8. 何人たりとも

「大聖堂に立ち入っていた“あの方”に、アーロン枢機卿は心ない言葉を投げつけました。教会上層部の意思を確認した上でしたから、彼にとっては完全なる正義としての行動だったに違いありません。しかし当然ながら、“あの方”は深く傷つき――、秘めていた怒りは抑えきれない程に膨れ上がっていきました。その時初めて、私は“あの方”が……、リョウゼンが抱えるものの大きさを垣間見たのだと思います」


 ウォルターさんの言葉と一緒に流れ込んでくる記憶映像に、僕は呑み込まれそうになっていた。

 自分でも息が荒くなっているのが分かって、だけどどうにか落ち着かなきゃと思っている自分がいて。


「……大丈夫、ですか。顔色が悪い」

「だだだ大丈夫です。続けて、ください」


 そう、大丈夫。

 変な汗は掻いてるけど、未だ鱗も牙も出ていない。

 リサさんの吸収魔法が効いてるから、どうにかなるはず。


「無理そうなら一旦中断して、後日改めますが」


 ウォルターさんはそう言って、ふぅとため息をついた。

 僕はブンブンと顔を横に振り、平気だと無理矢理アピールした。


「続けてください。今聞かなきゃ、もう、多分二度とチャンスは来ない」

「……分かりました」


 ウォルターさんは小さく息を吐いて、それからまた、話を続けた。


「三つの人格が、一つの身体の中に押し込められているような状態だったと、私は聞かされていました。元々独立していた二つの人格と、それを合わせた一つの人格。普段はリョウゼン、偶にリョウ。ゼンは殆ど姿を現しません。だけどあの瞬間、多分初めて、ゼンが表に出たように思えたのです。大いなる孤独と、人間への絶望を抱えた白い竜が、“あの方”の中でじっとなりを潜め、我々人間が庇護するべき存在かどうか、見極めていたようにも思えました」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 気が付いたときには、リョウゼンの身体は既に人の背丈の倍にまで膨れ上がっていた。

 服が裂けて露わになった上半身は白い鱗で覆われ、広げた白い羽は、会衆席に大きく影を落としていた。

 掃除用のバケツを置いたまま、彼は慌てて柱の陰から飛び出した。


『リョウゼン!』


 呼ぶと、リョウゼンの身体はグイッと大きくこちらに振り向いた。長い尾がブンと振り回され、アーロン司祭達は足元を取られて大聖堂の床にひっくり返った。

 いつもの、あの美しい顔ではなかった。

 ギラギラと光る赤い目をした白い魔物。

 耳まで裂けた口からは、長い舌と鋭い牙が覗いていたし、腕や肩にも鋭い角が無数に生えていた。

 あの日空で見た、白い破壊竜に似ていた。

 殺されるのではないかと。

 一瞬たじろいだが、


『どうしました、そんなに恐い顔をして。ここは心を落ち着ける場所ですよ。さぁ、いつものようにお話をしましょう』


 精一杯の虚勢を張り、あえて急がず、努めて普段通りを演じて見せた。

 出来るだけ穏やかに。

 刺激をしないよう。

 大丈夫、リョウゼンには未だ、自分の声が聞こえている。

 焦る心を悟られぬよう、急がず、普段の足取りでリョウゼンのそばまで行く。

 リョウゼンはじっとこちらを見下ろし、目で追っていた。

 会衆席の長椅子の幾つかは、粉々に砕け散っていて、祭壇の手前の柵も、折れ曲がっていた。古代神レグルの像は無事のようだ。それだけでも幸いだ。


『申し訳ありませんでした、リョウゼン。私が少し遅れたばっかりに、嫌な思いをさせてしまいました。今日は風が強くて、外の掃除に時間がかかってしまって。リョウゼンは大丈夫ですか、足元など、お怪我をなさっていませんか』


 怒りは恐怖から来る。

 心ないアーロン司教の言葉に、リョウゼンは自分の居場所を失うかも知れないという恐怖を抱いたのだろう。

 白い鱗で覆われた身体に、そっと手を伸ばす。ゴツゴツとした、硬い鱗が手に当たった。

 初めてだった。

 人間とは違う姿をしたリョウゼンに触れたことなど無かったのに、今はどうしても、触れてあげなければと。


『落ち着きましょう、リョウゼン。大丈夫、私がいます』


 鱗の流れに沿うように、リョウゼンの腰の辺りを擦った。

 大丈夫大丈夫。

 まじないを掛けるように、念じながら、リョウゼンを擦り続けた。


『ウォ……、ウォルター! 貴様、単なる修道僧の分際で、好き勝手な真似をしてくれたな! 即刻この化け物を大聖堂から追い出せ!』


 腰を擦り、立ち上がりながら叫ぶアーロン司教の声は震えていた。

 居合わせた聖職者達も、気を失いそうになっていたり、泣きそうな顔をしていたりしている。

 この状況を、司教達は分かってないのか。

 とんでもないことになった。

 リョウゼンは決して危険な存在ではなかったはずなのに。


『何人たりとも救われる権利があると、祈る権利があると――、それが、神のご意志だと信じて疑わなかったのですが、リョウゼンは例外なのですか』


 司教に口答えするなどと、普段なら絶対にあり得ない。

 しかし、このままでは。

 彼には力を感じるような“特性”は無かったが、一つ言葉を間違えるだけで、命すら危ういことを何となく感じ取っていた。

 再び、リョウゼンはアーロン司教を睨み付けていた。ガバッと開いた大きな口から、炎のような、何かの魔法のようなものが溢れているのが見える。


『ア、アーロン司教。これ以上リョウゼンを刺激してはいけません。この大聖堂どころか、教会の全てが塵になりかねませんよ。彼は祈り、救いを求めて訪ねてきているだけなのです。お許しください。今後もこの場所に好きに出入りしてよいとおっしゃってください。――そして、リョウゼンも。今ここで怒りを爆発させれば、あなたは欲したものを、全て自分の手で葬り去ることになる。干渉者協会が吹き飛んで、大切な資料を失ったと、あなたは嘆いていたではありませんか。同じことを繰り返しますか。司教も悪気があって言っているわけではないのです。あなたの存在を理解できず、あのような態度を取ってしまっているだけで』

『――偽神が! 大聖堂に入ることなど本来許されぬこと!』

『アーロン司教! あなたは何が大切で、何がいけないのか、未だ理解なさっていないのか!』


 頭の硬いアーロン司教に、自分の立場を省みず怒鳴り返した。

 教会での居場所を失うかも知れない。

 そんな考えがかすめた。

 それでも、アーロン司教の言葉は、決して許されるものではない。


『出入りを、許すほかなかろう』


 興奮気味のアーロン司教の肩を、一緒に来ていた別の司教がポンと叩いた。


『しかし』

『ウォルターの言うとおりだ。姿がどんなであれ、拒むことを我らが神は許さないであろう。それに……』


 その司教は竜になりかけたリョウゼンの顔を見上げ、ブルッと震え上がった。


『彼がまるっきり、我らが神の化身ではないと断定する証拠もない』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「長い間孤独だったという白い竜は、リョウと同化することで少しずつ人間を理解し始めたのだと聞きました。人間は、愚かな生き物です。弱いから群れるし、弱いから疑うのです。“あの方”の存在を恐れ、暴挙に出たアーロン枢機卿を、私はどうにか納得させ、リョウゼンの大聖堂への出入り許可を得ました。このことで、リョウゼンは私に対し、更に心を開くようになりました」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 アーロン司教達がいなくなると、力が抜けたように床にへたり込んでしまった。


『ウォルター! 大丈夫か!』


 駆け寄ってきたリョウゼンは、いつもの姿に戻りかけていた。


『大丈夫、大丈夫です。腰が、抜けました。偉い人達の前であんなこと……』


 ギュッと、リョウゼンが抱きしめてくる。

 思わぬ行動に、頭が混乱する。


『お前のお陰で、竜にならずに済んだ。すまない。恐い思いをさせた』


 誰かに抱きしめられたことなど、あっただろうか。

 心地よさに、何かがこみ上げてくるのを感じる。


『いいえ、恐くなんか。それよりあなたが壊れないか、そればかり。本当に、よかった』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「不思議なことが起こりました。それまでリョウゼンがいるときは誰も訪れなかった大聖堂に、次第に人が集まるようになってきたのです。後で聞いたのですが、皆、我が神そっくりのリョウゼンに興味を持っていたのに、上層部の顔色が恐くて、近付けなかったのだそうです。渋々ですが、上層部がリョウゼンの出入りを黙認したことで、若い修道僧やシスター達が、少しずつ、リョウゼンの元へ通うようになっていったのでした」

「イザベラさんも、その時に?」

「ええ、彼女もそうです。異世界リアレイトからやって来て、レグルノーラを命をかけて救った経緯や、その力の詳細、そもそもリアレイトとはどんな場所だったのか、砂漠の果てまで行った話、洞穴の竜の話。いろんな話をしてくれましたね。私達はなかなか外界と触れる機会が無いので、とても興味深くお話を伺いました。そして、私達の話もよく聞いてくださいました」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る