2. 法螺吹き大司郎
隣町から出前の仕出し弁当が届き、みんなで昼食を取った後、ひいじいちゃんと凌は難しい話を始めた。
小さい僕は、美桜と一緒に弁当の殻を片付けたり、荷物の片付けをしたりしながら、時折居間から漏れてくる会話に耳を傾けていた。
昔は大家族だったという来澄の本家はだだっ広い。そこに、ひいじいちゃんはたった一人で住んでいる。三人いた子どもはみんな東京や神奈川なんかに出てしまって、農家を継ぐことはなかったそうだ。
流石に米作りはやめてしまったけど、自分一人で食べる用に、今でも畑で野菜を作っているらしい。八十を過ぎても元気なのはそのせいだと、ひいじいちゃんはまたガハハと笑っていた。
凌の父、つまり僕の祖父、浩というのは、ひいじいちゃんの長男のこと。三人子どもがいて、三番目。末っ子長男というヤツで、随分可愛がられたらしい。凌はひいじいちゃんの孫の中でも一番若いのだそうだ。
その凌が自分より早く死ぬかも知れないと聞かされ、ひいじいちゃんはかなりショックを受けていたようだった。
『人生なんて分からんもんだな』
僕と美桜がこたつに戻ると、ひいじいちゃんはそう言って、僕の頭をこねくり回した。
小さな僕は面食らって、美桜の胸に抱きついた。
ひいじいちゃんはまた、ガハハと笑う。少し、寂しそうに。
『俺が代われんなら、いくらでも代わってやるのに、なんで凌が苦しむかね……。まだ、小せぇのもいるのによぉ……』
こたつの上に置かれたお茶から、ほんの少しだけ、湯気が立っていた。
ひいじいちゃんは苦しそうに、長いため息をついた。
『別に、死ぬってわけではないんだ。この世に、いられなくなるというか。じいちゃんの分かる言葉ではなかなか説明できないけど。昔……、堰に落ちたろ。あの後、色々あって、この世ではない別のところに行かなくちゃならなくて』
『相変わらず、凌は変なことを言うな。この世じゃない? 天国のことを言ってんなら、ちょっと病気でどうにかなってるってことだぞ』
『いや、まぁ、そうなるよな……』
居間の棚が、凌の身体の向こうに透けて見えている。
かと思うと、元に戻る。
何となく、思い出してきた。
確かこの頃、凌は頻繁にこうなった。具現化魔法のタイムリミットが近付いて、それでも必死に身体の具現化を保とうとしているとき、こうやって身体が透けるんだ。
凌の本体はレグルノーラにある。竜と同化したため半竜になってしまい、リアレイトにいられなくなったんだ。
レグルノーラから干渉することで、凌は今まで通りの生活を維持している。リアレイトで凌は、常に自分の過去の姿、人間だった頃の姿を具現化させていた。
単に異世界に干渉するだけでも――自分が本来いる世界じゃないところで活動するために、自分の姿を異世界で具現化させる――大変なのに、姿まで変えるとなると、相当な魔法力が必要になってくる。それを可能にしていたのは、凌が竜との同化によって得たという“神の力”があってこそなんだけど。
どうも、そろそろ、こうやってリアレイトに干渉すること自体が難しくなってきていたらしい。
『作り話だと思って聞いてくれて構わないんだけど、俺、別の世界で竜の神様みたいになったんだよ。で、こっちの世界には、人間の姿に化けて訪れてるような感じなの。だけどさ、それももうお終い。俺はもう、“こっち”にはいられない。人間の世界に、いつまでも遊びに来られるわけじゃなかったってこと。意味……、分かるかな』
竜の神様だなんて。
あの禍々しいのが神様なんて、僕は信じないけど。
『竜の神様?』
ひいじいちゃんはンッと声を出して、それから何か考えるように腕を組んだ。
『神様ってのはまぁ、言い過ぎかも知れないけど、“あっち”じゃみんな、俺のことを神様の名前で呼ぶんだ。俺、竜の神様とおんなじ姿になってるらしくて』
『まさかと思うけどよ、凌。その神様は、真っ白な竜じゃなかったか』
凌と美桜はギョッとして、顔を見合わせた。
『し、白い。何で知って……!』
凌が前のめりになると、ひいじいちゃんはちょっと驚いて、少しだけ身体をすくめた。
『まぁ、竜の神様の話は、あちこちにあらぁ。けど、それが白い竜だったら、まるで
『法螺吹き大司郎? 民話ですか?』
と、美桜。
『いンや。大司郎は、俺の親。凌のひいじいさんの名前だ』
『ひいじいさん……?』
何を言い始めるんだと、凌も美桜も首を傾げている。
小さい僕も一緒に首を傾げる。
『誰にも話したことはねぇんだけどよ。死ぬまでこんな話、するもんじゃねぇ、誰も信じてくれねぇし、誰にも話すべきじゃねぇと思ってたんだがよ。まさか凌に話すことになるなんて、ちょっと俺も驚いてる。だけど、凌になら意味が分かるんじゃねぇかと思って話すんだ。ちょっと、聞いてくれ。俺の親、来澄大司郎の法螺話さ』
パンパンッと、ひいじいちゃんはわざと気分を盛り上げるように手を叩いた。
ひいじいちゃんの周りには、紫がかった青色と、ホッとしたような薄いオレンジ色が漂っていた。
『大正の頃、まだ西洋の文化も知らねぇ、みんな和服で過ごしてて、医者や先生の息子や娘ぐらいが洋服を着ていたような時代に、大司郎はみんなに大見得切って、俺は西洋のなんたるかを知っていると、そう、話していたそうだ。大司郎曰く、本で読んだとか、誰かに聞いたとか、そういうんじゃねぇ。俺は外国にいつでも行けるし、外人とも仲良く喋れるんだと、そう言い張っていた。この村に西洋人が来たことはねぇし、大司郎も村から出たことはねぇ。なのに、町からやって来た医者先生より外国の文化に詳しいってんで、大司郎のことは村で話題になっていた。あんまりにも堂々と言うもんで、そういう作り話が上手ぇヤツなんだと、子どもの頃はそりゃあ、チヤホヤされたそうだ。だけどまぁ、ちょっと考えれば嘘だと分かるような話を、如何にも当たり前に話す大司郎は、そのうち法螺吹きと呼ばれるようになってな。大司郎の話すような国はどこにもなかったし、あまりにもめちゃくちゃだったから、まぁ、仕方なかったが、大司郎は、決して自分を嘘つきだなんて言うな、俺は本当のことしか喋ってないと胸を張っていたそうなんだ』
美桜が何か言いたげに、凌の顔を覗き込む。
凌は手を少し上げてそれを牽制し、またひいじいちゃんの方を見て、話の続きを聞いていた。
『妄想癖ってぇのかな。見えないものが見えたり、不思議なことを喋ったりする子どもだったんだと。西洋人も日本語を喋るらしいとか、空飛ぶ車に乗ったことがあるとか、妖怪をやっつけたとか、鉄砲を撃ったことがあるとか。村の小学校にもそれなりに、西洋の文化を書いているような本はあったが、大司郎はそもそも、本なんか全然読まなかった。今みたいにテレビもねぇ、ラジオもねぇ、マンガも、インターネットもねぇような時代に、大司郎はそんな夢みたいな話を本当みたいに喋ったらしい。それにな、不思議な力もあったんだと聞いている。誰かのへそくりを見つけてみたり、なくしたものを探し当てたり、怪我をさせた犯人を捕まえたり。あとは、火種もないのに火を付けたり、何もないところから水をすくったり、そういうことも出来たらしい。でもそれだって、法螺吹きの話だ。偶々言い当てたんだろうとか、手品みたいなもんだと思って誰も信じねぇ。その大司郎が、言ってたんだと。俺の知っている西洋の国には、白い竜の神様がいる。だけど、悪いことをしてみんなを苦しめている竜も、やっぱり白い。ありゃあ、白い竜の神様が、怒ってんだ。人間共はいつまで経っても仲良くしねぇ、直ぐに戦争を起こす。どんなに平和を願っても、全然話を聞かねぇ、ありがたがろうともしねぇから、白い竜の神様が怒って、人間共に罰を与えようとなさってるに違いねぇって。まあ、それも一理あらぁなと、今では思うがね。死んだおっかあからこの話を聞いたときは、とんでもねぇ法螺吹きだと思ったもんさ。大司郎は俺が生まれる少し前に戦争に行っちまって若くして亡くなったから、本当の話は誰も知らねぇ。けど、何となく、お前の話は大司郎の法螺話に通じるところがあるような気がするんだよ。……どうだ。意味、分かったか』
『……分かる。めちゃくちゃ分かる』
凌は声を震わせていた。
顔を真っ赤にして、額に手を当てて涙を堪えている。
『そうか。俺だけだと思ってた。大司郎も、俺と、おんなじだ……』
美桜に背中を擦られて、凌は声を殺して泣いていた。
ひいじいちゃんは、そんな凌を見て、何だか肩の荷が下りたような、ホッとした顔をしている。
『もしかして、大司郎は法螺吹きじゃなかったのか。だとしたら、俺も嬉しいなぁ。ずっと、法螺吹き大司郎の忘れ形見だなんて、言われて育ったからなぁ。大司郎も嬉しいだろうよ、自分のことを、法螺吹きじゃないって思ってくれるひ孫がいるんだからよぉ』
凌は無言で、何度も頷いていた。
小さな僕はきょとんとして、ただぼんやり、その様子を見ていることしか出来なかった。
仏壇の奥に、大司郎の写真があった。
ひいじいちゃんはずっと、写真を飾れずにいたそうだ。
『大司郎が戦死して、おっかあは大司郎の弟と再婚したんだ。俺の兄弟はみんなその弟の子でなぁ。大司郎の血を引いてる俺は、長男なのに、法螺吹きの子だって呼ばれて肩身が狭かった』
写真を片手に手を震わせるひいじいちゃんに、僕らはかける言葉もなくて。
『……大司郎さん、凌に似てる』
美桜が言った。
写っていたのは、不器用そうな素朴な青年だった。
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