6. 司祭とシスター長

「私は古代神教会司祭のウォルター。神教騎士団長グレッグに詳細は伺っております。危険を顧みず、騎士団長の命を救ってくださったこと、あの黒い魔物から修道院を救うために仲間と共に尽力くださったこと、深く感謝いたします。神に尽くす立場でありながら、直ぐに聖なる魔法で魔物を駆逐できなかったのは、我々の不徳の致すところ。貴殿らが現れなければ、この修道院どころか、近隣の村々にまで被害が及んでいたところでしょう。これまでのことを思えば、決して許されることでないことは承知しておりますが、どうか、ご無礼をお許しいただきたく――」

「簡単に、許せると思ってるの?」


 頭を下げつつ陳情するウォルター司祭の言葉をはねのけたのは、アリアナさんだった。

 ベッドに横たわる僕の後ろで、声を震わせている。

 顔を少し天井側に向けると、強い怒りの赤色がアリアナさんからにじみ出ているのが見えた。


「これまでタイガがどんな気持ちでいたと思うの。ライトにしたってそう。賞金までふっかけて襲っきて、そのくせ、自分とこの修道院を救ってくれたからこれまでのことはなかったことにしますなんて、ちょっと都合が良すぎるんじゃない?」

「アリアナさん、それはもういいよ……」

「良くない! タイガならそう言うと思ってた」


 止めようとしたのに、アリアナさんは更に熱くなった。


「宗教団体が聞いて呆れるってずっと思ってたのよ。タイガは見てのとおり、まだ自分の力もまともに使いこなせない子どもだし、“神の子”に勘違いされていたライトだって、そりゃあ力はあるけれど、悩み多き思春期の子どもじゃない。それを、大の大人がやれ白い竜の血だ、やれ偽神の子だなんて言って追いかけ回してさ。あったま悪すぎでしょ。もっと他にやることあったんじゃないの?こんな未熟な“神の子”を躍起になって追いかけ回さなきゃならない理由ってなんなの? そんなにレグル様が憎いわけ? レグル様は世界を救ったじゃない! 破壊竜が壊しまくっていた世界が平和になったのは、レグル様が身を挺して破壊竜を封じ込めているお陰なんじゃないの? 謝って済むような問題じゃないんだよ! 分かってるの?」


「アリアナ、やめよう。過ぎたことを責めたところで、どうにもならないよ」

「リサ! あんたはこいつらのこと何も分かってない。自らの教義を正当化するために、レグル様を陥れたり、“神の子”に賞金懸けるような連中だよ? 何を信じればいいわけ? どうせ口先だけ。謝っときゃどうにかなるって考えが見え見えじゃない!」

「……だそうですよ、ウォルター司祭。今更、力になると言ったところで、信じて貰える者でしょうかと、申し上げたとおりではありませんか」


 アリアナさんの言葉に続いて、優しげな声で喋ったのは、シスター長らしき人。

 金の刺繍が施された美しい布で頭を覆い、例えようもないくらい静かな笑顔で僕らに微笑んでいる。

 クスクスとシスター長が笑うと、ウォルター司祭はばつが悪そうにゆっくりと立ち上がり、苦笑いした。


「いや全く、イザベラには適わないよ。いくら本意でないとはいえ、教会の方針に逆らうことなく従ってきた我々が完全に悪いことを、改めて考えさせられる」

「心の中では常に、あの方をお慕い申し上げていながら、立場上どうすることも出来なかっただなんて、散々命を狙ってきた本物の“神の子”の前では、なんの言い訳にもなりませんわね、ウォルター司祭」


 シスター長が話し始めた途端、空気が変わった。

 彼女からにじみ出る柔らかな桜鼠色が、そこに漂う様々な色を包み込んで中和させてしまったかのように、強い感情の色が弱まっていく。

 修道服を揺らし、シスター長は僕のベッドの直ぐそばまで進み出た。


「初めまして、“神の子”タイガ。シスター長のイザベラです。数々のご無礼をお詫び申し上げるのに、司祭とシスター長では心許ないとお思いでしょうが、あいにく、司教から上の人間は外の世界には出たがりません。比較的身軽な私達が、教会の意思と決意を申し上げるために参じた次第です。――なんて、難しい話は後回しにしましょう。軽い手当と回復魔法では、完全に“神の子”を回復できなかったと伺いまして。私ならば、どうにか出来るのではないかと、無理を言って付いてきたのです。少し、触らせていただいても?」


 ニコッと柔らかい笑みを向けられ、僕は「はい」と小さく返事した。

 イザベラシスター長は、ゆっくりと僕にかけられていた布団をめくって、怪我の様子を観察しているようだった。

 興奮気味だったアリアナさんも、アリアナさんの言動にハラハラしていたリサさんも、イザベラシスター長の独特な雰囲気に押されたのか、静かに様子を見守ってくれた。

 柔らかなイザベラシスター長の手が僕の首や肩、胸、腹、至る所を触っていく。頭から順に足元までじっくりと観察すると、シスター長はふむふむと、小さく頷いた。


「お腹の傷がかなり深いようですね。恐らく、普通の魔法が効きづらい体質なのだと思います。竜は元々巨体ですからね。例えば私達人間が、コップ一杯の水と同じ程度の生命力を持っていたとしたなら、竜のそれは、大きな池かプールに匹敵する量となります。普通の人間ならば死んでいてもおかしくない程の傷でも、“神の子”が耐えられたのは、生命力の絶対的な差によるもの。まだ子どもの竜であったとしても、先ほどの水の量で例えるならば、大衆浴場の湯船か、小さな池程度の量の生命力を持っていたということでしょう。つまり、普通の人間と同じ程度の魔法量を注いだところで、効き目が薄いということです」


 分かりますか、とイザベラシスター長は、僕と、アリアナさん、リサさんを交互に見た。

 各々が、はい、と小さく返事する。


「見た目は、どこにでもいそうな、ただの少年なのですけどね。こうやって触っていると、分かります。私は感じないのですが、“特性”のある方には、竜に見えたり、或いはそういう臭いがしたり、気配がしたり、するのではないでしょうか」

「リサが吸収魔法で竜の気配と魔力を吸い取り続けているのに、……分かるんでしょうか」


 と、アリアナさん。


「なるほど。吸収魔法。そうですね、それでも、所々に竜化の跡を感じるのです。お辛いでしょうが、やはり、白い竜の血がかなり濃いということなのでしょうね」


 竜化の跡。

 心がズキッとする。

 どんな方法を試しても、どうしても竜化してしまうことを思い出す。


「――で、どうすれば大河君は直りますか? 普通のお医者さんではダメだって」


 リサさんが祈るように言うと、イザベラシスター長はニッコリと笑って返した。


「大量の魔力を注ぐしか方法はありませんね」

「大量の、魔力?」

「コップ一杯の水に注ぐのと同じ量の魔力では、小さな池に変化はありません。より強力で、より効果のある魔法を使うしかないわけです。例えば、――このように」


 イザベラシスター長はそう言うと、両手を僕の真上にかざし、魔法陣を出現させた。

 桃色に輝くそれは、いつもより激しい光を帯びている。レグル文字が書き込まれ、魔法が発動していくと、僕の身体もぼうっと桃色に光り始めた。


「え? な、何」


 凄い量の魔法だ。

 今まで感じたことのないくらい、大量の魔力が僕に注がれていくのが分かる。光が痛みを和らげ、傷口をどんどん塞いでいく。身体が、どんどん軽くなっていく。


「魔力を増幅させながら、回復魔法の効果を高めていきます。傷の状態を確かめ、的確にその箇所を治療するよう魔法陣に書き込めば良いのですが、実際、戦いの現場では難しいかも知れません。手っ取り早く回復させるには、やはり大量の魔力。これに尽きます」


 強い光がすうっと消える頃には、僕の身体からギシギシ感や痛みが殆どなくなっていて、それまで捻るだけでも痛んでいたお腹さえ、なんともなくなっていた。


「起き上がってみてください。……どうですか?」


 イザベラシスター長に促され、僕はゆっくりと身体を起こした。


「痛く、ない。痛くないです」

「良かった。包帯も取ってみましょう。火傷も治っていると良いのですが」


 言われて、恐る恐る胴体に巻かれた包帯を取っていく。

 アリアナさんとリサさんが心配そうな顔をして見守ってくれる中、はらりはらりと包帯が取れ、肌色が剥き出しになる。

 左側、“黒炎”の魔法で焼け爛れていた皮膚は、少しボコボコしているけれど殆ど元通り。右脇腹の傷も、ほんの少し痕が残っただけで、きちんと塞がれている。


「凄い……」

「竜の自然治癒力があってこその回復です。良かった。お役に立てたみたいで」


 シスター長というだけあって、イザベラさんは魔力の量も凄まじい。

 半竜の身体でも傷つくと、こんなにも大変だなんて。これは本格的に、防御を覚えないと。


「あの! 私にも回復魔法のコツ、教えていただけませんか」


 イザベラシスター長の魔法に感動したリサさんが、両手をギュッと握って訴えかけている。

 けれどシスター長は、うふふと静かに笑って、その柿色の瞳をキラキラさせた。


「まぁまぁ、そんなに焦らないで頂戴、魔法使いの卵さん。それより、“神の子”の回復が済んだならば、次の場所へ向かいませんと。ねぇ、ウォルター司祭」


 シスター長がクルッと振り向くと、感心したように回復魔法の様子を見ていたウォルター司祭はハッとして、んんっと咳払いする。


「ええ、そのとおり。グレッグ騎士団長が取り押さえている“彼”をどうにかしなければ。聖なる魔法で闇の力は浄化されたはずなのですがね。彼の処遇をどうするべきか、“神の子”である貴殿と少し、話をしたいと思っています」


 紫がかった銀髪を揺らし、ウォルター司祭は顔を歪ませた。

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