6. 愛して貰え

『……芝山君、大丈夫だった?』

『うぅん、まぁ、どうにか。三日は寝込んだかな。凌は半月くらい学校休んだけど、三日で済んで良かったじゃんって、哲弥に言ったらムスッとされたけどね』

『三日かぁ。急に休んだから、仕事も大変だったんじゃないの?』

『その辺は哲弥、用意周到だったみたいよ。溜まってた年休、まとめて取るつもりで仕事も片付けてたから、極端な支障はなかったって。流石よね』


 美桜と母さんが、小さな僕の頭の上で何やら話している。

 美桜の膝の上で、半分寝かかっていた僕は、ぼんやりした頭で何となく声を聞いている。

 芝山家の僕の部屋に、おもちゃが少しずつ運び込まれていった頃。真新しいカーペットに並べた車と電車のおもちゃでごっこ遊びをしていて、小さい僕はすっかり満足して寝かけていた。


 移行期間みたいなものがあった。

 突然芝山家の子どもになると、きっと僕は混乱するだろうからと、凌と美桜は少しずつ、小さい僕が芝山家で過ごす時間を延ばしていた。何も知らない僕は、僕の好きな物が沢山ある広い家に来ている、くらいの感覚だった。

 大好きな凌と美桜が近々僕から離れていくなんて、きっと分かってなかったんだろう。美桜の柔らかい膝の上を占拠して、とても良い気分だった。美桜は時折僕の頭を撫でたり、身体をトントン叩いたりする。何となく覚えてるこのリズム。そうか、あれは美桜の。


『眠っていた力が多ければ多い程、“力の解放”による反動が大きくなるって言うもの。三日は長い方だと思うけど。芝山君もかなりの素質を持ったってことでしょ?』

『大河を守るために必死なのよ。……ねぇ、凌は本当に、大河にあんなこと、させようとしてるわけ?』


 母さんが語気を強めた。

 美桜は少し唸ってから、


『多分、としか言いようがない。本当のこと、言いたがらないから』


 歯切れの悪い言い方をした。


『美桜に言わないんじゃ、誰にも言ってないかも知れないね。凌って、そういう変に頑固なところがあるじゃない。昔から、みんなが幸せになるために、全部自分で背負い込んでしまうって言うか。子どもの頃から、ホント、変わんない』

『怜依奈、小学校の時、一緒だったんだっけ?』

『そう。虐められてた私を助けてくれたの。自分だって、嫌われてたくせに。……でも、変にカッコつけてるんじゃなくて、本気なんだよね、いつでも。根っからの正義の味方って言うの? そんな感じ。美桜がいなかったら、本気で私が凌にアタックしてたのに。残念だなぁ』

『ええぇ、まだ言う?』

『言うわよぉ。逃した魚は巨大だった……、なぁんてね。今は哲弥がいるし、凌は美桜じゃないとダメだったって分かるから、別に嫉妬なんかしてないけどね。で、その凌がなんで大河に……。“向こう”で何が起きてるの?』


 母さんは落胆したような声を出した。

 リズム良く僕をトントンしていた美桜の手が、ふと止まった。


『分からない』

『え?』

『分からないけど、多分、凌はもう、凌じゃなくなる。凌じゃなくなってきてる』

『……早いね、思ったより』

『少し前の話なんだけどね。ローラと塔の役人に、大河を渡すよう迫られた。大河を、打倒ドレグ・ルゴラの最終手段として育てたかったみたい』

『――ハァ? ローラって、塔の魔女でしょ? まさか塔は、凌を、レグルを信用してないってこと?』


 美桜はこくりと、大きく頷いた。


『破壊竜ドレグ・ルゴラを倒せるのは、白い竜だけなんだって』

『白い竜って、確かレグルノーラには』

『他に、白い竜は存在しない。ドレグ・ルゴラ自身と、その娘の私、そして大河。大河を渡せないなら、もしもの時私がドレグ・ルゴラを、レグルを倒すのかってローラに言われた。神々しい、古代神レグルの化身に違いない、なんてレグルを持ち上げていながら、塔はこれっぽっちも彼を信用してない。世界の平和を守る塔の魔女らしい発言だと思うわ』

『……最悪』

『最悪だけど、言いたいことはとても良く分かる。もしものことなんて起きるはずがないと信じたいけど、古代神教会もレグルも、最近何だか様子がおかしくて。とても嫌な予感がする』


 ふと美桜を見上げると、何か思い詰めたような、苦しそうな色が広がっていた。


『みお、だいじょうぶ?』


 小さい僕が、ポツリと言った。

 美桜はハッとして、


『うん、大丈夫。大丈夫だから、ねんねしても良いよ』


 僕の頭を優しく撫でた。

 柔らかくて、温かい手。

 僕は、この手を覚えてる。


『ぼくが、りょうをやっつけるの?』


 ――空気が凍り付いた。

 辺りに広がっていた不安の色が、一気に無彩色に変わる。


『た、大河、何言ってんの?』


 母さんが身を乗り出して、僕の顔を覗き込んでくる。

 美桜は目を見開いて、固まってしまっている。


『りょうはわるいやつなの? どうしてみんな、しろいりゅうがきらいなの?』


 見えていたんだ。

 小さい僕には見えていた。

 凌の心は見えないけれど、他の人の心はハッキリと見えていた。

 白い竜に対して恐怖を持っている人達がいること、レグルを見る度に震え上がっていたり、怒りを抑えながら接していたり、懐疑心を抱かずにはいられないような人もいたし、気持ち悪さで吐き気を催しているような人もいた。


 たとえ凌が、平和を取り戻すために破壊竜を取り込んで自分の身体の中に封じ込めたのだと言ったところで、市井の人々にとってはそんなの、結構どうでも良いことだったのかも知れない。凌の悲しみとか、凌を支える人達の苦しみとか、そういうものは存外蔑ろにされているものなんだと、今なら分かる。

 見えない努力、見えない苦労を、普通の人は感じない、見ない、考えない。

 表面の、薄い膜だけ見て判断する。


 例えば僕らが、丁寧に包装された贈り物の包みで中身の値段を推測しているように。

 世界を破滅に導く白い竜の姿をしているのだから、きっと、レグルは悪いやつに違いないと。

 どうしてその姿になっただとか、どうして今は平和なんだろうとか、そんなことは彼らの知るところではなくて、少しでも違和感があるならば、それを排除してしまおうと安易に考える。

 世界を創ったという神が白い半竜だったなんてことも、愚かな人間によって迫害され、世界を破滅させようと暴れまくったのもまた白い竜だったてことも、何一つ考えたことのないような人間が、白い竜の血を引く僕らの居場所を奪っていく。


『大河には、そんなことはさせない。私が守る』


 美桜は小さな僕を、ギュッと抱きしめた。


『大河を……、巻き込みたくない。もし止められるなら、私が彼を止める。けれど、もしものことがあったら、怜依奈、お願いね。私は大河を巻き込みたくないから、怜依奈達に大河を託すの。凌がどう思っているかなんて、関係ない。大河をドレグ・ルゴラを倒すための道具として使うなんて、絶対に認めないから。私の代わりに、大河を沢山、抱きしめてあげて……!』











 さようならと、美桜が言った。

 小さい僕は首を傾げて立っていた。

 ママが守るからねと、本当はもう、その呼び方は母さんに渡したはずなのに、美桜は僕にだけ聞こえるように、耳元で囁いた。

 愛して貰えと、凌が言った。

 凌は僕を抱きしめる美桜ごと、ギュッと抱きしめた。


 あれは、桜の季節だ。


 芝山家の庭に咲いた桜を、僕は見上げていた。

 父さんと母さんが玄関の前で僕らを見ていた。

 みんな、悲しそうな顔をしていた。

 空は抜けるような青で、桜はとても綺麗だったのに。

 誰一人、笑ってなかった。

 それは僕が凌と美桜と一緒に見た、最後の桜だった。











『俺達のことは忘れてもいいんだ。お前が白い竜だってことも、今は忘れていい。魔法をかける。とても強い魔法だ。だけどいつか、お前が大きくなっていけば、魔法はきっと解けてしまう。そしたら、全てを思い出す日が、きっと来る。自分が何者で、何が起きてて、どうしなきゃならないか、お前は悩むだろう。悩んで悩んで、きっと俺のことが嫌いになる。 それでいい。お前がどんどん大きくなって、俺を倒せるくらい強くなるまで、俺もどうにか踏ん張るから。それまで、パパとママに沢山愛して貰うんだ。誰かに愛されたってことが、きっとお前の支えになるはずだから』











 ――なぁ、凌。

 どうしてお前はそんな風に、いつも強がってばかり。

 本当は良いやつなの? 悪いやつなの?

 正直に言えば良いのに。

 自分の中で膨らんでいく破壊竜の意識に呑まれそうになっている、助けて欲しいって。

 世界を終わらせたくなくて、必死に破壊竜を止めようとしてたんじゃないか。

 何だよ、倒しに来いって。

 息子に、親殺しをさせようとしてる、最低最悪な父親。

 僕が納得するわけないって分かってるくせに。

 過去を知れば知る程、お前が如何にみんなのことを想ってて、如何に優しくて、如何に強い心を持っているか、思い知らされる。

 悔しいけど、嫌いになんかなれない。

 無理だよ。

 あんな悲しい目をして、あんなに思い詰めてるヤツを、どうやって嫌いになれば良い。



――『愛して貰え』



 違うだろ。

 お前が一番、僕のことを。

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