12. 血色の記憶

 夜に月が輝くようになったのは、救世主リョウがその身体に破壊竜を封じ込めてからだ。

 月には満ち欠けがあり、日によって明るさが変わるのにも、少しずつ慣れてきた。

 けれどその日は満月で、夜中なのに外がとても明るかったからか、なかなか寝付けないでいた。

 夜中に何度も悪夢で目を覚ます日が続いている。リョウゼンを幽閉する夢だ。

 どうすれば回避できたのか、今までの動きを何度も振り返るが、その度に同じ結果に行き着いてしまう。そしてハッと目を覚ますのだ。

 頭が冴えて全く眠れず、それでもどうにか寝なければとまぶたを閉じてベッドで横になっていた。

 魔物が夜な夜な森から這い出す時間になっても、……眠れなかった。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「ガタリと音がしたんです。真夜中に強盗でも入ったかと、私は慌てて起き上がり周囲を見回そうとしました。……人影は、既に私のベッドの直ぐそばまで来ていました。どうやって侵入したのか、彼は血だらけで震え、肩で息をしていました」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 何者かと尋ねようとした。

 が、聞くまでもなく正体は判明する。


『リョウゼン……!』


 月明かりに照らされたリョウゼンの顔は、血で真っ赤に汚れていた。

 血の臭いがプンプンして、咄嗟に口と鼻を手で覆った。

 いつもと様子が違う。

 目が、赤く光っている。

 それだけじゃない。

 羽を広げ、酷く興奮しているように見える。

 荒く息を吐きながら、リョウゼンは眼前に迫っていた。


『幽閉しろ……! 一刻も早く私を幽閉しろ……!』


 こんなにも恐ろしい顔をするリョウゼンは初めて見た。

 絶望でもない、怒りでもない。言葉にしようのない感情をしたリョウゼンは、正に“化け物”のようだった。


『ど、どうしました。こんな真夜中に、寝所に来るなんて』


 冷静に対処しなければ。

 普段通りの会話をしようと試みるが、その声は、明らかに震えていた。


『……ゼンが、ミオを殺した』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 食道から一気に酸っぱいものが駆け上がってきて、僕は慌てて両手で口を塞いだ。

 待って。

 どういう意味。

 集中力が途切れそうになる。

 一番知りたかったところかも知れないのに。誰も教えてくれなかったことなのに。

 答えが、直ぐそこに見えている。

 もう少し、もう少し……!




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




『もう、ダメだ。リョウの意識は、絶望で、消えかかっている。私も、どうにかなってしまうかも知れない』


 リョウゼンの肩を擦り、落ち着かせようとした。

 ……手に、ぬるっとした液体の感触。

 血だ。

 ゾッとしたが、努めて冷静に振る舞おうと気力を振り絞った。


『何があったか、教えてください。慌てないで、ゆっくり』


 床にリョウゼンを座らせ、自身もベッドから降りて耳を傾けた。

 ガタガタと震えるリョウゼンは、とてもまともな状態ではない。

 念のため、結界魔法を張った。普段なら、決められた場所でしか使えない魔法だが、そんなことを言っている場合ではないはずだ。

 うっかりアーロン大司教にでも見つかれば、更に大事になるに違いない。それは避けたいと思ったのだ。


『湖に……、いた。ミオが私を呼び出したのだ。普段はそんな、手の込んだことをする女ではないはずなのに、何故かミオは湖を選んだ。何か重要な話があったようだ。……記憶がない。何の話をしていたのか、全く覚えていない。普段は共有しているはずの記憶が、ゴッソリ消えている。き、気が付くと、私は、ミ、ミオを』


 アアッと、リョウゼンは叫び、両手で頭を掻きむしった。


『――人肉の味だ。ゼンが、……ゼンが美桜を殺して喰いやがった……!』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「『ミオを殺した』と……、聞かされました。なりを潜めていたゼンの人格が表に出て、ミオを殺したと。消えかけていたリョウの意識を完全に消すため、ゼンが強硬手段に出たのではないかと、そう推測できました。かの竜はどうやら、身体の持ち主の意識をすっかり壊して、身体も記憶も性格も、全部自分の物にしてしまうようなのです。……アーロン枢機卿が警告したタイミングで幽閉できていれば、もしかしたら防げた事件だったかも知れない。私が“あの方”の境遇を気遣っている間に、ゼンは少しずつ、準備をしていたわけですよ。それに、全く気が付かなかった。私が、私が気付いてさえいれば……!」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




『か、勘違いではありませんか? 人肉などではなく』

『人肉は、ヤツの好物だ。昔、リョウゼンになる前、ヤツに乗っ取られて喰わされたことがある。だから知ってる。独特の味がするんだ。今の口の中に、美桜の肉の味が残ってる。どうにかなりそうだ。こんな、こんな恐ろしいことを平気でやらかすなんて。――仲間意識とか、同調とか、愛だとか平穏だとか、そんな温いもので誤魔化したところでヤツは救えなかった。結局、かつての救世主と同じ道を辿るだけだ。呑み込まれる。何も残らなくなる。無理だった。もう、この世界には破滅の道しか残されていない。せめて、俺の意識が未だ辛うじて繋がっているこの間に……! ゼンを押さえ込んでいる間に、早く、早く幽閉してくれ……!』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「私は急いで着替え、協力してくれそうな聖職者を起こして回りました。私の緩い結界魔法では完全に消しきれなかった“竜の気配”を、アーロン枢機卿は既に感じ取っていました。事情を話すと、率先して行動を共にしてくださいました。真夜中に、私達は血だらけの“あの方”を連れて、転移魔法で廃墟に飛びました。……幽閉というよりは、封印の儀式でしたよ。抵抗もせず、“あの方”は私達に従ってくださいました。後日、予定していた聖職者らが、追加で魔法をかけたそうです。それから先、私は“あの方”とは会っていません」


 ふぅと、ウォルターさんは息をついた。


「『古の神を冒涜したレグルなる人物を、教会はその教義を守るために幽閉するに至った』と、教会が発表すると、塔は驚きの反応を見せました。教会はミオの行方不明にも、何らかの関わりを持っていたのではないかというものでした。ミオが半月程行方不明だったことは、後で知りました。塔がその事実を公にしなかったため、知ることが出来なかったからです。教会は肯定も否定もせず、黙秘を貫きました。……貴殿を、“神の子”を教会が賞金をかけて捜し始めたのは、その後、随分経ってからです。教会内部でも意見の衝突がありましてね。“あの方”の血を引くのならば、やはり脅威となってゆくのではという意見、血を引いているからといって人権を害するべきではないという意見、これ以上関わるべきではないという意見……。今でも、意見の衝突は続いています。聖職者とて人間ですから、致し方ないことだと思いますが、何とも、お恥ずかしいことです。それでも結局、“神の子”討伐に意見が傾いたのには、理由があります」

「――『白い竜を倒すには、白い竜を用いるほかない』」


 ポツリと零した僕の言葉に、ウォルターさんは酷く驚いていた。


「タイガ、貴殿はそれをご存じで……!」


 僕は両手で頭を抱え、そのまま身体をギュッと縮こめた。


「……一人にしてくれませんか」

「しかし」


 昂ぶった感情が、僕を徐々に白い竜へと変えようとしていた。


「頭を、冷やしたいんです。どうか、一人に」


 チラリと顔を上げると、ウォルターさんは酷く青ざめた顔で僕を見下ろしている。


「……分かりました。夕餉は部屋の外に置いておきます。外からは開きませんが、内側から出て行くことは出来るよう、魔法をかけてあります。落ち着くまで、どうぞゆっくりお休みになってください。リサには私から話しておきます」


 ありがとうございます、が、口から出てこなかった。

 ウォルターさんがいなくなると、僕はそのまま、座っていたソファの上で丸くなった。

 何も、考えたくなかった。

 音も光も、感触も、何もかもが不必要だった。

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