【12】レグルと古代神教会

1. 静かな夜

 僕らのことを、大人達は怒らなかった。

 どうにか落ち着いた雷斗は、ひとしきり泣いた後で、ごめんなさいとみんなに向かって深く頭を下げた。

 感情を爆発させられるだけ全部爆発させて、どこかスッキリしたような顔をしていたし、彼の瑠璃色も元通り。いや、少し透明感が増したような気がした。


「遅くなりましたし、このまま泊まっていかれませんか。簡単な食事なら直ぐに出せると思います」


 グレッグ騎士団長に誘われ、僕と雷斗はハイと頷いた。

 ジークさんは困ったような顔をして、


「事務所にマーシャ一人残してきたし、残務もあるから帰ります。二人をお願いしますよ。大人の前では話せないこともあるでしょうし、ある程度、クールダウンの時間が必要だと思います。明日、落ち着いた頃に迎えに来ます」


 ノエルさんと頷き合っていた。

 リサさんはアリアナさんと一緒に戻ろうとしていたようだけど、


「リサはダメだな。大河から離れない約束、忘れた?」


 吸収魔法の効果範囲の関係があって、僕と離れることを許されなくなったリサさんは、僕の選択に従い、修道院に残ることになってしまった。ちょっと悪いことをしてしまったかも知れないけど、そこはちゃんと理解してくれたみたいだ。


「マーシャには私から経緯話しておくから。また明日ね」


 アリアナさんに言われ、リサさんはお願いねと頼んでいた。


「ま、めちゃめちゃだけど、解決しそうで良かった。ライト、もう暴れんなよ」


 ノエルさんは転移魔法の直前まで、雷斗に釘を刺していた。

 雷斗は半笑いで大丈夫だよと手を振っていた。






 *






 静かな夜だった。

 僕と雷斗は騎士団詰所の隣に建てられた兵舎で、リサさんは寄宿舎で一晩明かすことになった。

 修道院らしく質素な野菜中心の食事。疲れ切った僕らには丁度良い量だった。

 グレッグ騎士団長の計らいで、小さな部屋に二人で寝ることになったのも、とてもありがたかった。

 雷斗と、やっと二人きりで話せるからだ。


「ここの人達は、優しいんだよ」


 シャワーを借りてさっぱりした様子の雷斗が、ボソッと呟いた。

 胸に“来澄雷斗”の刺繍がある、中学の指定ジャージ。普段から寝間着代わりにしているらしくて、“こっち”に来てから具現化させたらしい。


「うん。めちゃくちゃ優しい。なんで、塔に敵視されてるのか分からないくらい」


 かくいう僕も、実は同じく中学のジャージを寝間着にしていて、それこそこの肌触りじゃないと上手く眠れないからって、シャワー後に具現化させたんだ。

 変なところが似てて、二人で互いに指さしながら大笑いしたところだ。


「リアレイトから逃げてきて、……最初は、というか、本当に“神の子”を殺すつもりでここに来たんだ。神教騎士団に入って、目障りな“神の子”を殺してしまえばって。こんなこと、大河の前で言うのもなんだけどさ。本気でお前のことが嫌いすぎて、頭がおかしくなってた。黒い水が関係していたのかどうか、よく分からないけど、ずっと頭の中にもやがかかったみたいになって、相当殺気立ってたと思う。それでもここの人達は、家出の理由も聞かなかったし、神教騎士団に入りたいって言ったときも、オレの危うさに気が付いて止めようとしてくれた。江戸時代か中世ヨーロッパかよってくらい暮らしは質素で、なんの娯楽もないところだけど、今まで感じたことのないくらい、優しい空気に溢れてる。“神の子”の命を狙ってるって言うから、相当ヤバいところだと思ってたのに、全然違った。本当に、感謝しかない。なのに、オレはみんなぶっ壊した。そのことすら、責めもしないなんて。優しすぎる」


 今まで溜まっていた、いろんな思いを、雷斗は少しずつ口にした。

 僕は雷斗の話を、黙って聞く。

 妙な相づちや感嘆は必要なかった。

 今の雷斗には、自分の気持ちを言葉にすることが、何より大切なんだろうと思えた。


「最初は、こんな気持ちじゃなかったはずだったのにな。佐々木達に不思議な力を使うヤツがいるって聞かされたとき、あのときはホント、嬉しかったんだ。お前と出会って、一緒に神社から飛んで。……多分、あの辺りから少しずつ、オレはお前のことを嫌いになってった。なんだ、何にも知らないんだ、何にも知らないまま大きくなったんだ。そう思ったら、むしゃくしゃしてきた。なんて可哀想なヤツだって思ったのは最初くらいで、そのうちどんどん、なんでこんなヤツの代わりにオレが苦しんでたんだろうって思うようになって。――親父のこととか、重なって。頭の中が、どんどん、おかしくなってったんだ」


 照明を消して、二人でベッドの上に寝転びながら、話をした。

 壁の向こうから、大人達の話し声が少し聞こえるくらいで、辺りは商業施設も民家もない、とても静かなところ。修道院という小さなコミュニティが独立して存在しているこの場所は、のどかで、とても癒やされる。

 街中と違って、明かりを消すと月明かりだけで、殆ど真っ暗だ。

 中学のジャージを着てるからか、気分はどこか修学旅行みたいで、変にこそばゆい。


「『何も知らずに平和に暮らしていたお前が、本気で命を狙われたり、存在を否定されたりすることもなく、事情を全部知って受け止めてくれるような人間の元で、のうのうと生きていたこと』が、……気に食わないんだっけ?」

「……よく、覚えてたな」

「胸にグサグサ刺さったから、何度も頭の中で繰り返した。やっぱり、黒い水に支配されてても、自我は保ってたんだよね。雷斗の本心が聞けて良かった」

「お前……、そういうヤツだっけ」

「え?」

「ちょっと見ない間に、別人みたいになりやがって」


 フンッと、雷斗は少しだけ、鼻息を荒くした。


「アリアナさんにも、同じこと言われた。えっと、アリアナさんは……、さっき一緒にいた、赤毛の子。アリアナさんは面白がってたけど、雷斗は……、どう思った?」

「どうって」

「自分じゃあんまり自覚ないんだけど、やっぱり、僕の印象、前と変わったのかなって」

「――弱く、なくなってた」

「え?」


「弱くなくなってた! オレが知ってる大河はへろへろで、弱っちくて、ナヨナヨしてて、自分で自分の力に怯えてる感じだったのに。オレの方が魔法も使えるし、武器だって使えるし、直ぐに殺せるって思ったのに、全然殺せそうじゃなくなってた! 大体、オレが見たときは、ちょいと頭に角生やして、背中に羽生やして、ランクの低い悪魔かよって程度だったのに! なんだよあの、ドデカいトカゲ人間みたいなのは。魔法も殆ど効いてなかった。それに、具現化魔法も! いつの間にか、自分の力を制御できるようになってたとか、想定外なんだよ! 知らねぇうちに強くなりやがって!」


 隣のベッドから雷斗が身を乗り出すようにして話しているのが、シルエットで分かる。

 何だか少し興奮気味で、どこか嬉しそうだ。

 あんな目に、遭ったのに。


「色々あったから。訓練もしたし」

「訓練、ねぇ……。ところで、竜の姿は調整できるのか? 確か、前に塔の上に現れたのは半竜じゃなくて、大きな白い竜だったって」

「調整、というか、竜になりきらないよう、そこで止めてるっていうか。巨大化すると迷惑かかるし。それで、魔法学校も追い出されたわけで」

「ちなみに、どんくらい巨大化するわけ? 市民部隊の翼竜ぐらい?」

「いや、それが……、ちょっと、測ってないから分かんないんだけど。って、測れるわけないか。魔法学校の建物が、確か、五階建て? もうちょっと高かったかな? あのとき、目線の高さが最上階だったから、多分、そのくらい……」


「魔法学校って、塔の近くにある! あれの最上階って、十五、いや二十メートルくらいあるんじゃないか。翼竜なんかと比べもんにならないくらいデカいじゃん! マ、マジかよ……」

「うん……、ドン引きだよね……。しかも、凌は僕のこと『小竜』って言ってたから、多分、大人になったら更に巨大化するんだと思う」

「ゴジラ並にデカくなる?」

「あるかも。ゴジラ、全長百メートル超えてるんだよ。雷斗知ってた? あんなの、恐怖でしかないのに。僕も、ああなっちゃうのかな」

「いやぁ、だとしたらやべぇな」


 アハハと、雷斗は声を上げて笑った。

 笑って……、それから、小さく「アレ?」と言った。


「今、誰に言われたって?」


 雷斗の声が、急に低くなる。

 暗くて、心の色もあまり見えないけれど、不安の色が混じり始めたようだ。


「凌に。来澄凌に、会ったんだ」

「凌叔父さんに? レグルノーラで?」

「雷斗を追いかけて“こっち”に来て、直ぐに」

「ゆ、幽閉されてるって噂じゃ」

「詳しい事情が、よく、分からなくて。どうも世間一般で知られてるのと、実情は違うみたい。幽閉っていうのは、もしかしたら嘘かも知れない」

「――で、どうだった? やっぱりあの、半竜の姿だったのか?」

「いや、リアレイトで過ごしてたときの、人間の姿。……僕と、似てた」

「そりゃそうだろ。親子だもん。で? 何か話した?」

「話?」

「だって、十年近く離れてて、やっと会えたんだろ。何か、積もる話とかさ」


 積もる話。

 大きくなったなとか、俺に似たなとか。

 ……そうだよ。僕は多分、そういうのを期待したんだと思う。

 色々と込み入りすぎた事情があって、リアレイトに行けなくなって、僕を芝山の家に預けて。――十年。十年だよ。

 たどたどしく話すことしか出来なかった小さな僕が、もう中学生だ。

 背だって大きくなったし、難しい話だって理解できるようになってきた。

 まだまだ頼りなくて、それでも、背伸びくらい出来る年頃になったってのに。


「……いや、別に。話なんて」


 それこそ、一方的に凌が喋ってた。間髪入れず、僕を煽った。



――『世の中が全部、お前のせいでおかしくなっていく。なぁ、どんな気分? 俺のこと、殺したくなってきた?』



――『中途半端は苦しいだろう? 見せてみろよ。お前の本性を』



――『もし仮に、俺が凌だったとしても、大河は俺を殺しに来なきゃならない』



 煽って……、絶望させていっただけだ。

 凌が一体どんな人間で、どうして命をかけてまでドレグ・ルゴラを取り込んだりしたのか、みんなが彼に見たらしい優しさとか慈しみとか、そういうものに触れられたら良かったのに。ただ単に頭のおかしい、狂ったヤツでしかないように見えた。

 心の色がない、何も見えない。

 あいつは人間じゃない、人知を超えた何かだってことは間違いないけど、それ以上のことは、何も。


「そんなことよりさ、雷斗はちゃんとリアレイトに帰りなよ。ジークさんが迎えに来たら、大人しく戻って、最後の中学校生活楽しんでよね。受験生は夏からが本番だって話、聞いたことあるし。進路決まってんの?」

「ハァ? なに話題変えてんだよ。オレのことはどうでもいいって」

「よくないよ。そのために頑張ってここに辿り着いたんだから。三者面談とかあるんでしょ?」

「うっせーな。大河には心配されたくないんだけど」

「伯父さん、不器用なだけで、根はいい人なんだと思うよ。雷斗のこと、もの凄く心配してた。伯父さんも、今度はちゃんと話をしてくれるはずだよ。約束したし。伯母さんも、椿ちゃんも、雷斗のこと心配してた。戻って安心させてあげて」

「……なんだよ、その言い方」

「僕はもう、リアレイトには、戻れない」


 戻れない。

 そう話した途端、雷斗がガックリと肩を落とすのが見えた。


「おい、まさかこっちに“干渉”してるわけじゃなくて、お前も」

「――陸上部の、佐々木達に、詫びておいてくれるかな。今度遊ぼうって言ってくれたのに、無理になったって。せっかく打ち解けたのにゴメンって。僕、友達いなかったから、誘われて嬉しかったんだ。何して遊ぶつもりだったんだろ。僕も、普通の中学生みたいに楽しくやれるのかなって、夢見させて貰って、ありがたかった。感謝してるって、伝えて欲しい」

「何言ってんだよ、大河……!」


 雷斗はベッドから降りて、僕のベッドに足をかけ、胸ぐらを掴んできた。

 月明かりでほんのり、表情が見える。

 複雑そうな、とても驚いた、困惑したような顔。


「今、人間の姿を保ってるのは、リサさんが僕の“竜の気配”を吸収し続けてくれるからなんだ。彼女、竜の力を吸い取る“竜石”から作られた魔法生物なんだって。それでも、興奮すると、僕は簡単に竜の姿になってしまう。もしリアレイトで竜になったりしたら、大騒ぎどころじゃなくなる。そんなの、誰だって避けたいと思うだろ」


 雷斗の息が、荒い。

 僕は出来るだけ、雷斗から目をそらさないように、感情を押し殺して話を続ける。


「雷斗には、逃げ道があったかも知れない。こうやってレグルノーラに逃げたり、さっきみたいに、思いっきり感情を爆発させたりさ。でも、僕にはないんだ。逃げ道なんて、ない。僕は、人間じゃなかった。どのみち、リアレイトで生きることの許されない生き物だったし、レグルノーラでも、疎まれる存在でしかない。それでも、逃げたら負けなんだ。もし逃げたら、逃げてしまったら……、この世界は、もしかしたらリアレイトも、消えてなくなる」

「消えて……? 何、言ってんだ、大河」

「破壊竜ドレグ・ルゴラが、復活しようとしているらしいんだ」

「ふ、復活……? でも、確か凌叔父さんが」

「凌は、破壊竜に呑まれてる。世界を破壊しようとしているのは、他でもない、来澄凌なんだよ」

「――ハァ? 言って良い冗談と悪い冗談がなぁ!」


 胸ぐらを掴む雷斗の手に、更に力が入った。

 僕は雷斗の眼前まで、無理矢理引っ張られた。

 目の前に、雷斗の泣きそうな顔がある。


「『白い竜を倒すには、白い竜を用いるほかない』。つまり、僕にしか、凌を止めることが出来ない。それにね、僕は自分が破壊竜にはならないってことを証明し続けなければならないんだよ。今はまだ、身体を張って攻撃を食い止めるくらいしか出来ない。けど、いつか、完全に凌の意識が消えてしまったら……。それこそ、凌がリアレイトから姿を消した時みたいに、あいつの力だけじゃどうにもならなくなってしまったら、そんな甘っちょろいこと、言っていられなくなる。破壊竜ドレグ・ルゴラがあの身体を全部支配してしまうまでに、僕はあいつを倒せるくらいにまで強くなってなきゃいけないんだ。だから、僕はもう、戻らないよ」


 僕の声は、震えていたのだと思う。

 強がりにしか思えない言葉を吐いて、無理矢理自分に言い聞かせて。

 本当は僕自身、今の状況に納得なんてしていないことも、雷斗には伝わってしまったんじゃないかと、そう、思ってしまう。


「アホが……ッ!」


 雷斗はそう言って、僕を突き放した。

 ベッドに戻り、布団を被って、雷斗は何も喋らなくなった。

 僕は雷斗の寝息が聞こえてくるまで、ずっと彼の方を向いていた。

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