7. 黒い水中毒症

 戦闘によりボロボロになった僕の服は、とても着ていられる状態じゃなかった。困っていた僕を見て、アリアナさんがさらりと言った。


「そういうときこそ、干渉者の能力、具現化魔法の出番でしょ」


 なるほど。

 気に入りの服だったら、そんなに難しく考えなくても具現化できるかも。

 そう思って目を閉じ、鏡の前に立つ僕の姿を強く念じていると、案外簡単に具現化が成功する。目を開くともう着替えていて、


「流石“神の子”! やろうと思えば出来るなんて凄いじゃない」


 褒め称えてくれるアリアナさんより、僕の方が驚いたくらいだ。

 相変わらず、どういう原理で具現化できてしまうのかはよく分からない。だけど、とても便利な力だというのはよく分かる。

 もし仮に、僕がこんな重々しい運命を背負った少年じゃなくて、前向きで豪快で快活な少年だったら、それこそレグルノーラでは入手困難な道具や食べ物なんかを具現化させて手広く商売をやってみたり、或いはやりたい放題いろんなものを具現化させて世界の頂点を目指したりしていたかも知れない。

 ……使いよう。力も、道具も、使いようだ。

 僕の白い竜の力だって、きっと、使いようによっては負の方向に働かずに済ませられるはず。

 全ては経験の積み重ね。

 あんなに訓練を積んだのに、結局、防御魔法程度しか成功しなかった。……あれじゃあ、足手まといでしかない。

 ゆっくりとベッドから降りて、ボロボロの靴を新品のイメージとすり替える。こちらも案外すんなり上手くいって、お金をかけずに新調できてしまった。

 明確なイメージを持っていれば、具現化魔法はどうにか使えそうだ。


「準備が出来たならば、一緒に向かって欲しいのですが……、歩きながら少し、話をしましょう。私も、貴殿がどんな少年なのか見定めたい」


 ウォルター司祭は優しい象牙色を漂わせ、僕に優しく微笑んだ。

 年の頃四十手前、父さんと同じくらいの年齢に見える司祭は、背も高くガッチリとした体つきで、騎士団長よりも戦闘向きに見える。

 僕は司祭の隣、後ろにシスター長とリサさん、アリアナさんが続く。リサさんとアリアナさんは、シスター長と何やら魔法について話をしているようだ。さっきの強力な回復魔法について、気になることが沢山あるのだろう。話が弾んでいる。

 長い廊下を歩いていると、通りすがったシスターや騎士達が、足を止めて挨拶したり敬礼したりした。その度に司祭は片手を軽く上げて挨拶し、彼らを労う言葉をかける。その言葉一つ一つが本当に丁寧で、声をかけられた人達は満面の笑みで去っていった。

 僕が休ませて貰っていた部屋の他にも、数多くの部屋が並んでいて、そこにも多くの怪我人が運び込まれ、手当を受けているようだった。怪我の程度も様々らしい。うめき声と談笑が混じって聞こえてくる。


「大抵の者は、軽い回復魔法で治る程度の傷だと。“神の子”が気に病む程のことではありません」


 ウォルター司祭は僕の心を見透かすように、声をかけてきた。

 でも、と言いかけて、だけど僕にはどうにも出来ないことだと言葉を引っ込める。


「ただ、さっきのコップの話ではありませんが、我々訓練を積んだ者と、そうでない者とでは、器の強度が違う。同じ容量の生命力を持っていたとして、割れやすい薄いガラスのコップなのか、それとも丈夫な金属製のコップなのかで、命は線引きされてしまう。まして魔物が相手となると、金属製のコップだとしても簡単に潰されてしまうこともある。命とは……、そういうものです。我々は、本来、そうした弱い立場の人達を、森や砂漠に潜む魔物から守る立場にあるはず・・でした」


 司祭はわざとらしく、“はず”を強調した。


「権力を持つと、人間は狂います。力に固執し、正しい判断が出来なくなっていく。教会の上層部が“神の子捜し”を指示したときには、既に歯止めの利かない状態になっていました。信者を守るための神教騎士団を“神の子捜し”の道具として利用し、それを咎める者は容赦なく破門したのです。私もイザベラも、どうにか内部から暴走を止めようとしていたのですが……。大きな組織になればなるほど、一度決定されたことを覆すのは難しい。結局、私達には何も出来なかった。こうして、貴殿らが動き出すまで、何一つ」


 小さく笑った後、ウォルター司祭は深くため息をついた。

 司祭の瞳は少し紫色の混じった水色で、どこか悲しみを湛えているようだ。


「味方、なの……?」


 僕が恐る恐る尋ねると、


「教会の人間は信用できませんか」


 司祭は困ったように眉尻を下げた。


「あ、いえ。そういうことでは、ないですけど」

「いいんですよ、本当のことをおっしゃっても。もし仮に、私が貴殿の立場ならば、信用なんて微塵も出来ないと簡単に想像できる。信じて欲しいなんて言ったところで、我々の信用度はきっと、いたずら妖精以下でしかないでしょうし。それでもまぁ、今回のことで、“神の子”に対する教会上層部の見解は一転したはずです。何しろ、“神の子捜し”の指揮を執っていた騎士団長が、自ら“神の子”に救われ、教会に方針転換を願い出たのですから」


『不幸中の幸いですよ』


 司祭の心の声がふと聞こえ、僕は思わず彼を見上げた。


『あの少年が辿り着いたのがオリエ修道院でなければ、上層部に事件を握りつぶされていました。“神の子”には申し訳ありませんが、これでどうにか“あの方”との約束を果たすことが出来る』


 ――“あの方”?

 もしかして、ウォルター司祭は凌を知って……?


 建物を出ると、左手に崩れた礼拝堂が見えた。黒いヘドロのようなものが、建物や地面のあちこちにこびり付いている。布を被せられた遺体がそこかしこに見え、胸がギュッと締め付けられた。

 農作業小屋や畜舎も、壁が壊され、中が見えている。厩舎で馬が数頭、牧草を食べているのが見えた。

 礼拝堂の前を横切り、厩舎脇の騎士団詰所へと向かう。僕らがいた寄宿舎同様、礼拝堂から離れていたこともあってか、殆ど被害がなかったようだ。


「胸が痛みますか」


 犠牲者を横目に唇を結ぶ僕を見て、ウォルター司祭は言った。

 日が落ちた空には星がちらついていて、景色はうっすらと夜の色に変わりつつあった。修道院の敷地を囲う木々の間から見えていた村々の景色が霞み、丘の稜線が空と大地を分けているのが見える。

 あんなにも酷いことがあって、なのに時間の流れはいつもと同じように流れていくのが、何だかとても奇妙で、とても恐い。


「僕が“神の子”でなかったら、雷斗はリアレイトから逃げることもなかったし、修道院で犠牲が出ることもなかった。そう思うと……」

「なるほど。そうやって、自分が一番の原因だと、貴殿は決めつけてしまっている。本当の原因が判明する前に、そのように判断するのは賢明ではありませんね」


 まるで図星な指摘をされて、僕はビクッとした。

 司祭はからかうようにクスッと笑う。


「冗談ですよ。いや、本当に……、“あの方”にそっくりすぎて」

「凌のこと、知ってるの?」

「ええ。よくいらっしゃってましたよ、中央にある古代神教会の大聖堂に。落ち着いたら、その話も是非させていただきたい。――さぁ、着きましたよ」


 入り口に立つ警備員に挨拶して、僕達は司祭の後に続いた。

 包帯を巻いた騎士団員が何人か詰所の中にいて、そのうちの一人が僕達を地下室に案内した。廊下を一番端っこまで辿り、そこから地下へ向かう。


「私が先ほど耳にした情報では、かの少年はまだ興奮の中にいる。魔法で眠らせることが出来れば良かったのですが、魔法を跳ね返し、どうすることも出来ず、拘束しているのだと聞きました。多少、刺激的な現場かも知れません。覚悟なさってください」


 階段の途中から怒りの苦しみの赤色が漂い始めていて、僕はゴクリと唾を呑んだ。

 地下には一室だけ、鍵のかかる部屋がある。

 その扉の向こうから、獣のような声が漏れ聞こえ、僕は思わず、両腕をさすった。

 嫌な予感がした。

 鳥肌が立った。

 リサさんとアリアナさんは、二人で身を寄せ合っている。

 数回ノックしてから、司祭は「入りますよ」と中に声を掛け、中からの返事を待つことなく、ゆっくりと扉を開けた。

 ――途端に、強烈な赤と黒が噴き出してきて、僕はうっと顔を歪める。

 生臭い。

 空っぽの胃から胃液が上ってくるような感覚に、僕は急いで口と鼻を塞いだ。

 だけどそれは僕だけだったみたいで、突然体調を崩した僕に、みんなが大丈夫かと声を掛けてくるのが聞こえていた。


「ちょっと……! やりすぎじゃないの?」


 アリアナさんが何かを見て怒りの声を上げている。


「確かにヤバそうに見えたけど、だからって、これは」


 小さな、四畳半くらいの部屋だった。

 金属製の椅子が一つあって、雷斗はそこに無理矢理座らせられていた。

 無理矢理だと僕が思ったのは、太いひもで椅子にグルグル巻きにされていたからだ。両足は椅子の脚に固定され、両手は後ろ手に縛られている。そして、口には猿轡。太めの布で目元を巻かれ、何も見えていないようだ。

 その直ぐそばに、グレッグ騎士団長とジークさん、ノエルさんが立っている。


「アリアナにはそう言われるんじゃないかと思ったんだ……。決してこれは、拷問ではなくて、こうでもしないと抑えられなくて」


 ジークさんが大げさにジェスチャーしながら弁明している。


「暴れるから手足の自由封じるしかないし、手が自由だと、武器を具現化させて振り回す可能性がある。猿轡は自殺防止。舌を噛みきって死なれたら困るから、口に穴あきボール噛ませてんの。それに、こいつは魔法陣じゃなくて言葉で魔法を発動させるらしいから、口は封じとかなきゃならない。それに、眼力で魔法攻撃しようとしてきたから、目元も隠してる。別に、そういう趣味でやってるわけじゃないから」

「年端もいかない男の子を、大の男が三人で拘束プレイしてた訳ね。最悪ッ!」

「だから違うって……」


 ジークさんが嘘を言っているようには思えない。

 それに、僕らが来て以降、雷斗の攻撃色と闇色が濃くなった。

 喋れない分、唸り声で僕を威嚇している。


「まだ、闇の力を感じますね」


 イザベラシスター長が言うと、ウォルター司祭も厳しい顔をして、こくりと頷いた。


「聖なる魔法では、完全に浄化できなかった。それに、あの魔物、この気配。――“黒い水中毒症”では」

「イザベラもそう思うかい。奇遇だね」

「なんですか、その――、“黒い水中毒症”って」


 僕が尋ねると、イザベラシスター長は前を見据えたまま、淡々と答えてくれた。


「黒く淀んだ湖の水を大量に摂取すると起こる中毒症状です。心の中に潜む闇が大きければ大きい程、症状は酷くなります。心を蝕み、生半可な聖なる魔法では浄化できなくなる。身体の中で膨れ上がった闇は、黒いもやを作り出し、体外へと放出されます。それが、黒い、あの不気味な魔物の正体。修道院を襲った魔物は、恐らくこの少年の体内で作られたもの。そして、街を襲っていた魔物も、恐らくは。それに、この状態だと、通常レベルの聖なる魔法では浄化できない。不定形生物の宿主となった人間は、死ぬまで黒いもやを吐き出し続けることになります。一番簡単なのは、首をはねること。要するに、死んでしまえば、それ以上被害は拡大しません」

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