9. “大丈夫”なんかじゃない

 シスター長は用事が済むと、作業の邪魔にならないよう、ウォルター司祭の隣まで戻っていった。

 きつく結ばれていたのか、グレッグ騎士団長は布を解くのに少し時間を要している。


『――“大丈夫”? 何が?』


 ふと、雷斗の声が耳に届いた。

 僕はアレッと雷斗の顔を確認したけれど、まだ猿轡はそのままだ。


『大丈夫なもんか。結局、何も変わってない。せっかく手に入れた“力”も、変なヤツに勝手に消された。……ふざけるな。何が“大丈夫”。大人が勝手に解決したと思い込んでいるだけ。何一つ、“大丈夫”なんかじゃない』


 スルッと、雷斗の目を覆い隠していた布が取り払われた。

 黒く染まっていた白目は、元に戻っている。

 けれど。


『“殺さないで”? “戻ろう”? 誰のせいでこんなことになったと思ってる?』


 黒い、感情。

 赤い、殺意。

 誰も気付いていないのか。


『偽善者が。お前はそうやって、心配そうにしてれば、自分だけ不幸そうにしていればいいんだろ。諸悪の根源め』


 雷斗は僕を見つけ、ギッと睨み付けてきた。

 黒い水に冒されていたときと、殆ど変わらない、凄まじい目つきで――。


『死ねよ、大河。死んでくれ。この世から、いなくなれ』


 グレッグ騎士団長の手が、続いて猿轡を解き始めていた。

 雷斗の眼光が、鋭くなる。


「――逃げて!」


 僕は咄嗟に振り返り、両手を目一杯広げた。

 突然のことに、みんな、何が何だか分からないような顔をしている。

 それでも。


「早く、早くここから……!」


 そうだ。

 猿轡が外れ、口の中に溜まっていた唾を吐き出した雷斗はきっと、やらかすはずだ。

 ただ、怒りのまま僕を殺すために――。


「“氷刃ひょうじん”!!」


 魔法陣の代わりに、雷斗はそう叫んだ。

 急激に雷斗の魔力が高まっていくのを感じる。

 雷斗の魔法に気が付いた誰かが、防御魔法を張り巡らすのが早いか。それとも、僕自身が防御魔法を発動させるのが早いか。

 無理だ。

 至近距離、攻撃を躱すのは絶対に無理。


「くたばれ、大河ァアアッ!!!!」


 間に合わないッ!

 ――ザクザクザクッと、鋭いナイフが何十本も身体中に突き刺さった。冷たい、氷のナイフ。刺さったところが急激に冷えて、痛いのか冷たいのか分からなくなっていく。


「大河……君?」


 リサさんの、困惑したような声。

 みんなを、急に押し倒してしまった。


 身体の小さいリサさんとアリアナさんは、開け放たれたドアの向こう側まで飛ばされていた。ジークさんとノエルさん、ウォルター司祭とイザベラシスター長は、折り重なって倒れている。

 頭を打った人、腰を打った人もいるかも知れない。けど、他に、方法がなかった。

 それに、多分驚いている、いや、怖がっているはずだ。

 魔法の発動より、竜化の方が早かったから、僕は咄嗟に身体を肥大化させて、半分竜に、多分、どちらかというと人間より竜の方が強めの姿になってしまっている。

 大きく羽を広げて背中で魔法を全部受け止め、四つん這いになって、懐でみんなを守る。

 六人もの人間を一度に守るには、それしか方法がなかった。

 狭い空間いっぱいいっぱいに膨れ上がった僕の身体は、酷く醜くて、きっと、恐ろしい。

 立ち上がることが出来ないくらい巨大化した身体で、どうにか雷斗の攻撃を防いだ。僕に向けられた殺意を、絶対に他の人に向けたらいけない。そう、思ったから。


「少年、なんてことを……!」


 グレッグ騎士団長が何をしようとしているのか、僕には見えない。


「うるせぇっ! 死ね、死ねよ大河! なんで死なねぇんだよ、化け物!」

「グレッグ、少年の口を塞げ!」


 ウォルター司祭が腰をさすりながら指示を出す。


「“神の子”、あなたは」


 初めて間近で見た白い竜に、イザベラシスター長は真っ青な顔で絶句している。

 中途半端に竜化した、竜になりきれていない姿も、白い鱗も、結局この世界の人間にとってはトラウマ級のものでしかないわけで、そんなヤツが自分を見下ろす格好でそこにいたら、生きた心地がしないに決まってる。

 僕はグルッと半身を捻り、長い首を曲げて雷斗の方を見た。

 グレッグ騎士団長が猿轡をかけ直そうとするのを、雷斗は首を曲げて必死に抵抗しているようだ。


「……塞がなくて良いですよ、団長さん」


 ギリギリ、人間の言葉を喋れる程度の竜化にとどまったらしい。

 僕が喋ると、流石の騎士団長も、ウッと息を呑んで両手を雷斗から離した。カツンカツンと、穴あきボールが床に転がり落ちる音がする。


「雷斗は、自由にしてやってください。僕を殺したいなら、殺せば良い。それで、満足するなら」


 雷斗はムッとした顔で、僕の顔を睨み付けた。

 殺すなんて物騒なことを言ったクセに、狭い地下室を塞ぐくらい大きくなった僕に恐怖を感じているのか、身体が小刻みに震えているようだ。


「残念だけど、僕は簡単に死なないみたいだし、雷斗も僕を殺すことは出来ないと思う。見てのとおり、僕は人間じゃなかった。竜だったんだ」


 僕はそう言ってから、頭の中で自分の身体を少しずつ戻すイメージを膨らました。リサさんもそれに気付いたのか、駆け寄って僕の身体に手を当ててくれた。

 大きくなりすぎた身体を少しずつ小さくしながら、破れた服も修復していく。

 イメージの具現化。

 服と靴なら、さっきも簡単に具現化できたから大丈夫。

 背中と羽に刺さっていたナイフがポロリと抜け、血がタラタラと零れ落ちた。それも、リサさんが回復魔法を重ねてかけてくれているらしく、徐々に傷口が塞がっていた。


「竜だから、殺すのを諦めろってことか? 命乞い?」


 雷斗はわざと強がって、鼻でハンと笑った。


「命乞いなんかしてない。殺したいなら殺せば良いって、さっきも言った。でも、殺すのは無理だと思うよって話」

「その女が回復魔法なんかかけてるからだろ! クソがッ!」

「違う。話を聞いてよ、雷斗」


 元の、芝山大河の姿に戻った僕は、雷斗の真ん前に立った。

 雷斗は酷く怯えて、なのに虚勢を張って僕を睨み、ギリリと奥歯を鳴らしている。


「団長さん、雷斗を椅子から解放してあげて」

「しかし……」

「解放してください。彼は中毒症状で暴れてるわけじゃない。純粋に、僕が目障りなんです」

「それなら尚更」

「解放してください。お願いします」


 僕は、団長さんの方は見なかった。ただじっと、雷斗を見ていた。

 雷斗の怒りや悲しみが頭の中を激しく駆け回って、どうしたら良いのか分からないくらいの苦しさを追体験して、だけどそれをなるべくおくびにも出さないよう、心を整えながら、僕はじっと雷斗を見ていた。

 雷斗は雷斗で、身体を震わせながらも僕を睨み返し続けた。僕が記憶を読めることも、感情を色で感じることも知っていながら、僕から目をそらさなかった。

 やがて全部の枷が外れると、雷斗は案の定、僕に殴りかかってきた。

 左の頬を殴られ、僕は半回転して床に叩きつけられた。

 ウォルター司祭もグレッグ騎士団長も止めようとしたけれど、ジークさんとノエルさんがそのままにしてくれと引き留めてくれた。


 そう。

 殴らせなきゃならなかった。

 雷斗は僕を殴らなきゃならなかったし、僕も雷斗に殴られなきゃならなかった。

 雷斗は何度も僕を殴った。胸ぐらを掴んで右手で何度も殴り、疲れてくると、今度は慣れない左手で殴った。

 だけど不思議と力が入ってなくて、ダメージが入ったのは最初の十回程度。そこから先は、まるで惰性みたいにただ殴る動作を続けているだけに思えた。

 泣いていた。

 雷斗は泣いていたんだ。

 本当は、暴力では何の解決にもならないことを知っていて、それでもそういう選択しか出来ない自分を愚かだと思っているようで。

 終いには、顔をぐちゃぐちゃにして、床に仰向けになった僕の胸の上で嗚咽していた。

 僕らは、何も喋らなかった。

 だけどそれでも、互いにその存在の理不尽さを悔いてきたこの数週間の苦しみが少しずつ緩和されていくように、心が徐々に軽くなっていくのを感じていた。

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