3. 動き出す守護竜

「お前がゲームに勝てば、私を倒すチャンスを与える。お前が負ければ、世界は滅ぶ。単純なゲームだ。乗るか? それとも、何もせずに諦めるか?」


 倒すチャンスって何だよ。

 言い方が気に食わなくて、僕は思わずレグルを睨み付けた。

 けど、ヤツが動じるわけがなくて。それどころか、またニヤニヤと笑って、「どうする?」と聞いてくる。


「……やるよ」


 僕に許された言葉は、それしかなかった。


「やると言ったからには、最後までやるんだろうな? 本当に、世界が滅びるぞ」

「やってもやらなくても、滅ぼすつもりなんだろ」

「よく分かっている。流石は私の血を引く者。物わかりが早くて助かる」


 ――バンッと大きな音が、突如大聖堂の中に鳴り響いた。

 同時に冷たい夜風が後ろの方から吹き込んで、僕は咄嗟に振り向いた。

 大聖堂の扉が大きく開け放たれ、肩で息をするウォルターさんの姿があった。


「リョウゼン……!」


 大急ぎで駆けつけたのか、ウォルターさんは法衣を着崩し、少し寝癖があるように見えた。

 不安と恐怖の色を漂わせ、真っ青な顔をしている。


「何を……、何をしているんです。こんなところで……!」


 震える声でウォルターさんが話しかけると、レグルは僕の前からスッと消えて、扉の前に立つウォルターさんのそばに現れた。

 ウォルターさんはギョッとして足元をふらつかせ、倒れそうになる。

 その身体をレグルは右手でサッと支えて、


「あんなに愛おしかったのに、すっかり年を取ってしまったな。人間は老いるのが早すぎる。時は残酷だ。なぁ、そうは思わないか、ウォルター」


 白々しく親切な振りをした。

 ウォルターさんは思いきり手を払って、レグルから距離を取った。


「黒い水をばら撒き、罪のない人間を魔物に変えているのは何故ですか。大人しくあの場所に幽閉されていたわけではないのですか!」


 語気を強めるウォルターさんに、レグルはハハッと笑って返した。


「幽閉? そう、あの時、私の願いを受け入れてくれたこと、本当に感謝している。お陰で、巨大な竜の姿にならずに済んでいる。助かった。お前のお陰で今の私があるのだ。感謝してもしきれない」


「ふざけるのも大概にしてください……! あなたは誰ですか! 少なくとも、リョウゼンじゃない。かといって、ゼンとも違う。ではリョウか。違う。違う、違う、違う……! “あの方”の声と姿で、あなたは何を始めようとしている?!」


 ウォルターさんは苦しそうに自分の胸の辺りをギュッと掴み、必死にレグルに訴えていた。

 なのにレグルは腹を抱えて笑い出している。


「違う? 誰が? 私は私だ。お前は何か勘違いをしている」

「勘違い……?」

「私は一貫して、世界の平和と私の存在意義について考え続けている。凌もゼンも、長い間ずっとそのことばかり考えている。私は私。私は自分に与えられた責務を果たすのみ。――丁度良い。立会人になって貰おう」

「立会人?」

「そう。今から、私が大河と行うゲームの、立会人だ」


 こっちへ来いと、レグルは目で合図して、扉の前からこちらに迫ってくる。

 ウォルターさんも険しい顔でその後に続き、僕らのそばまで来たところで合流して、更にレグルの後ろに付いていく。


「ゲームとは?」


 ウォルターさんに聞かれたけれど、


「僕も、何のことだか」


 答えに窮する。

 何を考えているのか、この時点ではさっぱり分からない。


「賓客室の結界魔法が解けたのを感じて本部棟に様子を見に行ったら、もぬけの殻でした。魔法で鍵を開けて外に出たのだと分かり、お二人の行方を捜して大聖堂に来たのですが……。いつの間にリョウゼンが?」

「分かりません。でも、僕らが来るずっと前から、祭壇の前にいて、お祈りを」

「お祈り?」

「本人が、そう言ったんです」


 会衆席の間を抜け、古代神レグルの祭壇の前に出る。

 レグルはそこで一度足を止め、僕らにも止まるよう、手で指示をした。

 それからヤツは一人、ゆっくりと祭壇の周囲を巡り始めた。


「この世界の誰もが認めない、ドレグ・ルゴラの力を知っているか?」


 ヤツの声は、高い天井に跳ね返って、よく響いた。

 僕もリサさんも、ウォルターさんも、古代神レグルによく似たヤツの動きを逃すまいとじっと目で追うのがやっとで、問いには答えなかった。


「無機質な物体に、命を与えることが出来る。強大な魔力を使い、新たな生物を生み出すのだ。生物を無から作り出すのは神のみと、そう信じられているからこそ、この力は忌み嫌われ、恐れられた。何故、神を冒涜し、世界を破滅に陥れる白い竜に、そんな力があるのかと。……何故だと思う?」


 チラリと僕らの方を見て、ヤツはニタッと笑い、天蓋を支える四本の柱の一つに手を触れた。

 柱には、砂漠の審判者、フラウの像が刻まれている。

 尖った口をした翼竜。厳めしい顔で、フラウの像はヤツを見下ろしている。


「世界を創造したという白い半竜神は、大地に降り立ち、そのまま土に溶けたのだという。そうして出来た竜石が、この大地の核となり、レグルノーラの大地を湖の上に浮かせているのだと、そういう話が、神話として伝わっているそうだ。しかし一方で、こんな話もある」


 フラウの像から、今度はルベールの像へ。

 ヤツは僕らの方をチラチラ見ながら歩いて行く。


「深い深い森の奥、誰が産み落としたのかも分からない卵から、一匹の白い竜が孵った。竜は、森に存在するどの竜にも似ていなかった。白い竜は、どこから来たのだろう。皆、白い竜を気味悪がった。成竜になり、森を出るまで白い竜は孤独に過ごした。自らを恐れる竜の世界から逃れると、今度は人間達まで白い竜を気味悪がった。白い竜は自らの存在を呪った。負の感情と共に、魔力はどんどん膨れ上がった。白い竜は誰のことも信じられなかった。だから、土塊つちくれから作った魔物を配下に置いた。無機質な物体に、命を吹き込んで」

「まさか自分が、古代神レグルの子どもだとか、そういうことが言いたいの?」


 僕が言うと、ヤツは破顔した。


「まぁまぁ、落ち着け。そういう話じゃない」


 ルベールの像に触れると、レグルはニグ・ドラコの像へ向かってゆく。

 僕らの苛々を嘲笑うかのように、ヤツは急ぐでもなくマイペースだ。


「竜石の娘も、最初はただの石だった。私は様々な物に命を与える術を持つ。かの、古代神と同じように」


 ヤツがニグ・ドラコの像に触れたところで、異変が起きる。

 初めに触れたフラウの像が、にわかに動き始めていた。

 最初は気のせいだと。だけど、身体を屈めていた像が前のめりになり、ピシピシと亀裂を走らせると、そのまま立ち上がったのが見えた。

 嘘だろと、僕は思わずレグルから目を逸らす。

 フラウの像はドサリと音を立て、大聖堂の大理石の床に降り立っている。人間の大人と同じくらいの大きさの像は、まるで生きているみたいに、徐々に身体を起こしていく。


「フ、フラウの像が……!」


 ウォルターさんも、息を飲んでいる。

 僕も、リサさんも、次に繋がる言葉が出ない。


「いつだったか、ウォルターに四体の守護竜の話をして貰ったのを、今でも覚えているよ。古代神レグルに仕え、世界を守る竜の話に、私は胸踊った。この守護竜達には、私の、ゲームの手助けをしてもらう」


 ルベールの像も、ニグ・ドラコの像も、そして最後のエルーレの像も、フラウの像と同じように動き出し、ドサリドサリと床に降り立った。

 パキッと音がして、像全体にヒビが入っていく。ボロボロと表面が剥がれ落ちると――、それぞれの像から、半分竜で、半分人間が混じったような魔物が姿を現した。


「四体の守護竜は、動き出した」


 レグルは彼らの姿を確認すると満足気にニヤリと笑い、祭壇の前までつかつかと進み出た。

 守護竜達はレグルが歩き出すと、まだ表面に付いた像の欠片を払うこともせず、サッと片膝を付き、敬意を示している。


「この世界レグルノーラでは、四つの方角を、四体の守護竜がそれぞれ守っているのだと聞いた。今は人と同じ大きさの彼らだが、大河、お前と同じように、竜に変化する」


 レグルが少しトーンを上げて言うと、火の守護者ルベールの半竜が、その燃えるような赤い髪と赤い目を、僕に向けてニヤリと笑った。剥き出しの肩と腕は、真っ赤な鱗で覆われている。

 僕はギョッとして、肩をすくませた。

 燃えるような赤い色が、ルベールの周囲を漂っている。


「レグル様。こいつ、弱そうですよ。今、捻り潰しても良いのでは?」


 口を開いたのは、砂漠の審判者フラウ。

 顔の下半分を布で覆い、砂漠の旅人のような格好をした黄色の半竜は、鋭い金色の目をギラつかせ、僕を睨んだ。


「焦るな。直ぐに潰しては面白くないだろう。苦しみ、悶えるところを見た方が、ずっといい。少し、我慢が必要だ」


 レグルが言うと、今度は唯一の雌竜、水の監視者エルーレが、青く長い髪を揺らしてほくそ笑んだ。


「レグル様と同じ白い竜ならば、楽しめそうですわね。簡単には、死なないのでしょう」

「そう、簡単には死なない。そして、私を倒せる、唯一の竜」

「――わざわざ、ご自身に刃を向ける可能性のある竜を泳がせるなど、理解できません。フラウの言うように、直ぐに捻り潰してしまいましょう。何か、理由でも?」


 口を挟んだのは、全身真っ黒な出で立ちの、森の支配者ニグ・ドラコ。他の半竜より身体が一回り大きく、ギラギラと怪しく光る眼光は、見ているだけで足がすくんでしまう。

 ニグ・ドラコの問いに、レグルはフフフと笑い、「理由?」と返した。


「恐怖は、私の力になる。人間共にはもっと恐怖を味わって貰いたい。そして、まだ自分の中の本当の闇を見ていない、大河、お前にも」


 ――“本当の闇”。

 ちょ……、ちょっと待って。


「凌……? 凌なのか?!」


 僕は咄嗟に叫んだ。

 夢の中で聞いた。

 そう、確か夢の中で。僕に直接語りかけてくれたあの声、あの言葉。


「タイガ、違う、彼はリョウではない」


 駆け出しそうな僕の腕を、ウォルターさんが引っ張った。


「凌、凌なんでしょ?! ねぇ!!」


 レグルは何も言わない。

 色の見えないヤツの、本当が分からない。

 何がしたい? 何を考えてる?

 その、意味不明な行動の先に、一体何がある?


「私は私だ。それ以上でも、それ以下でもない」


 レグルは古代神の像の前に立ち、興奮気味の僕を蔑むような冷たい目を向けた。


「駒は揃った。ゲームの説明をしてやろう」


 勝手に自分を凌だと思い込んで混乱する僕の気持ちなど、一切眼中にない。

 レグルはそう、思っているように見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る