6. 呼び名

 大聖堂から一旦離れ、僕らは別棟へと案内された。

 古代神教会の敷地はかなり広くて、大聖堂の他にも四棟、大きな建物があった。周囲は雑木林に囲まれ、広い中庭も整備されている。上空から見たときには大聖堂の大きな屋根が印象的に見えていたけれど、この一帯が全部教会の土地だったなんて、結構な驚きだった。

 なにせ、ここは塔のすぐそば、都市部の中心地。魔法学校の敷地も相当なものだったけど、ここも同じくらい広い。

 どうやら塔周辺には、この世界レグルノーラにとって重要な施設が点在しているらしい。商業施設や住宅地はその周りをグルッと囲むように広がっている。

 案内されるがまま、一旦建物を出て、屋根付き通路を抜け中庭に出ると、傾いてきた太陽が辺りをオレンジ色に染め始めていた。

 三階建ての教会の建物の向こう側に、背の高いビル群のシルエット。南側には巨大な塔が、空を縦に分断するようにそびえている。

 影が伸びた教会の建物には濃淡が付いていて、真っ昼間より更に美しく見えた。僕はそれだけで息を呑み、また歩調が少し遅れてしまう。行くよとリサさんに言われて、ハッとして歩き始めることが何度かあった。


「かの竜は、何度も都市部を焼き払い、その度に街は壊滅したのですが、それでもこの教会は被害を免れました。我々聖職者が祈りと共に、聖なる魔法の力でこの土地と建物を護り続けているからです。祈りの館と呼ばれる施設があちら、北側に配置されています。館の内部には、古くから教会に伝わる祈りの言葉と複雑な魔法陣が刻まれているため、外部からの立ち入りは一切お断りしています。東側の二棟が我々聖職者の住まい、そして西側の一棟が教会の本部棟になっています」


 ウォルター司祭は易しい言葉で解説しながら、イザベラシスター長と一緒に僕らを本部棟の中へと案内してくれた。

 大聖堂同様ゴシック様式の外観で荘厳な建物に見えたけど、中に入ると意外と現代的だったのには、かなり驚かされた。大きな柱や彫刻はそのままに、ジークさんとこの事務所みたいな、シンプルな事務室の壁やドアが続いている。

 本部棟で働く何人かとも擦れ違ったけれど、修道服の人がいたと思えば、片方ではスーツみたいな服を着ていたり、普通のワンピース姿だったりと、思ったより自由度が高くてビックリした。みんながみんな、宗教色強めの格好をしているわけじゃない。日本でも、お坊さんや神主さんと、そこで働く事務の人とじゃ格好から違うもんなと、どうにか自分を納得させた。

 エレベーターを使って二階の部屋に通される。賓客室。いわゆるVIPルームらしくて、そこは大聖堂同様、広い室内にゴシック調の調度品があちこちに飾られていた。広い窓からは中庭と大聖堂の壁面彫刻が見える。ソファも綺麗な刺繍の布張りだし、テーブルの脚も綺麗にカーブを描いていて、僕とリサさんはとんでもない場所に通されたと、二人で顔を見合わせて冷や汗を掻いた。


「本部棟にはお客様をお通しできるような部屋が少なくて。会議室と研修室が大小幾つかあるのですが、そこは“神の子”をお通しできるような場所ではありませんので、堅苦しいところは、どうかご容赦いただきたい」


 あまりにも場違いな僕らは、ソファに座らされ、足を閉じたり肩をすくめたりしながら、「ハイ」「ですね」などと、頭に一切情報が入ってこないのを曝け出すような棒読みで返すのが精一杯だった。


 ウォルター司祭がいつの間にか手配していたらしく、若い修道僧が恭しく入ってきてお茶を淹れてくれた。花の香りがする、甘いお茶だ。


「先ほどは、枢機卿が大変失礼を。この場をお借りして、お詫び申し上げたい」


 向かい側の席で、ウォルター司祭は左手を胸に当て、軽く頭を下げた。

 僕は慌ててお茶をテーブルに置いて、ブンブンと頭を横に振った。


「い、いえ。大丈夫、大丈夫です。司祭様が謝ることじゃ」

「そういうわけにはいきません。貴殿の勇敢さ、優しさに対し、あの言動は許されることではありません。全く、教会の意識統一が図られていない証拠。誠に申し訳ないことです」

「あの、本当に、気にしなくても」

「いいえ。ここは素直に謝罪を受け止めていただきたい」


 困ったなと視線を泳がせると、イザベラシスター長と目が合った。シスター長は相変わらずにこやかにうんうんと頷いている。どうやら、僕が受け止めるまで、話は進まないらしい。


「わ……、分かりました。お気持ちは受け取っておきます。代わりにその……、“神の子”って、止めて貰えませんか。僕のことは“大河”で。彼女は“リサ”。敬称とか、要らないんで。名前で呼んでください。僕ら、年下なんだし」


 僕が言うと、今度はウォルター司祭が困ったような顔をした。


「そ、それは出来かねます。畏れ多い“神の子”の名を直に呼ぶなどと」

「だけど、いつまでも“神の子”だなんて、僕だって困ります」

「しかし」

「――ウォルター司祭、観念なさったらどうです?」


 イザベラシスター長が口を挟むと、司祭はウッと言葉を詰まらせ、


「し、仕方ありませんね……。イザベラがそう言うのであれば」


 口をもごもごさせてから、言いにくそうに、


「では、た、タイガ。私のこともウォルターと。彼女のことも、シスター長ではなく、イザベラとお呼びください。それでお相子あいこにしましょう」


 口元を隠して小さく言う彼は、ずっと年上なのに、ちょっと可愛げがあるように見えた。


「しかし、……参りました。本当に、貴殿は“あの方”に似てらっしゃる」

「え?」

「思い出しますよ。初めて出会ったあの日、“あの方”は真っ先に呼び名を気にされた。彼は自分が“レグル”と呼ばれることに対して違和感を持ち続けていたし、我々はその名を、宗教上の理由からどうしても呼ぶことが出来なかった」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




『ご、ごめんなさい。思わず』


 まだ若いウォルターさんの記憶が、また僕の中に飛び込んできた。

 透き通るような赤い目を向けた白髪の青年は、興味津々に彼を覗き込んでいる。

 青年は世間で噂される、“古代神レグルの化身”と呼ばれる男に違いない。かの竜を自らの身体に封じた救世主。竜と同化したことで、“神の力”を得たと聞く。

 普段は塔の上で、塔の魔女と共に平和を守っているのだと、確かそんな話を耳にした。

 神の名を騙るなどとんでもないと、教会がその存在を否定した男。――その彼が、目の前にいる。しかも、大聖堂のど真ん中に。


『……思わず呼んでしまう。つまり、そう見える。視覚からの情報で、そう判断してしまう。人間は結局、そういう生き物なのだな』


 クククッと寂しげに笑い、男は彼から身体を離した。

 人間と竜、その両方の特徴を持つ彼は、確かに大聖堂の古代神レグルの像とうり二つ。

 性質の全く異なる二つのものを掛け合わせた禁忌の存在が、目の前にいる。それだけで、彼の身体は震えていた。


『私は古代神レグルなどではないよ。皆、そう呼ぶがね』

『じゃあ、誰? 名前は?』


 彼が尋ねると、男は首を横に振った。


『名前など、ない。私は救世主だった“凌”と、凌が“ゼン”と名付けた白い竜が合わさって出来た者。塔の人間共が勝手に私を“レグル”と呼ぶ、それだけの存在』

『だ、だったら、二つの名前を合わせて、“リョウゼン”は? それなら私も、あなたを名前で呼べる』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「――“リョウゼン”と、便宜上、私は彼をそういう名で呼びました。救世主と白い竜の名を足しただけの単純な呼び名でしたが、“あの方”はいたく気に入っていた。それから、私と彼の、長い交流が始まったのです」


 リョウゼン。

 初めて聞く名前だ。

 だけど、何だか真意を突くような、とても良い名前。


「いや、それにしても本当に」


 ウォルターさんは目頭を赤くして、サッと顔を腕で隠した。

 しんみりと、悲哀の青色が彼の中からにじみ出る。


「……失礼。色々と、思い出して」


 何を思いだしているのか、彼は湧き上がる感情を、必死に抑えていた。


「――さて、込み入った話になるようですし、リサは私と一緒に、別の場所でお話ししましょう」


 唐突に、イザベラさんは立ち上がって、リサさんに手を差し伸べた。

 エッと、僕とリサさんは顔を見合わせたけど、イザベラさんは容赦なかった。


「タイガも、ご自身に関わる大切なお話を、他人には聞かれたくないでしょう? 大丈夫、そう遠くには行きません。敷地内を散策する程度にとどめておきますから、どうぞごゆっくり、二人でお話になって。ここは防音が効いてますし、内鍵を掛けておけば、余計な邪魔も入らないでしょう。さ、行きましょう、リサ」

「え? あ……」


 困ったように僕とイザベラさんを見比べるリサさんに、僕は小さく頷いて見せた。


「大丈夫だよ。行ってきて。ヤバそうな気配を感じたら、いつもみたいに飛んできて貰えると嬉しいけど」

「うん……」


 一抹どころかめちゃくちゃ不安はあったけど、多分、こういう機会は滅多にない。

 僕はどうしても、ウォルターさんから情報を得なくちゃならない。

 イザベラさんとリサさんがいなくなると、ウォルターさんは立ち上がってドアに内鍵を掛けた。

 多分、最初からこうするつもりだったんだ。

 僕がどうしても知りたいのと同じように、彼もどうしても伝えたい。

 だから、二人きりになりたかった。


「連れの彼女を追い出すようなマネをして、本当に申し訳ない。けれど、誰にも聞かれるわけにはいかないと思って、あらかじめイザベラに頼んでおきました。彼女は優秀で、人の気持ちをよく汲んでくれる。彼女が女性でなかったなら、もっと上位の役職に就けたのにと、そう思える程に」


 言いながらウォルターさんは、壁のスイッチを押してカーテンを閉め、使用場所が限られていると言っていた魔法を発動し始めていた。結界魔法だ。しかも、かなり強力な。


「私が市井の人間なら、恐らくこのような役目を負うことはなかったでしょう。何故私なのだろうと、長い間苦しみました。しかし、聖職者でなかったなら、私は“あの方”に出会うこともなかった。救いを求めてきた“あの方”と、私は長い時間をかけて心を通わせました。しかし、結果的に私は“あの方”を救うことが出来なかった。せめてもの償いに、私は約束を果たす。“神の子”に、――タイガに、私は伝えなければなりません。彼が見てきた景色と、苦しみと、そして、――願いを」


 ウォルターさんは、力強くそう言って、濃紺の瞳で僕を見つめていた。

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