4. 臭い

 僕の知らなかった、僕の記憶。

 もう会うことの出来ない美桜に抱かれていた。

 普通の父親だった凌と笑っていた。

 このまま記憶を辿っていけば、いつか、分かるんだろうか。



――『真実は、大河、お前が探し当てろ』



 あれは多分、凌だったんだと思う。

 自ら選んだ道があまりにも険しくて、辛くて、くじけそうになるのを必死に堪えていた凌と、恐ろしいゲームを淡々と始めようとする非情な凌。

 どっちが本当なんだろう。

 ……どちらも?

 だとすればどうして。



――『お前は長い眠りに就くだろう。目が覚めたら、世界が違って見えるはずだ。私を本気で倒さなければと、今まで以上に思うはず』



――『私は何者か、お前は何者か。次に会うのは、お前が私を倒すときだと、そう、信じている』



 僕はきっと、この言葉の意味を知るために、長い長い、記憶の旅に出るんだ――……。





















『わあっ、綺麗。ネックレスに加工してくれたんだ』


 美桜の声に、僕はハッと顔を上げる。

 ひいじいちゃんちの前じゃない。

 どこだ。

 とても高いところにある部屋。窓からは空しか見えない。

 美桜の隣に僕がいる。

 テーブルに差し出されたアクセサリーを、小さい僕は美桜と一緒に覗き込んでいる。

 赤く透き通った綺麗な石。ぼんやりと光を放っているようにも見える。


『竜石を加工するの、かなり難しいみたい。これじゃ、効果は期待出来ないかも』


 向かいの席にいたのはローラ様だ。

 この前、塔でお会いした時よりずっと若い。


いにしえの救世主は、本当にこんなもので竜の力を抑えられたのかしら。疑問が残るわね。どう思う? ミオ』


 部屋にいるのは僕と美桜、ローラ様。

 子ども用の椅子に座らされ、足をぷらぷらさせながら、小さな僕は美桜の隣でジュースを飲んでいる。紫色の、甘いぶどうジュース。


『前の救世主や凌が同化してたのは、金色竜でしょ。人間と同化する変わった竜ってだけで、他の竜に比べて極端に能力が秀でていたわけじゃないもの。白い竜に比べたら、たいした力じゃなかった。だから、この程度の竜石でも抑えられてたんだと思う』


 美桜はネックレスを手に取り、じっと品定めをしている。

 長い髪の毛の間から、少し尖った耳が見える。うっすらと浮かび上がる白い鱗。隠しきれない竜の尻尾。

 美桜はレグルノーラに来ると、白い半竜になる。

 小さかった僕にとって、それもまた日常だった。


『そうか……、残念。どうにか、力になってあげたいと思ったんだけど』

『ローラが気に病むことじゃないわよ。白い竜はそのくらい特別だってこと。こんな小さな石じゃ、これから大きくなっていく大河の力を抑えるのは難しいかもね。かと言って、原石を持ち歩く訳にもいかないし。彼も彼で、どうにかならないか動き回ってくれてるみたいだけど』


『レグル様が?』

『うん。なんかね、竜石の採掘場になってる洞穴に、知り合いの竜がいるそうなんだけど、そこで竜石の活用方法についてちょっと相談に乗って貰ってるらしいの』

『確かに、グロリア・グレイなら何か知ってそうよね』

『そっか、ローラも知ってるんだ』

『ええ。彼女、竜の卵の番もしてるから』

『人間と主従関係を結んだ竜は、あるじが死ぬと卵に戻る……んだっけ』

『そう。その卵を、竜と契約を結びたがっている人間に与えるのが、塔の魔女の仕事の一つなの』


 レグルノーラで美桜は、あまり凌のことを名前で呼ばなかった。

 当時は不思議にも思っていなかったけど、今なら理由が分かる気がする。

 誰だか分からないからだ。

 凌なのかゼンなのかレグルなのか。

 混ざり合ってだんだんレグルになっていって、凌もゼンもいずれ消える。そういう予定だったということは、ウォルターさんの記憶で見た。


『竜と契約しなくったって、誰とも戦わなくたって良いような時代になれば、塔の魔女も不要になるのかも知れないけれど』


 ぼそりとローラ様が言った。


『争いの火種は知らないうちに蒔かれているって、ミオは聞いたこと、あるかしら。ほんのちょっと、些細な考えのすれ違いが、とんでもない わざわいもたらすことだってあるの。それを見過ごさないようにしなければならなかったんだけど。もう……、遅いのかもね』

『それって、古代神教会のこと?』


 手の中のネックレスを小さなケースの中にしまいながら、美桜が聞いた。


『ええ、まあ、そういうこと』

『……塔に、信者が攻撃を仕掛けようとしていた話? 橙の館を出て塔で生活するようになったら、全然世の中の事情、分からなくなっちゃって。でもその話はいろんな人が言ってた。塔に爆弾を仕掛けようとしていたって。相当……、危険よね』

『信者なのか、たぶらかされた人達なのか、よく分からないけど。タイガが生まれてから先、レグルを神の化身と認めない人達が徒党を組むようになった。その中心に古代神教会があるのは間違いないの』


『目障りってことよね。白い竜が』

『でしょうね。そして、あなたもタイガも白い竜の血を引いている。命を狙われるかも』

『そんな物騒なこと、するかしら』

『すると思うわ。狂信的になった人間に、歯止めは効かないもの』


 思い出した。

 それまで地上のお屋敷に住んでいた僕ら親子は、ローラ様の計らいで塔の天辺に住まわせて貰うことになったんだ。

 お屋敷の周辺にも変な連中がうろつくようになって、お手伝いさんが外に買い出しに行くのも大変になってきて。レグルが結界を張ってたから実際襲われることはなかったんだけど、何だかとても恐かった覚えがある。


『……ねぇ、ミオ』


 ローラ様は言いづらそうに寒色系の色を漂わせながら美桜の名前を呼んだ。


『彼、何者なの』

『――え?』

『今、彼は一体どうなってるの。リョウの意識はまだ生きてるの? レグル様の人格だけが残ってるの? ゼンは……、ドレグ・ルゴラは表に出てくることがあるの?』


 唐突な質問に、美桜は一気に顔を強ばらせ、苦しみの灰色を漂わせ始めた。

 小さい僕はジュースをひと飲みして、美桜の言葉を待った。


『……分からない』


 ローラ様が欲しい答えではないようだった。


『分からない? ずっとそばにいるのに?』


 腕組みをして眉をひそめ、語気を強めたローラ様の周囲には、怒りの赤色が少し混じっている。


『リアレイトにいるのは、間違いなく凌だけど。こっちの……、レグルノーラにいるときは、どっちか分からない。ローラの疑問に一つずつ答えるのだとしたら、凌の意識はまだある。リアレイトで過ごす時間は日々短くなってきているけれど、それでも普通に、凌として過ごしてる。だから、レグルの人格に統一されているわけじゃない。ただ、レグルノーラで凌の人格が現れることは稀になってきてる。あとはゼンだけど……、よく……、分からない。ゼンとレグルの境目は結構曖昧なのよ。元々、ゼンのこと、よく知らないし。だから、表に出てくるのかと聞かれても、ハッキリとは』

『つまり、私達の認識と然程変わりないってこと?』

『そう思ってくれて間違いない』


 歯切れの悪い、美桜の言葉。


『凌の……、臭いがしないの……』


 美桜は肩を震わせ、顔を両手で覆った。

 ローラ様はハッとして、美桜を見ていた。


『もう、随分前から凌の臭いが殆どしなくなった。前はあんなにハッキリと臭ってたのに、凌の臭いがしない』

『臭い? どういうこと?』


『あれは、凌の臭いじゃない。今は竜の臭いがしてる。恐ろしいくらい強い竜の臭いが、凌の臭いをかき消してる。凌はもう、凌じゃなくなりかけてるのかも。リアレイトでも、微かに臭う程度になってきてる。――凌の臭い、好きだったんだ。正義感があって、不器用で、だけど真っ直ぐな清涼感のある臭い。それが、ゼンと同化してから先、荒々しい竜の臭いに変わった。金色竜と同化してた時にも臭いは変わってたけど、あの時とは比べものになんかならない。全然別の生き物になってるんだって思い知らされる。大丈夫、今までとおんなじだと思いたいのに――、何故か、身体が拒絶するんだよね……。昔みたいに、接することなんて出来ない。本当に、神様かも知れないと思う時もあるくらい。嗅いだだけで、本能的に萎縮してしまうような臭いなの。そんな人を、夫として見ることなんて、無理。無理なの……』


 小さい僕には、美桜の泣く理由が分からなかった。

 悲しい、辛い時に漂う、海の底のような色が、どんどん溢れ出して、部屋中を侵食していった。

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