5. シバとレイナ

『へぇ、リフォームって凄いんだな。殆ど新築じゃん』


 凌の声が頭の上から降ってくる。

 また場面が飛んだ。

 今度は凌と二人、見覚えのあるところに来ている。

 だけど、何だか違う。新しい家の匂いがする。


『まぁね。せっかく大河と親子になるんだし、綺麗なところで暮らしたいなと思ってさ』


 後ろから声がして、僕はハッと振り向いた。

 父さん。

 若いときの父さんだ。

 芝山の家。

 僕が養子になる直前、中古で買った家をリフォームしたんだ。

 家具がまだ殆ど置かれていなくて、引っ越しが終わったばかりのこざっぱりしたリビング。床には傷が一つもない。掃き出し窓から差し込む光に照らされ、部屋中が眩しく光っている。


『悪いな、芝山。俺がこんなんじゃなかったら、大河のこと、頼まなくても良かったのに』


 凌はばつが悪そうに頭を掻いて、ため息をついた。

 若い父さんはハハハと笑って、バシンと凌の肩を叩く。


『気にすんなよ。大河が生まれたときから何となく分かってたことじゃないか。だから、少しずつ準備もした。いよいよその時が近付いて来たってだけだろ』


 二月の柔らかい日差しと、まだ冷たい風。

 引越祝いに、僕達は芝山家に来ていた。

 美桜と母さんは外にいて、二人でお喋りしているらしい。隙間を空けた窓の外から声が漏れ聞こえている。


『大河の部屋も作ったぞ。あとでおもちゃ、いっぱい並べような』

『ほんと? やったあ!』


 小さい僕は、無邪気にジャンプする。

 自分が養子に出されることを、この時の僕が理解していたのかどうか。

 広いリビングを駆け回り、真新しいソファに座り、キッチンに走って、それから洗面所、トイレ、和室を覗いたり、クローゼットに入ってみたり。


『大河はかくれんぼ上手だな!』


 見たことがないくらい父さんが笑ってて、凌も一緒になって笑ってて。


『二階行くか!』


 凌が僕の手を引っ張る。


『いくいく!』


 階段目掛けて走っていると、丁度母さんが美桜と家に入ってきたところだった。


『大河! 走ると危ないよ!』


 美桜の通るような声。


『大丈夫大丈夫! ほら、行くぞ!』


 無責任な凌の言葉に、美桜は呆れたように大きなため息をついていて、


『まぁ、元気で良いじゃん』


 若い母さんがアハハと笑っている。

 いつもはひょいひょい上がれる階段も、小さい僕にとっては巨大な壁のようだった。壁に手を付きながら、一段ずつ階段を上がっていく。いつまで経っても全然二階に着かなくて困っていると、凌が僕をひょいと抱き上げ、


『二階二階!』


 上機嫌で階段を駆け上がった。


『哲弥、あんたも付いてって! 凌が何かしでかすといけないから』

『はいはい。来澄が一番ヤバいもんな。新築に傷つけたがる』


 父さんも息を弾ませて階段を駆け上がってくる。

 二階に上がると、凌は並んだ扉を一つずつ開けて、ここはトイレ、ここは物置、ここは書斎かな? ここが寝るとこ、一部屋ずつ確認しては扉を閉めてを繰り返した。


『ここ、大河の部屋?』


 何も置かれていないその場所は、確かに僕の部屋だった。

 壁紙、照明、クローゼットの位置はそのままなのに、がらんどうで、変な感じ。


『大河の部屋にするつもりで設計してもらったんだ。日当たり良いし、風通しも良いし。勉強、し易そうだろ』


 後から追いかけてきた父さんが部屋に入ってきて、凌にドヤ顔で説明している。


『勉強か。流石芝山。ちゃんと考えてんだな』


 小さい僕は、何もない部屋の窓から外を覗いてみたり、ドアの後ろに隠れてみたり、クローゼットを開け閉めしたり、閉じこもってみたり。何もないところがそんなに楽しいのかってくらい、忙しなく動いていた。


『考えてるよ。自分の、本当の子どもとして育てるために、必死に父親になろうとしてる』


 父さんが力強く言う。


『りょう、シバ、みて! ほら!』


 小さい僕はバンとクローゼットの内側から飛び出し、両手をいっぱいに広げて、凌と父さんに存在をアピールした。

 凌が『おおぉ』と感嘆の声を上げると、僕は満足してフフンと鼻を鳴らす。

 父さんにもアピールするけど、あんまり反応がなくて悔しかったのか、ダメ押しで一言。


『シバもみて! ばあっ!』


 僕は父さんのことをシバと、母さんのことをレイナと呼んでいた。

 幼稚園の年長までずっと。

 親のことを名前で呼ぶ子もいたから、きっと、他の人はそういう風に呼ばせる家庭だと思っていたに違いない。


『シバじゃないだろ、“パパ”。いい加減、覚えろよなぁ』


 凌は僕の前に屈み、僕がシバと呼ぶ度に優しい顔で注意する。


『パパはりょうでしょ。シバはシバ』


 小さい僕は、何となく変なことを言われていることが分かっていて、ぷぅっと膨れっ面をする。

 父さんは凌の隣に屈み、


『そうだよな、大河は分かってんだな。偉い偉い』


 僕の頭に手を伸ばし、ぐりぐりと撫で付けた。

 それが何故か気に食わなかったらしく、小さい僕はブルブルッと身体を震わせて父さんの手を払いのけ、凌の後ろにそっと隠れた。


『大河、もっとパパに慣れろよな。これからはパパとずっと一緒なんだぜ? 俺のことは嫌いになるぐらいでないと困るんだって』

『無茶言うなよな、来澄は。最後の最後まで愛情たっぷり、べったりくっついてやりゃ良いじゃないか』


 少しだけ寂しそうな顔をして、父さんは凌に言った。

 僕は凌の背中にしがみ付き、肩から少しだけ顔を出して父さんのことを見ていた。


『なぁ、芝山。……あの約束、まだ覚えてるか』


 凌は突然、ぽつりと切り出した。


『約束?』

『もし、ゼンがまた黒く染まりそうになったり、俺がゼンを制御できなくなったりしたら、遠慮なく俺を殺してくれってヤツ』

『――ああ、覚えてる。ゼンと同化を決めたとき、言ってたな。戯れ言だと思ってるけど』

『頼むぞ』

『……え?』


『もし仮に俺とゼンが主従関係のままなら、俺を殺せばゼンは卵に還るはずだ。だけどそうじゃなくて、俺がゼンで、ゼンが俺で……、つまり、二つが完全に混ざり合ってしまったら、話は変わってくる』

『何言ってんだ? 来澄』


『良いから聞け。俺がレグルと呼ばれる二人の融合体に落ち着き、俺としての意識もゼンとしての意識も失ってしまうか、仮に意識は残っていたとしても、永久に分離できない状態になってしまうのだとしたら、恐らく、あの話は無効だ。もしものことが起きてしまったとしても、人間達は自力で解決できなくなる。最終的には、破壊竜と同等の力を持ち得る白い竜に頼るしかない。大河はそのために存在する。芝山に大河を託すってことは、つまりそういうこと。塔もそれならばと了承してくれた。お前の、塔での地位は約束された』


『はぁ? どういうこと? ちょっとイマイチ意味が』

『今は意味なんて分からなくて良い。そのうち分かる。……血だとか、運命だとか、そんなものに縛られたくないって思ってるのに、結局その呪縛からは逃れられない。だから、その時が来るまで、大河には普通の暮らしをさせてやってくれ。普通の家庭で、普通にたっぷり愛情を注いで育ててやってくれ。愛情を知らない白い竜では、恐らく太刀打ちできない。希望を、お前に託す。――頼むぜ、芝山』


 凌の、心の色は透明で、どんなに目を凝らしても、何も感じられなかった。

 だけどいつも、泣きそうな目をしている。

 明日にでも世界が終わるかも知れない、そんな風に思い詰めているような、とても悲しそうな目を。











『何の話してたの?』


 階下へ戻ると、美桜と母さんが、ローテーブルにおやつを準備してくれていた。

 凌は抱っこしていた僕を床にゆっくりと下ろした。


『いい家だなって。安心して預けられる。流石芝山、めちゃくちゃ考えてんだなってさ』


 さっきまで難しい話をしていたとは思えないくらいのニコニコ顔を、美桜と母さんに振りまいている。

 後から来た父さんは、そんな凌を見て、腑に落ちないような顔でフンと鼻息を荒くしていた。


『悪いけど、そういうつもりで大河を預かろうと思ってるわけじゃないからな』


 けど、凌は全然聞くつもりもないのか、床に直接座り込んで、小さい僕と一緒にお菓子に手を伸ばし始めた。


『え~、難しい話? 辛気くさくなるの嫌なんだけど』


 母さんが苦笑いして二人の間に入るけど、ダメだった。

 父さんを、凌は無視した。


『……認めない。認めるもんか。そういう役割を大河に押しつけて、来澄、お前は何を考えてる』


 凌は背中を父さんに向けたまま。

 父さんは、凌の背中を睨み付けている。

 小さい僕は、父さんが恐くて凌の懐に隠れてしまう。


『俺はいい。面倒事も全部引き受ける。そういう覚悟でいきてる。だけど大河は――、大河は、ダメだ。まだこんなに小さいのに、何考えてんだよ。関わらせない。関わらせてやるもんか。大河は、何が何でも……!!』


 小さい僕は、凌のお腹にギュッとしがみ付いた。

 父さんから、困惑の紫と怒りの赤が染み出しているのが見えていた。

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