【13】十二本の杭と四体の守護竜
1. 空虚
真っ暗な場所に、僕は寝転がっていた。
どこまでも続く闇の中で、僕は必死に、全てから逃げようとしていた。
夢を見ているんだと、頭の中では分かっている。
現実から逃げ出したくて、何もかも放り出したくて、こんな夢を見ている。
逃げ出せば全てなかったことに出来るなら、いつでもそうしたいと思っているのに、何故か現実は最悪な方向にばかり進んでいく。
……芝山家の長男じゃなかったことなんて、もうどうでもいい。
変な力があることも、命を狙われる羽目になったことも、リアレイトでの生活を失ったこともどうでもいい。
ウォルターさんの過去を見てハッキリした。僕はこの世界にとって、破壊竜ドレグ・ルゴラを倒すための手段でしかない。白い竜を倒すことが出来るのは、白い竜だけなんだから。
守るなんて言ってたくせに、美桜はもう、この世にはいない。
暗闇に転がる僕のそばに誰かがやって来て、そっと身をかがめているのが見えた。どこからともなく、うっすらと差し込む光の中に、僕と同じ赤茶色の、長い髪の毛が見える。
『美桜……』
僕が呟くと、美桜はニッコリと笑って、僕の頬を撫でた。
僕の身体に沿うように横になって、美桜は僕を愛おしそうに見つめ、ゆっくりと僕を抱き寄せた。
湖の上だ。
真っ黒に染まった湖の上、水面に僕らは転がっている。不思議と沈んだりすることもなくて、あの生臭いような変な臭いもしなかった。
美桜は僕のことを、小さい子どもをあやすみたいに、ギュッと抱きしめた。
そして、耳元で何かを囁いた。
*
「――美桜?」
自分の声に驚いて、目を覚ました。
賓客室の、ソファの上だ。
ウォルターさんが部屋から出てどれくらい経ったんだろう。確か、話を聞き始めたときは夕暮れで、夕ご飯までの合間にと話を聞いていたはず。時計らしき物がこの部屋にはないから、ハッキリとした時間は分からないけど、立ち上がってチラリとめくったカーテンの向こうは真っ暗だ。
どうやら僕は、真夜中まで力尽きて眠っていたらしい。
少し動くとグゥとお腹が鳴った。
思えば、昼から何も食べてなかった。
廊下に食べ物を置いておくと言われたのを思い出して、僕は賓客室の入り口ドアを開けた。ちょっと重めのドアがギィと開くと、魔法がプツリと切れたような気配がする。ウォルターさんの結界が効果を失ったようだ。
真っ暗な廊下に、ぽつんとカートが置いてあった。かけてあった布をチラッとめくると、冷めてはいるけれど、美味しそうなスープやパンがのっかっているのが見えて、僕は思わずよだれを垂らしそうになった。
教会の質素な食べ物が、僕の疲れた心には丁度良さそうだ。
ありがたくいただこうとカートを動かすと、その陰に誰かがうずくまっているのが見えた。
「あ……、れ……? リサさん?」
人影は僕の声にビクッと反応して、ブンブンと頭を揺らした。
「あはは。ゴメン、寝ちゃってた」
リサさんは、食事用カートの横に体育座りしてそのまま寝てしまっていたらしい。
一人にしてなんて言ったから、ずっと待っててくれたのか。
何だかとても申し訳ないような気持ちになって、だけど何だかちょっと嬉しくて、僕は頬を緩めていた。
「待たせてゴメン。中、入ろう」
「うん」
リサさんは寝ぼけ眼を擦って、ニッコリ笑った。
さっき寝転がっていたソファまでカートを引っ張って、めちゃくちゃ遅い夕ご飯を食べる。具だくさんの野菜スープ、塩パン、青菜とチーズのサラダ、キノコの和え物。身体に良さそうな、健康的な食事。冷めててもしっかり味が染みてて、めちゃくちゃ美味しい。
オリエ修道院で頂いたときも、やっぱり野菜中心でカロリー控えめのメニューだったけど、食べ応えは十分で、味付けも思ったよりしっかりしていた。
この時間でも胃の負担にならなさそうで、とってもありがたい。
「リサさんは、ちゃんと食べた?」
パンをもぐもぐしながら尋ねると、リサさんは室内をうろうろしながら、
「うん。美味しかったよ」
と答えてくれた。
「イザベラさんに、居所の方で寝ないかって言われたんだけど、大河君のこと気になっちゃって、眠れなくて。特別に、待たせて貰ってた。大河君は少し落ち着いた?」
落ち着いたかと言われると、なかなか微妙だけれど。
「うん。少しは。心配した……よね?」
「心配した。“竜の気配”が強くなってたから、またあんなことになっちゃうんじゃないかと思ってハラハラした。二人きりでなくちゃ、話せないことだったんでしょ。ウォルターさんもぐったりしてたみたいだし、だいぶ濃い内容だったんだろうなって想像は出来たけど」
「うん……。そんな感じ」
どう話したら良いのか、よく分からない。
というか、リサさんが実は魔法生物だったって知ったときから、どう接したら良いのかも分からなくなってる。
記憶喪失の世話好きお姉さんくらいにしか思ってなかったのに、凌が僕のために用意した、竜石で出来た人型の魔法生物だったなんて聞かされて、はいそうですか、なんてことにはならないわけで。つまりそれは、……どういうこと? 殺しに来いなんて行っておきながら、僕が力をコントロールしやすいようにリサさんを寄越してる?
凌の行動はどこか矛盾してる気がする。
まるで未だ、ヤツの中で凌とレグルとゼンがぐちゃぐちゃになってるみたいに、その行動も滅茶苦茶だ。
「知りたいことは、聞けた?」
僕がこんな複雑な気持ちでスープを啜ってるなんて知らないリサさんは、いつもの調子で聞いてくる。
……リサさんは、リサさんなんだろうか。
魔法生物なんて言われない限り殆ど人間と大差なくて、感情もあって。記憶が欠落したとか何とか、凌は言ってたようだけど、あいつが造ったリサさんは、僕が信じていい存在なんだろうか。
どんどん、分からなくなってくる。
何もかもが、信じられなくなってくる。
「聞けたよ。大体は」
こうやって僕が人間不信に陥ることも、あいつは想定済みなんだろうなと思うと、尚更苦しくなる。
気持ちの整理なんて、出来そうにない。
「ウォルターさん、レグル様と親しかったんだってね。イザベラさんが少しだけ話してくれた。塔と教会はあまり良い関係じゃないから結構意外だったけど。イザベラさんもレグル様とお話ししたことがあるって言ってたな。とても優しくて、素敵な方だったって。なのにこんなことになって申し訳ないって」
リサさんはそう言いながら、僕の隣によいしょと腰を下ろした。
チラリと見た横顔は、何だかとても、悲しそうだ。
「レグル様は多分、大河君のためを思って、私を造ったんだと思うんだよね。あのときあんなふうだったのには、何か理由があるんだと思う。そうでなくちゃ、説明付かないもの。大河君が苦しまなくちゃいけないようなこと、わざとするような方だとはとても思えない」
モヤモヤしているリサさんの周囲には、不安の紫色が多く漂っている。
自分の創造主がまさかあんな危険なヤツだなんて信じたくないだろうから、仕方ないことだとは思うけど。残念ながら、あいつはかなり狂ってる。それをリサさんに伝える勇気は、僕にはない。
リサさんの台詞の後に続く言葉が出せずに、僕はしばらく黙々と、出されていた食事を口に運び続けた。
だだっ広い賓客室に、食器に当たるスプーンとフォークの音がやけに響いて、居心地が悪かった。僕が咀嚼する音、呑み込む音まで、全部やたら大きく聞こえて、なんならこうして息をしている音まで、何だか不快に思えた。
一通り食べ終えて、カートを廊下に戻そうとしたところで、リサさんが急に声を上げた。
「大河君! 大聖堂に、行かない?」
「大聖堂? この時間に? 鍵閉まってるんじゃ……」
「イザベラさんの話だと、いつでも誰でも礼拝できるように、基本は鍵は開けっぱなしなんだって。ちょっと、行ってみない? さっきはチラリと見ただけだったし、ご機嫌斜めのお偉いさんも来て、しっかり見れなかったでしょ。この時間なら、余計な邪魔も入らないでゆっくり参拝できるんじゃないかな」
僕の気を紛らわせてやろうと思っているのかも知れない。
リサさんの変に引きつった顔。
僕はどんなに苦しそうで、辛そうな顔をしているんだろう。
こんな僕に、気を遣うことなんてないのに。
「眠れそうもないし、良いよ」
その気もないのに、僕は適当に返事をした。
頭がグルグルする。
リサさんの気遣いすら、うざったく感じる程に。
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