかの施設だ。

 僕はとても狭いところに閉じ込められている。

 四方がグルッとガラス張りの部屋。

 僕はリサさんと部屋に二人きり。それを何人かが部屋の外側から覗いていて、スピーカー越しにリサさんに話しかけてる。


「ここは……?」


 長く眠りすぎて、自分の声すら分からなくなってるのかも。

 やっぱりなんか変だ。

 僕の声なのに、僕の声じゃないみたいな。


「何が、起きてるの……?」


 リサさんはゆっくりと僕から身を剥がした。

 ベッドの縁に座り直したリサさんは、胸元に手を当て、少しだけ長いため息をついた。

 鎖骨の少し下、服の隙間から、胸元で赤く光る魔法陣が見える。

 何だかとても辛そうな顔。リサさんは片方の手で僕の手を握り、そこからずっと僕の力を吸い取り続けている。


「竜化してないのに、前よりずっと強い力を放ってる。眠っていた力が大きすぎた反動で、覚醒するまで時間がかかったんだよ。私が吸い取れる限界を超えてる。だけどどうにかして――、大河君が辛くならないよう、協力するから、絶対に絶望だけはしないで欲しい。約束、出来る……?」


 変な言い方。

 確かに、何だか前より力がみなぎっているような気がしないでもないけど。

 目を覚ましたばかりで、何も。


「わ、分かった。約束、する」


 半身を起こしながら、僕はとりあえずの返事をする。

 やっぱり何かがおかしい。

 閉じ込められてるし、竜化してるか確認されたし。

 眠っている間に何かがあったのは間違いないんだと思う。

 確か僕は、レグルに無理矢理記憶と力を解放されたはずだ。

 十二本の杭を全て破壊するゲーム。白い竜の力でなければ壊せない杭を、レグルは世界各地に打ち込んだ。


 ヤツのことをどう呼んだら良いのかまだよく分からない。レグル、リョウゼン、凌、ゼン。いずれにしたって、ヤツは危険な存在に違いない。

 記憶の中で見るヤツはとても穏やかなのに、僕の前に現れるときはいつも化け物染みていた。

 目が覚めたらもっと殺したくなっているはずだとヤツは言ったけど、今のところ、よく分からない。ただただ、優しすぎた過去のヤツを見せつけられただけだったけれど。


「落ち着いて聞いてくれる?」

「うん……」


 身体を起こして、僕はリサさんの方を見た。

 リサさんが少し小さく見える。

 確か僕より十センチくらい高かったはずなのに。


「三年経った」


 ポツリと、リサさんは言った。


「あれから、三年。君は眠り続けていた。眠っていた力が大きすぎて、反動で眠り続けていた。もう、君はあの時の君じゃない。弱くて、何も出来なくて、苦しんでいたときの君じゃない」

「さん、ねん……?」


 確かに長い時間、眠っていたけれど。

 長すぎる記憶の旅で、僕は自分の人生をもう一巡してしまったけれど。


「三年間、君は眠り続けた。眠っている間に、君は何度も暴れた。大きすぎる力と、記憶の波に翻弄されるように、何度も暴れた。私達は協力し合って必死に君を匿った。この部屋は、君を守るために、君の力を外部に漏らさないようにするために作られた。君がまだ、芝山大河として生きる意思があって、暴走したレグル様を止める覚悟があるのだとしたら、――力を貸して欲しい。この世界を救うために、白い竜の力を使って欲しい」


 何だ。

 何だろう、この違和感。

 僕はリサさんとは対等で、いや、寧ろ僕の方がずっと年下だから、こんな風に気を遣って話されるような間柄じゃないはずなのに。

 緊張の色と不安の色が、リサさんの杏色の中を漂っている。

 何かがおかしい。

 僕は首を傾げ、ふと、ガラスに映る自分の姿を見た。



 クセの付いた白髪の、赤い目をした青年。



 そこにいたのは、僕の知る、僕ではなかった。

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