【11】絶望からの

1. 黒いスライム

 人の流れを遡るように、僕らはオリエ修道院へと向かった。

 牧草地の丘からノエルさんの転移魔法で一気に修道院の手前数百メートルまで飛ぶと、そこはもう、大変な騒ぎになっていた。

 修道院の敷地は、農村や住宅地から切り離された場所にあった。まるで小さく完結した世界のように、そこには様々なものが存在している。礼拝堂を備える大きな建物の他に、農作業小屋や畜舎、神教騎士団の詰所が点在し、綺麗に整備された庭には、背の低い木々が小道を作っている。

 平時に来ればきっと綺麗な場所だったろうに。

 修道院を囲う木々が爆破の衝撃でなぎ倒されていたし、庭のあちこちに瓦礫が散乱していた。煙が立ちこめ、空気も悪い。逃げ惑う人々、助けを求める人々でごった返し、救急隊が駆けつけ、保護する先から更に要救助者が見つかるような、緊迫した状態だった。

 修道院の礼拝堂で何かがあったと、通り過ぎる人達が口々に話していた。


「化け物が」

「まだ人がいる」


 一つ一つの声に耳を傾けたいところだったけど、グッと堪えて先を急ぐ。

 それぞれの建物から避難誘導され、シスターや神教騎士達が敷地から逃れてゆく。思ったより多くの人が生活していたようだ。僕より小さな子どもから、屈強な男性まで、年齢層も幅広い。


「キャアアア――ッ!」


 甲高いシスターの声が響いた。

 十一時方向に目を向けると、草地からニュッと黒い粘着質の物体がせり出していた。そいつがまるで意思でも持っているかのように、シスターに触手を伸ばしている。

 ――爆発音。

 触手が千切れ、シスターは驚いてその場にへたり込む。

 更にどんどん、魔法が黒い物体に打ち込まれていく。


「今のうちに逃げろ!」


 魔法を放っているのは、神教騎士数人。

 シスターはもつれる足を必死に運びながら、僕らの方に向かって逃げてくる。


「不定形生物」


 ノエルさんがボソッと言った。

 あれが例の。


「黒いスライムだ」

「スライム?」


 僕が零した言葉に、リサさんが反応する。


「うん、スライム。ああいうネトネトしてる、掴みようのない変形生物をリアレイトだとそう言うんだけど、“こっち”にはそういう魔物、いないの?」

「いなくはないけど、特に名前なんか無かったかも。スライム。面白い名前!」


 周囲を見渡すと、敷地内の至る所に大小様々のスライムがうねうねしている。

 魔法しか効かない不定形生物に、神教騎士達が魔法を浴びせているけれど、それだけが原因でこんな事態になっているわけじゃなさそうだ。

 正面に礼拝堂の入り口が見えてきた。開け放たれた扉の奥に、炎が見える。

 いざ中へ、思った瞬間、


「いやぁアアッ!」


 アリアナさんが声を上げた。

 立ち止まり、振り返る。

 黒いスライムが、アリアナさんの腕に絡みついている。


「アリアナッ!」


 リサさんが手を伸ばして掴み取ろうとするのを、ノエルさんが止める。


「魔法!」


 ハッとして魔法陣を展開するリサさん。


「ゴメン、アリアナ! 防御して!」


 小さな炎の魔法を当てると、スライムはベチョッと音を出して草地に転げ落ちた。


「ヒヤッとして気持ち悪かった。ありがとう、リサ」


 スライムに掴まれたところを擦りながら、アリアナさんが礼を言う。


「ううん、それより」


 今の騒ぎで足を止めたのが悪かったのか、もはやそうなるしか無かったのか。

 僕らの周囲は黒いスライムに囲まれてしまっていた。

 それぞれが規則性も無く、独自の動きをして間合いを詰めてくる。

 ひとつでも気持ち悪いのに、こんな、数え切れない程沢山のスライムに囲まれると……、ブルッと背筋が震えた。


「お前も半分竜だから、不定形生物が苦手とかないよな?」


 隣で構えるノエルさんに笑われる。


「か、関係ないと思うけど。そういうノエルさんは」

「好きじゃねぇな。気持ち悪いのは。ただ――、初見じゃないんで!」


 バッと手を突き出し、ノエルさんが黄色に輝く魔法陣を展開する。

 高速で呪文が刻まれ、直後に雷撃が広範囲に降り注いだ。


「こいつらは火と光の魔法に弱い。昼間で太陽が出ている間は、それほど脅威じゃないはずだ。交代で魔法ぶちかましながら進むしかない」


 雷撃に痺れたスライムは、少し小さくなっていた。

 ゲームだと弱い印象だけど、実際はかなり厄介なモンスターなんだと、本で読んだことがあった。アレは創作の話だったけど、目の前にいるのは本物。しかも、確かジークさんの話だと、



――『これが集合体になると、人の体程のデカい目ん玉を持つ魔物に変化する。更にその目ん玉が集合していくと、今度は目ん玉だらけの巨人みたいに変化する』



 そうなってしまうと、きっと取り返しが付かなくなる。

 もしかしたら雷斗がそこにいるかも知れないのに、こんなところで足止めを喰らってる場合じゃ。


「ノエルさんと大河君は先に行って! 私とアリアナでこいつらを止めるから!」


 リサさんが魔法陣を展開しながらそう叫んだ。

 アリアナさんもこくりと頷いている。


「すまない、頼む!」


 炎と光の魔法がそれぞれ打ち込まれていくのを尻目に、僕とノエルさんは先を急いだ。

 礼拝堂入り口の階段を駆け上がる。

 前方に現れるスライムを、ノエルさんが魔法でピンポイントに攻撃していく。

 煙の燻るような臭い、そして、何だか生臭いような、不快な臭いも強くなっていった。視界が黒っぽいのは、誰かの敵意なのか、それとも本当に視界が濁っているのか、直ぐに判断が付かない。

 階段、扉の前、通路。至る所でうつ伏せに倒れた、神教騎士らしきローブの男達。苦しそうに身を縮こめたまま力尽きている。不安と苦しみの色を漂わせているのが数人、あとは色も気配さえも消えてしまっている。

 胸が痛い。

 一体、どうしてこんなことに。

 躊躇して少しだけ足の動きが止まった、その時。

 不意に誰かに右足首を掴まれた。


「うわっ!」


 礼拝堂の入り口から直ぐのところ。

 倒れていた神教騎士の一人が、僕の足を掴んでいた。

 三十代くらいの彼は、あちこち焼けただれ、瀕死の重傷に見えた。けど、まだ心の色は強い。苦しみを伝える重々しい寒色の中に、生きたいと願う明るい黄色が僅かに混じっている。

 口が動いていた。何かを語りかけようとしている。声がもう、出ないのか。

 パクパクと必死に口を動かすので精一杯らしい。どうにか、聞いてあげたいけど。

 何が言いたいの。僕はチラリと、彼の目を見た。

 ――記憶が、流れ込んでくる。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 黒髪の、少年が一人。

 英字のTシャツ。思い詰めたような顔の……、雷斗。











『家出?』

『リアレイトの干渉者の家出人とは』

『縋る者を追い出すような無慈悲なことを、我らの神は許さないだろう』











 白い、無地の服に着替えた雷斗が見える。


『五日間の隔離で、外の臭いはすっかり消えたはずだ。少しずつ、ここでの暮らしに慣れていけば良い』


 頷く雷斗。











『神教騎士団は、古代神レグルの加護の下、人々の平和を守るために結成されたのだ。今は“神の子討伐”などと、攻撃的な活動をしている危険な団体に見えるかも知れないが、誇り高きレグルの民と、レグルノーラの発展と平和を願う古代神教会の、いわば盾のような存在。かつて猛威を振るっていた破壊竜と、その影響で凶暴化していた魔物から、世界を守っていた』


 神教騎士に囲まれ、曇りがちな目で話を聞く雷斗。


『神聖な古代神レグルは崇めても、凌叔父さん……、レグルのことは認めないんだっけ』

『我々の教義では、古代神レグルとかの者は別の存在』

『本物の神様じゃない。だから、閉じ込めた』

『あれは、かの竜。世界を滅ぼそうとした、危険な破壊竜。一緒にしてはいけない』


 雷斗は納得しないような、反抗的な目で神教騎士達を睨み付けている。


『つまり、“神の子”は目障りだった。だからオレも狙われた』


 神教騎士達が、ざわめき出す。


『君は、いつぞやの偽者――』


 誰かが言うと、更にざわめきが大きくなる。

 雷斗に対し、身構え出した。











 騎士団長らしき人が、雷斗を呼びつけていた。

 目線のこの人は、雷斗に同行する形で同じ場所にいる。

 礼拝堂の片隅。竜の羽を大きく広げた雄神の像が奥に見える。


『神教騎士団に入りたい?』

『はい』


 雷斗は短く返事をする。


『以前、“神の子”ではないかと疑い、君の命を狙った。それを知った上で?』

『そうです』


『戻るべき場所があるなら戻るべきだと、私達は何度も君を説得した。神父も、シスター達も、君の今後を心配している。決して君を困らせようとしているわけじゃない。君が進むべき道を誤りそうな、とても危うい心を持っているようだから、こんな話をしている。分かるかい?』


 いいえと、雷斗は首を横に振った。


『戻ったところで、僕に居場所なんてない。そんなことより、二人きりで話をしませんか。とても、大事な話が』


 雷斗は目線の人物に一瞥をくれてから、騎士団長の顔を見つめた。

 その目が、ギラギラと赤く輝いて――……。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 右足首が、再び強く握られた。

 僕は屈んで、その人に手を伸ばす。


「おい、何してる! タイガ、早く中へ!」


 ノエルさんの声。

 けれど僕は、この人の訴えを受け止めなきゃいけない気がして。

 もう一度、目を見る。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 ドォンと激しい振動、爆風。

 両腕を盾にして風から身を守り、目線の人は必死に駆けていた。


『団長! 少年!』


 彼は爆発の中心部へ進んでいく。

 けど、黒いスライムが既に修道院内の至る所に湧いていて、なかなか前に進めない。

 剣を振るい、魔法を放ちながら前に進むも、次から次へと襲いかかるスライムに押し戻されてしまう。

 仲間がスライムに呑まれていくのが見えていた。助けてくれと叫ぶ声がどこかしこに聞こえている。

 前に進みたい、けれど、見捨てるわけにもいかない。ジレンマに苛み、結局、人助けの方を優先した。

 行きたい場所はどんどん遠くなる。

 倒れた仲間を担ぎ、外へ運び、また中へ入り、また傷ついた仲間を励まして外へ誘導し。

 気が狂ってしまいそうになりながらも、彼は必死だった。

 その中で、声を聞いた。

 ケタケタと笑う声。声変わりしたばかりの、高い、この笑い声は。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 僕は咄嗟に目をつぶった。

 見たくない。これが現実だとしたなら、こんなに辛いことが。

 伸ばした手を、引き戻してぎゅっと握った。


「教えてくれて、ありがとう。僕が……、止める」


 足首を掴んでいた神教騎士の手が緩んだ。

 そっと目を閉じた彼の心の色が、急激に失われていく。


「タイガ!」


 ノエルさんはわざわざ戻ってきて、屈んでいた僕の腕をぐいっと引っ張った。


「他人に構ってる場合じゃない! 先を急がないと!」


 ノエルさんの言うとおりだ。

 こんなところで躓いてたら、僕は。

 僕は、伯父さんとの約束を果たせなくなる。

 胸が張り裂けそうだった。

 頭の中を、“どうして”の四文字が占拠した。

 考えないようにしたかったのに、記憶の中で聞いたあの笑い声が、頭から離れない。


「奥へ進むぞ。煙、吸わないように気をつけろ」


 礼拝堂の中に、生きている人は誰もいなかった。

 記憶で見た雄神の像は羽が折れ、台座の足下から崩れて前のめりになり、会衆席の長椅子に倒れ込んでいた。

 美しい装飾やステンドグラスも、所々崩れて穴だらけ。絨毯は焼け焦げ、会衆席の椅子も乱れている。

 礼拝堂の両側に、扉や通路の入り口が幾つも並んでいるのが見えた。

 思いのほか大きな施設。行き先を間違えたら、戻ってくるのも大変そうだ。


「ノエルさん、あっちだ」


 記憶の中で、チラリと見えた。

 祭壇に一番近い、右側の扉。その先に長い通路があって、両脇に小さな部屋が幾つか点在しているんだ。

 僕はノエルさんを誘導し、先を急いだ。

 一番奥だ。そこが騎士団長の部屋。

 あの人が行きたがっていて、どうしても辿り着けなかったところ。

 窓の無い通路に、また黒いスライムが湧く。

 光の魔法!

 手を伸ばし、魔法陣を展開。日本語で文字を刻む。



――“強烈な光で辺りを照らし続けろ”



 光の球が現れ、パァッと周囲が明るくなった。


「出来てるじゃん、タイガ!」


 ノエルさんに褒められるのはちょっと照れくさかったけど、こんなところでニヤニヤ出来る程、僕のメンタルは強くない。

 本当は、行きたくない。

 結末が見えているのに、どうしていかなくちゃならない。

 僕は、耐えることが出来るんだろうか。

 目的地の、騎士団長室が近付いてきた。扉は外れて、中から声が漏れ聞こえてくる。

 ……記憶で聞いたとおりの声。

 そして、悪意の証、大量の黒いもやが溢れ出ている。

 足が重い。

 息苦しい。

 歩を止めた僕の後ろで、ノエルさんもゆっくりとスピードを緩め、やがて止まった。


「ちょっと待て。どういうことだ」


 記憶を見た僕とは違って、事前情報の無かったノエルさんは、僕よりももっと驚いていた。

 いつものクールな銀鼠色が、あっという間に不安の青紫色に侵食されていく。


「ライト、お前、どうして」


 ノエルさんの、絶望とも言える台詞と呼応するように、雷斗の高い笑い声が響き渡っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る