5. 大聖堂サンクトゥス・レグルドムス

 ヒヤッとした空気が身体に纏わり付いた。


「さぁ、着きました」


 ウォルター司祭の声で、僕は到着を知る。

 目を開けても薄暗い。とても狭い空間にいることは何となく分かる。


「直接教会の建物の中へとお通し出来ればよいのですが、神聖な空気を乱さないよう、魔法の使用場所が限定されているのです。二人までの利用を想定しているため、狭くて大変申し訳ない。さぁ、こちらへ」


 目が慣れてきた。

 石造りの壁で覆われた、二畳程の空間。足元には光の消えた魔法陣がある。

 ウォルター司祭が案内する方向にうっすらと光が射していて、僕とリサさんはイザベラシスター長と並んで司祭のあとを着いていく。

 何となくだけど、交差点下の地下道に似てる。

 足音や息遣いが狭い通路の中で反射する。

 しばらく歩くと外の明かりが見えて、目の前に石造りの大きな建物が迫っていた。


「ようこそ、古代神教会の大聖堂、“サンクトゥス・レグルドムス”へ」


 そそり立つ、石の壁のような――、けれど繊細で、とても美しくて。

 魔法学校側や、塔の上空から見たことはあったけど、こんなに近くで見るのは初めてで、僕はその荘厳さに圧倒されてしまっていた。

 お城みたいだ。

 白い石を丁寧に積み上げて作られた大聖堂の壁には、ヨーロッパの寺院や宮殿に見られるような装飾が一面に施されていて、そのあちこちに竜をモチーフにした文様がある。

 昔から、互いの世界を干渉者が行き来していた証拠なのかも知れない。技術とか、文化とか、いろんなものに影響を与え合ってたから、“こっち”でも“向こう”で見たことのあるようなものを見る。

 僕らはその入り口から少し離れた敷地の角っこの、地下道の出入り口みたいなところから出てきたらしい。こっちだよと、司祭は僕らを正面入り口へと案内した。


「レグルノーラにも古代レグル語という独自の言語は存在するのですが、この“サンクトゥス・レグルドムス”には、ラテン語、つまりリアレイトの言葉が使われています。二つの世界を行き来していた干渉者達がこの大聖堂の建築にも多く関わっていたため、敬意を表して異世界の言語を冠したと言い伝えられているんですよ。サンクトゥス……、神聖なる、古代神レグルの、ドムス……家、住まい、という意味です。ドムスという言葉が用いられた背景には、古代神レグルが人々のよりどころとしてこの市井に築いた、誰でも分け隔てなく立ち入ってよい場所、という願いが込められているそうです」


 案内されるままに石段を上がっていき、開け放たれた大きな扉を潜って中へ進んでいく。

 休息日は参拝者で賑やかになるそうだけど、平日のこの時間帯だと参拝者もまばららしい。僕らが到着した時間は、修道僧やシスターが数人通りすがるくらいで、大聖堂の中はがらんとしていた。

 映画の中に入ったみたいだった。

 どこもかしこも見るもの全てが芸術的で、目が奪われるというか、心に沁みるというか。

 窓や天井のステンドグラス、壁画、柱の文様――、神話をモチーフにしたと思われる装飾……、至る所に人々の願いというか、古代神レグルへの信仰というか、そういうものがにじみ出ている。

 高い天井、巨大な柱。床にもいろんな文様が描かれていて、つい目が泳いでしまう。

 キョロキョロと辺りを見回しすぎて、僕の歩調はみんなよりいつの間にか遅くなっていた。リサさんに手を引っ張られるまで、僕はぼうっと入り口から壁と天井を舐めるように見ていた自分に気付かなかったくらいだ。


「この大聖堂には、天蓋を支える四本の大柱があるのですが、それぞれが古代神レグルに仕える四体の守護竜と、その竜が護る方角を示しています。柱の前には守護竜の像が、中央に御座おわす古代神レグルに向かうよう置かれているのですよ」


 ウォルター司祭は丁寧に、僕にも分かりやすいように案内してくれる。


「北を護るのは、ニグ・ドラコ。森の支配者と呼ばれる巨大な黒い竜です。東を護るエルーレは水の監視者。細長いしなやかな身体が特徴の、青い水竜です。南を護るフラウは、砂漠の審判者。砂漠を縦横無尽に飛び回る黄色の翼竜です。西を護る火の守護者ルベールは、赤い火竜です」


 会衆席の間を抜け、徐々にその場所へと、僕らは近付いていく。

 祭壇が見えた。

 高い天井と、ステンドグラスから落ちてくる、七色の光。

 キラキラした光に照らされる、白い像。

 左手を胸に当て、右手を大きく開いて目を伏せた半竜神の像は、蝙蝠羽を広げて天を仰いでいた。

 誰かの記憶で見た。

 ここが、あの。


「中央に鎮座するのが、古代神レグルの像。“あの方”と私が初めて出会ったのは、正にこの場所。彼はいつも悲しそうな目をして、この像を見上げていました」


 ウォルター司祭はそう言って、僕に目を向けた。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 古代神レグルの像に手を伸ばす人影。

 何人たりとも、軽々しく振れぬようにとしつこく注意されているその像に、その人は手を伸ばしていた。


『何をしているのですか、不敬な……!』


 声を荒げてはならない大聖堂に、まだ若いウォルター司祭の声が響く。

 人影は、ピクッと一瞬反応したように見えたのに、構わず像に触れていた。

 とんでもないことをするヤツもいたものだと、彼は思って駆け寄った。

 だが……、それ以上、注意することは出来なかった。

 

『これは、私か……?』


 その人は振り返り、彼にそう問いかけた。

 半竜の男だった。

 美しい白い髪に、白い角、白い鱗と、白い尾、白い蝙蝠羽。


『古代神レグル……!』


 思わず叫んでいた。

 自分の声に驚き、彼が両手で口を塞いだときにはもう遅かった。

 男はいつの間にか彼の真ん前にいて、透き通るような赤い瞳を向けたのだ。


『やはり、お前も私をそう呼ぶのか』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 ――レグルだ。

 僕はゴクリと唾を飲み込んだ。

 レグルは、凌は、ここに出入りしていた。

 ウォルター司祭はレグルと、直接話を。


「大河君大丈夫? 顔色悪いよ」


 リサさんが僕の手を握る。


「何か、見えた?」


 小さな声で囁いてきたけど、僕は首を横に振った。


「大丈夫、なんともない」


 なんともなくない。

 心臓が、バクバクしてくる。

 だけどまだ竜化してるわけじゃないし、極端な興奮で目の前がおかしくなったわけじゃない。まだまだ、耐えられる。


「凌は……、レグルは、よく、ここに?」


 平気な振りをして、僕は司祭に尋ねた。

 ウォルター司祭は優しく笑って、こくりと頷いた。


「少なくとも、教会が“あの方”を幽閉したと宣言する、その前日まで、私は彼と、この場でよくお喋りをしていたんです。それを上層部は良く思っていなかったようでしたけど、若い修道僧やシスターは構わず彼のところへ行っていましたね。何せ、見た目が完全に我が神と一緒なのですから、教会は彼を排除しようにも出来なかった。彼が古代神の化身だったのかどうか、という点に私はコメントしませんよ。彼と私はあくまで、個人的に繋がっていただけなのですから」


 個人的に。

 ……今まで出会ってきた大人達とは、接触の仕方も、感覚も違うってこと。

 司祭の話なら、信用できそうだ。


「そう言えば一度、小さい子どもを連れてきたことがありました」

「子ども?」

「思えばそれが、貴殿だったのでしょう。“あの方”によく懐いていた。大聖堂の中を走り回り会衆席の椅子の間でかくれんぼしたり、抱っこされて竜の像を見せて貰ったり。……が、覚えてはいないでしょうね。まだ、ほんの二つか三つの子どもだったから」

「……ってことは、大河君には、小さい頃から干渉能力があったってこと?」


 とリサさん。

 ウォルター司祭は、「恐らく」と前置きして、


「実は“神の子”の力に関しては、私も少し、知っていることがあるのです。その辺踏まえて、別の部屋でお話ししましょう。――と、その前に、私は上層部に報告に“神の子”のことを報告に行って来なくては。恐らく、“神の子”の気配を感じた枢機卿が、怒鳴り込んでくる頃でしょう。イザベラ、お二人を先に案内して差し上げなさい」

「かしこまりました、ウォルター司祭」


 イザベラシスター長がウォルター司祭に一礼して、僕達を案内しようとしたところで。



「か、“神の子”か……!」



 裏返った年配男性の声が、大聖堂の中に響き渡った。

 大聖堂入り口のど真ん中に、肩を怒らせた男のシルエットがある。


「しまった、先に来たか」


 ウォルター司祭は舌打ちしてから、人影の方に向かって歩いて行く。


「アーロン枢機卿、どうなさいました。そんなに大きな声を出されるなど、らしくはありませんね。何かございましたか」


 僕のことなんて全然知らない振りをして、司祭は大げさに手を広げている。

 枢機卿は更にご機嫌を悪くして、


「また“悪魔”を、神聖なる場所に通したのか!」


 と怒鳴り散らした。

 僕とリサさんは気が気じゃなくて、思わずくっついて震え上がったけど、イザベラシスター長は大丈夫ですよとニコニコしている。

 シスター長の言うとおり、ウォルター司祭は全く動じもせず、それどころか少し笑ったような声で、枢機卿に話しかけていた。


「レグルノーラにおいて“悪魔”とは、悪意を持って異世界から干渉してくる干渉者や、その悪意が生み出す魔物のことを指します。枢機卿のおっしゃる“悪魔”は、まさかリアレイトで異形や神に反する者を指す“悪魔”のことではありませんよね? 一宗教家が、まさか異世界の宗教用語を用いるなど、私の聞き間違いならばよいのですが」

「く……ッ! 貴様またそうやって詭弁を」

「おやおやおや、顔が真っ赤ですよ。詭弁だとおっしゃるなら、反論なさってください。それとも、反論する術を持ちませんか」

「ウォルター! 何故“神の子”を連れてきた。一体、誰の許可を取って」


 背の低いアーロン枢機卿は、握り拳を作って、ウォルター司祭を見上げ、睨み付けている。はげ上がった頭の天辺まで真っ赤っかで、彼に漂う色も、怒りの赤と恐怖の紫色が入り乱れていた。


「許可? 参拝者ですよ。そして、私の客人です」

「ふざけるな、ウォルター! “アレ”のどこが参拝者で客人なのだ」

「我が神は、分け隔てなく二つの世界の住人を愛し、その平和を願っているのですよ。祈りを捧げるのに、どこの誰かなど、関係はなかったはず。確か、いつぞやの説教でもそのようなことをお話しになっていたではありませんか。それとも、枢機卿はご自分の説教をお忘れになったとか? ――つい先日、オリエ修道院襲撃時に身を挺して我々を救った“神の子”を、もはや敵対視しないという採択も、まさかお忘れでしたか? でしたら、いち早い引退をお願いしたいところですね。我々中堅も、後がつかえていますので」


「ぶ、無礼な……!」

「あぁ! もしかしてまだに竜が苦手なのでしたか。“神の子”にも相当濃い竜の血が流れているらしく、“あの方”同様、かなり濃い“竜の気配”がするのだそうです。あいにく私にはそのような特性がないため何も感じませんが、確か枢機卿はとても鋭い感性をお持ちだったはず。――まさか、恐い? 排他的な感情は厄介ですよ。それに刺激され、更なる悲劇を生みかねない」


 まくし立てるようなウォルター司祭の言葉に、アーロン枢機卿は次第に、なにも言い返せなくなっていったようだった。


「ほら、大丈夫でしょう」


 アーロン枢機卿が悔しそうに首を振り、ウォルター司祭に背中を向けたところで、イザベラシスター長はそう呟いた。


「さて、邪魔者もいなくなったようですし、夕餉まで少し時間があります。こちらへどうぞ」


 決して、歓迎されている状態ではない。

 昨日の今日で人の考えが一八〇度変わることなんてないってことも、頭では分かっているつもりだった。

 だけどああやって、“神の子”という異質な存在に恐怖を抱くアーロン枢機卿の憂慮が、決して特別なものじゃなくて、レグルノーラでは当然のことなのかも知れないと……、僕は、自分ではどうにも出来ないことに対して、とても、心苦しく感じたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る