2. 暗いトンネルの先
夢を見た。
目を覚ますと、リアレイトに戻っていた、そんな夢。
僕は夜中、自分の部屋で目を覚まして、辺りを見回すんだ。辺りは真っ暗で、時計は午前一時。カチカチと、時計の針の音がよく響いている。
夢なんだという認識がハッキリとあって、でも、感覚はしっかりとしていて、変だった。
ベッドから降りて、僕は部屋を出た。
廊下に出ると、父さんの書斎のドアが半開きになっているのが見えた。
まだ、起きてる。カチカチと、キーボードを叩く音がする。
こんな時間まで起きてるんだ。僕は吸い込まれるように、書斎の方に歩いて行く。
普段はきっちり整頓されて、不要なものは出しっぱなしにしないはずの父さんが、あちこちに資料なのか、メモなのか、紙や本をいっぱいに広げて、一心不乱にパソコンの画面に向かい、何かを打ち込んでいる。
時々手を止めて頭を掻きむしったり、ため息をついたり、肩をほぐしたりしながら、スッとパソコンに向かってる。
こんな時間まで根詰めて、父さんは一体、何をしてるんだろう。
僕は床に落ちていた紙切れに、ふと視線を落とした。……アレ?
「レグル文字」
僕が呟くと、父さんはハッとして振り向いた。
目が合った。
父さんは立ち上がって、驚いたような顔をして僕を見ていた。
「大河……?」
夢は、そこで途切れた。
*
雷斗は、朝からご機嫌斜めだった。
身支度をして、朝食をいただき、迎えが来るまで昨日の後始末を手伝うことになったんだけど、その間、ずっと雷斗は僕を無視した。
昨日のうちに、犠牲になった方々は寄宿舎の空き部屋に移されていて、シスター達は彼らの埋葬の準備を、騎士団員達は崩れた瓦礫の撤去をしているようだった。
トラックの荷台に、分別しながら瓦礫を載っけていくだけの簡単な仕事だったから、僕らは淡々と、指示に従って作業した。やらかした本人が目の前にいても、修道院の人達は特に責めることもなく、朝からありがとうと僕らに声を掛けてくれる。
雷斗は小さく頷いて、無言で作業を続けていた。瑠璃色には、紫や濃い緑が混じっていた。それは、もしかしたら言葉で責められ、なじられるよりも、雷斗にとっては辛いことなのかも知れなかった。
朝になり、被害の全容が明らかになってきた。
犠牲者は六人。その殆どが神教騎士だった。
修道院の礼拝堂はほぼ全壊。修道院敷地の南側にある厩舎、畜舎、農作業小屋の壁の一部が破損、鳥が何羽か行方不明になって、牛と馬が何頭か死んだ。北側、礼拝堂から続く騎士団長室に近かった兵舎の一部も、壁が焼け焦げ、ガラスが飛散していた。
ようやく雷斗が口を開いたのは、作業を終えて、水飲み場で休憩していたときだった。
「凌叔父さんを、殺すのか」
雷斗は、目を合わさずに言った。
蛇口から直接水を飲んでいた僕は、飲むのを止めて、手元のタオルで口を拭った。
「……分からない」
ひと気はなかった。
だから雷斗は、やっと話しかけてきたんだと思う。
水飲み場は農作業小屋と寄宿舎の間にあって、木々に囲まれ、丁度人目にも付きにくい。
「倒すって、つまりそういうことだろ。まさか、親子で殺し合いをするつもりか?」
殺し合い。
そんな、単純な問題じゃない。
「別に、殺し合いをするつもりなんてないよ。あいつだって、そんなくだらないことは望まないと思う」
「なぁ、お前、本当に大河か? 何か、おかしいぞ」
「何が」
「何がって……。ずっと、ピリピリしてる。殺気立ってるっていうか、なんて言うか。歪みが、ヤバい。凌叔父さん程じゃないけど、ここしばらく、見たことがないくらい歪んでる」
そういえば、雷斗には空間の歪みが見えるんだ。
力が強ければ、その周囲の空間は歪む、ということらしい。
「僕は、ずっと僕だよ」
いつもなら、少しくらい笑えたんだと思うけど。
何故か僕は、頬を緩ませることすら出来なくて。
「みんなが幸せな日常を過ごせるなら、僕は」
そこから先の言葉を、言うことも出来なかった。
*
神教騎士団の面々は、殆どが身寄りのない、天涯孤独な人達なのだそうだ。
街の周囲に広がっている森は年々砂漠に侵食され、森から溢れた竜や魔物が民家を襲うことが、今も度々あるらしい。加えて、二十年前まではドレグ・ルゴラの暗躍により暴走した魔物達が街を襲ったり、あの黒いスライム達が大量に湧いて人々を苦しめたりしていた。
家族を失った人々を、古代神教会は無償で受け入れ、住む場所と役目を与えていたそうだ。
仮に命を失ったとしても、彼らに死を悼む親族はない。けれどその代わりに、教会は等しく、彼らを悼むのだ。
寄宿舎で手伝っていたリサさんも合流して、僕らは彼らの葬儀に参列した。
喪を示す黒い服を借り、見よう見まねで弔意を示す。
小学生の頃遠くの親戚の葬式に出た以来で、身近に死がなかった僕は、この非日常な風景を永遠に心に刻まなければならないと思った。
もし、凌が本当に単なる破壊竜になってしまったら、この非日常が日常に置き換わってしまう可能性がある。それを止められるのは僕だけだと、何度も自分に言い聞かせる。
神父も怪我を負っていて、頭に包帯を巻いていた。
昨日いた、司祭とシスター長の姿はない。どうやら中央に戻ったらしい。
農作業小屋と寄宿舎の間に、小麦畑に繋がる細い道がある。畑の手前にある墓地に向けて、六つの棺は、屈強な神教騎士達に担がれ、参列者と共に列をなして進んでいった。
埋葬用の穴は既に掘られていて、そこに一つ一つ、棺が埋められてゆく。最後のお別れにと棺を開けて花を入れていくのだけど、どうしても傷が酷いご遺体は、顔に布をかけられたまま、その上に花を置いていく。
一人一人に人生があって、嬉しかったこと、楽しかったこと、苦しかったこと、辛かったことがあって。それが、あの一瞬で奪われたことを、僕らは肝に銘じなければならない。
神父は雷斗のことには触れず、ただ、再び魔物が世界を襲ったことを悲しく思うと、そう告げた。
*
葬儀を終え、昼過ぎになってから、ジークさんとノエルさん、アリアナさんがやってきた。僕と雷斗、リサさんは、比較的無事だった騎士団詰所の談話室に案内され、そこで三人と合流した。
談話室は少し広めの部屋で、ちょっとした会議をしたり、打ち合わせをしたりするところらしい。ミーティング用のテーブルと椅子が中央にあるだけの簡素な部屋だったけど、見知った顔が沢山あるだけで、何だか気分が明るくなった。
談話室ではウォルター司祭とイザベラシスター長、それからグレッグ騎士団長も待っていて、僕らは軽く頭を下げて挨拶した。
「少しは落ち着いたみたいだな」
ジークさんは椅子に座ってため息をつきながらも、少し、安心したような顔を見せた。
「雷斗も、……まだ、機嫌は悪いようだが、まぁ、昨日よりはマシかな。よく寝たか?」
雷斗は壁により掛かって、
「眠れるかよ」
なんて言ってたけど、僕は確かに、雷斗の気持ちよさそうな寝息を聞いた。
本当は、安心してぐっすり眠っていただなんてここで口を出したら、きっと雷斗に怒られる。
「なんで、……責めない。オレがぶっ殺したも同然なのに、葬式まで。一体、何を考えて」
雷斗が顔をしかめると、
「黒い水によるあの中毒症は、並の人間には回避出来るものではありません。君は被害者です。勘違いしてはいけない」
ウォルター司祭が静かに返した。
「君は“神の子”に対し明確な殺意を持っていたようですね。そして、大量の黒い水を摂取した。その二つが不幸にも重なり合って、今回のことが起きてしまった。中毒症状による黒いもやの拡大が大量の不定形生物発生に繋がったことは否めません。しかし、人間誰しも、心に闇を持っている。その闇が大きいか小さいか、隠しきれるのか隠しきれないのか、人によって随分と変わってきます。君ぐらいの年齢の子どもは、特に心と体のバランスを崩しやすい。リアレイトでの日常が原因なのか、君と“神の子”の関係性が原因なのか、様々な事情が合わさって、今回のことが起きた。君を責め、罪を償わせようという考えもあるでしょう。――が、君は十分に苦しんだと思いますよ。これ以上の苦しみを与えることを、神はお許しにはならないでしょう」
僕らの世界なら、きっと雷斗は逮捕されて、裁かれる。そして、何年もかけて罪を償うんだろう。けれどここは異世界で、ここにはここの決まりがある。
「……カウンセリングを受けたらどうかって、喋ってたんだ」
「カウンセリング?」
ジークさんが突然、変なことを言い出した。
僕とリサさんは、口を揃えて顔を見合わせ、お互い首を傾げた。
「雷斗の父親、僕も“向こう”で少し話したけど、結構難しい人でさ。大河が話して少し落ち着いたようだったけど、親子で会話できるようになるまで、少し時間が必要なんじゃないだろうかって、客観的に思ったんだよね。リアレイトにも優秀なカウンセラーが沢山いると思うんだけど、特殊すぎる事情を理解して貰うのはまず無理だろうと思う。大抵は、頭がおかしくなったと思われて終わる。それじゃ意味がないから、こっちで事情に精通した人にカウンセリングして貰った方が、雷斗のためにもなるんじゃないかと思ってさ。さっきそういう話をしたら、イザベラシスター長が是非にって」
「な、なんで勝手に頼むんだよ!」
雷斗は唾を飛ばして、ジークさんを怒鳴った。
「まぁ落ち着けよ。聖職者って、人々の心の迷いや悩みを聞く仕事もしてるんだよ。直ぐに解決とはならないかも知れないけど、まず言葉にして、自分の中のわだかまりを少しずつ、解消させていくことで、前に進むための力を得ていくんだ。
雷斗、君はちょっと溜め込みすぎるところがあるから、喋った方が良いと思うんだ。それとも、イザベラシスター長じゃ不服か? 因みに、他の連中は若くても君の父親くらいの人達だぞ。そっちの方がよかったか?」
「……そうじゃ、ないけど。なんでよりによって古代神教会なんだよ。昨日、オレがあんなことをして、そんでカウンセリングとか。おかしいだろ、どう考えても」
「それ、感情論だろ? 僕だってつい昨日まで、教会はやばいところかも知れないって思ってたさ。けど、それは偏見だと気が付いた。よくよく考えりゃ、何が敵で何が味方か、まともに頭で考えもせずに、勝手に決めつけてただけだった。こうやってお世話になって、彼らがどれだけ純粋に古代神を崇拝しているのかとか、人々を守ろうとしてきたのかとか、よく分かったんだよ。だから頼んだ。文句ある?」
「も、文句」
「じゃ、決まり。シスター長、お願いしますね。こいつ、なかなか頑固なんで、心砕くのに時間かかると思いますけど」
イザベラシスター長は、壁際の雷斗のところまで歩み寄って、それからそっと、雷斗の手を取った。
「改めまして、古代神教会でシスター長をしています、イザベラです。ライト君、焦らないで良いですよ。少しずつ、お話ししましょう」
雷斗はビクッと身体を震わせて、背の低いシスター長を見下ろしていた。
「え、あ、はい……」
耳まで真っ赤になって、実はちょっと、嬉しそうだった。
暗いトンネルの中にいた雷斗の心が、少しでも、出口に向かえば良いなと、僕は心から、そう思った。
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