7. ウォルターとリョウゼン

 部屋の隅々まで結界魔法が行き渡り、視界が淡い緑色を帯びる。

 ここまでしないと話せない内容ってことなんだと、僕はゴクリと唾を飲み込んだ。


「初めて“あの方”と出会ったのは、十六の頃。私は駆け出しの修道僧で、大聖堂の清掃が日課でした。日の出より前に起きて一通り掃き掃除をして、午後、参拝者が少なくなってくる時間からは、拭き掃除をして。担当は私の他に何人もおりましたが、一番下っ端の私が、大抵最初から最後まで、掃除をしていたのでした。あの日も私はいつものように、午後から拭き掃除に明け暮れていました。他に役目を貰えずにいたあの頃は、掃除が一番の仕事だったものですから、隅々まで毎日、掃除をしていたんです。“あの方”が現れたのは、そんなときでした」


 ウォルターさんはそう言いながらゆっくり戻って、元の場所、僕の真ん前に座り直した。

 それから静かに息を吐いて微笑んだ。


「綺麗な方でしたよ。この世にあらざるもの、ではないかと思ってしまう程、気高い空気を纏っていました」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




『ところでここ、どこだか分かってます? 大聖堂ですよ。この世界レグルノーラを創造したとされる古代神レグルを祀るサンクトゥス・レグルドムスに、そんな格好で侵入するなんて、どうにかしてますよ。教会があなたの存在を否定しているのはご存じなんでしょう?』


 注意すると、リョウゼンは口角を上げ、


『当然、知っているよ』


 と言いながら、背中の羽をきっちり畳んで会衆席の一番手前に座った。


『じゃあ何故』

『私は、何も知らない。何故私を“レグル”と呼ぶ者がいるのか、私は何者なのか、この世界のことも、何もかも』

『何も……?』


『凌が言ったのだ。何も知らなければ、答えを探しに行くしかない。古いものを頼れば良いのではないかと。凌は干渉者協会というところで古い資料を漁り、自分の運命を知ったのだという。しかしその建物は、破壊竜に操られ、彼が自ら破壊してしまった。多くの資料も焼け焦げ、残骸から回収したそれも殆ど読み尽くしたが、私自身の存在に繋がるようなものは見当たらなかった。他に古くから残っている建物と言えば、塔と教会。塔では思いのほか自由が利かず、何も探ることが出来なかった。あとは教会。この世界の創造神にまつわるものを多く保存しているだろうと赴いた。――正解だ。ここには、私の欲する答えがあるかも知れない』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「凌の、人間の方の姿を見たことは?」


 話を聞いている最中でも、やたらと記憶映像が混ざり込む。

 僕は今、ウォルターさんと話をしているはずなのに、いつの間にか僕の目線はウォルターさんのものになっていて、目の前にレグル――リョウゼンがいる錯覚に陥る。

 それを出来るだけ悟られないよう、僕は全神経を集中させた。


「いや。彼はいつも、長い白髪の半竜でした。破壊竜の姿は一度――、見たことがあります。孤児だった私は、ルベール地区の外れ、デーン修道院に十五歳までいたのですが、そこで目撃しました。夜空に真っ白い巨大な竜がいて、火を噴いていたのを覚えています。あのとき大事に至らなかったのは、救世主として名が知られる前、一人の干渉者に過ぎなかった“あの方”が、人知れず追い払ったからだと、聞いたことがありました。あの恐ろしい破壊竜を、“あの方”は自分の中に“同化”という形で封じ込めていました。私とさほど年の変わらぬ彼を、私は慕い、尊敬するようになりました」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 リョウゼンが訪れるのはいつも、午後の清掃の時間だった。

 バケツに汲んだ水を大聖堂に持ってくると、大抵そこにリョウゼンがいた。

 市民服と修道服を足して二で割ったような格好で、教会の修道服は白を基調としていたが、リョウゼンのは濃いグレーだった。白い髪の毛と白い羽、白い尾はグレーによく映えて、より神秘的に見せていた。


『良いんですか、勝手に塔を抜け出したりして。大切なご公務があるんじゃないんですか』


 わざとらしく言うと、リョウゼンはフフンと笑って、


『公務なんかねぇよ』


 やたらと砕けた言い方をしてきた。

 何かが違う。


『……リョウゼンらしくない』


 呟くと、リョウゼンは声を出して笑った。


『そりゃそうだ。俺は今、“彼”じゃない。“凌”だからな』

『“リョウ”……? リョウゼンじゃなくて?』

『そう。この身体は、共有物なんだ。リアレイト人の俺、“凌”と、破壊竜として知られていたドレグ・ルゴラ、今は“ゼン”って名前だけど、そいつと、あとは二人を足した“レグル”、お前が“リョウゼン”って名付けた人格。この三つが同時に存在してる。記憶は共有してるから、自己紹介は要らない。ウォルターだっけ。良い呼び名をありがとう。リョウゼンも気に入ってるみたいだぜ』

『あ、ありがとうございます』


 表情が違うのだ。

 儚げなリョウゼンに対して、リョウは自信ありげで砕けた印象だ。


『……恐くないのか』


 リョウは慎重に尋ねてきた。


『身体に、破壊竜を封じ込めた男が目の前にいる。三つの人格の話もした。もしかしたらゼンのヤツも、お前の前に顔を出すかも知れない。それでも……、恐く、ないか』


 泣きそうな目をしている。

 もしかしたら彼は、自分に何かを求めているのではないかと、そんな気がした。


『恐くはないですよ。それより』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「話を聞いて欲しかったようです。半竜の姿になってから先、三つの人格のこともあって、まともに誰とも話が出来ないと。自分のことを知らない誰かに話を聞いて貰うことで、救われたいと思っていたのかも知れません。私は“あの方”より二つも年下でしたが、神父様や司祭様が人の話を聞く術を教えてくださっていたので、私はなるべく“あの方”の話を遮らぬよう注意して、聞く側に徹しました。徐々に“あの方”は、私に心を砕いていきました」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




『それじゃあ、いずれ“リョウ”も“ゼン”もいなくなって、“リョウゼン”だけになるってことですか?』

『予定ではな』


 天蓋から差し込む虹色の光が、その日もリョウゼンの白い身体を照らしていた。


『リアレイトでやり残したことも沢山ある。全部片付けてから消えたいけど、思うようにはいかないよ。二重生活を続けていることも、かつての仲間にしか知られてない。俺は“向こう”ではただの高校生。親には心配掛けたくないんだけど、だからといって、この状況を変える手立てもない。大切な人が苦しむと分かっていて、自分からそうせざるを得ないのは辛い。ウォルターにはそんな経験、ないか?』


 リョウの人格が話すのは、もっぱらリアレイトの話。


『……私は元々、物心ついたときから修道院にいましたから』


 知らない世界の話。

 家族のいる人の話。

 どちらも、彼には関わりの無い話。


『そっか。ゴメン。変なこと相談して』


 リョウは申し訳なさそうに頭を掻いた。


『いえ、良いんです。いずれ神父、助祭、司祭と位が上がっていけば、市井の人々の悩みを伺う機会も増えるでしょうし、今はその練習のようなものだと思っています。私でよければ、話を伺います。その代わり、悩みが解決するなんてことは期待しないでくださいね。リョウだって、私に話すことで気持ちが楽になるなら、その方が良いでしょう』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「他愛の無い話をたくさんしました。塔は狭いだとか、監視がうざったいだとか、食べ物が口に合わないだとか。リョウは特に、何でも喋りました。リョウゼンは、古代神レグルの話や、伝承を知りたがりました。特に、大地を作った竜の話と、四体の守護竜の話が大好きで、子ども向けの絵本から絵巻物、研究論文まで何でも知りたがりました。最初はこっそりと会っていたのですがね、そのうち、“あの方”の大聖堂出入りは、教会上層部に知られることになりました。理由は単純です。さっきもいたでしょう、アーロン枢機卿ですよ。当時は司教でしたけれど。彼が、あのような者の出入りを見逃していて良いのかと、当時の教皇や枢機卿に進言したのです」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 会衆席に座るリョウゼンを、アーロン司教が見下ろしている。隣にも数人、位の高い聖職者がいる。

 いつものように大聖堂に来たときには、もう既に膠着状態が続いているところだった。


『出入りを禁ずる。今すぐにだ』


 アーロン司教は、ギロリとリョウゼンを睨み付けていた。

 しかしリョウゼンは動じず、じっとアーロン司教を見つめている。


『神は、何人たりとも自由に祈ることが出来ると仰せなのでは』


 今日はリョウゼンの方だ。

 変に声を掛けるのもよろしくないだろうと、柱の陰から様子を覗うことにした。


『悪竜の“気配”がプンプンする状態で、何が“何人たりとも”! そなたは人間ヒトではない。神聖な大聖堂を汚す破壊竜に、これ以上自由に出入りされては困るのだ』

『悪竜? 破壊竜? もはやこの世に存在しないものの気配を感じるとは、特殊な“特性”をお持ちだ。それとも未だ、私の中には“闇”があるのだろうか。もし“闇”があるのならば、私はこの地に張り巡らされた聖なる魔法の力で弱まってしまうはずだが、全くそのような様子もない。むしろ、この場所は居心地が良い。私という曖昧な存在も受け止めてくれる』


『……神は、そなたを受け止めてなどおらん。即刻立ち去りなさい』

『心の安寧を求める者を、お前は見放すのだな。それがお前の信じる神の教えか』

『黙れ小童』

『言葉が悪いな。少なくとも、私の中の白い竜は、お前の生まれる何百年も前から存在している。見た目でしか判断できぬ、最たる例だ』

『減らず口を叩くな。我が神を冒涜するような格好をしおって……! 貴様こそ、神の姿を真似、人々の心を惑わす化け物ではないか! そのような者が勝手に出入りしてよい場所ではないのだぞ!』


 アーロン司教はリョウゼンに向かって怒鳴り散らした。


『化け物?』


 それまで穏やかにいたリョウゼンが、低い声を出して、すっくと立ち上がった。

 普段は広げない蝙蝠羽をゆっくりと広げ、尻尾をいきり立たせている。

 嫌な予感がした。


『そうか、化け物か。……私は、化け物に過ぎないと』


 リョウゼンの身体が、徐々に膨れていくのが見えた。

 服が裂け、筋骨隆々とした背中が露わになる。


『全てを犠牲にし、世界のために命をかけても未だ、私は化け物か……!』

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