3. 塔の五傑
「本当に、良いんですか。何か、オレだけ変に特別扱いされてたりとか」
雷斗はまだ少し、迷っていた。
無理もない。
色々やらかしすぎて、その上であんな提案、誰だって混乱する。
だけどウォルター司祭はニッコリ笑って、
「君だけが特別なわけではありません」
と言う。
「君はほんの一例に過ぎません。実はこのところ、黒い水に冒された者が散見されるようになっていました。エルーレ地区周辺に現れた黒い不定形生物を辿ると、意図的に黒い水を与えられ、宿主にされていたことが分かりました。君と同じように、感情を抑えきれずに爆発させ、周囲に大量の黒いもやと不定形生物を発生させていたのです。恐らくはかの竜が、過去同様、また罪のない一般人を巻き込んでいるに違いありません。……君を責めるということは、そうやって巻き込まれてしまった人々をも責めるということ。我々は、彼らにも等しく心の傷を癒やす言葉を掛けています。気に病むことではありませんよ」
かの竜が、の辺りで、僕の胸ははち切れそうになった。
それが意味するところは、つまり。
「凌叔父さんは、……レグルは今、人類の敵って、ことですか」
恐る恐る訊ねた雷斗に、ウォルター司祭は声のトーンを変えずに、静かに言った。
「敵かどうか、判断は難しい。ただ、大変危険な存在になってしまったことだけは確かです。残念ながら、今の彼を、我らが崇拝する古代神と重ね合わせることは難しい」
「そう、ですか……」
厳しい現実を告げられ、雷斗はガクッと項垂れた。
幼い頃の記憶を胸に、ずっと凌を慕ってきた雷斗にとって、それは多分、いやきっと、信じたくないことだったに違いない。僕が昨晩打ち明けたことがより現実味を帯び、雷斗を打ちのめしている。
悲痛の色を増した雷斗に、手を差し伸べられたらよかったのに。
複雑な気持ちになった僕と雷斗のことを察してか、ウォルター司祭は最後に、こんな言葉を付け足した。
「それでも私個人は、彼を崇拝し続けています」
「え?」
僕と雷斗は、思わず顔を見合わせた。
「こんなことを言うと、教会の他の連中には誤解されそうですが」
チラリと、ウォルター司祭はイザベラシスター長とグレッグ騎士団長を見て、彼らが小さくため息をつくのを確認し、話を続ける。
「古代神に酷似した外見を持つ半竜としてではなく、あくまで彼個人を、尊敬していましたよ。彼がああなってしまったのにはきっと、何か深いわけがあるのだと思います。それを解明する術を、私達は持ち得なかった。彼の心の内を知ることが出来るのだとすれば、唯一彼の血を引いた“神の子”が――自らを知り、彼と同等の力を使えるようになったときなのではないかと、私は思っているのですが、どうでしょう」
それは、単に気休めかも知れない言葉だったけれど。
ウォルター司祭が凌に対し、何かしらの理解を示しているということは、僕の中でほんの少しだけど、救いとなった。
*
イザベラシスター長とともに、雷斗は別室で今後について相談することになった。カウンセリングについての詳細や、場所、日程など、今のうちに打ち合わせておきたいらしい。
「それにしても」
口を開いたのは、グレッグ騎士団長。
部屋の奥、窓際の壁にもたれて顎をさすり、僕の方を見て首を傾げている。
「まだに信じられない。普段はとても物静かな、普通の少年なのだな、“神の子”は」
同意しているのはウォルター司祭くらいで、他の面々は、僕の方を見て苦笑いしている。一体、どう思われているのかはさておき、普通の少年と言われたのは、実は少し、嬉しくてこそばゆい。
「以前、リアレイトで副団長のライナスが君を見つけたとき、不思議な感じがしたと言っていた」
「……不思議な、感じ?」
「間違いなく白い竜の気配がしていたようだが、邪悪さが一切なかったと。破壊竜の血が濃ければ、そういったものがあって然るべきではないかと思われていただけに、意外だったようだ。それに、あんな状況下でも君は、一切の攻撃をしなかった。何故だ」
痛い、ところを突かれた。
僕はちょっと目をそらして、口元を歪ませる。
「相手がライトだったから? 攻撃しろって言ったのに」
ジークさんの向かい側の席にどかっと座って足を組んだノエルさんは、面白くなさそうに顔をひん曲げている。戦闘中も何度か同じことを言われた。僕はその度に、確かに攻撃しようとした。でも、結果的に何も出来なかった。
ノエルさんが言うのも一理ある。
だけど、だけど本当はそんなんじゃなくて。
「……出来なかった。多分、雷斗だったからってのも一因だけど、一番は、僕が、僕自身の力を操り切れてない」
「それは私が、近くにいなかったから」
今度はリサさんが、ノエルさんの隣で肩を狭くして、申し訳なさそうに言う。
それも違う。
リサさんに力を抑えて貰うこと前提でしか動けないなんて、そんな言い訳、実戦では通用しない。
「訓練でどうにかなっても、実戦で力を発揮できなければ、また無謀な戦いを続けてしまうことになる。これは、大きな反省点だろうね。普通の人間なら、あんな戦い方を続ければ、直ぐに死んでしまう。半竜だから生き残ってたようなもの。それとも大河は、自分の体力や治癒力を過信してた?」
「そ、そういうわけじゃないけど」
誰かを簡単に捻り潰してしまうかも知れない力を、誰かに向けようとする。
それがとてつもなく恐かったなんて。
破壊竜が見えないところで少しずつ活動し始めているかも知れない今、対抗できる切り札の一つとして、あらゆる方面で期待されていると知っていながら、……どうして、僕に言えるだろうか。
「あのねぇ、いい年したオジさん達が、いたいけな少年を集団でいたぶるの、やめてくれない?」
声を上げたのはアリアナさんだった。いても立ってもいられなくなったらしく、リサさんの向かい側の席からすっくと立って部屋の中央に進み出て、両手を腰に当て、グレッグ騎士団長と、ウォルター司祭、ジークさんとノエルさんを交互に睨み付けている。
「別に、いたぶってたわけじゃ」
ジークさんは弁明したけれど、アリアナさんはまだご機嫌斜めのままだ。
「年頃の少年は! 傷つきやすいの! 自分達だってそんな時代があったクセに、すっかり忘れて! 心が薄汚れた中年共!!」
大人達一人一人を指さして、果敢にも注意しているところとか。流石、なんだけど。
薄汚れた、は言い過ぎ……。
「いいよ、アリアナさん。本当のことなんだし……」
「タイガ! 君のそういう、変に遠慮がちなところ! 悪いクセだよ! 直して!」
今度は僕が睨み付けられる。
困ったなと目をそらして、リサさんに助けを求めようとしたけど、アリアナさんの性格を分かってるリサさんは、助けるどころか僕から目をそらしてしまった。
「確かにタイガはまだ弱いし、まともに戦闘で魔法使えないのは痛いけど、それでも咄嗟に誰かを守るって行為は出来てた。それは凄い成長でしょ。戦闘に慣れなきゃ、上手く動けないのは当たり前。少しずつ出来ることを増やすしかないわけじゃない。それを、上手くサポートしていくのが大人の仕事でしょうが! それを責めてどうするの!」
「まぁまぁ、アリアナ、落ち着いて」
「落ち着けるわけないでしょ!」
アリアナさんは、ジークさんの真ん前に来て、思いっきり顔を近付け、ぐいぐい迫っていた。
ジークさんは椅子の上で仰け反って、顔が近いと両手のひらをアリアナさんに向けている。
「分かった分かった。反省は、十分、自分でもしてると思うから、これで終わり。やめますやめます」
「大人は直ぐに反省を求める! そんなの本人が一番分かり切ってんだから、いちいち指摘しない! 前を向かせる! 分かった?」
「アリアナさん、本当に、ありがとう。もう大丈夫だから」
「君の“大丈夫”ほど怪しい言葉、ないのもちゃんと分かってるからね!」
ピシッと、最後にアリアナさんは僕のことを指さした。
どうも、アリアナさんは勢いが凄すぎて、言い返すのが難しい。それは大人達も一緒っぽい感じがする。
「それはそうと、雷斗が見つかったことは昨晩のうちにシバにリアレイトで報告済なんだ。来澄さんにもシバ経由で連絡して貰って、今日にも雷斗を“向こう”へ連れて行く約束だから、シスター長の話が終わったら、早々にお
ジークさんはみんなに伝わるよう、全員の顔に目配せした。
そうか、もう、戻らなきゃならないんだ。
いつまでもオリエ修道院にいたら、確かに邪魔になるし。僕らがいることで、更に迷惑を掛けることもあるかも知れない。なるべく、早く去った方が良いのはよく分かる。分かってるんだけど……。
「シバ……、“塔の五傑”、ですか」
グレッグ騎士団長が、聞き慣れない言葉を発した。
「そうです、“五傑”の。大河の、“向こう”での育ての親なんです」
「なるほど。そういう……」
ジークさんとグレッグ騎士団長は、互いに頷き合っていたけど、僕にはよく分からない。
もしかしたら、この世界ではそれなりに有名な話なんだろうか。僕以外、反応してない。
「すると、塔は初めから、“神の子”を。何とも、残酷な連中だ。命を狙っていた我々が言える立場ではないが、えげつないことを考える。“神の子”はそれをご存じで?」
グレッグ騎士団長は、具体的なことを喋らなかった。
けれどそれが、一体何のことを示しているのか、何となく分かる。
僕がこくりと頷くと、騎士団長もウォルター司祭も、息を呑んで顔を歪めていた。
「しかしその塔も、白い竜と化した大河には手を焼いていた」
ジークさんは大きくため息をついた。
「結局、塔は大河が常に自分達の支配下にあることを前提にして計画を立てていたってことなのでしょう。先般、魔法学校に凌……レグルが現れ、大河を強制的に白い竜にしたとき、塔は大河を厄介者扱いにし、魔法学校への立ち入りを禁じる措置を執った。もし、シバの元で育てることで、大河をコントロール可能な白い竜として扱うことが出来ると考えていたのだとしたら、それほど浅はかなことはない。大河にだって意思はあるし、権利もある。彼らは……、結局人間を、世界を回すための駒だとしか考えていない。それが、あのことで更に決定づけられたと思っています」
「駒?」
と、ウォルター司祭。
「ええ。駒です。ゲームの駒。塔の魔女すら、塔にとっては単なる駒だ。私の師は前の塔の魔女ディアナ様ですが、彼女も常に、そうぼやいていましたよ。塔の決定に、塔の魔女は逆らえない。塔を支配している“塔の五傑”こそが、世界を牛耳っているのだと。現塔の魔女ローラにも恐らく、発言権はない。初めこそ、塔には従わないと断言していたが、今ではすっかり塔の言いなりだ。だから僕は、塔が嫌いなんだ。その辺、教会にも、似たところがあるでしょう」
「ええ。全く。貴殿とは気が合いそうだ」
*
程なくして、イザベラシスター長が雷斗を連れて戻ってきた。
最後に挨拶して、僕らはニグ・ドラコ地区の端っこにあるジークさんの会社に戻ることになっていた。
雷斗は、ジークさんが転移魔法でリアレイトに連れて行くらしい。うっかりゲートを潜ると、また黒い水で覆われた湖を通ることになるからだ。
騎士団詰所から外に出ると、作業中の人達が手を止めて、僕らを見送りに出てくれた。
あんなことが起きて、沢山犠牲があって。それでも、彼らは憎もうとしない。もしかしたら心の奥底で、僕らを憎み、恨み、葬り去りたいと思っているのかも知れないけれど、少なくとも心の色を曇らせる程の感情を、抱いているようには見えなかった。
修道院の入り口にある門を背に、僕らは別れの挨拶をした。
空は気持ちいいくらいに晴れていて、太陽が燦々とあらゆるものを照らしていた。
「帰るぞ、大河」
いつまでも名残惜しくて、僕はなかなか一歩を踏み出せなかった。
出来るならば、もう少し。
「――あの!」
僕は、できる限りの勇気を振り絞って、ジークさんの呼びかけに答えた。
「残っちゃ……、ダメ、かな」
僕の突拍子もない言葉に、その場にいたみんなが目を丸くした。
「めめめ迷惑、だと、分かってるんだけど。それでも、――それでも、ごめんなさい。僕の知りたいことが、知りたいことがっ、多過ぎて。出来るなら、可能なら、もう少し、司祭様やシスター長、騎士団長とか、話を、聞きたい。僕の知らない、凌のこと、れ、レグルのこと、過去に破壊竜がやってきたこと、塔が何を隠しているのか、この世界の、歴史とか、色々、聞きたいんだ」
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