2. 大聖堂の悪夢

 本部棟の中はどこもかしこも真っ暗だった。

 巡回中の警備ロボットが部屋の前を通り過ぎるのを待ってから、僕とリサさんはそうっと賓客室を抜け出した。

 変な夢の後で頭はぼうっとしていて、あまり良い気分じゃなかったけれど、夜中に動き回るというスリルがあった。見つかったからって、別に咎められることなんてないと分かっているのに、とても悪いことをしているみたいで、変に心臓が高鳴っていた。

 暗い廊下の中を、リサさんが具現化させたランタンで照らし、ゆっくりと歩いて行く。

 階段を降りて、また廊下を抜け、エントランスへ。


「あれ、鍵」


 外側から自動ドアに鍵がかかっていた。

 暗闇の中で僕とリサさんは顔を見合わせた。


「こういうときの魔法じゃない」


 リサさんは軽々しく言って、魔法でカチャッと鍵を開けてしまった。

 頭の回らない僕は、魔法ってなんて便利なんだろうとばかりに目をぱちくりさせて頷いた。

 外に出て、今度は魔法で鍵を掛ける。


「ばっちり」


 冷静に考えられる状態だったら、なんて危ないことをなんて言ったんだろうけど、僕にそんな気力はなかった。

 リサさんが案内するままに、僕は大聖堂への道を辿った。

 外も真っ暗だった。遠くの空が街の灯りで微かに明るいのが見えるくらいで、風の音や葉の揺れるような音が心地よく聞こえていた。

 肌寒い空の下、僕らは大聖堂の脇をグルッと迂回して、表へ回った。

 大聖堂の正面は、植え込みの中に隠されていた照明の柔らかな光で、下から上に向けてライトアップされていた。白壁に彫り込まれた竜のモチーフが闇の中にくっきりと浮かび上がり、ゾクッとさせられた。

 チラチラと壁の文様を見ながら、大聖堂の入り口ドアの真ん前までやってくる。重厚な、木製の扉。


「緊張するね」


 リサさんも、大聖堂が放つ独特の雰囲気に呑まれそうになっていたらしい。

 へへへと笑ってから、リサさんはよいしょとドアを押した。


「あれ?」


 ほんの少し、ドアを押したところでリサさんの手が止まる。

 中から光が漏れている。

 それ自体は別におかしいことじゃない。いつでも礼拝できるよう、明るくしているんだろうから。

 問題はそこじゃなくて、


「誰かいる」


 奥の、古代神レグル像の祭壇の真ん前に、白っぽい人影が見えた。

 聖職者だろうか。

 僕とリサさんは、その人のお祈りの邪魔をしないようそっと中に入った。

 大聖堂の中は、ほんのりとした淡い暖色に照らされていた。昔はロウソクかなんかを灯してたんだろうけど、どうやら今は、リアレイトで言うところのLED照明みたいなものを使ってるらしい。柱や壁に等間隔で照明が並んでいて、辺りを柔らかく照らしている。

 明る過ぎない照明は、その人のこともぼんやりとしか照らしていなかったし、僕らのこともきっと、そういう風にしか照らしていないのだと思った。


 会衆席の末席で先客のお祈りが終わるのを待とうと、僕とリサさんはゆっくり腰を下ろした。

 僕は半分眠たい頭で、会衆席の椅子にもたれかかり、ぼうっとその人の背中を見ていた。リサさんに至っては、気のない僕に気を遣っているのか、目を擦って必死に眠気を抑えているようだ。

 左手を胸に当て、右手を斜めに掲げるのは、古代神教独特の礼拝作法だろうか。何度か頭を下げたり、腰を折ったりしながら、その人は丁寧にお祈りをしている。

 随分背の高い。

 老齢なのか、頭は真っ白で、だけどそれにしては、体つきはしっかりしているように見える。

 余計な色を持っていないところは、聖職者に共通しているのか、そこに漂う色もない。

 彼が腰をかがめたとき、ふと、シルエットが気になった。肩から腰にかけて、何か盛り上がったような物が。


 ――羽だ。


 僕はハッとして、立ち上がった。

 羽だ。竜の、白い羽。


「リョウゼン!」


 自分の声に驚いた。大聖堂の中で反射して、やたらと響いて聞こえたから。


「え? 誰?」


 リサさんは突然声を上げた僕に驚いて、声を裏返した。

 そして、祭壇の前で祈っていたその人は、ゆっくりと手を下ろし、ゆっくりと振り向いて、羽を少し広げた。


「その名を知っていると言うことは、ウォルターに話を聞いたようだな」


 白く長い髪、白い角、白い羽、白い尾。

 古代神レグルとうり二つの姿で、彼はそこにいた。

 目が、赤く光ってこちらを見ている。

 凌の姿をしていたあのときとはまた違う、圧倒的な存在感、威圧感。

 押し潰されそうだ。

 胸がギュッと締め付けられるような痛み。


「何……してるんだ」


 捻り出すように僕が言うと、リサさんは僕とあいつを何度も見比べて、そわそわし始めた。


「え、まさかレグル様」


 僕は返事をしない。出来ない。

 目をそらしたらその瞬間に何かが起きそうで、この男から目が離せない。


「お祈りだよ。大聖堂に来ると、いつもこうやって祈っていた。そして世界の安寧を願い、自らの存在意義を問う。白い竜は何故存在するのか、白い竜が齎すべきものは何か、ずっと考えている。答えは出ない。出るわけがない。ドレグ・ルゴラと人々が呼ぶ白い竜をこうして身体の中に封じ込めたことで、逆に新たな争いを生んでしまったのではないかと考えることすらある。人間は臆病で、愚かで、そして、くだらない存在なのではないかと何度も自問自答する。答えのない問いに対し、考え続けることを強要されているのではないかと、近頃思い始めたところだ。私は、結局、にえでしかない。そう考えれば、全て納得できる。しかし、そうであるならば何故、私は葬られないのだろうか。……それについての答えはもう出ている。私は未だ、役目を果たしていないからだ。完全に役目を終えるまで、私は解き放たれることはない。つまり大河、お前が私を倒すまで、私は世界に恐怖を与え続けなければならないのだと、そう悟った」

「――ハァ?」


 支離滅裂だ。

 何を言ってるんだ。

 相変わらず、狂ってる。平和を願うと言いながら、恐怖を与える? こいつ、自分の言葉が理解できていないのか。

 リョウゼンは、レグルは薄ら笑っている。

 薄ら笑って――、いつの間にか僕の前の席に立っていた。

 椅子の背もたれに手を付いて、僕の顔の高さまで身をかがめ、まじまじと顔を覗いてくる。

 父さんと同い年なのに、かなり若く見える。二十歳そこそこと言っても不思議じゃないくらい、幼さの残る顔立ち。

 腰まで伸びた白い髪が、顔の傾きに合わせて少しだけ揺れた。

 神秘的、神々しい。そう形容されるに相応しい美しさも、確かにある。

 けれど。

 凌の意識が殆ど消えて、今はゼンがレグルの身体を支配しているのか? 穏やかな中にも、ハッキリとした狂気が見えている。


「少しは強くなってきたようだな。ジークとノエルのお陰か。やっぱりあいつらは役に立つ。ディアナのように過去に縛られたり、シバのように妙な情が湧いたり、ローラのように世界に縛られたりしていない。が……、単純に、出来ることに限界があった。並の人間にしてはよくやった方だが」


 赤い目が、レグルを怪しく見せるのか。

 違う。

 単にこいつがヤバいだけだ。

 何も喋ってないのに、こいつは僕が何をしてきたのか、全部知ってる。

 ……見ていた? いや、見えてるんだ。僕と、同じように。


「前より私を殺したい気持ちが増しただろう?」


 ニタリと、レグルは笑う。

 挑発に乗るな。

 僕は歯を食いしばり、拳をギュッと握った。


「ハハッ。無理するな。見えてるんだよ、絶望が。もっと絶望しろ。もっともっと、俺を憎めよ」


 レグルの姿が、一瞬凌に変わったように見えた。

 けど、次の瞬間にはもう、レグルに戻っている。

 リサさんが僕の服をギュッと掴んだ。それに反応できる程の余裕が、僕にはない。


「憎しみより、恐怖が勝ってる。……ダメだな。全然、足りない。私を殺すための力が、全然足りていない。分かってるのか? 白い竜を倒せるのは白い竜のお前だけ。この世界には私とお前しかいないんだ。そんなに弱い力では倒すどころか、美桜のように肉片になってお終いだぞ?」


 美桜。

 頭の中に、血だらけのレグルの姿が蘇る。

 絶望で嗚咽していた、封じてくれと懇願した、あのときの――。

 吐き気がこみ上げ、僕はウッと両手で口を覆った。

 それをヤツはまた、面白がってニヤニヤと笑う。


「美桜の残骸は湖に沈めた。お前はその水を飲んだ。お前は母親の死体が溶けた水を飲んだんだよ」


 ウウッと、さっき食べたものがそこまで戻ってきてる。

 最悪だ。

 なんで、なんでそんなこと。


「残念だなぁ。まだ余裕か。もっともっと絶望して、壊れて、襲いかかってくるくらいなら面白いのに。やっぱり恐い方が勝ってるんだな。これじゃあ全然楽しめない。となると、やはり、こちら側から仕掛けてやるほかない、というわけか」


 レグルはふぅと大きめのため息をつき、長椅子の背から手を離して身体を起こした。

 僕は戻しそうだった物を無理矢理呑み込んで、溢れ出してきた唾液を袖で拭った。


「何を考えてる」


 ようやく、喋れた。

 でも、恐くて震えて、長い言葉は無理。

 レグルはそんな僕を見透かすように、フンと鼻で笑った。


「大河、私とゲームをしないか」

「ゲーム?」


 頭のイカれたヤツは、訳の分からないことを唐突に言う。


「レグルノーラの存亡を懸けたゲームだよ」


 レグルは何故だか少し嬉しそうに、口角を上げていた。

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