4. 黒い水と闇の力

「た、助ける……? そりゃ、一刻も早く助けたいけど」


 怪我の程度は一般人から比べればずっと軽い。竜化しかかった硬い皮膚のお陰で、ダメージが随分軽減されている。回復魔法が使えない分防御力が高いのは助かるけど、辺り一面瓦礫の山だし、あちこちで火が燻ってるし、黒い水に惑わされた雷斗を止めながら団長を安全な場所へ連れ出すのは難しい。

 雷斗は次の“黒炎”の準備にかかっている。既に十分なくらい刀に炎が集まっているようだ。更に黒いもやを吸い込めば、前のより更に強い一撃が放たれるはずだ。

 今の隙に、団長を抱えて、穴の空いた天井から外に飛び立てるか。無理だ。大人一人抱えて飛ぶなんて無茶苦茶すぎる。

 それよりシールド魔法。僕自身が盾になって再度猛撃に耐えなきゃならない。助ける前に団長が巻き添えになったら何の意味もないんだから。

 どうする。

 ノエルさんもダークアイに手こずってるし、応援も来ていない。

 助けろと言われたところで、期待通りの動きが出来そうにないのは、単に僕の戦闘経験が浅いからってことも関係してくるわけだけど。

 身体を起こして雷斗の方を向こうとしたところで、上着の裾を思いっきり引っ張られ、僕は再び前のめりになった。慌てて肘を付いた。もう少しで、団長を押し潰すところだった。


「あっぶな」


 歯を食いしばって、呼吸を整える。

 団長の、強い眼差しが目に入る。


『魔力を寄越せ……!』


 団長の力強い声が、僕の頭に直接響いた。

 気のせい? にしては、あまりにもハッキリした声。


『あの黒い水には、闇の魔法が含まれている。魔力を回復させるには、闇以外の魔法力を補充しなければ』


 ……待って。

 彼は口を動かすのも億劫なくらい、疲弊しきっているように見える。全身傷だらけで、息も絶え絶えなはずなのに。

 もしかして、心の声が聞こえてる?

 心の色や記憶じゃなく、今考えていることが聞こえるなんて、そんなこと、これまでは。


『相手が“神の子”だろうがなんだろうが構うものか。こいつからは底の見えない甚大な魔力が見える。魔力さえ吸い取れれば、自己回復して黒い水を浄化できるはず』


 吸収魔法。

 リサさんがやってるのと同じような。


『魔力を……!』


 仰向けのまま歯を食いしばり、殆ど動かない手で僕の上着を引っ張り続ける団長。

 反対の手が、僕の脇腹に触れた。――途端に、掃除機で吸い取られるような感覚。


「ちょ、ちょっと待って!」


 僕は慌てて団長の手を振りほどき、ガバッと身体を起こした。


「だ、ダメだ! 僕のは白い竜の力だし、第一、僕も黒い水を――」


 遅かった。

 ビクンと、団長の身体が仰け反った。

 宙に浮き、エビ反りになった身体からは黒いもやが吹き出し、口からは大量の黒い水が吐き出されていく。

 白目を剥いて、完全に意識が飛んでいる。


「団長……ッ!」


 グルグルグルッと、黒い水が渦を巻き、団長の身体が見えなくなった。

 水の勢いに圧倒され、僕は腕で飛沫を避けた。――直後、誰かが僕の真ん前に立っていた。

 団長?

 漆黒に染まった刀身のサーベル。

 黒く染まった白目。赤く光る目。

 嘘だろ。

 さっきまで、立つことすら。


「――タイガ! 避けろ!」


 ノエルさんの声がなかったら、急所を刺されていた。

 ザクリと、右の脇腹を刺された。

 刃が貫通した。

 細い刀身が鱗の隙間を縫ったんだ。


「……――ッ!」


 声にならない悲鳴。

 剣が引き抜かれると、勢いよく血が噴き出し、団長の白い隊服を赤く濡らした。


「ざまぁねぇな!」


 雷斗の“黒炎”。

 左側から、黒と赤の炎。

 ――シールド!

 今度こそ防がないと、身体が持たない。

 魔法陣すっ飛ばして、透明な盾を思い描く。――弾いた!

 シールドに遮られ、炎が拡散されていく。


「出来た!」


 思わず口を突いた。けど、本当はそんな場合じゃなくて。

 言ったそばから漆黒のサーベルが再度、僕の腹を貫いていた。


「邪悪な力……! やはり、滅ぼされるべき存在……!」


 黒い水だ。

 あの湖の黒く濁った水が、人の心を惑わせる。

 雷斗も団長も、黒い水に含まれる闇の力に支配されてしまった。



 ……僕は?



 どうして僕は平気なの?

 白い竜だから?

 リサさんは僕の力を吸い取ってもおかしくはならなかった。

 魔法生物だから大丈夫ってこと?

 なんなんだ、アレは。

 あの、黒い水は。

 あの真っ黒い湖は。

 人間を惑わす?

 黒いスライムを生み出す?

 一体、アレは――……。


『わ、私は、何をしている……!』


 再び団長の声がした。

 真っ赤に光る目で僕を睨み付けた、その表情とは裏腹に、声は明らかに動揺している。

 漂う色は真っ黒で全く変化がないというのに、心の声はその行動を否定している。


「団長さんの意思じゃ、ない……?」


 僕の魔力の吸い取りをほんのちょっとでやめたからか、吸収した黒い水が少なかったのか。直接黒い水を飲んだ雷斗とは違う。

 黒い水に含まれた闇の力にあらがおうとしている……!

 ザクッと、脇腹から剣が引き抜かれた。

 再び血が舞う。

 痛みで意識が途切れそうになる。


『確かに“神の子”は危険な存在だ。しかし今は浄化が先決なはず。私は、私の身体は何をしている?』


「仲間が増えた。共にぶっ殺そうぜ。禍々しい、破壊竜の血を引いた“神の子”を……!」


 雷斗が高笑いする。

 警戒が緩んだ、その隙に、ノエルさんが雷斗の後方から頭を――ぶん殴った。

 反動で刀が床に転げ落ちる。

 強烈な痛みに頭を抱えてよろける雷斗を、ノエルさんはギュッと雁字搦めにして無理矢理自由を奪っていた。


「黙れライト! 正気に戻りやがれッ!」

「うるせぇ! オレは、正気だッ!」


 雷斗の身体からも、黒いもやが噴き出している。それは団長と同じ。

 団長と違って行動に整合性がとれてるのは、結局雷斗が僕のことを普段から目障りに思っていたからに違いない。

 ノエルさんはまるで狂犬をしつけるように、必死に雷斗を抑え続けた。


『私が――、彼の、仲間?』


 団長は顔ではニタリと雷斗の方を見ながらも、頭では逆のことを考えていた。


『何を言っているんだ、彼は。冗談じゃない。私は危険思想を持つ少年を諭そうとして、あの黒い水と不定形生物にやられたのだ。ひじりの魔法を発動させるにはかなりの時間と集中力が必要なのに、彼はその隙を与えなかった。私は自分の身を守ることと、修道院じゅうにこの事態を知らせ、神の加護を分け与えながら皆を逃がすことだけに力を使ってしまった。まさか“神の子”の中に彼同様、黒い水が潜んでいるとも知らず、私は魔力回復のため、軽々しく魔力を吸い取った。その、結果がこれだ。――仲間? 私怨で己を闇に落とすような者と一緒にされてたまるか。ふざけるのも大概に……!』


 ――パァンと、辺り一面に銀色の光の粒が押し寄せた。

 息を呑む。

 穴の空いた天井から差し込む日の光に照らされ、銀色の粒はキラキラと美しく光っている。

 ダイヤモンドダストのようなそれは、通路の方向から風に乗って団長室の中に吹き付けてきた。


ひじりの魔法……! ジークか!」


 ノエルさんの声にハッとして、僕は通路の先を見た。

 急いで駆けつけてくるジークさんと、リサさん、そしてアリアナさんの姿がある。

 銀の粒が黒いスライムに当たると、それまでどんな魔法でも身体を収縮させる程度にしかダメージを与えられなかったのに、まるで氷が溶けるみたいに急激に形を失っていった。

 これが、ひじりの魔法……。

 闇を纏う者にしか効かないと、凌が言っていた。ってことは。


「う、うぅ……ッ」


 団長が呻きだした。

 手からポロリと血だらけの黒いサーベルを床に落とし、そのまま胸を掻きむしり、悶えている。

 銀の粒が身体に当たると、そこから黒いもやが蒸発するように抜けていって、徐々に彼の周りから黒い色が消えていくのが分かった。

 浄化、されてる。


「か、“神の子”。すまない……」


 白目から黒が抜け、真っ赤に光っていた瞳も、元来の薄茶色に戻っていた。

 今にも倒れ込みそうな団長に、僕はサッと腕を出した。


「僕の方は大丈夫ですから。それより、ごめんなさい。もう少し判断が早ければ」


 判断もそうだけど、黒い水を飲み込んだりしなければ、きっと。

 しかし団長は、僕の差し出した手をそっとのけた。

 もう、自分の足で立って動ける程、彼が自分自身にかけた回復の魔法が効いてきているようだった。


「いや、私の傲慢な部分に闇の力が反応してしまったまで。君は、何も恥じることはない。それより――」


 問題は、雷斗の方だ。

 団長室の真ん中で、ノエルさんと、男性エルフ型の魔法生物に押さえ込まれている。

 地面に頭を押しつけられ、うつ伏せにされ、腕と肩を押さえつけられてもなお、どうにか脱出しようと身体をよじっている。

 銀の粒が当たった箇所からどんどん闇が抜けていっているはずなのに、一向に、彼の周囲に漂う黒い色はなくならないようだ。

 更にジークさんも加わり、直接的に聖の魔法を浴びせるつもりらしい。雷斗のそばに屈んだジークさんの手のひらが、銀色の光を帯びているのが見えた。


「大河君! 大丈夫なの?」

「タイガ! 無事?」


 リサさんとアリアナさんが瓦礫を避けながら駆け寄ってくる。

 また、中途半端に竜化してしまって、僕は後ろめたい気持ちで顔を背けた。


「だ、大丈夫。吸収魔法の範囲外まで来ちゃって、効果が薄れたみたいで」


 精一杯強がって見せたけど、ダメだ。

 刺されたところから、血が止めどなく流れていて、思ったより血が少なくなってきていた。


「無理矢理にでも、付いていけば良かった」


 リサさんは、泣きそうな色をしていた。

 アリアナさんも、心苦しそうに色を歪ませて。


「大丈夫だよ。僕も、リサさんがいてくれるから、これ以上竜化せずに済んだ。自我を保てただけで、十分……」


 気が抜けた。

 きっと安心したんだ。

 これ以上、誰も傷つかないで済みそうだ。……そう、思ったから。

 僕の意識は、そこでプツッと途切れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る